人の子等よ。何故われ汝等総てを同じ土くれより創れるかを知るや、何人も他より自らを高しとなすべきにあらざるためなり。常に汝の心のうちに、如何にして 汝等創られしかを熟考せよ。われ汝等総てを同じ物より創りし故、汝等一つの魂の如く、同じ足もて歩み、同じ口で食し、また同じ国土に住む義務がある。され ば汝等の最奥の本質より、汝等の行為と行動より、一元性のしるしと世俗超脱の真髄が明白とならん。これぞわれの汝への忠言である。おお光の群集よ!この忠言を心に留めよ。さらば汝等不思議なる栄光の木より、聖なる果実を入手し得ん。
(かくされたる言葉アラビア編68)崇高なる、最も崇高なる者は、差別を取り去り、調和を確立した。栄光ある、無限に栄光ある者は、不和を取り去り、連帯と和合を定めた心神に誉れあれ、最も 高遠なるペンは、神の僕と侍女との差別を取り去った君そして彼の無上の恩恵と全てを包み込む慈悲によって、万人に同じ水準の地位と身分を授けた。彼は、言 葉の剣で空しい想像の基盤を打ち破り、彼の威力のあまねくしみ渡る力で、怠惰な空想に陥る危険を消し去った。
(未翻訳の書簡よりの抜粋)わが侍女よ。わが木の葉よ。この虐げられたる者は、汝の呼び声と、汝が主を賛美する誠心誠意の言葉を聞いた。神の正義にかけて誓う、人々の所有する物、地 上の宝、支配者や王が持てる物は、今日、神を賞讃することほどの価値などない。神の王国の主は、この栄光ある時に、このことを証言する。そして、われは、 汝のうめき苦しむ悲嘆の声を聞いて、地上と天の間に呼応するこの聖なる書簡で応答している。その中に、汝の神への愛、奉仕、記憶、賞讃から表れたものを不 滅にする言葉で、汝のことを述べているのである。神は、汝の口から発せられたものを、汝のために神のもとに保管されるようになし給うた。まことに、神は、 最も恵み深い御方であり最も寛大なる御方である。この瞬間、わが高遠なるペンにより啓示されたることに汝が忠実に耳を傾けるならば、汝は、『聖約の日の 主』への愛に満ちた天へ、熱意の翼で舞い上がるであろう。そして生涯かく言い続けるであろう。「あなたに感謝します。世界の願望であるあなたよ、あなたに 誉れあれ、おお思慮ある人々が愛するあなたよ。存在する全てのものがあなたの恩恵への犠牲となり、永遠にあなたの『御言葉』への代償として捧げられんこと を。悪意に満ちた人々の中で虐げられた御方、天と地に住む全ての人の手綱を手中に治められている御方よ…。
この聖なる時代に、恩寵の御手はあらゆる差別を取り去った。神の僕と侍女は、同じ水準にあると見なされる。神の定めに到達した僕は祝福されている。神の意 志の微風で揺れる木の葉も祝福されている。この恩恵は偉大であり、この身分は、高貴である。神の恩恵と贈与は永遠に存在し、明らかなものである。神の絶え ることなき贈与と不滅の恩恵にふさわしい感謝を捧げられる者があろうか。」
(未翻訳の書簡からの抜粋)わが命にかけて誓う。神に身を捧げる侍女の名は、最も高遠なるペンによって、『深紅色の本』に書き留められている。彼女らは、神の目から見れば男性より秀 でている、真実なる者を見失い、神を認識しない戦場の英雄や騎士のいかに多いことか。しかし、汝は神に到達し、心ゆくまで満たされている。
(未翻訳の書簡からの抜粋)神は、英知にあふれた天の地平線より、全てを見たもう御方である。わが侍女よ、わが木の葉よ。最も高遠なる神が援助し給うた人々を除いて、世界が彼を受け入れぬ時代に、汝が神を認め、愛し、『古代のお顔』に目を向けていることを、高遠なるペンは証言する…
神への愛という装身具で身を飾り、神の名を語り、賞讃することができるとは、汝は何と幸福なのであろう。神の慈悲はことごとく神の力強い手中にある、神を 誉めたたえよ。神が望む者にその慈悲を授け給う。いかに多くの聖職者が、自らを祝福された者であり、天の神秘の宝庫だと見なしたことか、しかし、ほんのわ ずかな試練が訪れると神の顕示者を拒み、天上の群れを大いに苦しめ悲嘆させたのである。
しかしながら、汝は、主の贈与と彼の無限の恩恵とによって、隠された秘密と堅く守られた穂宝に到達した。神の名において、この高量な地位を保持し、裏切り 者の目からそれを隠せ。わが王国の地平線から輝きわたる栄光が汝に注がれるように。そしてまた、わが荘厳なる『王座』の光母に到達した全ての侍女にも注が れるように。
(未翻訳の書簡からの抜粋)われは、全ての木の葉が聖なる木を知るように、また神の寛大なる大洋に身を浸すことができるように、神の援助を懇願する。今日身分の高低、貧富、家柄、強 弱は、問題ではない。並ぶものなき愛されたる者を認めた者は誰でも、真の富の保持者であり、聖なる地位を占めるのである。今日、真実なる者の宮廷におい て、世界の女王やそれに並ぶ者は、からしの種子ほどの価値もない。彼女は神の名において語り、自らの肉体という殿堂で毎日創造の主に祈り、自国の発展のた めに巨額の富を費やしはするであろうが、神の顕示の大陽を認めることができず、祈りを捧げようとしている「真実なる御方」から締め出されているからであ る。
(未翻訳の書簡からの抜粋)神は最も高い聖なる地平線より光り輝いている。わが侍女よ。何世紀も、何世代も、神の啓示を待ち続けてきた男性は多い、それにもかかわらず、世界の地平線 からその光が輝き出ると、ごくわずかな男性を除いて、皆顔をそむけたのである。侍女たちの中で、『全ての名の主』を認めた者は誰でも、高遠なるペンによ り、聖なる書に神を認めた男性と同じように記録されている①。神の『御印の夜明け』と、『神の栄光の証拠』を啓示したる者を認識するよう、汝を援助してく れたことに対し、世界の最愛なる御方に、賞讃を捧げよ。これは崇高なる賜物であり、慈悲深い恩恵である。それゆえ、真実なる者の名においてそれを守れ。
(未翻訳の書簡からの抜枠)①他の抜粋からあきらかなように、バハイでの平等の概念は、男性との等質性ではなく、相互に補足する事を意味している。
アブドル・バハの言葉と著作からの抜粋人類創生より約束された日に至るまで、男性はあらゆる点で女性より優位を占めてきた。コーランの中でも次のように啓示されている。『男は女より優位に立っ ている。』しかし、このすばらしい律法時代において栄光ある主の崇高なる発露は、女性が顕著な業績をあげるきっかけとなった。
知識の舞台で男性をしのいで立ち上がった女性もいた。彼女らは愛と気高い精神性で立ち上がったので、『主権者』の恩恵の発露の元となりその恩恵が人類に注 がれた。彼女らの神聖にして純粋なる属性が、多くの人を和合の岸へ導いた。そしてまた、困迷の荒野をさまよう人々の道案内をするかがり火となり、下界の落 胆した人々を主への愛の炎で燃えたたせた。これは、弱き性に強さを与え女性にたくましい力を授けた、この驚愕すべき時代の慈悲にあふれる特徴なのである。(未翻訳の書簡からの抜粋)
神の侍女よ。古代より伝わる希望の地平線から『古代の美』と『顕示の光』が昇ったこのすばらしい律法時代において――わが精神が神の愛する者のために捧げ られんことを――女性は、神の大業において断固たる信念を示し、恐れを知らぬ男性のような勇気と力を表すことによって、男性の特徴を身につけてきた。女性 は、神秘的英知の舞台に侵入し、確信の頂上に旗を高く掲げた。汝もまた、力強く努力し、崇高な勇気を示さなければならない。神の愛の甘き味は、終わりなき 終わりまで続くのであるから、大いに努力し天国の甘さをひと息に賞味せよ。
(未翻訳の書簡からの抜粋)神の侍女よ。主に感謝せよ。汝は、汝の種族で最初の信者であり①、甘く香しい微風を広め、立ち上がって人々を導こうとしてきた。わが望みは、『アブハの 美』の賜物と恩恵により汝の顔が明るく照らされ、人々に喜びを与える性質となり、汝の芳香が放散されることであり、さらにまた汝の目で見分け、汝の耳で注 意深く聞き、汝の舌で雄弁に語り、汝の魂が聖なる芳香で活気づけられることなのである。かくして汝がその種族の中で立ち上がり、人々の啓蒙に努め、光で満 たされるように。目の瞳は黒くとも、光の源である。汝もかくあれ。外見ではなく、内なる性質が輝いていなければならない。崇高なる自信と確信をもって述べ よ。『おお神様、私をまばゆい光、輝くランプ、きらめく星となしたまえ。そうして私が、人々の心を、あなたのアブハ王国からのまばゆいばかりの閃光で照ら すことができますように。』
(未翻訳の書簡からの抜粋)①この書簡は、ワシントンに住むポカホンタス夫人という人にあてられた。ファジル・マザンダラニ氏によれば、受取人は黒人女性ということであった。
知識向上のため女性の集会を設定するのは、大変結構なことであるが、そこでの討論は教育問題に限定するべきである。差別が完全に取り払われるよう日々努め るべきであり、断じて男女の論争に終始してはならない。ベールの問題と同様に、何事も分別にさからってなされてはならない。
個々の女性は、今日全女性の永遠なる栄光の源となる方向に進まなければならない。そうすれば、全ての女性は輝きわたるであろう。布教の仕方を学ぶために集 い、祈りの言葉を朗唱し、『明白なしるしを示す主』の王国へ嘆願し、少女の教育を創設するための会合を開くべし。ジナビ・タヘレが布教した方法をよく考え よ。彼女はあらゆることから開放されていた。それゆえに光り輝いていたのである。
今や、女性の世界は、政治的世界ではなく、精神的世界でなければならない。そうすれば、女性の世界は光り輝くであろう。他の国々の女性は、皆政治問題に没 頭している。しかし、何の利益があるのか、どんな果実を生じるというのか。汝はでき得る限り神の御言葉を高揚し、神の芳香を広めることに専念すべきであ る。汝の行動は、人々に調和をもたらし、人々を和合と喜びへと導くものでなくてはならない①。
われは、バハオラの確証と援助によって、侍女達の世界を、人々が驚嘆するような世界へ改革するよう努力している。精神性、美徳、人間としての完全性、そし て神聖な英知における信奉を意図しているのである。女性解放運動の発祥の地アメリカでは、今だに女性はつまらぬ口論をするとして、政治機構からしめだされ ている…汝は、冷静沈着でなければならない。そうすれば、英知によって事が運ぶであろう。さもなければ、混乱が起きて、全てを投げ出してしまいたくなるで あろう。「この新しく生まれた赤ん坊は、歩いては百年もかかる道をたったの一晩で通ろうとしている。」すなわち、汝らは、今や純粋に精神的なことに励み、 男性と争うべきではない。アブドル・バハは、手際よく、適切な措置をとろう。確信せよ。ついに汝は、声高く叫ぶであろう。「これこそ正に崇高な英知なりき 心」と。われは、男女間のこの争いを消し去るよう訴える…アブドル・バハが喜んで援助をしなければ、汝自分だけでは何事も達成できないことを知れ。
(未翻訳の書簡からの抜粋)①この忠告は当時のイランのバハイ女性に対して述べられたものである。他の書簡でも明らかなように、原則として女性は社会生活の全ての面に参加するように
勧められている。おお侍女よ、これを知れ、バハの目には、女性は男性と同等と見なされる。そして神は、人を神にかたどって作られた。すなわち、男性も女性も、共に神の名と 属性を体現する者であり、精神的な面からみれば、両者に何の相違もない。神により近づく者は、男性であろうと女性であろうと最も恩恵を受けた者である。燃 え立つような献身を捧げて、何と多くの侍女達が、バハのもとで、男性より優れていることを示し、世俗の有名人をしのいできたことであろうか。
しかしながら、神の法にある明白な聖句によれば、正義院は、男性に限られている②。これは、主なる神の英知によるものであり、やがて、真昼の太陽のごとく明かにされるであろう。
(「アブドル・バハの著作からの抜粋」1978年 世界センター版 P79-80 )②他の抜粋から明らかなように議員を男性に限定することは万国正義院にだけ適応され、全国及び地方正義院には適応されない。
さらに、バハオラの教えの中に、男女の平等がある。人間世界には、二つの翼がある。ひとつの翼は女性であり、もうひとつの翼は男性である。両方の翼が等し く発達しないうちは、鳥は飛ぶことができない。ひとつの翼が弱いままなら飛行は不可能である。美徳と円熟を獲得する上で、女性の世界が男性の世界と対等に なった時初めて、当然の成功と繁栄が達成されるのである。
(アブドル・バハの著作からの抜粋1978年世界センター版 P302)今は光の世紀であるから、『真実の太陽』である神の『言葉』が全人類にまさに示されたのである。人間界に隠された可能性のひとつは、女性の能力と才能であった。女性の能力は輝く神の啓蒙の光で呼び覚まされ、明白になってきたので、男女の平等は、今や確定的な事実である…
今日、真の知識と正しい結論に達するために、公平に、偏見なく真理を探究しなければならない。では、何が男女の不平等をもたらしているのであろうか。両者 とも人間であり、能力と機能を互いに補いあうものである。女性は、男性が長い間享受してきたさまざまな機会、特に教育の特権が与えられなかったということ に過ぎない。
真実は、全人類が唯一の神の創造物、且つ僕であり、神の判断からすれば、全ては人間であるということなのだ。英語の“man”(人)は、全ての人間に当てはまる総称である。聖書に書かれている「われは、わが形に似せて人を作ろう、」という言葉は、女性は作られなかったという意味ではない。神に酷似した姿は、女性にも同じように当てはまる。ペルシャ語とアラビア語には、英語の“man”に翻訳できる意味の異なる二語がある。ひとつは、男女を総称しており、もうひとつは男性を女性と区別している。初めの語とその代名詞は、男性と女性をひとまとめにした一般的、集合的なもので、もう一方の語は、男性に限定されている。これは、ヘブライ語でも同じである。
神が意図しなかった差別を認めたり守ったりすることは、無知と迷信そのものである…わが希望は、平等が今だ十分に認識されず、確立されていない五つの大陸に、平等の旗が高く掲げられることである。啓発された西洋の女性は、東洋の女性をは るかにしのいで進歩している。男女の平等を認め、実現しない限り、社会的政治的発展は絶対不可能であることをもう一度強調しておく。人間社会は二つの部 分、二つの要素から成り立っているのである。ひとつは女性であり、もうひとつは男性である。この二つの要素が同じ力を持って初めて、人類の一体性が確立さ れ、幸福と至福が実現するのである。神が望み給うならば、必ずや実現するであろう。
(「世界平和の宣布」1982年 米国版 pp74-77)今日、人類は、この輝ける世紀に特有の、最も重要な問題に直面している。そのひとつは、女性の権利と男女平等に関するものである。過去において、女性は男 性と平等でないと考えられた。すなわち、女性は、解剖学的にも創造された過程においても男性より劣っていると考えられた。女性は、特に知能が劣っていると 見なされ、重大事の舞台に踏み入ることは許されないとする考えが世界中に広がっていた。ある国々では、女性は人間以下の動物であると男性が信じ込み、そう 教える程にまでなっていた。しかし、光の世紀であり、神秘の啓示であるこの世紀において、神は、これらの考えが全て無知からきたもので誤りであると納得が いくように証明している。さらに言えば、人類を構成する要素として男女は共に平等であり、女性を低く評価することは、当然許されない。過去の女性の状況
は、 女性に機会が与えられなかったことによる。女性は、教育の権利を奪われ、未発達のままに終った。当然進歩できなかった。まことに、神は全人類を創造したも うたのであり、神の評価によれば、男女に何の差別もない。心の清い人は、男女を問わず、神の目にかなうのである。神は、「汝は、女かあるいは男か。」とは 尋ねない。神は人間の行動を評価する。栄光ある御方の敷居に受け入れられる行動であれば、男性も女性も等しく認められ、報われるのである。
(「世界平和の宣布」1982年米国版 p133)人間の世界は、男性と女性という二つの部分から成り立っており、お互いに他を補っている。従って、一方が不完全であれば、他方も必然的に不完全になり、完 成されないであろう。人間の身体には右手と左手があり、奉仕し貢献するにあたって機能的には同じである。片方の手が不完全であれば、その欠陥は全体に影響 するので、当然、他方の手に及ぶことになる。両方の手が完全であって初めて、正常に機能するのである。片手に欠陥があれば、もう一方も能力を発揮すること ができない。片手では完全であり得ないのである。両手があって身体が申し分なく機能するのと同様に、社会の二つの要素である男女は、完壁でなければならな い。どちらかが未発達であるのは不自然である。両方が進歩しない限り、人間社会の幸福は実現しないであろう。
(「世界平和の宣布」1982年米国版 p134)過去における女性の地位は、嘆かわしいものだった。東洋では、女性は無知であることが良いと信じ込まれた。世界の出来事を知らせないように、女性に読み書 きを教えない方が好ましいと考えられた。女性は、子供を育て、家事に専念するために創造されたと思われていた。女性が教育の道を追求すれば貞節に反すると 見なされた。このようにして、女性は、家庭の囚人にされたのであった。家には、外の世界に開く窓さえもなかったのである。バハオラは、これらの考えを打破 し、男女の平等を宣言した。彼は、すべての女性が教育され、両性の教育に差をつけず、男女が同じ権利を分かちあうことを命じて、女性を尊敬されるものとな し給うたのである。神の評価では、性による差別はない。心の澄んでいる者、優れた教育を受けた者、科学に大いに貢献した者、博愛行為の優れた者は誰でも、 性別や人種を問わず十分な権利を与えられる資格があり、何の差別もないのである。
(「世界平和の宣布」1982年 米国版 p166)女性が発達せず、熟達しなかったのは、教育と機会が平等でなかったからである。この平等が許されていたならば、疑いなく女性は、男性と同等の才能と能力を 発揮しているであろうに。お互い補いあうものであり、協力者なのであるから、人間の幸福は、男女が等しく協力し前進してこそ、現実のものとなる。
(「世界平和の宣布』1982年 米国版 p182)バハオラは、男女の平等を制定する。これは、バハオラの教えに特有なものである。他の全ての宗教は、男性を女性の上に位置づけてきた。
(「世界平和の宣布」1982年 米国版 p455)女性は、男性と全く同じ権利を持ちます。宗教や社会において、女性は非常に重要な要素です。女性が最高の可能性に到達できない限り、男性も、自分達のものであるはずの健大さを達成することはできないでしょう。
(「パリでのアブドル・バハの講話集」1961年 英国版p133 日本版 p187)人間の世界では…女性がまるで劣等であるかのように扱われ、平等の権利と特権が与えられていません。こうした状態は、本来のものではなく、教育によるもの です。神の創造には、このような差別はありません。神から見れば、どちらの性も他方の優位に立つことはないのです。一方の性が他方の劣性を主張し、神が権 威を与えたかのようにその当然な権利と特権を奪うなんて、なぜできましょうか。もし、女性が、男性と同じような教育上の特典を受ければ、その結果、学問に おいて両性の能力が等しいことが示されるでしょう。ある点では、女性は男性より優れています。女性は、より優しい心を持ち、より包容力に富み、鋭い直感力 を持っています。
(「パリでのアブドル・バハの講話集」1961年 英国版p161 日本版p228)天の目からは、どちらの性も一方より優れることはないのですから、両性の権利は平等に尊敬されるべきであると、神の正義は要求しています。神の前にお甘け る高位は、性によるのではなく心の純粋さと光輝さにかかっています。人間の美徳は、全ての人間に平等にそなわっています。
(「パリでのアブドル・パハの講話集」1961年 英国版p162 日本版p230)このバハオラの啓示では、女性は男性と肩をならべていきます。女性は、あらゆる運動にも参加します。女性の権利は、男性と同等です。女性は、公務のあらゆ る行政部門にも入って行くでしょう。そして、人間世界の最も高い地位と考えられる所まで到達し、全ての事に参加するでしょう。安心しなさい。汝らは現在の 状態に目を向けてはいけません。遠からぬ未来に、女性の世界はさん然と光り輝き、栄光に満ちたものとなるでしょう。それは、聖なるバハオラがそうなること を望まれたからです。選挙の時の投票権は、女性の絶対的な権利です。人間の関わるすべての事に女性が参加するのは、議論の余地のないことです。だれもそれ を妨害したり、阻止したりすることはできません。しかし、女性の参加がふさわしくないことがあります。たとえば、国が敵の攻撃に対し、活発な防御手段を 取っている時、女性は軍事行動を免除されます。また、好戦的な、野蛮な種族が大量殺りくを行おうとして、国家を猛烈に攻撃するような事態が起こるかもしれ ません。そのような状況では防御は必要ですが、そうした防御手段を組織し、実行するのは、男性の義務であって女性の義務ではありません。女性は心が優し く、防御のためとはいえ、恐ろしい大虐殺の光景に耐えられないからです。女性は、その種の事から除外されるのです。
万国正義院の構成に関しては、バハオラは男性に呼びかけています。『おお、汝ら万国正義院の男性諸君よ」と。
しかし、万国正義院の議員を選挙する場合、その投票権と発言権に関しては、女性にその権利があることは論をまちません。そして、女性が最高度の発展を遂げ るようになった時に、時代と場所の緊急度と女性の偉大な能力に応じて、女性は大きな特権を獲得するでしょう。以上のことを確信しなさい。聖なるバハオラ は、女性の使命を強調してきました。また女性の権利と特権は、アブドル・バハの最大原則の一つでもあります。安心しなさい。まもなく、男性達が女性達にこ う言いかける時が来るでしょう。「汝ら、祝福されたる者よ、正しく祝福されたる者よ。まことに汝らは、あらゆる贈与にふさわしい。まことに汝らは、永遠の 栄光の冠で、頭を飾るにふさわしい。学問、技術、美徳、業績において男性と同等になり、心の優しさと、慈悲と同情の豊かさでは、汝ら女性は、男性より優れ るものであるゆえに。」
(「パリでのアブドル・バハの講話集」1961年 英国版p182-184)東洋の女性は進歩してきた。かつて、インド、ペルシャ、東洋のいたる所で、女性は人間とは見なされなかった。あるアラブの部族は、女性を家畜と一緒に勘定 に入れていた。彼らの言葉では、女性を表す名詞は、同時にロバを意味した。同じ名が両方に用いられ、男性の財産は、所有している家畜の数によって計られ た。男性にあびせる最大の侮辱は、「汝、女め!」と叫ぶことであった、
バハオラが出現した時から、事態は変わった。彼は、両性は全ての能力を平等に持つことを宣言し、両性間の差別という概念を取り除いた。
かつて女性は読み書きを知らず、単調な骨折り仕事だけをしているのが賢明であると見なされていた。女性は非常に無知であった。バハオラは、女性の教育は男 性の教育よりも重要であると言明している。母親が無知であれば、例え父親が博識であったとしても、子供の教育はうまくいかないであろう。なぜなら子供の
教育は、授乳と共に始まるからである。乳飲み子は、庭師が自分の意志で思うように曲げることのできる、しなやかな枝のようなものである。
東洋では、女性を教育するようになってきた。ペルシャでは、この大業によって解放された女性達がいる。彼女達の利発さと雄弁さには、ウラマ(訳註:回教法典学者)も反ばくできない。その多くは、詩人である。彼女達は、全く恐れを知らない…
われは、ヨーロッパの女性にも同じような進歩を望んでいる。一人一人が灯火のように光り輝き、神の王国の宣言を叫び、真に男性を助けるように。いやそれ以 上に、女性は男性より優秀でさえあって、さまざまな科学に精通し、しかも超脱しており、男性と女性は全く同じ権利を持つという事実を全世界が証言するよう であってほしい。そのような女性達を見ることは、私に大きな喜びをもたらすであろう。これは、非常に有益な仕事である。そうすることによって女性は神の王 国へ入るであろう。さもなければ、成果はないであろう。
(「アブドル・バハの聖なる哲学」1917年版pp81-83)過 去の世界は、力で支配されてきた。男性は、心身ともにより強く攻撃的であるが故に女性に支配力をふるってきた。しかし、その均衡は変わりつつある。力はそ の影響を失い、女性の長所である慎重さ、直感、愛と奉仕の資質などが優勢を占めてきている。それ故、新しい時代は、男性的要素が減り女性的な理想がより浸 透するであろう。さらに正確に言うならば、文明の男性的要素と女性的要素がより平均的に釣り合う時代になるであろう。
(バハオラと新時代 1976年 米国版p156 日本版p172)バハイ信教の教えで女性の地位が正しく紹介されれば、確実に多くの注目を集めるであろう。その教えは法的なものであるばかりでなく、精神的かつ教育的であ るからである。われわれの理想は非常に高く、しかも同時に実用に適しているので、他の考え方は比較にならないであろう。
(1931年1月7日 ある全国精神行政会)万国正義院の議員に関するあなたの質問については、アブドル・バハの書簡がある。その中で、万国正義院の議員は、男性に限られること、また、その意義は将 来十分に明かされ、理解されると断言されている。しかし、地方、及び全国精神行政会については、女性は、議員となる権利がある。即ち、女性が選出されない のは、万国正義院だけに限られている。バハイの信者達は、アブドル・バハのこの声明を、深い信仰心と、次第に世界の人々の目に明かにされていく神の指導と 英知がその背後に秘められているという確信を持って、受け入れなければならない。
(1936年7月28日 個人の信者にあてて)万国正義院に閲して、アブドル・バハは書簡の中で、議員は男性に限られ、その英知は将来太陽のごとく明白に示されると述べている。いずれにせよ信者が知っ ておかねばならないのは、アブドル・バハ自身が両性はある場合を除いて平等であると明らかに述べられたように、万国正義院からの女性の除外は驚くべきこと ではない。両性が機能上同一ではないということから、一方の性が他方の性より本来優れているとか、権利は平等でないなどと結論してはならない。
(1940年12月14日 ある全国精神行政会にあてて)守護者の著作から明かなように、バハオラが男女のあいだの関係について法律を述べられたときには、男女両方、同等にあてはまります。つまり、男性と女性の立場を入れ替えることが可能ならば、その法律は、男女の立場を入れ替えた場合にもあてはまるということです。(男性が女性と関わる上での法律を表したところでは、内容が変わらないならば必要な変更を施して、その法律を、女性が男性と関わる上でも適用する。)例えば、アクダスの書は、男性が、父の妻(即ち継母)と結婚することを禁じている。同様に女性と継父との結婚の禁止を、守護者は指示している。
(1974年4月28日 個人の信者にあてて)男女の平等に関する質同についてアブドル・バハがしばしば説明しておられるように、このことは、バハオラの基本原則である。ゆえに、アクダスの法律は、こ の見地から研究されなければならない。男女の平等は、機能の同一性を意味しない。事実、生理学的に見ればそれは不可能である、ある点で女性は男性より優れ ているし、また別の点では、男性の方が女性より適している。一方非常に多くの点で、性別は全然関係がない。機能の相違は、家庭生活において、特にはっきり している。母親であるということは広範囲にわたるいろいろな意味を持っていると、バハイの法律で認められている。例えば、子供全部に教育を授けることが不 可能な場合、息子達よりも娘達の方が優先権を受ける。母親は次の世代の最初の教育者であるという理由からである。また生理学的理由から、女性は、断食を免 除される場合がある。これは、男性には適用されない。
(1975年7月24日 個人の信者にあてて)解決すべき根本問題は、闘争というかたくなな行動様式を持つ現代社会を、いかにして調和と協力に満ちた世界に変えることができるか、であります。
世界秩序は、人類の一体性という確固とした意識の上にのみ樹立されます。人類の一体性は人間の科学のあらゆる分野で確認されている精神的意味での真理であ ります。人類学、生理学、心理学は、生命の第二義的な側面においては人間は限りなく多様であるが、種としての人間は一つしかないことを認めております。こ の真理を認識するためには偏見――あらゆる種類の偏見、つまり人種、階級、皮膚の色、主義、国家、性別、物質文明の発展段階の差などにかかわるあらゆる偏 見と、自分たちが他よりも優れていると思わせるようなすべてのものを放棄しなければなりません。
人類の一体性を受け入れることは、世界を全人類の家庭、一つの国と見なした上で世界の再組織と行政管理を行うための最も基本的な必要条件であります。この精神的原則・信条を世界が受け入れることこそ、世界平和確立へのすべての営みを成功に導く基本となるものです。
(世界平和への確証 1985年10月)信教において男女は平等であるという一般的前提は、アブドル・バハがしばしば説明したように、これは、バハオラに由来する基本原則である。それゆえ、アクダスの書で彼が述べている。『正義院の男たち』という言葉は、その原則に照らして考えられなければならない。
(1976年6月29日個人の信者へ)アブドル・バハは断言する。「この神聖なる時代に、神の恩恵は女性の世界を取り囲んだ。取るに足りないいくつかの例外を除いて、男女の平等は完全に無条件 に布告され、差別は全て取りはらわれた。」特徴や機能において男女が互いに異なることは、当然の事実である。重要なことは、両性の間にある相違を、バハオ ラが「取るに足りないもの」とみなしたことである。
(1981年1月8日 ある全国精神行政会へ)あなたが、男女には根本的に別個な性質があると言われるのは正しいことです。バハオラの教えに掲げられている解決法は、あなたも気づいているように、男性 が女性になり、女性が男性になることではありません。男女の性質と機能は、互いに補いあうものであるとアブドル・バハは教え、この間題への鍵をお与えにな りました。また『新しい時代』は、「文明の男性的要素と女性的要素が、より適切に釣り合う時代になるであろう。」と言われて、この点をさらに明確にされま した。
(1981年4月22日個人の信者にあてて)次のことを強調すれば…役立つかもしれません。男女平等に関するバハイの原理は、教えの中にはっきりと述べられており、ある面で両者に機能の相違があることは、この原則を否定するものではありません、
(1984年8月23日個人の信者にあてて)確固たる信仰心を持つように子供達を育てることは、両親の欠くことのできない義務てある…賞讃に価するすべての行為は、宗教の光から生まれてくるものであるし、この至上の贈与がなければ、子どもはいかなる罪悪も退けないし、いかなる善にも近づかないであろう。
(バハイの教育編さん集1976年世界センター版p6)神に誉れあれ。女性の信者達は集会を開き、そこでいかに信教を教えるかを学び、教えの甘美な香りを放ち、子供を教育する計画を立てるであろう。
… そこに出席している人達は、女の子を教育するあらゆる手段に関心を持つべきである。さまざまな分野の知識、正しい生き方、人格の修養、純潔と貞節、忍耐 力、決断力、強固な意志等を教えること、また家事、子供の教育、特に少女に必要と思われるすべてのことに関心を持たなければならない。その結果、立派な人 格に守られ、完壁なるとりでの中で育てられて、自ら母となる時、子供達を幼少期から、良い人格を持ち立派にふるまうように育てるであろう。
また、身体の健康を育むためのものや、子供を病気から守る方法を研究すべきである。汝らは、その国で、女性の指導のために働き、子女らを教育せよ。そうすれば、母親達は、幼な子を教育し、しっかり鍛え、良い性格と正しい道徳を身につける ように育て、人間のあらゆる美徳へと導き、非難の的となるふるまいをさせないようにし、バハイ教育の下で育むであろう。こうして、かよわい幼な子は、神の 英知と愛に抱かれ養育されるであろう。正義、人間の尊厳、不屈の精神、努力し耐える意欲が修養され、成長し、栄えるであろう。さらに、何事においても不屈 の努力をすること、前進する意欲、気高さ、高尚な決意、貞節、純潔さを学ぶであろう。こうして、彼らが手がけることはすべて、成功へと導かれるであろう。
母親達が子供の教育に関することを最も重要とみなすよう促せ。子供の教育にあらゆる努力をさせよ。なぜなら、枝が緑でしなやかな時は、汝がしむけるどのよ うな方向へものびるであろうから。だから、庭師が若木を世話するように、幼な子を育てることは母親の義務である。子供達に、信仰と確信、神への畏敬の念、 諸々の世界の愛されたる者への愛、立派な性質と、特性を作り上げるように、母親達に日夜努力を促せ。子供が何かをよくやったら、母親は常に誉め、喜びを与 えなければならない。ほんのわずかでも好ましくない性質が見うけられたら、子供に助言し、罰し、道理に合った手段をとるべきである。これには、言葉による 軽い懲罰を与えてもよかろう。しかし、子供を打ったり、中傷したりすることは許されない。強打されたり悪口を言われれば、子供の性格は、すっかりゆがむで あろう。
(アブドル・バハの著作から1978年世界センター版pp124-125)子供達が、良い行いをし、書物を学ぶように教育することは、父母の義務である。即ち、男女を問わず、文盲の子供がいなくなる程度の学習をさせなければならない。
(アブドル・バハの著作から1978年世界センター版p127)アブドル・バハの至上の喜びは、次のようなことを見ることにある。『祝福された美』(註:バハオラ)の 侍女達の中から、多くの木の葉が教育を受け、あらゆるものから超脱し、実在の世界の神秘を知りぬくこと。また、最大名を、賞賛する呼び声が、王国の神殿の 居住者を魅きつけ、狂喜させるもとになること、そして、散文調に詩調にと、祈りを朗吟し、聖句を美しい調べで唱えることである。汝が彼女らの一人となり、 真珠をちりばめ、常に神を讃えて歌い、神の属性を賛美して天上の旋律を詠唱することを、われは切に望んでいる。
(未翻訳の書簡からの抜粋)おお、尊重されたる侍女よ!… 汝は女子の学校について書いた。以前に記されたことは、今だに事実である。少女が学校や勉学の施設で教育を受けず、科学やその他の学問について学ばず、必 要に応じた様々な技術を習得できず神の道において養育されなければ、進歩はあり得ない。というのも、これらの女子たちが母親になる日がやって来るからであ る。母親は、子供たちの最初の教育者であり、子供たちの内面に美徳を築き上げるのである。母親たちは、子供に美徳や立派な礼儀作法を身につけさせ、好まし くない性質にならないよう忠告し、困難なときにも固い決意と不屈の精神と忍耐を失わぬよう励まし、進歩し前進するよう促す。このように女子教育に対する十 分な配慮が必要である。これは非常に重要な課題であり、精神行政会のもとで管理され、組織化されるべきである。
(未翻訳の書簡からの抜粋[明日への扉p22の改訳])この栄光ある時代の少女の義務は、あらゆる分野の学問、科学、教養、さらにこの卓越した時代のあらゆる神秘に精通することである。そうすれば、彼女らは、完全な人格を育む方法で、幼児期から子供を教育し、躾けるであろう。
(未翻訳の書簡からの抜粋)「女性の教育は男性の教育より、さらに必要かつ重要である。なぜなら、女性は、子供の最初の教育者なのであるから。女性自身が欠点を持ち不完全であるな ら、その子供も必然的に不完全となるであろう。つまり女性が不完全であると全人類が不完全な状態になるということである。なぜなら、子供を養育し、成長さ せるのは母親であるから…これは父親の役目ではない。もし教育者が無能であれば、教育される者もそれに応じて能力を欠くであろう。これは明白で、議論の余 地のないことである。教師が文盲、無知であれば、生徒が才気にあふれ、教養豊かで有り得るはずがない。母親は人類の最初の教育者である。もし母親たちが不 完全であるなら、人類の状態と未来は、あわれなるものであろう。
女性は男性と同等の能力がないし、そもそも不完全に創られていると反対する者があった。これは、単なる想像にすぎない。男女間の能力の差は、全く機会と教 育によるのである。これまで女性は、平等に発達する権利と特権を与えられなかった。平等な機会が与えられれば、女性は疑いの余地なく男性と対等になる。こ のことは、歴史が証明するであろう。かつて、有名な女性達は国家の出来事に立ちあがり、その業績は、男性をしのいできた…
要約すれば目的はこうである。女性が十分に教育を受け、権利を与えられるなら、素晴らしい業績をあげる能力を身につけ、男性と対等であることを証明するで あろう。女性は、男性の片腕であり、補佐であり、協力者である。どちらも人間であり、知性の潜在力を与えられ、徳を体現している。人間としての力と機能の 全ての面で、両者は仲間であり、対等者なのである。現在、人間の活動範囲で、女性は教育と機会の不足により、生まれながらの能力を発揮していない。女性が 男性と対等であることは、必ず教育によって確立されるであろう。
(世界平和の宣布1982年米国版 pp133-137)人類の一体性を宣言するにあたって、バハオラは、男性と女性は神の目からは平等であり、いかなる差別もすべきではないと教えられた。現在ある男女間の差異 は女性の教育と訓練の不足のみによるものである。女性が平等に教育を受ける機会を与えられたら、女性を差別したり劣っていると評価することはなくなるであ ろう…
バハオラは、男女に同じ教育課程の採用を広められた。娘も息子も同じ学業課程に従い、それによって両性の調和を促進することになる。全人類が教育の機会を受けられ男女平等が実現されたら、戦争の基盤は一掃されるであろう。
(明日への扉p23 世界平和の宣布1982年米国版pp174-175)間題は、なぜ女性は知性の点で未発達の状態にされなければならないのか、ということである。科学は、男性によって研究されようと女性によって研究されよう と、賞讃されるべきものである。かくして女性は男性と同等の能力があるという証拠を増しながら、科学の研究や政治的手腕、そしてその他あらゆる活動分野で 少しずつ進歩したのである。女性は教育と教育施設の不足によって[男性から]引き離されてきたという結論は明らかである。均等な教育の機会や学業の課程を与えられたら、女性は同等の能力や才能を開発するであろう。
(明日への扉Ⅱp11-12 世界平和の宣布1982年米国版pp280-281)無知と教育の不足は人類を分裂させる原因となっているのであるから、全ての人は教育を受けなければならないと、バハオラは宣言なさった。この規定によっ て、相互理解の不足が改善され、人類の和合は、さらに促進され前進するであろう。普遍的教育は普遍的法であるから、すべての父親が、その子供達を能力に応 じて教え、導かなくてはならない。父親が教育できない場合、代表者で形成された自治体は、その子供たちが教育を受けられるように方策を講じなければならな い。
人間世界にある性差別は、女性に対する教育の不足によっている。女性は、平等に発達、進歩する機会を与えられなかった。男女の平等は、この時代の女性に与 えられた機会の増加に比例して確立されていくであろう。男女は、創造主なる神から、力と才能を平等に受けとるのである。至上の目的において、神は男女間に 差別を定められなかった。
(世界平和の宣布1982年米国版p300)子供の教育は義務である…この一般教育に加え、職業、技術、商業なども教えなければならない。そうすることによって、社会の全ての人が生計を立てることが可能になる。奉仕の精神によって成される仕事は、礼拝の最高のあり方である。
(聖なる哲学1917年版p78)その女学校に特に注意を払え。この素晴らしい時代の偉大さは、女性の進歩の結果として明らかにされるであろう。それ故、全ての国で、女性の世界が行進中なのである。これは、最も偉大なる顕示者の影響力と神の教えの力によるのである。
(バハイの教育編さん集1976年世界センター版p37)おお最も高遠なる者の侍女よ!少女のための学校[タービヤスクール、ペルシャ、テヘラン]に ついての汝の手紙を読んで、われわれの心は歓喜に満ちた。神をほめ讃えよ。神の恩恵を通して、若い侍女達が教育を受け、人類の業績を全力で修得する学校が 今やテヘランにできたのだ。まもなく、あらゆる分野で、女性は男性と肩を並べていくであろう。これまで、ペルシャでは、女性を進歩させる手段がなかった。 神に感謝せよ。今や救済の夜明けから、その手段は日毎に進みつつある。願わくば、女性が、徳と学識を身につけ、全能なる神の庭への接近し、信仰と確信にお いて先頭に立ち、東洋の女性が西洋の女性の羨望の的とならんことを。
(バハイの教育編さん集1976年世界センター版p48)義務教育普及の大事業には、あらゆる宗教団体や国家から集まってきた献身的な人々の一団が奉仕していますが、これは世界の各国政府から最大の支持を受ける にふさわしいものであります。無教育は、議論の余地なく国民の衰微と滅亡、および偏見の存続を許す主要な原因であるからです。全ての市民が教育を受けなけ れば、国は繁栄しません。資源の不足から何を最優先とするかにあたって教育の必要に応じることができない状況にある国がたくさんあります。教育に関する政 策決定機関は女性と少女に対する教育に第一優先権を与えることを考慮すべきでありましょう。知識の恩恵が最も効果的に、そして急速に社会に広められるの は、教育を受けた母親たちを通してであるからです。また、時代の要求に応じて、世界市民の概念は全ての子供の基本的な教育の一部として教えるべきでありま す。
(1985年10月 世界平和への確証p15)そのような平等を達成するために、非常に大切なことは、少年少女は本来、学校で同じ教育課程に従うべきであるというバハオラの定めた教えである。
(1980年12月28日 ある全国精神行政会へあてて)正義院は、母親としての基本的責任の点で女性達を教育し導く必要性を、女性の活動を組織する優れた機会とみなしている。あなた方の努力は、次の世代の教育 者としての女性の役割を援助することに注がれなくてはならない。また女性は夫や家族の男性達に、進んで信仰に目を向けさせるよう励まされるべきである。そ うすればバハイ共同体は、その属している社会の代表となるであろう教えの中で述べられている和合と友情の精神は、序々に、バハイの家族の生活に反映してく るであろう。
(1984年2月29日 ある全国精神行政会にあてて)並ぶものなき神の御名において、神に仕える侍女よ。大業に常に励むべきことは聖なる書簡に示され、『日の老いたる者のペン』によって述べられている。汝が 神に心を向け、神を誉め讃えていることを、世界の最愛なる者に感謝を捧げよ。今日、多くの男性は、全てを満たし給う主を語ることができず、主の真理を認識 することができない。一方多くの女性は、最も高遠なる者の地平線に目をすえ、世界の希望の御方への愛という衣装で身を飾っている。これは神が望み給う者に 与えられる恩恵である。太古の神秘の昼の星にかけて、神への愛で息づく甘美な香りは、啓示の主の庭に漂っている。善行の報賞は決して失われない。汝は幸い である。まこと幸いである。汝は、血縁の者に固執することなく『恩恵と慈悲の大洋』の岸に到達した侍女の一人として数えられる。願わくば、汝、全てに慈悲 深き御方の恩恵の下に永遠に安らぎ、神の恵みを確信せんことを。真実なる者を誉め讃え、神の慈悲に歓喜せよ。
この世は廃れ、永遠なるものは神の愛である。汝が神の諸々の世界で、真実なる者の周囲を巡り、神以外のものから解放されんことを。
(未翻訳の書簡からの抜粋)女性と男性は、神の目から見れば平等であったし、また常にそうである。全ての人はこれを知り、確信の太陽の輝きに到達し、その光によって照らされるべきで ある。『神の光の夜明けの地』から射す光は、全ての人に同じ光彩を与える。まことに、神は女性を男性のために、そして男性を女性のために創り給うた。神の 御前において最も愛される者は、最も確固としている者、または神…彼の栄光、高遠なれ…への愛が他の者より勝っている者である。
神の友らは、正義、公正、親切、愛で身を飾らねばならない。自身が残酷な行為と不当な扱いの対象になることを許さないように、神に仕える侍女達を残虐な目 に会わせることも許してはならない。まことに神は、真実を語り、神の僕と侍女のためになることを命じ給う。神は、この世においても次の世においても、全て の人の保護者である。
(未翻訳の書簡からの抜粋、明日へのp21)おお汝ら、神を信ずる二人の者よ。並ぶものなき主は、女性と男性が互いに最も親しい友情を持って暮し、ひとつの魂であるかのように創り給うた。女性と男性は協力者であり、親しい友である。そして互いの幸福に関心を持つべきである。
男女がそのように生活するなら、申し分のない満足、この上ない幸福、心の安らぎのうちにこの世を過ごし、天の王国で神の恵みと御愛顧を受けるであろう。しかしそうしないなら、死んだ方がよいと思うほどの苦しい生活を送り、天国では恥いることになるであろう。
故に互いにひとつの巣の二羽の鳩のごとく暮らせるように精魂込めて努力せよ。そうすれば、この世においても次の世においても讃美されるであろう、
(「アブドル・バハの著作からの抜粋」1978年世界センターp122)神の教えと聖なる法に従って、子供達を、幼少の頃から普遍的教育というミルクで育てよ。そうすれば子ども達は、早いうちに自然と、全てのことにおいて神の教えに心から従える生き方がしっかりと身に付けます。
母親は、最初の教育者であり指導者であるから、子供の幸福、将来性、礼儀、学識、判断力、理解力と信仰を決定するのは、まさに母親なのである。
(「アブドル・パハの著作からの抜粋」1978年世界センターp126)父親と母親は、全力をあげて、娘や息子を英知の胸の中で養育し、科学と学芸のふところで育むよう命じられている。これを無視すれば、厳格なる主の御前で、責任を追求され、とがめを受けるであろう。
(「アブドル・バハの著作からの抜枠」1978年世界センター版p139)汝ら、愛情ある母親達よ、神の目から見て、神を崇拝する最高の方法は、子供を教育し、人類の全ての美徳の中で躾ることであることを知れ。これより崇高な行いは考えられない。
(明日への扉p23、「アブドル・バハの著作からの抜粋」1978年世界センター版p139)和合のある家族では、家族に関する事がいかにたやすく行われ、家族一人一人がどんなに進歩するか、世の中でどんなに繁栄するか注目せよ。彼らの関わる事に は秩序があり、安楽と平穏があり、安全で、地位は保証され、世間の羨望の的となる。そのような家族は、日が経つにつれて、ひたすら才能を伸ばし、末永く名 誉を増していくのである。
(「アブドル・バハの著作からの抜粋」1978年世界センター版p279)夫は、妻が神の光を信奉するのを妨げることができるか、また、妻は、夫が神の王国へ入ろうとするのを思いとどまらせることができるか、あなたは尋ねた。ま ことに夫が妻に、または妻が夫に、過度な執着心を持たない限り、どちらもその相手が神の王国へ入ることを妨げることはできないのである。実際、二人のどち らか一方が神を尊ぶことなしに相手を尊ぶなら、互いに、神の王国を求める妨げとなり得るであろう。
(「家族生活」1982年英国版p8)答 え「バハオラの教えによれば、家族は、人類の単位として、神聖な規則に従って教育を受け、全ての美徳を学ばなければなりません。家族の絆の強化を常に考 え、家族一人一人の権利を侵してはなりません。息子、父親、母親の権利は、どれも侵してはならないし、どれも身勝手であってはなりません。息子が父親に対 して一定の義務があるように、父親も息子に対して一定の義務があります。母親、姉妹、その他の家族はみな特権があります。これら全ての権利や特権は守ら れ、しかも、家族の和合は保たれなければなりません。一人の被害は家族の被害、一人の安楽は全員の安楽であり、一人の名誉は全員の名誉とみなされるでしょ う。」
(「世界平和の宣布」1982年米国版p168)夫婦間で意見や信条に相違が生じると、大変不幸である。家族のよりどころである精神的絆が必ず損なわれるし、特に困難なことがあるときはなおさらである。 しかし、それを改善するには、相手を遠ざけるような方法で行動するべきではない。実際大業の目的のひとつは、各家庭に、より親密な絆を持たらすことであ る。だからこのような場合、師は、いつも相手の希望に従い、祈るように忠告された。夫が次第に啓発を受けるように祈れ。同時に夫がバハイに偏見を持たない ようにし、むしろ引き付けられるように行動せよ。ひとたび調和が確保されれば、あなたは妨げられずに奉仕することができるであろう。
(1928年7月15日〉ショーギ・エフェンデイは、あなたの妻が彼の電報とこの手紙を見れば、家族のためにもう少し時間を費やすようになるであろうと信じておられます。また彼女 が大業に奉仕する時間と機会を得られるよう、あなたが援助されることを望んでおられます。この大業は、彼女にとって非常に大切で、彼女の奉仕は十分に評価 されています。
(1931年6月19日)アメリカでの親、子供、妻、夫の関係について、守護者は、子供が両親の希望から余りにもかけ離れ、両親に当然払うべき尊敬を欠いている傾向があると述べら れた。また、妻が夫を不当に支配する傾向がみられることもある。もちろん、それは、夫が妻を不当に威圧するのと同様、正しい事ではない。
(1943年7月22日)家庭で和合を保つことは、この信教の基本的教えのひとつである。もちろん、このことは、家族の誰もが他のメンバーの信仰を左右する権利があるという意味ではない。もし家族全員がこの教えを認めるなら、和合は必ず実現可能であろう。
(1952年7月6日)守護者は、あなたがパイオニアとして進み出て処女地で信教の確立を助けたいという希望に、十分に感謝しておられます。しかし、あなたは、ご主人の希望に反 して行動してはならないし、こういう方法で信教に奉仕しようとするために、ご主人に全てを捨てさせてもなりません。私たちは、自分達の身近にいる人々の希 望と権利を心に留めておかなければならないのです。
ご主人が留まるよう望まれるなら、そこにも教えを広める広い活動領域があるはずです。バハイの家族はどこにいても、家庭を守るためにできる限りのことをするべきである。離婚は教えの中で厳しくとがめられ、一方調和、和合、愛は、人間関係の 最高の理想として掲げられている。このことは、パイオニアの分野で奉仕しようとそうでなかろうと、全てのパハイに常にあてはまることである。
(1956年11月9日)子供の最初の教育者が母親であるということは、驚くには当たらない。乳幼児の気持ちは母親に向いている。だからといって、この自然の法則は、バハイの家族における父親の役割を減少させることは決してない。再三繰り返すが、地位の平等は機能が同一であることを意味しない。
(1974年6月23日)あなた方夫妻が直面している問題を考えるに当たって、正義院は、家族の和合を、何にも増して第一に考えるべきであると指摘しています。バハオラは、世界に 和合をもたらされました。根本的和合とは、家族の和合です。だから、この信教は、家族の絆を虚弱にするのではなく、強固にするためのものであると理解しな ければなりません。例えば、大業への奉仕のために家族を軽んじてはなりません。家族の生活が調和し、家庭で必要な心遣いを家族が受けることができるように 時間を調整することが大切です。
バハオラは、また、協議の重要性を強調されました。問題解決のためのこの価値ある方法は、大業の行政機構に限定されていると考えるべきではありません。十 分かつ、率直な話し合いがなされ、中庸と均衡の自覚によって促される家族協議は、家庭内の争いの万能薬とすることができます。妻は夫を支配しようとすべき ではないし、夫もまた妻を支配しようとすべきではありません。
(1978年8月1日)あなた方夫婦が家族の問題を精神行政会に相談したが助言を受けず、また、カウンセラーと状況を話し合っても成果がなかったことに注目して、万国正義院は、価されています。
(1931年6月19日)アメリカでの親、子供、妻、夫の関係について、守護者は、子供が両親の希望から余りにもかけ離れ、両親に当然払うべき尊敬を欠いている傾向があると述べら れた。また、妻が夫を不当に支配する傾向がみられることもある、もちろん、それは、夫が妻を不当に威圧するのと同様、正しい事ではない。
(1934年7月22日)家庭で和合を保つことは、この信教の基本的教えのひとつである。もちろん、このことは、家族の誰もが他のメンバーの信仰を左右する権利があるという意味ではない。もし家族全員がこの教えを認めるなら、和合は必ず実現可能であろう。
(1952年7月6日)守護者は、あなたがパイオニアとして進み出て処女地で信教の確立を助けたいという希望に、十分に感謝しておられます。しかし、あなたは、ご主人の希望に
反して行動してはならないし、こういう方法で信教に奉仕しようとするために、ご主人に全てを捨てさせてもなりません。私たちは、自分達の身近にいる人々の希望と権利を心に留めておかなければならないのです。
ご主人が留まるよう望まれるなら、そこにも教えを広める広い活動領域があるはずです。バハイの家族はどこにいても、家庭を守るためにできる限りのことをするべきである。離婚は教えの中で厳しくとがめられ、一方調和、和合、愛は、人間関係の 最高の理想として掲げられている。このことは、パイオニアの分野で奉仕しようとそうでなかろうと、全てのパハイに常にあてはまることである。
(1956年11月9日)子供の最初の教育者が母親であるということは、驚くには当たらない。乳幼児の気持ちは母親に向いている。だからといって、この自然の法則は、バハイの家族における父親の役割を減少させることは決してない。再三繰り返すが、地位の平等は機能が同一であることを意味しない。
(1974年6月23日)あなた方夫妻が直面している問題を考えるに当たって、正義院は、家族の和合を何にも増して第一に考えるべきであると指摘しています。バハオラは、世界に和 合をもたらされました。根本的和合とは、家族の和合です。だから、この信教は家族の絆を虚弱にするのではなく、強固にするためのものであると理解しなけれ ばなりません。例えば、大業への奉仕のために家族を軽んじてはなりません。家族の生活が調和し、家庭で必要な心遣いを家族が受けることができるように時間 を調整することが大切です。
バハオラは、また、協議の重要性を強調されました。問題解決のためのこの価値ある方法は、大業の行政機構に限定されていると考えるべきではありません。十 分、かつ、率直な話し合いがなされ、中庸と均衡の自覚によって促される家族協議は家庭内の争いの万能薬とすることができます。妻は夫を支配しようとすべき ではないし、夫もまた妻を支配しようとすべきではありません。
(1978年8月1日)あなた方夫婦が家族の問題を桁神行政会に相談したが助言を受けず、また、カウンセラーと状況を話し合っても成果がなかったことに注目して、万国正義院は、 あなた方が、結婚とは安心感と精神的幸福をもたらす至福の源になり得ることを理解することが一番大切であると思っております、努力もせずに成るような簡単 なことではありません。結婚が満足の安息所となるためには、結婚した者同士の協力と、両家族の援助が必要です。
(1979年6月24日)家 族は皆、お互いに、家族全体に対する義務と責任がある。本来あるべき家族関係を保つために、その義務や貴任は各自異なっている竈両親は子供を教育するとい う不可避の義務がある、しかし、逆は有り得ない。子供は両親に従う義務があるが、両親は子供に従わない。父親ではなく、母親が子供を産み、乳児期に授乳す るのであるから、母親は最初の教育者である。従って、息子ではなく娘が教育を受ける優先権を持っている。守護者の秘書が彼の代理として書いているように、 「バハイの子供を育てることは、バハイの書物で再三強調されているように、母親の主たる責任である。そしてまさに母親は、子供の物質的、精神的両面におけ る幸福と進歩に役立つ環境を、家庭の中に作り上げる特権を持っているのである。母親から受けた最初の賎は、子供の将来の成長にとって強固な基礎をなすので ある。」この責任の当然の詰果として、母親は、夫に扶養される権利がある。夫には、妻に支えてもらう権利が特にあるわけではない。
ど れほど愛情深く協議をしても、どんなグループにも、時々意見の一致を見ない時がある。このような場合、精神行政会では、多数決によって解決する。しかし当 事者が、夫と妻といったように、二人しかいなければ、多数決はあり得ない。だから、妻が夫に従わなくてはならない時や、夫が妻に従わなくてはならない時が ある。しかし、どちらも一方を絶えず不当に支配してはならない。要するに夫と妻の関係は、バハイ結婚式でよく読まれるアブドル・バハの祈りのようにあるべ きである。「まことに、彼らはあなたの命に従い結婚いたします、未来永劫を通じてこの二人を調和と和合のしるしとなし給え。」
こ れらは、全て家族内の関係であるが、男女の関り合いは、家族内よりもっと広い領域がある。このことも、過去や現在の社会基準ではなく、バハイ社会における 基準の中で考えなげればならない、例えば、母親は、子供の最初の教育者であり、子供の発達育成に最も重要な影響を与えるが、父親もまた、子供を教育する責 任がある。この責任は非常に重いので、その役割を果たせない父親は、父親としての権利を失なうとバハオラは述べられた。同様に、家族を財政的に支える基本 的責任は父親にあるが、これは、女性の立場が家庭に限られるという意味では決してない。
(1980年12月28日ある全国桁神行政会にあてて)あ なたは夫婦間を統制する詳細な行動規則を要求しておられるが、万国正義院は、そのようなことを行うつもりはありません。この問題に関する抜粋に、既に適切 な指導が述べられていると考えています。例えば、家族単位における個々の権利は擁護されなければならないという原則、愛情のある協議が基調でなはりればな らないという助言、何事も調和と愛のうちに解決するべきであるということ、時に夫や妻は、一方の希望に徒うべきであることなどがあります。実際どのような 状況下で譲歩すべきかということについては、それぞれの夫婦が決定すべき同題です。
(1982年5月16日)あ なたは、全ての人は働かねばならないという訓戒について尋ねられました。妻であり母親であるあなたも、夫のように生計を立てる仕事をするべきであると言っ ているのかどうか知りたいというあなたのご要望にお答えして、バハオラの『ビシャラトの書簡』にある日第十二の歓喜の知らせ』の抜粋を同封しますので、ご 精読下さい①。それには、誰しも人類の利益になる仕事に従事すべきであるということが指示されています。家政は、人間にとって基本的に重要で、大いに尊敬 すべき、責任ある仕事です。
(1982年6月16日)母親が家庭外で働くべきかどうかという質問に関しては、バハイの家族についての見地に立って考えると役立ちます。この考えは、家族を扶養する基本的責任は 男性にあり、女性は子供の最も重要な最初の教育者であるという原則に基づいています。こうした機能は絶対に入れ替わることができないとか、特別な家族の状 況にあわせて変えたり調整したりできないということでは決してありませんし、女性を家庭の中に閉じこめるという意味でもありません。母親に子供の教育の第 一の責任が割り当てられているけれども、むしろ父親も子供の教育に重要な役割を果たし、女性が稼ぎ手になることもあり得ます。
あなたも正しく指摘されたように、アブドル・バハは、女性が「世の中の諸事に、十分に対等に参加する」ことを奨励されました。
あなたの個人的質問について、母親が家庭外でどの位の時間働いてよいかは、各家庭の事情によって異なりますし、その事情も時と共に変化します。その結論を出すには、家族協議が役立つでしょう。
(1984年8月9日)母親の役割の重要性は、母親が子供の最初の教育者であるという事実から生じます。母親の態度や祈り、そして食べる物や身体の状態は、お腹にいる子供に大き な影響を与えます。子供が生まれた時、子供に定められた最初の食物である乳を神によって授けられたのはまさに母親なのです。できれば母親は、最初の数ヶ月 間、子供を養育するために一繕にいるべきです。これは、父親が自分の赤ん坊を愛さず、赤ん坊のために祈らず、世話をしないという意味ではありません。しか し、父親には、家族を養う基本的な責任があるので、子供といる時間は、普通限られています。一方母親は、赤ん坊の生涯のうちで最も急速に成長し発達するこ の初期形成期に、赤ん坊と密接に関わります。子供が大きくなり、自立して行くにつれて、子供と両親の関係は変化し、父親はより大きな役割を果たすように
なるのです。工業、商業、その他の職業につくことは、汝ら一人一人に命じられている。そして、仕事に従事することを、われは謹んで真実なる神への礼拝に等しい地位に高 めた。汝ら、神の恩恵と祝福を心中深く熟考し、朝な夕な神に感謝せよ。怠惰と怠慢のうちに時間を浪費するな。汝と他の者のためになることに従事せよ。この 聖なる書簡にこう命じられている。その書簡の地平線より、英知と言葉の昼の星は光り輝く。
神の目からみて最も卑しむべき者は、怠情に座り、物を乞う者である。汝ら、富をお与え下さる神に全信頼を置き、物質の恵みの綱にしっかりとすがれ。神の判 断では、工芸や商業に従事すれば、その仕事自体が、礼拝と見なされる。これは、神の無限にしてあまねくみなぎる恩恵の証に他ならない
(キタビアクダスの書の後に啓示された書簡 1978年世界センター版p26)神の侍女や神の聖なる庭にて奉仕する女性は、女性の世界で際立ち、名声を得られるような属性や態度を示さなくてはならない。すなわち、至上の純潔、確固た る品位、不動の信仰、明瞭な話し方、雄弁な舌、反ばくできない証言、固い決意を持って女性と交わらなければならない。これらの全ての賜物を得られるよう神 に懇願せよ。
(未翻訳の書簡からの抜粋)男女の平等が十分に確立し、獲得されなければ、人類の卓越した社会発展は不可能である。女性が能力や業績の点で男性よりある程度劣っているとすることだけでも、不和や問題が常に生じるであろう。唯一の解決法は、教育と機会である。平等とは、平等なる資格であるから…
繰り返して述べるが、男女が平等を認識し、実現するまで、社会的、政治的発展は、どこにおいても不可能であろう。
(「世界平和の宣布」1982年米国版pp76-77)… 女性は男性と等しい教育を受ける権利を持ち、男性と全く同じ特権を与えられなければならないという宗教の原則は、バハオラによって啓示された。すなわち、 女性が、社会的にも経済的にも男性と対等になり、同等の能力や地位を得るために、男女の教育に差があってはならないのである。こうすることによって、世界 は和合と調和を得られるであろう。過去において、人類は未完成だったため、欠陥があり未熟であった。戦争や戦禍は、世界を滅ぼしてきた。女性の教育は、戦 争の廃止や終結に向ける力強い一歩となるであろう。女性は、戦争に反対して全勢力を駆使するからである。女性は、子供を育て、若者を教育して成熟へと導 く。女性は、息子を戦場の犠牲として捧げることを拒否するのである。まことに、女性は、世界平和と国際調停を確立する最も重要な要素である。確実に、女性 は人類間の戦争をなくすであろう。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p108)また、女性が人間社会の諸事に参加していなければ、結果は完壁と完成の域に決して達し得ないということは、歴史によく立証されている。一方、女性が関与し た人間社会のあらゆる重大な企ては、価値あるものとなった。このことは歴史的な事実であり、宗教においてさえ反証できない。イエス・キリストには12人の 弟子があり、彼の信者の中にマグダラのマリアとして知られる女性がいた。イスカリオテのユダは、裏切り者の偽善者となった。そしてキリストのたっ刑のあ と、残された11使徒は戸惑い迷った。福音書の証言からも確かなように、彼らを慰め、信仰を取り戻させたのは、マグダラのマリアであった。
今日、最も重要な問題は、国際平和と調停である。男女が共に選挙権を持たなければ、世界平和は不可能である。
(世界平和の宣布1982年米国版pp134-135)答「国家が立憲政府であろうと、共和制または民主制であろうと、将来、世界中の国々で、中央集権にならないことは明白である。アメリカ合衆国は、未来の政 府の例として考えられるであろう。すなわち、各州はそれぞれ独立しているが、独立した諸州の利益を守る連邦組織があるというふうになるであろう、それは、 共和制か民主制であるとは限らない。独裁政治に拍車をかける中央集権を退けることは、時代の急務である。そうすれば、国際平和が促進される。国際平和をも たらすために重要なもうひとつのことは、女性の参政権である。男女平等が完全に確立すれば、女性全体は決して戦争を好まないという明かな理由で、平和が実 現するであろう。女性は、大切に育んできた子供たちを戦場に送ることを喜んで許したりはしない。女性が選挙権を持てば、戦争のいかなる兆しにも反対するで あろう。世界平和をもたらすもうひとつの要素は、東洋と西洋を結びつけることである。
(世界平和の宣布)1982年米国版p167)全人類が教育を受ける同等の機会を与えられ、男女平等が実現したら、戦争の基盤は一掃されるであろう。平等がなければ、これは不可能である。なぜなら、あ らゆる差別は不和や争いのもととなるからである。女性は決して戦争を許しはしないので、男女の平等が戦争の廃止に役立つのである。
(明日への扉p23「世界平和の宣布」1982年米国版p175)女性は、人類が最も必要とするものを援助するために、精力と能力を特に工学や農学に注ぐべきである。こうすることによって、女性の能力を示し、社会的、経済的平等の認識を確実にするであろう。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p283)… 女性は、次の事を人間社会で示すよう励むべきである。女性は、非常に有能で実力があり、女性の心は男性の心より優しく、感受性に富む。また貧しい人々や労 苦にあえぐ人々には愛精深く共鳴し、断固として戦争に反対し、平和を愛するということを。女性の努力によって国際平和の理想が実現できるよう励むべきであ る。男性は女性より好戦的であり、女性が優れているという真の証拠は、世界平和を確立するために女性が奉仕する能力にあるであろう。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p284)男性と同じ美徳を与えられ、人類の発展の全ての段階を通って立ちあがれば、女性は男性と対等になるであろう。この平等が確立されない限り、人類の進歩と発展は促進されないであろう。
このことを強調する明白な理由は次の通りである。女性は、本来戦争に反対であり、平和の主唱者である。子供たちに教育の基本原理を与え、懸命に苦心する母 親達によって、子供たちは養育される。例えば、息子を成人となる二十才まで優しく育ててきた母親は、息子が戦場でばらばらにされ、殺されることに決して同 意しないであろう。だから、女性が男性と同等の権限と特権を持つに致り、投票し、政治を統制する権利を与えられれば、確実に戦争は終るであろう。女性は本 来、最も献身的で確固とした、国際平和の唱道者なのであるから。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p375)現代の精神によれば、女性もその位置を高め男性と同等になって、人生のあらゆる方面にその使命を十分に果たさねばならぬ。彼女らは男性と同じ位置に立ち、 同等の権利を享受しなければならない。これはわれの切に望むところであり同時にこれはバハオラの根本原則のひとつである。
(「バハオラと新時代」1978年日本版p170)女性は、まさに、人類にとってより重要な存在である。女性には、より重い責任とより貴重な仕事がある。植物や動物の世界を見よ。実をつけるやしは、栽培者 にとって一番賞讃される木である。長旅では、雌馬が最も息が長く続くことをアラブ人は知っている。雌ライオンは、その強さとどう猛さゆえに、狩人から雄ラ イオンより恐れられている…
女性は、男性より善を行う勇気がある。女性は、危険や危機の際、統治することができる特別な資質を持っている。
(「ロンドンでのアブドル・バハ」1982年英国版pp102-103)全アジア女性会議にバハイの代表を派遣するかどうかに関して、大業には、特に社会における女性の地位についてたくさんの教えがあるので、このことは、疑う 余地なく推奨できることである。ショーギ・エフェンディは、その線に沿った大業の教えを広めるために、全国精神行政会が会議に出席している全ての代表者の 賞讃を得るよう最善を尽くすことを望まれている。われわれは常に目前にある機会を利用すべきであろう。そうすれば、社会に奉仕し、社会悪を軽減できるであ ろう。
(1930年11月10日ある全国精神行政会にあてて)平和のために女性が立ち上がるべきだというアブドル・バハの言葉だが、このことが女性に根本的に影響を与える。そして、女性が自覚を持って、戦争に反対す る圧倒的多数の世論を打ち立てれば、戦争はあり得ないであろう。バハイの女性は、信教と行政機構のメンバーとして既に組織されている。これ以上の組織は必 要ない。バハイの女性は、布教と平和を目指すあらゆる運動に活発な精神的援助をすることで、この重要な問題に関して、他の女性の心に強い影響を及ぼすよう 努力すべきである。
(1945年3月24日個人の信者にあてて)女性の解放、男女間の完全な平等の達成は、まだ広く一般的に認識されておりませんが、平和への最も重要な必要条件の一つであります。この平等性を否定する ことは、世界の人口の半分に対して公正を欠くことになり、男性に有害な態度と習慣を助長させ、それは家庭から職場に、政治活動の中に、そして最終的には国 際関係に持ち込まれます。男女平等の否定を正当化できる理由は道徳的にも、実際的にも、生物学的にも見いだすことはできません。女性が人間の活動のあらゆ る分野で完全なパートナーとして歓迎される時にのみ、国際平和を可能とする道徳的、心理的状況が生み出されるでありましょう。
(世界平和への確証1985年10月p14-15)男女の関係には、家庭内よりもっと広い領域がある。このことも、適去や現在の社会規範でなく、バハイ社会の規範の中で考えなければならない。例えば母親 は、子供の最初の教育者であり、子供の発達上、将来を左右する重要な影響を及ぼすが、父親もまた、子供を教育する責任がある。この責任は非常に重いので、 この役目を果たさない父親は、父親としての権利を失うとバハオラは述べられた。同様に、家族を財政的に支える基本的責任は夫にあるが、このことは、女性の 立場を家庭に限定することを決して意味していない。それどころか、アブドル・バハはこう述べられた。
「バハオラの啓示においては、女性は男性と肩をならべて行くのである。いかなる運動においても女性は取り残されることはない。女性の権利は男性の権利と同 等である。女性は政治のあらゆる行政部門にも入り、およそ人間世界の最高の段階と考えられる地位にもつき、諸事にも参加するであろう。」
(「パリでのアブドル・バハの講話集」日本版p259)「従って、女性が存分かつ平等に世界の諸事に参加し、自信を持ち、有能に法律や政治の大いなる活動舞台に参加する時、戦争の終りが来るであろう。
(「世界平和の宣布」p135)『世界への書簡』の中で、バハオラ自身、女性は、男性と同様に生計を支える者となり得ると見ておられたことは、次の文章からわかる。
「誰でも、男女を問わず、商業農業その他の職業から得たものの一部を、子供の鍛錬と教育のために、信頼のおける人に渡すべきである。万国正義院の承認を得て、この目的のために使われるべきである」
(キタビ・アクダスの書の後に啓示された書簡1978年世界センター版 1980年12月28日 ある全国精神行政会へあてて)
人間の最初の教育者としての女性の義務は、聖なる書に明確に述べられている。全ての女性は、母親になれば、母親としての主たる責任をいかにして最良に果たせるかを決定し、また一方で可能な限り、自分の所属する社会の様々な活動分野に参加すべきである。
(1981年4月22日個人の信者にあてて)この御方は、啓示の地平線から輝ける光なり。この神聖なる日に『祝福されたる神の記憶の木』は、聖なる言葉を持って次のように発言する。よきことは、この 御方に顔を向け、神の真理を受け入れた僕と、その『声』を聴き、至福の者となった侍女と共にある。まことに彼女は、真の理解を勝ち得た勝者である。このこ とは、神の真理の舌が、その高遠なる地位より証言する。
わが木の葉よ、唯一真実なる御方の名において、わが呼び声が発せられたし時、その声に応じた汝に祝福あれ。高名なる男性らが明らかに怠惰な空想にふけって いる時、汝はわが啓示を受けとめた。汝は、まことに、主の慈悲を畿たびか得てきた。主に感謝せよ。そして汝、神を誉め讃えよ。まことに、神は神に顔を向け た侍女や僕と共にある。わが王国の地平線より輝く栄光が、汝と、汝をわが正しき道に導いた者にあらんことを。
(未翻訳の書簡からの抜粋)われは、神の侍女が、貞節、信頼、公正さ、純真さの装飾で飾ることを、真実なるものに懇願する。まことに、神は、全てを与える御方であり、全てに寛大なる 御方である。われは、この時に、神の侍女達のことを語り、神の慈悲深き憐れみと配慮のしるしである吉報を侍女達に告げる。神に栄光あれ、われは、神の御言 葉の高揚のもととなる行為をなすため、神の全援助を嘆願する。神は、まことに真理を語り、神の僕と侍女に、神の諸々の世界において彼らの益になることを申 しつける。まことに神は、全てを許し給う御方であり、全てに慈悲深き御方である。
(未翻訳の書簡からの抜粋)『真理の太陽』の輝かしい光線がいたるところにあふれ、『祝福されたる美』の恵みが、確信に到達した女牲の信者達や侍女達をとり囲んでいる。絶え間なく、 豊かなる恵みは与えられる。慈悲深き御方に仕える侍女達は、今与えられている機会を捕らえなくてはならない。一人一人が聖なる敷居に近づき、存在の源であ る御方からの賜物を見い出すよう努力しなければならない。侍女は、ほんのひと言の発言で、卑しい者を尊敬される者になし、恵まれない者を聖霊の神界へ導き 入れ、落胆した者に希望を与え、分け前のない者に偉大な思恵を分かち与え、無知な者や目の見えない者に英知と洞察力を授け、怠惰な者や無思慮な者には思慮 深さと用心深さを授けることのできる力を与えられるような状態に到達しなければならない。これは、慈悲深き御方に仕える侍女の属性であり、神の敷居で奉仕 する女性の特性である。
おお、汝ら確信を得たる木の葉達よ。ヨーロッパ・アメリカ諸国では慈悲深き御方に仕える侍女達は、男性の舞台から卓越と前進の賞を勝ち取り、聖なる芳香
を 広めることにおいても輝かしい手腕を示した。まもなく侍女達は、あまねく世界のすみずみから天上の集合の鳥のごとく高く舞い上がり、人々を導き、神の神秘 を明かすであろう。汝ら、東洋の祝福されたる木の葉達は、より輝かしく燃え立ち、主の甘くふく郁たる香を広め、神の言葉を朗唱することに専心しなければな らない。それ故、立ち上がり、『祝福された美』の勧告と助言を実行すべく努力せよ。さらば、全ての望みは実現され、様々な小川や果樹園のある平野が一つの 庭となるであろう。汝ら男性と女性の上に、栄光中の栄光があらんことを。
(未翻訳の書簡からの抜枠)この偉大な周期と驚くべき律法時代において、和合の象徴であり、一体性のしるしとして立ち上がった女性がいる。これは聖なる賜物である啓示を、男性も女性 も等しく受け取るからである。『まことに、神の目から見て最も誉れ高い者は、汝らの中で最も徳の高い者である。①』という言葉は、男性と女性、僕と侍女の 両方に当てはまるのである。全ての人は、『神の言葉』の木陰にあり、人々の力は、主の賜物から与えられている。それ故、汝自身をとるにたらぬ者と見なした り、ベールのうしろに生きる侍女に何もできはしないなどと思ってはならない。・・・
不動の信念と確固たる歩みと有弁な舌で、神の言葉を広めるために立ちあがり、かく告げよ。「おお神よ。私は貞節の幕の後ろに隠されて座り、慎みのべールを 強いられ、拘束されてはいますが、心に抱く私の望みは、奉仕の旗を掲げ、あなたの聖なる敷居に仕える侍女となることであり、軍馬に股がり撫知なる者の軍を 射抜き、強力な連隊を打ち負かし、過誤と裏切りの土台を覆すことです。あなたは弱き者を救う御方であり、賛しき者を支える御方、侍女を救助し給う御方であ ります。まことにあなたは、力に満ち給う御方であり、全能なる御方であります。
①コーラン49:13(未翻訳の書簡からの抜粋)おお汝ら、神の芳香に魅せられたる侍女達よ…神の王国からくる確証は、必ずや受け入れられるであろう。その確証を得るや、輝かしき木の葉達は、明白な証拠 と確かな理由を持ってこの世界の群集の中に輝くばかりに登場し、女性であることを美わしきものにするであろう。この周期において、女性は男性と対等であ り、否むしろある点ではより優れていることを証明するであろう。それ故、汝ら次のことを熟考せよ。このすばらしい大業において、実に多くの男性が知識の頂 点をきわめた。彼らは、輝かしい言葉、信服させる証拠、有弁な舌、堂々たる話術を持っていた。しかし、祝福されたる木の葉、ジナビ・タヒレは、女性である が故に荘麗な輝きをもって現れ、人々を驚嘆させた。もし彼女が男性であったら、決してそうはならなかったであろう。ほんの一枚の木の葉が、大業に魅せら れ、証を示し確証を述べることに熟達すれば、その女性はまばゆいばかりに周囲を照らすであろう。このように、偉大な神の大業は、世界の血管や神経に至るま でに浸み込んでいることを汝らは認識しておくべきである。輝ける木の葉達よ、われは、『熱望される御方の美』と、『存在の神秘』にかけて誓う。汝らが、こ の道で精力的に働くなら、『祝福されたる美』の発露は、心の鏡に、太陽のように反射するであろう。汝の進歩は人々を驚嘆させるであろう。
魅せられた木の葉達が互いに集う時には、単に天気のことや水の冷たさ、花や庭の美しさ、草の新鮮さ、水の流れなどのことばかり話してはならない。むしろ、 神の栄光と賛美、証拠と根拠を発言すること、聖典や教義の句を述べたり、明白な証言を語ることに話題を限定すべきである。そうすれば、神に愛されたる者の 家はみな、大業を教える学習の集会場となるであろう。そうすれば、神の王国からの発露は、またたく間に顕らかになり、慈悲深き御方の侍女達は、みな慈悲な る主の神秘を解きあかす明快な書物のようなものとなるであろう。栄光中の栄光が汝の上にあらんことを。
(未翻訳の書簡からの抜粋)この驚くべき律法時代において、栄光ある主の恩恵は、慈悲深き御方の侍女達に与えられている、それ故に侍女達は、社会に出て、男性のようにすばらしいもの を獲得し、秀いでなくてはならない。この新しい律法時代において、神の言葉の浸み渡る影響力が女性を男性と対等にさせるもとになったこと、そして試練の場 で女性が男性をしのいでいくことがはっきりと証明されるであろう。それ故、『祝福されたる美』に真に仕える待女達を超脱の精神で生き返らせ、魅力に満ちた 微風によって活気づけなくてはならない。そして神への愛にあふれる心と、天国の吉報で喜びに満ちた魂と、非常なる謙虚と謙遜さをもって、有弁に語らせ、偉 大なる王を誉め讃えさせたまえ。なぜなら彼女達は、大いなる恩恵の発露であり、大いなる栄光の冠で飾られているからである。
(未翻訳の書簡からの抜粋)おお汝ら、栄光の宮庭近くにいる純粋で尊敬すべき木の葉達よ。汝らは、大いに祝福されている。汝らは、精神的会合を催し、神のさまざまな証拠を広めてきた からである。汝らは、『大業の明白なる光』を支持して、過去の聖典に基づく論拠や証拠から真理を立証しようと懸命である。これは崇高な目的であり、この育 まれてきた希望は、全ての人々や国々の啓蒙の源である。
人類創世から現在に至るまで、過去のいかなる周期や律法時代においても、女性のための集会が持たれたことは一度もなかったし、布教のための会合も女性の手 で開かれたことはなかった。これは、この栄光ある律法時代と、偉大な世紀の特徴のひとつである。汝らは、必ずや、この集会を完成させ、天の神秘の真髄につ いての知識を深めるよう努力せよ。そうすれば神が望まれているように、わずかな間に女性は男性と同等になるであろう。つまり、学識ある人々の中で指導的立 場を取り、各々が流暢に話しかつ雄弁に語るようになり、導きの灯のように世界中で輝きわたるであろう。女性は色々な面において、驚くべき能力を備えてい る。神に魅せられ急ぎ前進し、神に対する燃えるような熱情も強い。
要約すれば、聖なる言葉の研究と、美徳を獲得することに日夜勤めよ。常にこれらの事を話し合うことに専念せよ。汝らが集う時には、古代より永遠に続く主の 確信と恩恵故に、吉報を持たらし、希望を分かちあえ。各々が証言と証拠を述べ、神の王国の神秘を語れ。さらば、真実なる神の聖霊が現世にあまねく行き渡 り、万物の秘密は、過去のものも未来のものも公然と現れ、まばゆく輝くようになるであろう。
神に愛されたる侍女よ、現在の自分の価値や能力に目を向けるのではなく、むしろ、祝福された美の恩恵と確信に目を据えよ。なぜなら、神の絶えることなき慈 悲は、無役な植物を恵みの木に変え、しん気楼を冷水やワインにする。また孤立した原子をまさしく存在の本質にし、取るに足りぬ者を、知識の学び舎で博学の 徒となす。とげある茂みに花を咲かせ、暗い土に香り豊かなヒヤシンスを育てることを可能にもする。また、石を高価なルビーに変え、貝殻を輝く真珠で満たす であろう。ひよわな生徒が博識な教師になることを援助し、かよわい胎児がこの一節の真理を明かすことを可能にするであろう。『創造をする者達の中で、最も 優れた御方である主に誉れあれ。①』まことに、わが主は全てに力を持ちたもう御方なり。
①コーラン23:14(未翻訳の書簡からの抜粋)今日、男女を問わず、全ての人の義務は、大業を伝えることである。この点でアメリカの女性は男性をしのぎ、先頭に立ってきた。アメリカの女性は世界の人々 を導くために、男性よりはるかに懸命に励み、努力している。彼女達は神の恩恵と祝福によって確信を与えられている。わが希望は、慈悲深き御方に仕える東洋 の侍女達もそのように努力し、力を示し能力を発揮することである。
(未翻訳の書簡からの抜粋)貞淑なる木の葉よ。大業の布教者よ。今こそ発言し講話を行ない、教えを広め宣言する時である。汝の舌をゆるめ、真理を説き、コーランの一節『慈悲深き御方 は、コーランをあらわし給うた。②』の正当性を確立せよ。『聖霊』は、人間の舌の最奥なる真髄を通して語り、人間の魂との親交を願う『神の精神』は真理を 示し、『信仰あつき精神』は書きとめ、『日の老いたる者の精神』は確証する。目に見えぬ神の王国に在す、並ぶものなき御方の美にかけて誓う。木の葉達が口 を開き、全てを愛したもう主を誉め讃え、優しき主の大業を伝えるなら、神の王国の集合と目に見えぬ国の仲間達は耳を傾け、至上の歓喜に満ちた感嘆の声をあ げるであろう。汝と聖約を固く守る侍女達に栄光あれ。
(未翻訳の書簡からの抜粋)②コーラン55:2神に仕える侍女よ・・・母親達にこそ、神の教えと有効な助言が与えられ、子供の教育に熱心であるよう激励されなければならない。母親は、子供の最初の教育 者だからである。乳飲み子を最初の瞬間から神の信仰と神の法の胸で乳を飲ませるのは、他ならぬ母親なのである。そうすれば、神の愛がまさに母乳とともにそ の子に入り、息絶えるまで共にあるであろう。
母親が子供を躾けず、正しい生き方に導かなければ、子供が後年受ける躾は、充分な効果をあげないであろう。精神行政会は、子供の教育について、幼い時から どのように見守り、教えるべきかを示した良く練られたプログラムを、母親に提示しなければならない。これらの指導を、手引書として全ての母親に与えなけれ ばならない。そうすれば、母親は、教えに従って、子供を鍛錬し、養育するであろう。
(「アブドル・バハの著作からの抜粋」1978年世界センター版p138)… 人類という家族の一人一人の閻に差別を作ってはならない。どの人をも、役に立たないとみなしたり、無視してはならない。われわれの義務は、神の恩恵の太陽 が心の内に光り輝くように人々を教育することである。このことは、人類が一体となるその力によって可能となる。人の間に愛があふれ、和合の力が強くなるに つれて、神の恩恵の太陽の反映と啓示は大きくなるであろう。なぜなら、最大の神の恩恵は愛だからである。愛は、神の全ての恩恵の源である。愛が心を捕らえ て始めて、神の御恩寵が心に顕されるのである。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p15)かいつまんで言えば、男性優位という仮説は、女性の平等を達成することがそもそも不可能であるかのように、女性の意欲を抑圧し続けるであろう。進歩しよう とする女性の熱望は、そうした仮説に阻まれ、女性は次第に失望してしまうであろう。これに反して、われわれは、女性の能力が男性と同じであり、否むしろ男 性の能力より偉大であると宣言すべきである。そうすれば、女性に希望と大志を与え、進歩を可能とする力が絶えることなく増していくであろう。女性は能力や 才能が乏しく劣っていると言われたり、教え込まれたりしてはならない。もしある児童が彼の知能が同級生より劣っているといわれたら、その子の発達に非常に 不利な障害となる。だから、「君は才能がある。努力すれば最高になれるであろう。」といって進歩するように励まさなくてはならない。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p76-77)要約すれば、目的はこうである。女性が十分に教育され、権利が与えられるなら、すばらしい業績をあげる能力を獲得し、男性と平等であることを証明するであろう。女性は、男性を補う存在であり、片腕であり、協力者なのである。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p136)万物の真理は、この輝かしい世紀に明らかにされてきた。真実は必ず表面に現れてくる。これらの真理の一つは男女平等の原則である。人間に囲わる全てのこと において、平等な権利と特権を認めるものである。バハオラはこの真実を五十年以上前に宣言した。しかしこの平等の原則が真実であるとはいえ、女性も能力と 才能を証明し、平等の根拠を示さなければならない。女性は教養や学問に精通し、女性の能力や力量はこれまで単に表面に出なかっただけであったことを業績に よって証明しなければならない。今イギリスで起こっているような力による示威運動は、女性と平等のために、ふさわしくないし効果もない。人類が最も必要と していることに専念すべきである。女性は産業や農業の勉強に能力を注がなくてはならない。このようにして、女性は能力を示し、社会的にも経済的にも平等
が確実に認められるであろう。間違いなく、神は、女性の試みと努力をいっそう強めるであろう。この輝かしい世紀に、バハオラは、人類の一体性の真理を宣言し、全ての国家、人民、人種は一つであると述べたからである。
(「世界平和の宣布」1982年米国版)男女平等は、この時代の女性に与えられる機会が増すにつれて確立されていくであろう。男性も女性も、創造者なる神から力と資質を等しく授けられているからである。神は、至上の目的において、男女の固に差別を定めなかった。
(「世界平和の宣布」1982年米国版p300)女性は、より完全を目指し、あらゆる点で男性と平等であるように、さらに今まで遅れていた全ての面で前進するように努力しなければならない。そうすれば、男性は、女性が能力や業績の上で平等であることを認めざるを得なくなるであろう。
ヨーロッパの女性は、東洋の女性より大きく進歩してきたが、それでもなお、しなければならないことが沢山ある。学生は、学期末にはテストを受け、その結果 によって、各々の学生の知識や能力が測られる。同様のことが女性にも言える。女性の行動は女性の力を示す。言葉で宣言する必要はなくなるであろう。
わが希望は、東洋の女性達が、西洋の姉妹達と同様に、急速に進歩し、人類が完全になることである。『神の恩恵』は、全ての人のものであり、あらゆる進歩に力を与える。男性が女性との平等を認めれば、権利について争う必要はなくなるのである。だからこそ、バハオラの原則のひとつに、男女平等があるのである。
女性の教化と努力が人類の和合をもたらすまで、女性は精神的力を獲得し、英知と神聖さの徳を増すように最大の努力を払わなくてはならない。女性は、燃え立 つような熱情をもって、バハオラの教えを広めるよう努めなければならない。そうすれば、『聖なる恩恵』の輝く光は、全世界の国の人々の心を包むであろう。
(「パリでのアブドル・バハの講話集」英国版p162-3日本版p230-2(改訳))インド・ビルマにおけるバハイ女性の地位と、将来大業を司るうえでの男性との協力に関して、現在、機は熟していると思う。べールをぬいで、インドやビルマ の一般的慣行に順応している女性には、地方または全国の代表を選出する選挙権を与えられるばかりでなく、地方であれ、全国であれ、インド・ビルマ全土のバ ハイ行政会の一員として選ばれる資格を持つべきである。
しかしながら、この明白で重要な一歩は、最大の関心と用心、慎重さと熟慮をもって行われなければならない。実際の能力や業績は正当に尊重されなければなら ない。メンバーとして最もふさわしい人達のみが、男女を問わず、また社会的な地位に関係なく、バハイ行政会の非常に責任ある地位に選ばれるべきである。
私が思うに、この重要な決定により、インド・ビルマ中の女性バハイにとって非常な刺激になることが証明されるであろう。彼女達が奮起し、全力で、より一層 大業の知識を深め、大業の一般的活動に活発に組織的に参加するよう能力の及ぶ限り努力し、国内で大業の発展という共通の仕事にたずさわる仲間の男性にとっ て、あらゆる意味で啓蒙され、責任を果たせる有能な協力者であることを示してもらいたいと思う。
彼女達が今日の気高い使金を十分に自覚するように、彼女達の将来のために私が抱く高い望みが正しいことを明かすため全力を尽くすように、また、今やバハイ世界が彼女達に与えようとしている高貴な使命に、あらゆる点でふさわしいことを証明するように願っている。
(1923年12月27日ある全国精神行政界にあてて)信教の発祥の地に住んでいる女性バハイには、全国及び地方のバハイ精神行政会のメンバーとして参加する完全な権利が与えられている。このことによって、
ペルシャのバハイ共同体の行政業務を行う上で、完全に平等な権利を享受することへの最後の障害を取り除くのである。
(1954年4月「バハイ世界へのメッセージ」1971年米国版p65)この共同体(アメリカ)の メンバーは、性、年齢、人種、経歴に關わらず、また経験、能力、学問がいかに限られようとも、一体となって立ち上がるように。そして全てを愛し、常に注意 深く、常に支え給う神の恵みの分与によって今彼らに示された天与の機会を両手でつかむように。また、それによって、始めたばかりの、例えようのない力で全 世界に及ぶこの十年計画を不可思議に導く推進力を、大いに促すように。これらのことこそ、アメリカ大陸におけるバハオラの信教の運命の重要な転機に当り、 敬愛し、憧れの心を持つ私が願ってやまない望みである。
(1954年7月28日「信教のとりで」1980年米国版p132)あなたが手紙で指摘した点…すなわち…における女性解放運動の過激な見解が、感受性の強い若いバハイの女性達に影響を与えていることについてですが、バハ イ信教のメンバーとして地方及び国規模のバハイ行政に参加することによって、女性が占める固有の地位を、あなた方の行政会が特に強調することが役に立つこ とでしょう。
(1971年4月9日ある全国精神行政会にあてて)ア ブドル・バハが指摘されるには、「この神聖なる律法時代をきわだたせる奇跡の中にこういうことがある。すなわち、女性がバハイになると、男性以上に非常な る大胆さを発揮してきた。」のである。ショーギ・エフェンディはさらに述べた。この「大胆さは、時がたつにつれ、説得力を増し、この愛されたる大業のため にこれまでになく感動的な勝利を勝ちとるに違いない。」全バハイ世界は、社会全般のみならず、バハイ共同体の中での女性の力強い役割をはっきりと奨励して きたのであるが、特に五ヶ年計画では、八十ヶ国の全国精神行政会に、女性のためのバハイ活動を計画するように要求している。国連の世界的な活動である『国 際婦人年』として指名された今年に、バハイ、特にこの80の全国行政会のバハイは、先頭に立って、バハイ共同体生活のあらゆる面で、女性の完全で平等な参加を激励し、促進する計画を実行すべきである。そうすれば、バハイの女性達は、人間の努力が及ぶこの分野で、神の大業がいかに卓越したものであるかを業績によって示すであろう。
(1975年5月25日全世界の全国精神行政会にあてて)特に、女性バハイに要求する。女性の能力が今だ未活用の多くの地域で、女性の奉仕の可能性大なり。立ち上がり、信教奉仕の全分野で果たすべき役割の重要性を示せ。
(1974年3月24日全世界の全国行政会にあてた電文)若者は長い間布教の先頭に立っていたが、女性の能力がほとんど使われていなかった多くの国々で、今や女性がバハイの共同体生活へ有能に奉仕を捧げているのを見て、われわれの心は喜びに満たされている。
(1978年レズワン)信者各々の精神的、知的生活、また全共同体生活を発展させ強化させなければならない、これは全ての活動の核心である。そのためには次のことが要求される。 バハイ共同体にその必要な影響、指導が果たせるように、地方精神行政会の発展をより強力に押し進めること。バハイの家族生活のより深い理解の育成、子供の ためのバハイ教育、これには定期的なバハイクラスの保持と、必要な所では、初等教育を備える学校の設立も含まれる、バハイの若者の学問と奉仕の奨励、共同 体の仕事の上でバハイ女性がその特権と責任を十分に果たすよう奨励すること。女性が、バハイ律法時代の不滅のヒロインである『最大の聖なる葉』①の死後50年の追悼にふさわしい行動ができるように願う。
(1979年ノウ・ルーズ)男女の平等は、現時点では、世界的には適用されていない。伝統的な不平等が今なお進歩を妨げている地域では、私達は、このバハイの原則を率先して実行しな ければならない。バハイの女性や少女達は、自分の属している共同体で、社会的、精神的、行政的活動に稿極的に参加するよう奨励されなければならない。
(1984年レズワン)地方、全国バハイ共同体に求められていることは、あらゆる階級の人々の注意を平和に関する様々な課題、例えば、女性の役割・・・といったような話題に向けさせるような、広範囲に渡る活動を指導することである。
(1985年1月23日全世界の全国精神行政会にあてて)正義院は、母親として基本的責任のある女性達を教育し導く必要性を、女性の活動を始めるまたとない機会と考えている。次の世代の教育者としての女性の役割を促すことに努力を注がなくてはならない。
(1984年2月29日ある全国精神行政会にあてて)男女平等も、信教の他の教えと同じように、バハイ生活の他の面と同時に求めれば、効果的に、しかも世界的に確立され得る。変化とは、自分と周囲の人々の忍 耐、また愛のある教育を必要とする進歩の過程であり、信者が信教の原則の知識を深め、長く続いてきた慣習を徐々に捨てて、生活を大業の教えに従わせていく 道程である。
(1984年7月25日ある個人の信者にあてて)