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Compilations : War and Peace
Date Received: Wednesday 26 March 2003 6:03 PM
戦争に関連する質疑応答

戦 争は、既に存在している戦力がもたらすものです。もしもその破壊的な結果に終止符を打ちたいと我々が望むなら、その根本的な理由を探り、それらの悪を排除 すべきでしょう。もし、世界を一つにまとめる平和をもたらしたいと望むなら、悪意、国粋主義、不信感、自信過剰や、世界に蔓延している経済的、社会的、宗 教的な違いを排除しなければなりません。バハオラの教え以外に、そのような偉業を成し遂げることはできないでしょう。なぜなら、バハオラの教えは人々の心 を改め、社会的環境を健康で平和的なものにするための確固とした考え方を教えてくれるからです。

(From a letter written on behalf of Shoghi Effendi to an individual, 11 May 1932)

問:どんな状況においても戦争は間違っていますか?

い え。ショーギ・エフェンディは、バハオラが予想した安全保障機構について、「世界共通の国際法が世界連合の代表者の判断に基づいて作成され、その国際法は 制裁措置として即時にかつ強制的に国際連合による武力を行使し内政に干渉することができる力を持つであろう」と記述しています。世界共通の正義を施行する ことにより、時には武力を行使することが必要になるかもしれない、とアブドゥル・バハは「The Secret of Divine Civilization」において説明しています。

('Abdu'l-Bahá, The Secret of Divine Civilization, pp.70-71)

その結果は、誉めるべきことかもしれません。戦争は平和を築くための力強い礎となることもあり、廃墟は再建への手段となることがあるでしょう。例えば、(high-minded)

皇 帝が、暴徒や侵略者を止めるために軍隊を派遣すとしたら、または、戦場で対立している地域や部族を和解させるために力を尽くすとしたら、つまり、彼が正義 の目的のために戦争をするならば、暴力的に見える彼の行為は実は慈悲そのものであり、暴虐行為は正義の真髄であり、戦争は平和の基石となるのです。今日、 偉大な為政者にふさわしい義務は世界平和を築くことです。世界平和は全ての人々に自由をもたらしてくれるのです。

多くの場合において、現代の国家が純粋に世界の平和を求める気持ちではなく、偏見や自己中心的な欲望に動機づけられていることは明白です。しかし、バハオラのもたらしたDivine System に 向かって世界が動いていることは、疑いがありません。国際連合がイタリアのエチオピア侵略を非難したことについて、「人類の歴史上初めて」「バハオラに よって予見され、アブドゥル・バハによって説明された安全保障機構」が真剣に検討され、相談され、試されたとショーギ・エフェンディが述べていることは意 義深いことです。何年も後に、万国正義院は最近終結を迎えた湾岸戦争について同じように述べています:

「こ の地域における突然の危機に対して、多くの国々が結束して救済措置を施す事になったのであるが、この戦いが、バハオラによって何世紀も前に示された闘争を 終結させるための手段としての集合的安全保障機構の必要性を示したことは疑いがない。バハオラによって予見された国際平和の原則を十分に認識した国際的な 協定は、実際に人類の支配者らによって採択された協定の及ぶところではなかったが、Lord of the Age が 示した国家の行動の規範にしたがうべく、まず大きく一歩前進したのである。将来の国々の再教育を予示するバハオラの言葉は真に啓蒙的である。「和合せよ、 世界の国家の主権者たちよ。それによって、嵐は静まり、人民は安らぎを得るであろう。汝らの中に一人でも武器をとり敵対する者があるならば、他の国々はそ れに反対せよ。それは、正義の表明以外の何ものでもない。」

(Universal House of Justice, Ridván Message 1991)
問:バハイ教徒は反戦主義者ですか?

い え。バハイ教は、バハイ教徒は在住している国の政府の定める方に従わなければならないと定めています。バハイ教徒は、宗教上の理由で市民としての義務を放 棄することはありません。その代わり、存在する法律や規則の範囲内で、非戦闘的な地位につくことにより、深い信心と市民としての義務を調和させることがで きるのです。

バハイ教徒は世界平和のために努力し、世界各地で突発する衝突にもかかわらず、世界平和の必然性を信じています。万国正義院は、1967年2月9日の書簡で次のように述べています:

「・・・ バハイ教徒は、法と秩序を維持し国民を守るための手段として政府が武力を行使する権利と義務を認識しています。それゆえに、バハイは、そのような目的で血 を流すことは必ずしも間違っていることではないと考えます。バハイ教は、過ちを許し、「殺すよりは殺される」という個人に課された責任と、正義を支持する するという社会に課された義務を明確に区別しています。このことは、アブドゥル・バハがSome Answered Question で説明しています。現在の世界において、バハイは互いを殺しあう衝突に介入せず、血を流すことを避けていますが、これは我々が完全な反戦主義者だという意味ではありません。」

このことについて、万国正義院からの書簡には更に次のような説明があります。1935年11月21日に、守護者の秘書により代筆された声明文です。

「完全な反戦主義者や、良心的理由で戦争を放棄する人*に ついてですが、彼らの態度は、バハイ教の立場から見ると反社会的であり、個人の良心を過度に重視することは必然的に社会の秩序を乱し混乱を招くことにつな がると思われます。極端な反戦主義者は、個人の権利と価値観を過度に重視するという点において無政府主義者とほとんど同じだということができるでしょう。 バハイ教における社会生活の観念は、基本的に個人の意思を社会のために従属させることに基づいています。個人を抑圧することも、個人を反社会的な創造者と して誉めそやすこともしません。何事においても、「中庸をもって旨と」するのです。社会が機能する唯一の方法は、少数派が大多数の意見に従うことなので す。

(From a letter of the Universal House of Justice to the National Spiritual Assembly of the United States, 9 February 1967)

*訳者注:「良心的理由で戦争を放棄する人」 (Conscientious Objector) というのは、アメリカの法律用語です。アメリカ合衆国では、「良心的理由」で服役の義務の免除を申請する事ができます。申請してから厳格な審査があり、認められると、Conscientious Objector としての地位を得る事ができますが、審査には時間がかかり、その地位を認められるのは難しいそうです。

守護者の意思によって書かれたある声明文の締めくくりは、平和を実現するための方法を信徒に示唆しています。

「良 心的に戦争に反対する人々に対するもう一つの反論は、彼らの平和実現のための手段があまりにも否定的だということです。非協力は、社会の再構築のための哲 学としては受身的すぎます。彼らのように武装することを拒絶しているだけでは、平和を確立することは決してできません。先ず何よりも、精神的な活力を復興 させるべきです。神の大業より他に、全ての人々の心を一つにまとめることはできないのですから。」

(From a letter of the Universal House of Justice to the National Spiritual Assembly of the United States, 9 February 1967)

(ibid.)
問:バハイは軍事力放棄が必要だと考えますか。

はい。しかし、アブドゥル・バハは、'Abdu'l-Bahá in Canadaの34-35 ページに掲載されているインタビューで次のように説明しています。

「軍 事力の放棄についての質問ですが、全ての国家が同時に軍事力を放棄しなければなりません。ある国家は武装解除し、その他の国家やその近隣諸国が軍事力を維 持しているのでは意味がなく、そのようなことは提案しません。世界の平和は国際的な合意によりもたらされるべきです。全ての国家が、同時に軍事力を放棄し なければなりません。…近隣諸国が戦争の状態にある中で、一国だけが平和を維持することは不可能ですし、それは、公平ではありません。世界平和がそのよう な手順を踏むことに拠ってもたらされるかもしれないと考えるような夢想家はいないでしょう。もっと広範囲にわたる包括的な国際的合意によってのみ世界平和 はもたらされるのであり、その他には方法はないのです。」

1983年1月12日付けの、万国正義院からの手紙は、軍事力放棄の範囲とそれが示唆する政治的意味合いについて更に提言し、次のように述べています:

「今 日、核軍縮は政治的問題になっており、アメリカだけでなくイギリスや他の西欧諸国においても反対のデモが起こっています。核軍縮だけを取り上げることはバ ハイの立場から見ると十分でなく、その結果としてバハイ信仰が国家間の現在の論争に巻き込まれることにもなりかねません。バハイ信徒が、核兵器に限られる ものではなく、生物・化学兵器など全ての形態を含む軍事力放棄の必要性を信じているということは明白です。」

問: 集団安全保障とは?

集団安全保障という考え方は、Gleanings from the Writings of Bahá'u'lláh においてバハオラによって記述され、更にThe Secret of Divine Civilization においてアブドゥル・バハによって詳細が加えられています。

バハオラはこう述べています:

「広 範囲で、全てを包含する人々の集合の避けられない必要性が普遍的に理解される日が来るでしょう。地球の全ての為政者と王がその問題に注意を払い、審議に参 加し、世界の偉大な平和を人類にもたらすための基礎を築く方法や手段を検討しなければなりません・・・もしも武力を以って他国を攻撃する王があれば、全て の国家が団結して立ち上がりそれを防ぐべきであります。

(Gleanings from the Writings of Bahá'u'lláh, p.249)

アブドゥル・バハ はThe Secret of Divine Civilizationの中で次のように述べています:

「彼 ら(主権者)は健全・不可侵で明確な条項をもつ、拘束力のある条約を締結し誓約を定めなければなりません。そして、その条約を全ての世界に布告し、全ての 人類から認可を受けなければなりません。このような最も高尚な事業は、世界の平和とより良い生活をもたらす真の源であり、地球上に生きる全てによって神聖 なものとみなされるべきです。人類は最も偉大な聖約が、安定し永続するよう最大の努力を尽さなければなりません。全てを包含する条約の下、全ての国家の境界や辺境がはっきりと定められ、国際関係の基礎となる原則が明確に定義され、国際的な合意と責任が確立されるでしょう。同 様に、それぞれの政府の軍備力も厳しく制限されるでしょう。というのは、もし戦争のための軍備・軍事力増強が容認されたなら、他国の不信感をあおることに なるからです。このような正式な条約の基本的原則が確定されることにより、後に違反する政府が一つでもあれば、地球上の全ての政府が立ち上がり、その国が 条約に従うよう仕向けることができるでしょう。むしろ、人類全体が所持している全ての力を尽くしてそのような政府を破壊することを決意することができるでしょう。」

('Abdu'l-Bahá, The Secret of Divine Civilization, pp.64-65)

しかし、そのような集団安全保障条約が制定されたとしても、それだけでは平和と安全を確立するのには十分ではありません。万国正義院はThe Promise of World Peace の中で次のように記述しています:

「こ れらの問題で強調すべきことが二つあります。第一に、戦争の廃止は、単に条約や議定書に調印するだけでは得られないということです。それは、複雑な作業で あり、慣習的に平和との追求に関連して考えていられない問題を解決していくための意識改革が必要です。政治的合意だけを重視していては、集団安全保障の考 えは幻想にすぎません。もう一つは、平和に関する問題を扱うにあたっての主な課題は、その議論の場を純粋な実用主義とは異なる、原則のレベルに高めること にあるということです。本質的に、平和とは精神的、道徳的態度に支えられた心の状態を指すのであり、このような態度を喚起することにこそ永続的な解決策の 可能性が見出せるのです。」

(Universal House of Justice, The Promise of World Peace, 1985, p.27)

Q:  現在の世界事情を、集団安全保障という見地からどのように理解するべきでしょうか。
万国正義院は次のように述べています:

「・・・ 一見して分かるように、集団安全保障の適応はまだ成熟の過程にあり、その効力は構想の一致と国家間の協力を通して達成される目的意識の団結から派生しま す。集団安全保障機構を適用する方法は場合によって異なり、それが国際的な方針として確立されるまでには、様々な難問がもたらす試行錯誤に時間がかかるの は必至です。地球全体の人類の営みに秩序をもたらすための重大な進展には、成功と失敗の繰り返しが続くであろう事は避けられません。ゆえに、バハイがこの 原則を採用しようとする初期段階の要素だけを見てその価値を判断する事は不可能であり、賢明ではありません。しかし、集団安全保障機構を実現させるために 行われている努力を見て、バハオラの予言が一歩一歩確実に現実化されてきていることに勇気付けられることができます。

(From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 26 February 2003)

Q:  May Bahá'ís volunteer to fight in the military?

問:バハイは、軍隊に志願してもいいでしょうか?

「・・・バハイが、職業のために役立つトレーニングを得る目的で武力を持つ軍隊に志願する事は、問題ありません。ただし、戦闘行為に参加しなければならなくなるような状況に陥る事を避ける事ができる場合に限ります。

(From a letter of the Universal House of Justice to the National Spiritual Assembly of the Fiji Islands, 2 August 1971)

「同様に、バハイが軍隊に入隊したり、そこで出世したりする事には同様に問題ありません。ただし、戦闘行為に参加しなければならなくなるような状況に陥る事を避ける事ができる場合に限ります。」

(From a letter of the Universal House of Justice to a National Spiritual Assembly, 13 January 1981)

現在、服役中の軍人が戦闘に参加しなくてもよいと保証してくれる軍隊がアメリカ合衆国にあるとは精神行政会は聞いておりません。

「バハイは、人命を奪えという命令を受けなければならなくなるような軍隊の部隊に自ら志願して入隊する事はできません。」

(From a letter of the Universal House of Justice to the National Spiritual Assembly of the Fiji Islands, 2 August 1971)

「バハイは、軍隊に入隊したりそこで出世したりしないようにするべきだと我々は考えます。そして、もしそうしなければならないとしても、守護者の明確な指示に従うため、人命を奪う事が必要になるような軍事義務からの免除を申請すべきだと考えます。

もしも、アメリカ合衆国の ように徴兵制度が法的に定められていて、陸軍の将校や海軍の士官として志願したり任命を受けたりすることによりその義務を果たす事ができる場合は、そうし てもよいでしょう。ただし、上記の原則の趣旨に従って、非戦闘員としての配属を申請しそれを維持する権利を失わないようにすることを条件とします。」

(From a letter of the Universal House of Justice to a National Spiritual Assembly, 20 September 1965)

問:バハイは、軍隊の服役を拒否してもいいですか?

バハイ教は、バハイは居住している地域の政府が定める方に従わなければならないと教えています。もしも法的に義務付けられているならば、バハイは服役の義務に従い、可能であれば非戦闘員としての配属を申請します。

守護者は、イギリスの精神行政会に、第二次世界大戦勃発直前の1939年6月4日に次のような手紙を送りました:

「信 者は戦時下の国家への奉仕に関して権威者が発令する命令にためらわず従う心の準備ができているという意思表示をしながらも、まだ戦争行為が始まらない間 に、政府に戦闘的な方面における軍務からの免除を希望しておくべきだと考えています。そのような希望をしているのは、利己的な考えからではなく、信教の教 えに従いたいという唯一にして崇高な動機からだという事を強調しなければなりません。どんな人種や国籍の人に対してであれ、人類に対して直接の戦闘行為に 従事するということをを断念する(Desist?) ことは、道徳的義務であるという事を強調するべきです。

「バハイ教の教えによると、あらゆる形態の暴力的行為は非難されるべきものであることは確固として、明白であり、戦場における交戦状態は明らかに暴力的行為の一形態であり、もしかすると考えられる限り最悪の形態であるかもしれません。」

守護者は、バハイの立場を更に次のように説明しています:

「バ ハイとしての私たちの立場は、国家が攻撃を受けても政府には従わないというものではありません。私たちは、人類を殺戮する事に価値を認めず、またそれに参 加する事を望まないのです。私たちは、良心的に戦争に反対する者ではありません。私たちはもちろん服役しますが、アメリカ合衆国が法律で私たちの様な考え方を保護する条項を設けてある通り、非戦闘要員として分類される事を希望しているのです。」

(From a letter written on behalf of Shoghi Effendi to an individual, 15 July 1952)

ショーギ・エフェンディは非戦闘要員としての任務の形態の例をいくつか挙げた後、バハイは単に危険を回避しているのではないという点を指摘しています。

「そのような奉仕に従事してもまだ危険にさらされる事になるかどうかということは、(either at home or in the front) 家にいても戦線にいても重要でない。というのは、(非戦闘要員を希望するのは)自分の命が惜しいからではなく、故意に殺人をする事を拒否するためだからです:

「バハイ信教の忠実な信者である皆さんは、そのような(非戦闘要員として服役する)免除制度に申請するべきです。たとえその請願(せいがん)が 受け入れられる可能性が少ない場合でもです。最も大切なのは、世界中の国々が直面している国家の混乱と危機の状況で、バハイ信者自身が大衆を扇動している 激情に押し流されてしまったり、中庸と賢明の道を外れるような行動をしたり、その結果、たとえどんなに不本意に間接的にであっても、教えの精神とその意味 にそむくことになったりしないようにする事です。」

(From a letter written by the Guardian to the National Spiritual Assembly of the British Isles, 4 June 1939)

Q:  Should Bahá'ís criticize leaders of government?

問:バハイは、政府の指導者を批判すべきでしょうか?

「真に一つの神は、王たちに世界を統治する責任をお与えになりました。Authorityを持つ者たちの考えに反目する態度をとる権利は誰にもありません。この世と、その俗に関する出来事にかかわる事や、その指導者のように振舞う者たちの活動に干渉する事を自制せよ。」

(Bahá'u'lláh, Gleanings from the Writings of Bahá'u'lláh, p.241)

???「バハオラのもたらしたWorld Orderに対する忠誠とその基本的機構の安全

個人としても集団としても、言葉においても行動においても、非公式にも公式の発言や刊行物においても、政府を非難したり、社会を激しく揺さぶり、ひいては社会を巻き込む政治的危機について片側だけの見方をする事は、どんなに間接的であってもagitating (and) ultimately engulfing

"Loyalty (to the) World Order of Bahá'u'lláh, security of its basic institutions, both imperatively demand all its avowed supporters... (to) abstain individually and collectively, in word (and) action, informally as well as in all official utterances and publications, from assigning blame, taking sides, however indirectly, in recurring political crises now agitating (and) ultimately engulfing human society."

(Shoghi Effendi, Directives from the Guardian, p.56)

「守 護者は、アメリカ精神行政会を通して友人たちに注意を促す事を望んでおられます。それは、公的な場で政治家の名前を挙げて、その政治家をほめたり又はけな したりする事に注意を払うべきだという点についてです。この事実を先ず覚えておかなければなりません。そうでなければ、友人たちは政治的問題に巻き込まれ る事にもなりかねません。それは、信教にとって大変危険な事であります。」

(From a letter written on behalf of the Guardian to the NSA of the United States and Canada, 12 January 1933)

問: バハイは、現在の政治問題について話し合ったり、例えばイラクにおける紛争のような国際問題に関する行進やデモ運動などに参加したりするべきでしょうか。

「また、[バハオラは]も う一つの書簡で彼の信徒に『居住する国家の政府に対して、忠誠心と誠実さと正直さを以って振舞う』義務を課しました。アブドゥル・バハも、この原則を再び 主張しています。アメリカ滞在中、アブドゥル・バハはこう説明なさいました:「バハイの精神の本質は、よりよい経済、社会的状態を設立するためには、政府 の定める法律と政府の主義に対する忠義がなければなりません。」そして、ある書簡の中で、「Blessed Perfectionがお与えになった反駁できない命令」について、つまり「信者は最大の誠実さと忠誠心を以って国王に従わなければならず、神は政治的問題に干渉することを禁じた。神は政治的事柄について信者が論議することすら禁じた」と言及なさいました。

(From a letter of the Universal House of Justice to an individual, 8 December 1967)

「バ ハイ共同体が政府と関係する必要性について ・・・ 政府の活動に干渉しないという方針を考えた上で、何がバハイとして正当な活動であろうかという問いの 正しい解釈を、個人が理解することは難しいでしょう・・・そのような関係を取り扱うにあたっての決定は、個人ではなくFaithの承認した機構によりなされることは重要です。このような事情では、特にバハイ共同体が精神的にも実用的にも取り組んでいかなければならない人類の問題の複雑さを考えれば、個人の判断では不十分であり・・・Friendsはこの新しい状況--選出された機構が持つ、政府との関係に影響する疑問について決定するという大権に黙従し、バハオラの、神の共同体をお守りくださるという疑いのない約束への確信を示す事--を認識することを学ばなければなりません。」

(From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 23 June 1987)

現 在のイラクと国連を取り巻く事件は、政府の活動や決定を巻き込むので、政治論争的な性質があります。このように揮発的な政治事情についての話し合いで、討 論に巻き込まれてしまわない人はいないでしょう。それによってバハイ信者は論争の焦点の意見が分かれているのだという印象をバハイ信者ではない人々に与え るかもしれないということに加えて、バハイ信者同士がこれらの問題で意見が分かれてしまう可能性もあります。その結果として不和が生じ、仲たがいをしてし まうでしょう。世界を精神的に活気づけるという、真のCauseの業が、それによって妨げられてしまうかもしれません。

マ スメディア、テレビや世界中に高速で情報を伝えることのできるインターネットが存在する現在の情報化社会において、政治論争的な事柄にかかわらないという ことと、「周りの社会に存在する衝突や紛争に関する言い争いに知らないうちに巻き込まれてしまう」ことの違いをしっかりと見分けることは、バハイにとって 非常に大切な事です。(From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 12 January 2003)   同様に、インターネットに掲示された文書は瞬時にして世界中に配布されるものであり、現代の時事問題に関するバハイ教の見解だと解釈されうるという事も 承知しておくべきでしょう。万国正義院から注意をうけた通り、「一国のバハイのおろかな行動や声明文が、結果としてその国、又は他の国での信教の重大な挫 折を引き起こしたり、他の信者の死をも招く事にもなりかねない」のです。

(From a letter of the Universal House of Justice to an individual, 8 December 1967)

行進やデモ運動について、全国精神行政会のExternal Affairs のOfficeは地方精神行政会に2003年1月3日付けで次のような手紙を書いています。

「バ ハイはデモに参加する事に細心の注意を払うべきであるという精神行政会の考えは、正しいと思われます。行進やデモが合法的で、非暴力的で、政治的に分断す る性質のものでなければ、バハイが個人として行進やデモに参加してはならないという決まりはありません。しかし、各個人はバハイの主義に従い、そのような 活動に参加する事の示唆する意味についてよく考えてほしいと望みます。あなた方が手紙の中で述べた例について考えると、大原則は、バハイ信教は国家間の紛 争で一方だけに肩入れしないということで、軍事行動行使に賛成、又は反対の行進やデモに参加する事は、片側に肩入れするという事を前提としています。

問:自分がバハイだとは誰も知らない状況で、署名運動に参加したり、抗議の手紙を書いたりする事については?

守護者は、1946年の3月19日に、ある個人にあてた手紙の中で次の様に書いています:

「バハイは、政治的な性格を持つ、政府に圧力をかけるための署名運動に参加する事も控えるべきでしょう。そのような先進的な活動を行う事ができる人は他にもたくさんいますが、バハオラの大業を成し遂げる事ができるのは、バハイだけなのですから。

(The Unfolding Destiny of the British Bahá'í Community, p.444)

問:私たちに何ができるでしょうか。

ショーギ・エフェンディは、Lesser Peace は、 「最初は様々な国家の政府の決定によりもたらされる政治的合意であろう。バハイ共同体の直接の活動によって確立されるものではないだろう。」と説明しまし た。しかし、私たちは、本当に永続する平和とは戦争の終結だけを意味するものではないことを、そして、平和は政治的活動だけによってもたらされるものでは ないということを知っています。バハオラは、「the well being of mankind …」と宣言なさいました。

(Gleanings from the Writings of Bahá'u'lláh, p.286)

私たちの周りで、古い世界秩序が崩壊している今、それに並行して起こるべき重要な仕事である統合と新しい世界秩序の構築ができるのは私たちだけであり、私たちはそれをしなければなりません。

「事実、信教の原理を促進することによって、それは、平和の維持に欠かせないものであり、そして、バハイadministrative order の手段を形成することによって、それは守護者から社会の未来の模範であると教えられましたが、バハイは常に永久の平和への基礎作りをしているといえるでしょう。MostGreat Peacheは、その過程の究極的な目標なのです。

(From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 31 January 1985)

我々が政治的問題や論争から距離をおいているということは、バハイが社会のことに無関心であるということでも、私たちの周りに存在する苦難に気づかないということでもありません。むしろ、私たちは「時代の必要にanxiously心配して」いるのです。ショーギ・エフェンディは、バハイ共同体が信じる目的や原理を実現しようと努力している団体と連携するようお勧めになりました。万国正義院は、1996年のレズワンのメッセージで「我々の共同体は、Lesser peaceへ向かう精神的原動力を支援する義務があり」、バハイ共同体の地域的、国内的、国際的レベルにおいてのExternal Affairs の 仕事は「世界秩序の設立にむかっている勢力と直接的に協力することにより」「世界平和への過程に力添えをすることを目的としてる」と述べています。このよ うな平和を促進する活動と、単なる政治的論争への参加との決定的な違いについて述べるため、万国正義院は先日次のようにお書きになりました:

「バ ハイの目的は見解の違いから生じる争いを調停し、不和を癒し、人々に寛容さと相互尊重の気持ちをもたらすことであり、私たちが他人の浅はかな情熱に流され てしまっては、この目的の意義を失わせることにもなりかねません。これは、私たちがバハイ共同体以外の活動に協力してはならないという意味ではありませ ん。有益で建設的な活動や提携と、不和を生じるようなものを見分けるためのよい判断力が必要だということです。

(From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 12 January 2003)

結局、全ての苦難の根底に横たわる悪を世界から取り除き、人類をMost Great Peace に導いてくれるのはバハオラがもたらしたDivine Systemだけなのだということをバハイは知っています。

「私たちの信教の基本的な目的はunityと 平和の設立です。この目標は、次第に不安定さを増している世界の人々の望んでいる目標であり、それはバハオラの教えを通してのみ達成できます。バハオラの 教えを人類に分け与えることができるのはバハイ信徒だけですから、信徒の皆さんは時間と労力をどのように使うかを注意深く考慮し、バハオラのメッセージを 分かち合うという最も大切な責任から気をそらされるような活動を支持することは警戒しなければなりません。

(From a letter written on behalf of the Universal House of Justice to an individual, 4 July 1982)

つまり、恒久にして親愛なる不可謬(びゅう)の万国正義院からのお導きを受けることは、バハイとしての比類のない祝福であることを忘れてはいけません。古い世界秩序の崩壊が加速するにつれて、遂にはこのCauseの勝利と全ての人類のための恒久の平和をもたらすことにつながるとSupreme Body が確信させてくださった活動にもっと注意を向けなければなりません。National Spiritual Assembly によって設定された目標を考慮したり、スタディーサークルやお祈りの会や子供のクラスへ参加したりすることは、もっと急を要する関心事に騒然とした今日の世界において、決して瑣末(さまつ)な活動ではありません。むしろ、これらの活動を通してこそ社会の病への本当の解決法を提供することができるのです。「トレーニングへの計画的な取り組みにより、バハイが周囲の社会と連絡したり(reach out to the surrounding society)、バハオラのメッセージを友人、家族、、近所の人、会社の同僚などと分かち合ったり、バハオラの教えの豊かを彼らに示すしたりできるようになってきたのだということは・・・明らかです。このような、This outward-looking orientation is one of the finest fruits of the grassroots learning taking place."

(From a letter of the Universal House of Justice, 17 January 2003)

それでは、次のショーギ・エフェンディの言葉を読んでみましょう。彼の言葉は、半世紀前にアメリカのバハイ共同体に向けて発せられたものですが、現代にもよく当てはまります。

「国際的状況が悪化するにつれ、そして人類の運命が更に衰退するにつれて、計画の動力は加速されなければなりません。(The momentum of the Plan must be further accelerated) そして、その計画の遂行の責任をもつ共同体の一致した努力は更に高いレベルの献身と英雄的行為に高められなければなりません。今日の社会の骨組みが不吉な事件や惨禍による不安と緊張によってうねり、ひび割れるにつれて、国家と国家を、階級と階級を、人種と人種を、信条と信条を隔てている分割を際立たせているる不一致が増すにつれて、計画の遂行(すいこう)者は精神的生活と行政的活動を更に融合させ、集合的な事業を遂行するための一致団結した努力、相互協力と調和した発展のためのより高い水準を示さなければなりません。

(Shoghi Effendi, Citadel of Faith, p.43)

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