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落穂集
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Gleanings : 落穂集
落穂集

I. 主なるわが神に讃美と栄光あれ。いかに深い英知を有するものであっても、その舌は決してあなたの御名を充分に称えることはできません。また、あなたをいか に強く求めていても、人の心の鳥は決してあなたの荘厳さと知識の天空に昇ることは望み得ません。このことを確信する私が、どうしてあなたについて語ること ができるでしょうか。

おお、わが神よ。もしあなたを「すべてを見給う御方」と描写するならば、洞察力の最高の権化なる人々もあなたの命令によって創造されたことを私は認めざる を得ません。もしあなたを「すべてに賢き御方」と称えるならば、英知の源泉なる人々でさえあなたの御心の働きによって創られたことを私は認識せざるを得ま せん。もしあなたを「比類なき御方」と宣言するならば、一体性の最も内なる真髄たる人々でさえあなたによって遣わされたのであり、あなたの御み業わざの証拠であることを私は直ちに発見するのです。そして、もしあなたを「全知者」と讃美するならば、知識の真髄たる人々でさえあなたの御目的のために創造された道具にすぎないことを私は告白せざるを得ないのです。

あなたは、あなたの神秘を解き明かし、あなたの栄光を描写し、あなたの本質をわずかにでも暗示しようとする、人間のいかなる努力をもはるかに超越して崇高 におわします。このような努力によって得られる結果がどのようなものであれ、それは決してあなたの創造物に課せられた限界を超えることはできません。なぜ ならば、これらの努力はあなたの御命令によって動機づけられ、あなたの発想より生まれでたものであるからであります。最も神聖なる聖者たちがあなたを讃美 するために抱く最も荘厳な想いも、最高の学識に富む人々があなたの性質を理解しようとして語る最も深い知識も、それらはあなたの主権に完全に従順であり、 あなたの美を慕い、あなたのペンの動きによってその推進力を得る中心を旋回するものに過ぎないのです。

おお、わが神よ。否、あなたの啓示のペンと創造物の本質との間にあたかも直接の関係が存在するかのような言葉を私が発したことを許し給え。あなたに関連づ けられた人々は、このような関係を想像することをはるかに超越しています。いかなる比較も、いかなる類似性もあなたの啓示の聖木を正しく評価するものでは なく、あなた御自身の顕示者とあなたの美の黎明の場の理解に通ずるすべての道は閉ざされています。

あなたの栄光は、いかなる人間があなたについて述べることも、あなたに帰することも、また、あなたを称えるために捧げる讃美をもはるかに超越するもので す。あなたはしもべらに対し、あなたの荘厳さと栄光を最高に称える義務を定め与え給いました。しかし、それはしもべらに対するあなたの御恩寵のしるしに過 ぎず、自己を知るという彼らの最も内なる存在に授けられた地位に昇り詰めることを可能にするためのものでしかありません。

いついかなる時代においても、あなたの神秘を解明し、あな たの偉大さを充分に称えるものはあなた以外に存在しません。未来永劫を通じ、あなたは発見されない存在におわし、人間の讃美を超越した存在にまします。あ なた以外に神はいまさず、あなたは到達し難い御方におわし、全能者にして全知者におわし、聖なるものの中の最も聖なる存在にまします。

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II. すべては神を知ることに始まり、すべては天と地にあまねく浸透する神の意志の天上より下されたことを厳守することに尽きる。

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. 神 のすべての預言者の目的および約束として太古より称賛され、神の使者たちが最も尊い願いとして待ち望んでいた啓示が、今や全能なる神の普遍の意志と、抗し 難い命令により人類に明かされたのである。この啓示の出現はあらゆる聖典に予告されてきたのである。このような告知にもかかわらず、いかに人類がこの啓示 の道より遠く迷い、その栄光より自らを遮断しているかを見よ。

言挙げよ。おお汝ら、唯一真実なる神を愛するものらよ。彼をまことに認め、彼をまことに知ることができるよう努力せよ。そして、その教えを正しく遵守せ よ。この啓示のために一滴の血を流すものに対し無数の大海が報酬として与えられよう。おお、友らよ。これほど貴重な恩恵を放棄することのないよう、また、 その崇高なる地位を無視することのないよう注意せよ。この世は人々の空しい想像が生みだした妄想によって惑わされている。何と多くの生命がその妄想の犠牲 となり、今も犠牲となりつづけているかについて熟考せよ。汝らは心の望みを得て、すべての民族に約束された者と結ばれることができたのである。このことを 神に感謝せよ。神の栄光は高遠なり。汝らの到達した地位の高潔さを唯一真実なる神の援助により守り、彼の大業を推進するものにすがれ。まことに、彼が汝ら に命ずることは正義であり、人間の地位の向上を促すものである。すべてに慈悲深い御方、このすばらしい書簡の啓示者に栄光あれ。

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IV. 今 日こそは、神の最もすばらしい恩寵が人々の上に注がれている日であり、神の最も偉大なる恩恵がすべての創造物に浸透している日である。汝らの間の不和を解 消し、完全なる和合と平和をもって神の保護と慈愛の木陰に定住せよ。これは世界のすべての人々に課せられた義務である。人々はまた、この時代に彼らの地位 を高め、彼らの真の利益を促進するものにすがらなければならない。栄光に満ちたペンがその名を記憶する人々は幸いなり。また、わが計り難い定めによりその 名が隠されている人々に祝福あれ。

恩寵深き援助により、万人がわれを歓迎することを成し遂げることができるよう、唯一真実なる神に嘆願せよ。現在の秩序は間もなく巻き上げられ、その代わりに新しい秩序が繰り広げられるであろう。まことに、汝らの主は真理を語り、目に見えぬものをも知り給う。

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V. 今 日こそは神の慈悲の大海が人類に顕わされた日であり、神の慈愛の昼の星がその輝きを人類に注いだ日であり、神の惜しみない恩寵の雲が全人類を覆った日であ る。今こそは、意気消沈している人々を、愛と親善の精気みなぎる微風と、友情と慈愛の活水とにより励まし、活気づけるときである。

いかなる場所に集い、いかなる人と接するときも、神に愛される人々は神に対する態度と、神を讃美しその栄光を称える姿勢を通じて自らの謙虚さと従順を立証 しなければならない。それは、彼らの足もとの塵の原子が彼らの献身の深さを証言するほどのものでなければならない。これら聖なる人々の交わす会話は、塵の 原子を感動に震わせるほどの威力に満ちていなければならない。彼らの振舞いは、決して彼らの踏み付ける大地につぎのように語らせるものであってはならな い。「われは汝らに優る存在である。農夫がわれに課す重荷をわれがいかに忍耐強く支えているかを見よ。われは、恩寵の源泉におわす神がわれに託し給う恩恵 を生命あるすべてのものに絶え間なく分け与えるための手段である。われには名誉と富が授けられ、わが富はあらゆる生命体の必要を満たすに余りあるのであ る。わが富の数え切れないほどの証拠にもかかわらず、われがいかに謙虚であるかを見よ。完全な従順をもって人の足もとに身を置くわが姿を見よ…」。

互いに寛容であれ。互いに善意と愛を示せ。仲間のひとりがある真理を把握できないでいるとき、またはある真理を理解しようと努力しているとき、大いなる親 切と好意の精神をもって対話せよ。その仲間より自分の方が優れているとか、才能に恵まれているなどと少しも考えることなく、彼が真理を発見し、認めること ができるよう援助せよ。

神は人間に恩寵の洪水を提供し給う。この恩寵の分け前にあずかることこそがこの日を生きる人間の義務のすべてである。それゆえ、自らの器の大小を考えては ならない。あるものの分け前は手のひらにのるほどであるかも知れない。また、湯飲みや樽を満たす分け前にあずかるものもいよう。

今日、万人の目は、神の大業を最も効果的に推し進めるものを追い求めなければならない。永遠の真理におわす神こそわが証人なり。この日において、この大業 に最大の危害を加えるものは何か。それは、神に愛されし人々の間の不和、争い、論争、離反、冷淡である。神の威力と全能なる援助により、これらすべてを逃 れよ。そして、統合者、全知者、全賢者という神の御名のもとに人々の心を結び合わせるよう努力せよ。

神の道における達成の味わいは格別なり。神のために示した謙虚さと従順は甘美なり。これらを味わうことができるよう唯一真実なる神に懇願せよ。自分を忘 れ、隣人に目を向けよ。汝の活力を人類の教育を促進するものに向けよ。何事も神から隠されていない、また、決して隠し得ない。彼の道を歩むなら、計り知れ ぬ不滅の祝福が汝に注がれよう。これは輝かしき書簡であり、そこに記された言葉はすべての世の主なる御方のペンの動きにより放出されたものである。このこ とを心の中で熟考し、その教えを守るものであれ。

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VI. 見よ、地上のあらゆる民族は「約束された者」の到来を待ちこがれていた。だが、真理の太陽がその姿を現わすや否や、神にみちびかれた人々を除くすべての人 類が彼に背を向けたのである。誠実なる信者がこの日に到達し得る崇高な地位はヴェ-ルによって隠されているが、われは敢えてそれを明かすことはしない。つ まり、もしその地位の崇高さが明かされれば、人々の中には喜びのあまり気を失い息絶えるものがでるからである。

バヤン[1]の 心でありその中心である御方はつぎのように書かれている。「つぎに出現するであろう啓示の潜在性をつつみ込む種子には大いなる威力が付与されており、その 威力はわれにしたがうすべてのものの威力にも勝るものである」。さらに彼は言う。「われにつづくであろう者に対し、われは多くの讃美を捧げたが、その中で も最高の讃美をわれはここに記して告白する。つまり、われが発するいかなる言葉も彼を充分に描写することはできない。また、わがバヤンの書に登場する彼に 関するいかなる言及も彼の大業を適切に言い表わすものではない」。

これら崇高な言葉の内に隠された大海の深みを探求し、この言葉の真意を理解したものは、この強大にして荘厳なる最も神聖なる啓示に付与されている、言葉に 尽くせぬほどの栄光のかすかな輝きを発見したと言えよう。この偉大な啓示の卓越性から、その忠実なる信徒たちに授けられる栄誉のほどをうかがい知ることが できる。唯一真実なる神の正義にかけて言う。彼らの吐く息でさえ、この地上のすべての財宝にも増して貴重なのである。この地位に到達したものは幸いなり。 そして悲しいかな、無思慮なる人々は。

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VII. われはまことに言う。この日こそは、人類が約束された者の顔を見、声を聞くことのできるときである。神の呼びかけは発せられ、その御顔の光明は人類に向け られたのである。したがって、人はみな、自己の心の書よりあらゆる空虚な言葉の痕跡を消しさり、開かれた公平な心をもって彼の啓示のしるしを見、彼の使命 の真を立証するものに向かい、彼の栄光の証を見据えなければならない。

この日は偉大なり。すべての聖典はこの日を神の日と称し、その偉大さをたたえている。神の預言者と聖なる使者はみな、このすばらしき日の到来を心から渇望 してきた。同様に、地上のすべての民はこの日にめぐり合うことを切望してきた。しかし、彼の啓示の昼の星が神の意志の天上に出現するや否や、全能者の御心 によってみちびかれたものを除き、誰もがただ唖然とし、無思慮なままでいたのである。おお、われを記憶するものよ。地上の人々は最も嘆かわしいヴェールによって彼の栄光から遮断され、彼の呼びかけに聞き入ることをさまたげられている。神よ、願わくは、和合の光が地球全体をつつみ、そこに住むすべての人々の額に「御国は神のものなり」のしるしが記されるようなし給え。

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VIII. 神の正義に誓って言う。これこそは、神がそのすべての使者や預言者の心を試す日々である。この日、神聖にして侵し難い神の聖域を守る人々も、天上の殿堂の 住人たちも、そして栄光に満ちた幕屋の住人たちもその心の真を試されるのである。とすれば、自らを神の協同者と称するものらを襲うであろう試練は何と厳し いものとなるであろうか。

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IX. おお、ホセインよ。 イマム・ホセインの再来を熱心に待ち望んでいる人々や国々について考えてみよ。過去の時代において、栄光に満ち給う神に選ばれし人々はガエムの出現の後に ホセインが再来すると予言した。また、この聖者たちはこうも宣言した。神の無限の恩寵の黎明の場である御方が姿を現わすとき、ガエム[2]を も含むすべての預言者や使者たちは「約束された者」が掲げる聖なる旗印のもとに集合する。その時刻がいまや到来したのである。世界は約束された者の御顔か ら発せられる栄光に照らされている。しかし、見よ。それにもかかわらず人々は彼の道より遠く迷いでている。自らの空しい妄想とよこしまな欲望によって築か れた偶像をすべての名の主の威力により砕き、確信の都に入った人々のみが彼を信じるに至ったのである。この日、彼の啓示の選り抜きの美酒の封は、「すべて に満ち足り給う御方」という彼の名のもとに開封されたのである。その恩恵はいまや人類の上に注がれている。最も聖なる存在、すべてに讃美され給う御方とい う彼の名のもとに汝自らの杯を満たし、飲み干せ。

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X. 地上の諸々の民族にかねてより定められた時は到来したのである。聖典に記録されている神の約束はすべて成就したのである。神の法はシオンより発せられ、エ ルサレムとその土地や山々は彼の啓示の栄光に満たされているのである。危急の場の救助者におわし、御自力にて存在し給う神の書に記されていることを心を込 めて熟考するものは幸いなり。おお、神に愛されし人々よ。誠実さの清水を心行くまで飲み、神の大業の中にあって大山のように確固不動でありつづけることが できるようこのことについて熟考し、神の言葉に耳をかたむけよ。

イザヤ書にこう書かれている。「岩の間に入り、塵の中に隠れよ、主の恐るべき御顔と、威光の輝きとを避けて」。この聖句について熟考するものはみなこの大 業の偉大さを必ず認め、神御自身の日であるこの日の崇高さを決して疑うことはないであろう。この聖句に引きつづき次のような言葉が記されている。「この日 には、主はただひとり高く上げられる」。 この日こそは至上なる御方のペンがすべての聖典を通じて称えた日なのである。聖典に含まれるすべての言葉は彼の聖なる名の栄光を宣言し、すべての聖典はこ のすばらしき主題の崇高さを証言するものである。この啓示について天来の書や聖典に記録されていることをすべて述べようとすれば、この書簡は膨大な量とな る。この日、人はみな神の豊かな恩恵に全幅の信頼を置き、最高の英知をもって彼の大業の真理を広めるために立ち上がらなければならない。そのとき、この地 上は初めて彼の啓示の夜明けの光につつまれるであろう。

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XI. この日に栄光あれ。慈悲の芳香が全創造物に漂いしこの日 に、過去のどの時代もどの世紀も及ばないほど祝福されしこの日に、日の老いたる者の御顔がその聖なる座に向けられしこの日に。まさにそのとき、森羅万象の 声が鳴り響き、その彼方からは天上の軍勢の声が重なり合って高らかに聞こえてきた。「急げ、おお、カルメルよ。見よ、名称の王国の支配者にして天界の形成 者におわす神の御顔の光は汝の上に掲げられたのである」。

歓喜にわれを忘れ、カルメルは声たからかに叫んだ。「あな たは私を見つめ、あなたの恩恵を私に与え、あなたの歩みを私に向け給いました。それゆえ、私の命をあなたに捧げることを許し給え。おお、永遠の生命の源な る御方よ。あなたとの別離により私はもはや焼滅し、あなたの御前を遠く離れることにより私の魂は焼き尽くされました。あなたは私にあなたの呼び声を聞か せ、あなたの足跡により私に栄誉を与え給いました。私の魂はあなたの御代より漂う生命を与える芳香と、あなたの民にとどろく覚醒のラッパと定められたあな たのペンの鋭く響きわたる声により呼び覚まされました。それゆえ、私はあなたにすべての讃美を捧げます。そしてあなたの抵抗し難い信教の啓示の時刻が満ち たとき、あなたはあなたの精神の息吹をそのペンに吹き込まれました。すると、見よ、全創造物は根底より揺り動かされ、森羅万象の所有者なる御方の宝庫に秘 められていた神秘が人類に明かされたのです」。

カルメルの声がこの最も崇高なる場所に届くや否や、われは こう答えた。「おお、カルメルよ。汝の主に感謝せよ。われよりの別離の炎は汝を焼滅しつつあった。まさにそのとき、わが出現の大海は汝の顔前に押し寄せ、 汝と全創造物の目をなぐさめ、目に見えるものと見えざるもののすべてを喜びに満たした。この日、神は汝の上にその王座を確立し、汝を御しるしの黎明の場と なし、啓示の証拠の曙となしたのである。それゆえ、大いに喜ぶがよい。汝の周囲を巡り、汝の栄光の出現を宣言し、汝の上に注がれた主なる神の恩恵について 語るものは幸いなり。主は慈悲の証として汝の悲しみを喜びに変え、苦悩を転じて至上の歓喜となしたのである。それゆえ、栄光に満ち給う主の御名において不 滅の聖杯を握りしめ、主に感謝を捧げよ。主はこの地をこよなく愛す。彼の王座の据えられたこの地を、彼の足跡に踏みならされたこの地を、彼の来訪により栄 誉を与えられたこの地を、彼の呼び声のとどろいたこの地を、彼の流した涙に潤されたこの地を」。

「おお、カルメルよ。シオンに叫び、この喜ばしき吉報を告 げよ。人類の目より隠されていた者はいまや出現した。すべてを征服する彼の主権は現わされ、すべてをつつみこむ彼の光輝は明示された。ためらうことも、立 ち止まることもないよう注意せよ。急ぎ行き、天より下りきた神の都の周囲を巡行せよ。これこそは神の寵愛を受けた人々、心清らかなる人々、そして最も高遠 なる天使の集合が崇敬の念をもって巡る天来のカーバである。この啓示の吉報を地上のあらゆる所に知らしめ、すべての都市にあまねく伝えることをわれは切望 する。これこそはシナイの心を魅了した啓示であり、燃える薮はこの啓示の名においてつぎのように叫んでいる。『天と地の王国は、主の中の主なる神に属 す』。まことにこの日こそは、地と海とがこの吉報に歓喜する日である。この日の啓示に備えて、神は人間の限られた理解力や有限なる心の視界をはるかに越え る恵沢をもって多くのものを蓄え置かれてきたのである。神は間もなく汝の上に神の箱船を浮かべ、名称の書に記されたバハの人々を現わすであろう」。

全人類の主は神聖なり。主の名が述べられるや否や、地上の すべての原子は震動し、荘厳なる舌は主の知識につつまれ、主の威力の宝庫に隠されていたものを明かしたのである。まことに、彼こそは御力に満ち給う全能者 におわし、最も高遠なる御方にましまし、その御名の威力により天と地にあるすべてのものを支配し給う。

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XII. 約束された時刻は今や満ちた。されば、おお人々よ、身を奮い立たせ、神の正義の日々の到来にそなえよ。その重大な意義を取り違えて、あやまてる人々の内に数えられることのないよう注意せよ。

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XIII. 過ぎし日のことをよく考えてみよ。身分の上下を問わず何と多くの人々が、神に選ばれた聖者たちの中から神の顕示者が現われることを常に待ちこがれていたこ とか。人々は何としきりに彼の到来を待ち望んでいたことか。また、人々は何と頻繁に祈りを捧げ、神の慈悲の微風が吹き渡り、約束された美が隠れ家の被いを 払い、全世界にその姿を現わすよう懇願してきたことか。にもかかわらず、恩寵の門戸が開かれ、神の恵みの雲が人類に大いなる賜物を施し、目に見えぬ御方の 御光が天上の威力の地平線上に輝きだすと、きまって人々は彼を拒絶し、神御自身の御顔でもある彼の顔から目をそむけたのである…。

何がこのような行為の原因となったのかをよく考えてみよ。栄光に満ち給う神の美を啓示する者に対し人々はなぜこのような態度をとったのであろうか。過去の 時代に拒否と反抗の原因となったその同じことがすべて現在でも人々を邪悪な道に導いているのである。神の証言が不完全であったために人々は拒否したのだと 主張することは、公然と神を冒瀆するに等しいのである。人類を教えみちびくために、神は人類の中からひとりの人間を選び給う。こうして選ばれた者に神がそ のすばらしき証言の全容を示さず、そうであるのに選ばれた者にそむいた人々を神が厳しく罰するというようなことは、慈悲に満ち給う神の恩寵からしても、神 のいつくしみ深い御心や慈愛からしても、およそあり得ないことである。否、創造主の豊かな恩恵は、神の本質の顕示者たちを通じ、この地球とそこに住むすべ てのものをいつも覆いつつんでいるのである。神の恩寵は一瞬たりとも止まることはなく、神の慈愛の雨は絶えず人類の上に降り注いでいるのである。したがっ て、このような態度は、傲慢不遜ごうまんふそんの谷にさまよい、遠隔の 荒野で道に迷い、とりとめもない妄想の道をたどり、信仰の指導者たちの命令にただ盲従する人々の心のせまさに起因するものである。彼らの関心はもっぱら反 対することにある。彼らの唯一の欲求は真理を無視することにある。真理の太陽の顕示者が現われた各時代の人々が、自分たちが見たり、聞いたり、感じたりし たすべてのものから自らの目や耳や心を清めていたならば、彼らは神の美を見る機会を失うことも、栄光の住処より遠くさまよいでることも決してなかったであ ろう。このことは、洞察力を有するいかなるものにとっても明白な事実である。しかし、人々は信仰の指導者たちの教えの中から拾い集めた知識を基準にして神 の証言を推量し、その証言が自らの限られた理解と食い違っていることを発見すると、立ち上がってこのような見苦しい行為に走るのである…。

モーゼについて考えてみよ。モーゼは天来の権威の杖で身を固め、神聖なる英知の純白の手で身を飾り、神の愛のパラン山から進みいで、威力と永遠なる主権の 大蛇をあやつり、光のシナイ山より世界に輝きわたったのである。モーゼは地上のすべての民族を永遠の王国に召喚し、誠実さの木の実の分け前にあずかるよう 招いた。ファラオとその民の激しい抵抗や、無信心な人々があの祝福された聖木に向けた愚かな妄想の投石についても汝は熟知していることであろう。地上のい かなる水をもってしても神の英知の炎を消すことはできず、有限の世のいかなる突風をもってしても永遠なる主権の灯火を消せないという真実に気づかなかった ファラオとその民はついに立ち上がり、あの聖木に燃える炎を虚偽と反抗の水で消そうと全力をかたむけたのである。しかし、このような放水は炎の燃焼をむし ろ盛んにし、このような逆風は灯火が光を放射しつづけることを保証するのみである。分別の目をもって見、神の聖なる御心と御意思の道を歩むものならば、汝 はこのことを容易に理解できよう…。

そしてモーゼの時代が終わり、精霊の曙から輝きでたイエスの光がこの世を覆いつつんだとき、イスラエルの民はみな彼に反抗して立ち上がった。人々はこう騒 ぎ立てた。その出現が聖書に予言されているものは、モーゼの戒律を普及させ成就しなければならないのに、救世主と名乗るこの若年のナザレ人は、モーゼの戒 律の中でも最も重要なものである離婚や安息日の戒律を廃止したではないか。また、人々はこう攻め寄った。その出現が待たれる顕示者のたずさえるはずの証拠 はどうしたのか。これらイスラエルの民は、聖書の予言した顕示者の到来を今なお待っているのである。モーゼの時代以来、聖なるものの顕示者や永遠なる光明 の啓示者はどれほど多く現われていることか。にもかかわらず、イスラエルの民は悪魔的幻想や誤った妄想に深くつつまれ、自分たちが作り上げた偶像が、自分 たちの想像したような証拠をもって現われることを未だに期待しているのである。それゆえに、神は彼らをその罪のために捕らえ、彼らの信仰の精神を消滅さ せ、地獄の火で彼らを苦しめたのである。こうなったのは、イスラエルの民が、きたるべき啓示の証拠について聖書に示された言葉の意味を理解しようとしな かったがために他ならない。聖書の言葉の真の意味を理解せず、聖書に予告されたような出来事が文字通りには成就しなかったため、彼らはイエスの美を認める ことができず、神の御顔を拝することもできなかったのである。それでもなお、彼らは救世主の到来を待ちこがれているのである。太古より現代に至るまで、地 上のすべての民はこのような空虚で誤った考えにしがみついてきたのである。そしてこのことにより、人々は清らかさと神聖さの泉より湧きでる清水を飲むこと ができずにいたのである…。

イエスの愛の火がユダヤの民の限界の暗幕を焼き払い、イエスの権威が明白となり、その一部が確立されたとき、目に見えぬ美の啓示者なるイエスは、ある日その使徒たちに向かって彼らの心に死別の悲しみの炎を煽りつつ、御自身の昇天に言及してこう語られた。「われは行くが、またお前たちのところに帰ってくる」。 他の個所でイエスはこうも語られた。「われは行くが、他のものがやってくるであろう。われがお前たちに語らなかったことを彼はすべて語り、われが言ったす べてのことを彼は成就させるであろう」と語られている。神の唯一性の顕示者たちについて、神から授かった眼識をもって熟考するならば、上述の二つの言葉は 結局、双方とも意味するところはまったく同一であることを悟るであろう。

コーランの宗教制は、イエスの聖典と大業をともに肯定しているのである。洞察力をもって観察するものであれば、誰でもこのことを認めるであろう。名称に関 していえば、モハメッドは自ら「われはイエスなり」と宣言されている。モハメッドは、イエスの様々な証拠、予言、言葉が真実であることを認め、それらはす べて神に由来するものであることを証言された。こういう意味合いからすれば、イエスの人格や書物は、モハメッドの人格や聖典と少しも違わないのである。何 となれば、両者とも神の大業を擁護し、神を讃美する言葉を唱え、神の法を啓示しているからである。イエスが自ら、「われは行くが、またお前たちのところに 帰ってくる」と宣言された意味も、実にここにあるのである。太陽を例にとって考えてみよ。もし太陽が今、「われは昨日の太陽である」と言ったとしても、そ れは真実を語っていることになろう。また、時間の経過を考慮して昨日の太陽とは違うと主張しても、それもまた真実を語っていることになろう。同様に、一日 一日がまったく同一のものでしかないと言えば、それはまさしく真実であろう。逆に、日毎に名称や呼び名が変わるために同一ではないと主張しても、それも真 実である。まったく同じものであっても、人はそこに名称の違いや属性の違い、または様々な特異性を見出すのである。神聖なる顕示者たちに見られる特異性、 相違性、そして同一性をこれと同じように捉えることができる。そうすれば汝は、特異性と同一性の神秘に関するすべての名称や属性の創造主の言葉を理解する ことができよう。そして、永遠の美はなぜ時代ごとに違った名称や称号を名乗ったかという汝の疑問に対する回答をも発見できよう…。

目に見えぬ者、永遠なる者におわす神聖さの精髄が、モハメッドの昼の星を知識の地平線上に出現させたとき、ユダヤ教の聖職者たちはモハメッドにさからって 多くの異論を唱えた。その中の一つは、モーゼの後に神はもはや新たな預言者を遣わすはずがないというものであった。しかし、聖典はモーゼの後に必ず現われ る聖者に言及している。彼は、モーゼの宗教制の法が地球全体を覆うまでにモーゼの教えを広め、その民の福利を向上させると聖典に記されている。別離と過ち の谷間をさまよう人々の唱えた異論について、永遠なる栄光の王はコーランでつぎのように述べておられる。「『神の御手は鎖でしばられている』などとユダヤ 人は言う。しかし、しばられているのは彼らの手であり、彼らは彼らの発言のためにのろわれている。否、神の両手は大きく広げられている」。「神の御手は、 彼らの手の上にある」。コーランの注釈者たちは、この聖句の啓示にまつわる状況をいろいろと述べているが、汝は聖句の言わんとするところをしっかりと理解 するよう努力しなければならない。つまり、ユダヤ人たちの考えたことがいかに間違っているかを彼は説いておられるのである。まったくの王であり、モーゼの 御顔を出現させ、彼に預言者としての衣を授けた御方の御手、このような御手がどうして鎖にしばられたり、手かせをはめられたりしようか。モーゼの後に新た な使者を出現させる力は神の御手にはないなどと、どうして想像できようか。彼らの主張の愚かさを見よ。彼らの主張は、知識と理性の道から何と遠くそれてい ることか。そして現代の人々を見よ。彼らもまた同じような愚かで不合理な考えにふけっているではないか。彼らは千年以上もの間、この聖句を吟誦し、無意識 のうちにユダヤ人たちを非難しつづけたのである。しかし、彼らは自分たちが公然と、または秘かに口にしていることが、かのユダヤ人たちの意見や信条と同一 のものであることにまったく気づいていないのである。この人々の根拠のない言い分を汝は聞き知っているに違いない。神の啓示はすべて終了し、神の慈悲の門 は閉ざされ、永遠に神聖なる地平線からは二度と再び太陽は昇らず、久遠の恩恵の大海は永久に鎮しずまりかえり、古来の栄光の神殿からはもはや神の使者の出現はないと彼らは主張するのである。これらの 狭量で卑劣な人々の理解はこの程度なのである。彼らは、万物を覆いつつむ神の恩寵や豊かな慈悲の流れが止められていると想像しているのである。しかし、そ の流れの停止はまさに想像を絶する事態を意味するのである。彼らは四方より立ち上がり、暴虐を行う準備を整えている。神の灯火が威力のほやの強大な砦の中 に守られていることに気づかず、彼らは自らの空虚な幻想の苦々しい水で神の燃えさかる薮の火を消そうと懸命に努力しているのである…。

神の使者なるモハメッドの主権は、まさしく今日、人々の間にはっきりと確立されている。しかし、イスラムの初期においてモハメッドの信教に何が降りかかっ たかを汝はよく知っている。精神の真髄であり、最も清らかな聖者なるモハメッドは、邪悪な不信仰者たちや、当時の聖職者とその仲間たちの手によって何と痛 ましい苦悩を味わったことか。モハメッドの行く手に彼らは何と多くのとげや茨をまき散らしたことであろうか。よこしまで悪魔的な妄想に酔いしれたあの浅ま しき世代の人々は、不滅の聖者なるモハメッドに危害を加えることを永遠の幸福を得る手段と考えていたことは明白である。それというのも、アブドラ・オベ イ、隠者のアブ・アメル、カーブ・エブンエ・アシュラフ、ナズル・エブンエ・ハレスなど、当時、世に知られていた聖職者たちはみなモハメッドを虚偽者とし てあしらい、狂人とか、中傷者と断言していたからである。モハメッドに対する彼らの非難はあまりにも猛烈であったため、われがそれについて語ろうとすると き、神はインクの流れをさえぎり、ペンの動きを止め、紙片がそれを記録することを禁じ給うほどである。これらの悪意に満ちた非難に煽動され、人々は立ち上 がり、モハメッドを苦しめた。もしその主な扇動者が時の聖職者であり、その信徒たちに対しモハメッドを非難し、自分たちの間から追放し、異端者と言いふら したならば、その苦悩はいかに激しいものになるか想像がつくであろう。同様のことがこのしもべ[3]の上にも降りかかったではないか。これは万人が目撃したことである。

このためにモハメッドは、「神の預言者たちの中で、われがこうむったほどの危害を受けたものはない」と叫ばれた。また、コーランには、モハメッドに向かっ て吐かれたすべての中傷や非難、ならびに彼のすべての受難が記されている。それらの節を参照し、モハメッドの啓示に降りかかったことを知るがよい。その苦 境はあまりにも苛酷なものとなり、しばらくの間、モハメッドやその一行と交わりを持つものは誰ひとりとしていなかった。そして、モハメッドに近づこうとす るものは彼の敵の容赦ない残虐行為の犠牲となったのである…。

今日に至って、この状況がいかに劇的に変わったかを考えてみよ。モハメッドの名の前にひれ伏す君主の数の多さを見よ。モハメッドの庇護を求め、その教えに 忠誠を捧げ、このことを誇りとする国家や領土の数の多さを見よ。今日、最も謙虚な態度につつまれた説教台からは、モハメッドの祝福された名を褒め称える讃 美の言葉が立ちのぼり、寺院にそびえる尖塔からはモハメッドを崇拝するようにと信徒たちを招く声が鳴り響いている。モハメッドの教えを拒み、不信仰の衣を 脱ごうとしない国王たちでさえ、あの慈悲に満ちた昼の星の偉大さと圧倒的威厳を認め、公言しているのである。この地上でのモハメッドの主権は偉大であり、 汝はその証拠を至るところに見ることができる。神の顕示者の主権は、この地上での生涯において、または天上の領土の真の住居に昇天した後に必ず現われ、確 立されるものである…。

それぞれの宗教制がもたらす変革は、人間の理解の目と、神の真髄の曙から輝きでる発光体との間に割って入る黒雲となることは明白である。このことについて 注意して考えてみよ。幾世紀もの間、世の人々は自らの祖先を盲目的に模倣してきたのである。また、人々は、自らの宗教が命ずるままに、決められた規範や方 式に慣らされてきたのである。そこにある人物が現われたとしよう。この人物は人々と生活を共にし、人間の持つあらゆる制約についても人々とまったく同一で あるとしよう。そして突然、この人物が、人々の信奉する宗教が彼らに課してきた既存のすべての原理を破棄しようと立ち上がったとしたらどうなるであろう か。それらの既存の原理とは、幾世紀にもわたって人々を規制してきたものであり、それに反対するものや拒否するものは異端者、放蕩者、あるいは邪悪者と見 なされてきたのである。この状況下では人々はヴェールに覆われ、立ち上がった人物の真理を認めるのを妨げられるに違いない。これらは、内なる存在をもって 世俗超脱のサルサビル[4]の清水を味わったこともなく、神の知識のコウサル[5]の 水を口にしたこともない人々の目を覆う「雲」なのである。この状況に置かれるとこの人々はすっかりヴェールに覆われてしまい、少しの疑いも持たずに神の顕 示者を異端者と決めつけて死刑の宣告を下すのである。このようなことが各時代に繰り返されてきたことを汝は聞き知っているはずである。また、同様のことが 現在も起こっていることを汝は目撃している。

したがって、われわれは神の目に見えぬ援助を請い、これらの黒いヴェールや天来の試練の雲が、顕示者の輝かしい顔の美を見ることの妨げとならないよう、また、われわれが顕示者を顕示者自身を通じて認めることができるよう最大の努力を払わなければならない。

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XIV. おお、最も崇高なるペンよ。神聖なる春の季節は到来し、慈悲に満ち給う御方の祝祭は目の前まできている。汝、眠りから覚めよ。そして全創造物が蘇生の波に 洗われ、新しく生まれ変わるほどの威力をもって森羅万象に向かって神の御名を称え、神に讃美を捧げよ。沈黙を破り、声を上げよ。神の御名の王国が天上の創 造者なる汝の主の名の装飾によって飾られた今、幸福の昼の星は「至福なる者」というわが名の地平線上に輝きでたのである。この最大名の威力をもって身を固 め、地上の国々に向かって立ち上がり、ためらうものであってはならない。

われは、汝が静止し、わが書簡の紙面を進むのを止めた姿を見る。もしや汝は神聖なる御顔のまぶしい光に呆然としているのであろうか。それとも傲慢なる人々 のむなしい言葉が汝を悲しみに満たし、汝の動きを麻痺させてしまったのであろうか。注意せよ。いかなることがあってもこの日の偉大さを称えることをやめて はならない。この日こそは主権と威力の指が再会の美酒の栓を抜き、天と地に住むすべてのものに呼びかけた日なのである。神の日の吉報を伝える微風が汝の上 に漂っている今、汝はそれでもとどまることを選ぶのか。それとも汝はヴェールによって締めだされた人々に属するのか。

すべての名の主におわし、天上の創造者にまします君よ。いかなるヴェールが立ちはだかろうとも、私は決してあなたの日の栄光より締めだされることはありま せん。この日こそは全世界の導きのランプであり、そこに住むすべてのものに対する日の老いたる者のしるしであります。私の沈黙の原因は、ヴェールに覆われ ているあなたの創造物があなたを見ることができないからであり、私が言葉を失っていたのは、人々が諸々の障害のためにあなたの真理を認めることができな かったからであります。あなたは私の内に存在するものを御存知ですが、私はあなたの内にあるものを知りません。あなたはすべてを知り、すべてに賢き御方に まします。すべての名に優るあなたの御名にかけて証言します。すべてを統治し、すべてを制するあなたの御命令が私に届けば、私は万人の魂を再生させる力を 得ましょう。そして、あなたの威力の舌が語り、私があなたの栄光の御国において耳にしたあなたの最も崇高なる言葉を通じて私はこの偉業を成し遂げることが できましょう。御命令をいただけるならば、私はあなたの光みなぎる御顔の出現を宣言することもできましょう。まことに、あなたの御顔の出現により、人々の 目から隠されていたものがあなたの御名を通じて現わされたのであります。あなたは賢明なる御方におわし、主権を有する保護者におわし、御自力にて存在し給 う御方にまします。

おお、ペンよ。このすばらしき日、汝はわれ以外に何者を発見できようか。創造の世とその象徴は今いずこに。諸々の名と、名の王国は今いずこに。目に見える ものや見えぬもののすべての創造物はどこに消えたのか。宇宙の隠された秘密やその神秘の出現はどうなったのであろうか。見よ、万物は消え去ったのである。 栄光に満ち、光にあふれ、永遠に変わることのないわが顔以外には今や何も残っていない。

このすばらしき日、主の御顔より放射される光の輝き以外には何も見えない。汝の主こそは恩寵に満ち、すべての恩恵にあふれ給う。まことに、われはすべてを 征服し、抵抗し難いわが主権によりすべての魂の生命を消した。つぎに、人類へのわが恩寵のしるしとしてわれはまったく新しい生命を呼び起こした。まこと に、われは恩恵にあふれる日の老いたる者なり。

このすばらしき日、目に見えぬ世界は声たからかに宣言する。「おお、地球よ。神の踏台となり、神の強大なる玉座が据えられる場所に選ばれた汝の祝福は何と 大いなるものか」。そして、栄光の領土からはつぎのように聞こえてくる。「わが命を汝に捧ぐ。慈悲に満ち給う神の最愛なる者は、過去に存在したあらゆるも のに対しても、また未来に存在するすべてのものに対しても約束されている彼の御名の威力を通じてその主権を汝の上に確立したのである」。このすばらしき 日、甘美なる芳香を放つもののすべては汝の衣よりその芳香を得、まさにその衣の芳香はあらゆる創造物の上に漂ったのである。このすばらしき日、永遠の生命 の清水は慈悲に満ち給う御方の御心より洪水の如く流れでたのである。おお、天上の領土の集合よ。急ぎきて心と魂が満たされるまでこの清水より飲むがよい。

言挙げよ。彼こそは、目に見えぬものの中の最も目に見えぬ知られざる本質の顕示者である。汝、このことを知り得たならば。彼こそは、隠されたる宝石を汝に 現わし示した者である。汝、それを求めるものならば。彼こそは、過去においても未来においても万物の最愛なる者である。汝、彼に心を向けて望みを託すもの ならば。

おお、ペンよ。われは汝の嘆願の声を聞き、汝の沈黙を許す。だがしかし、一体何が汝をこれほどまでに当惑させたのか。

おお、すべての世の最愛なる御方よ。あなたの御前に進むとき、私はあなたの存在に陶酔し、あなたの存在に魅せられ圧倒されるのです。

立ち上がり、この吉報を全宇宙に向けて宣言せよ。慈悲に満ち給う御方はその歩みをレズワンの園に向け、いまや花園に入場したのである。神の楽園の玉座が置 かれたこの喜びの園に人々を誘導せよ。われは汝を選び、汝をわが最も強大なラッパとした。そしてそのラッパの音を、全人類の復活のしるしと定めた。

言挙げよ。この楽園の木々にはつぎのような言葉が発言の美酒によって書き記されている。「人類の目より隠されていた者は、いまや主権と威力に覆われて出現 した」。この楽園の木の葉のささやきはつぎのように宣言している。「天上と地上の住人たちよ。未だかつて現われたことのない者が出現したのである。いにし えよりその御顔を全創造物から隠しつづけてきた者が現われたのである」。この楽園の梢を揺らす微風からはつぎのような声が聞こえてくる。「御主権によりす べてに君臨し給う主が出現したのである。御国は神のものなり」。そして、この楽園の泉に流れる水からはつぎのように聞こえてくる。「すべてのものの目は祝 福されたのである。誰も見たことのなかった者、誰もその秘密を発見したことのなかった者が栄光のヴェールを取り除き、うるわしき美の御顔を現わしたのであ る」。

楽園の最も高き住処より発せられた天上の侍女たちの叫びがこの楽園に鳴り響いている。「歓喜せよ、おお天上の領土の住人たちよ。栄光に満ち給う御方の名に おいて、日の老いたる者の指は宇宙の中心にあって最大なる鐘を鳴らしている。恩恵の御手は永遠なる生命の聖杯を回している。接近し、心行くまで飲むがよ い。切望の権化たちよ。切なる思いに溺れる人々よ。この聖杯を一気に飲み干すがよい」。

このすばらしき日、神の御名の啓示者は栄光の幕屋より出現し、天と地に住むすべてのものにつぎのように宣言した。「楽園の聖杯をしまい、その聖杯がもたら した生命の清水をも放棄せよ。何となれば、見よ、バハの人々は神聖なる御前にある幸福の住処に入り、すべてを所有し給う最も高貴なる彼らの主のうるわしき 美の聖杯より再会の美酒を飲み干しているからである」。

おお、ペンよ。 存在の世を忘れ、すべての名の主におわす汝の主に顔を向けよ。永遠の王におわす汝の主の恩恵をもってこの世を飾れ。あらゆる国々の希望の的におわす者が、 目に見える領土と見えぬ領土をその最も崇高なる御名の光で照らし、恩寵に満ちた彼の恵みより発せられたる光輝がこれらの領土を覆いつつんだすばらしき日の 芳香をわれは感知した。まことに、全宇宙の全能なる保護者におわす彼以外には誰もこの恩恵を計り知ることはできない。

優しさと慈悲以外の眼差しをもって神の創造物を見てはならない。何となれば、愛に満ちたわが摂理は森羅万象に浸透し、わが恩寵は天と地のすべてを覆うから である。このすばらしき日、神の真のしもべらは生命を付与する再会の清水を飲み、彼に接近した人々は永遠の生命の川の穏やかな流れをくむことができるので ある。このすばらしき日、彼の一体性を確信するものは、すべてのものの最高にして最終の目的におわす御方を知ることによって彼の御前の美酒を味わうことが できるのである。そして、主権と栄光の舌は彼を通じてつぎのように宣言している。「御国はわれに属す。そして、わが権利ゆえにわれは御国の支配者なり」。

唯一愛されし御方の呼びかけを通じて人々の心を引き寄せよ。言挙げよ。まことにこれは神の声である。汝ら、この声に耳をかたむけるものならば。これは神の 啓示の黎明の場である。汝ら、このことを知り得たならば。これは神の大業の黎明の場である。汝ら、このことを認めることができたならば。これは神の命令の 源である。汝ら、このことについて公平に判断できたならば。これは明白にして隠されたる秘密である。汝ら、このことを見抜くことができたならば。おお、世 界の人々よ。すべての名を超越するわが名のもとに、汝らの所有するすべてを捨てよ。そして、慈悲者なるわが名のもとに波うつ大海、その奥底に英知と言葉の 真珠が潜む大海に身を沈めよ。母なる書なる者は、汝らにこう指示するのである。

最愛なる者は到来し、その右手には彼の名の封印された美酒を握りしめている。彼のもとに向かい、その美酒を心行くまで飲み、声たからかにつぎのように宣言 するものは幸いなり。「あなたに讃美あれ、おお神の御しるしの啓示者よ」。全能者の正義にかけて言う。隠されていたあらゆる事柄は真理の力によって現わさ れたのである。神のあらゆる恩恵は神の恩寵のしるしとしてこの世に下されたのである。永遠の生命の清水は人類に豊富に提供されたのである。最愛なる者は、 一つ一つの杯に自らの手によって酌をして回られたのである。ためらうことなく接近せよ。否、一瞬たりともためらってはならない。

世俗超脱の翼に乗り、全創造物を越えた地位として神が定め給う地位に舞い上がるものは幸いなり。学識者の妄想も、地上の群衆の空しい想像も彼らを神の大業 から引き離すことはできない。おお、人々よ。汝らの中にこの世に見切りをつけ、すべての名の主におわす神に接近するものはいないのか。森羅万象を超越する わが名の威力により人間の所有するあらゆるものを放棄し、目に見えるものと見えぬものすべてを知り給う神の命令に全身全霊の力をもってすがるものはどこに いるのか。彼の恩恵は人々にこのようにして与えられ、彼の証言はこのようにして成就し、彼の証拠はこのようにして慈悲の地平線より輝きでたのである。信仰 を得てつぎのように宣言するものの報酬は何と豊かなものであろうか。「おお、諸々の世の最愛なる御方に讃美あれ。理解力あるすべての心の希望の的なる御方 の御名に御栄えあれ」。

おお、バハの人々よ。最高の喜びに満たされ恍惚の境地にあったかのすばらしき日を想起せよ。彼が自らの邸宅を離れてかの聖所に向かったその日を、日の老い たる者の舌が言葉を発したその日を、聖所に立ちて慈悲者たる彼の名の光輝を全創造物の上に注いだその日を。神こそわが証人なり。かのすばらしき日の隠され たる秘密が明かされれば、全能者にしてすべてを知り、すべてに賢明なる神によって守られたもの以外の天と地に住むすべてのものは気を失い死滅するであろ う。

神の御言葉のもたらす酔いは余りにも深く、神の確実な証拠を啓示する者のペンはその動きを止めてしまうほどである。彼はつぎの言葉をもってこの書簡に終止 符を打つ。「われ以外に神はなく、われこそは最も崇高にして、最も力強く、最も優れたものにして、すべてを知る」。

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XV. 啓示のペンはこう告げている。「この日、御国は神のものなり」。威力の舌はこう呼びかけている。「この日、すべての権力はまことに神とともにある」。天上 の領土の不死鳥は不滅の枝よりこう叫んでいる。「すべての偉大さの栄光は神に属し、神は比類なき御方におわし、すべてを動かし給う」。神秘の鳩は永遠の楽 園にある喜びの木陰よりこう宣言している。「この日、すべての恩恵の源泉は神に由来し、神は唯一におわし、許し給う御方におわす」。王座の鳥たちは聖域よ りその旋律をこうさえずっている。「この日、至上の支配は神以外の何ものにもなく、神は不二にして比類なき御方、最高の威力に満ち、すべてを制し給う」。 すべてのものの最も奥深い真髄は万物を通じてこう証言している。「この日、すべての許しは神より流れでる。神は比類なき御方、協同者を持たない御方、全人 類にその主権が及ぶ保護者、人間の罪を覆い隠す御方におわす」。栄光の真髄はわが頭上より声を発し、いかなる筆も舌も叙述できない高みより声たからかに叫 んでいる。「神こそわが証人なり。永遠の日の老いたる者は支配と権力をもって出現したのである。彼以外には神はなく、彼こそは栄光に満ち、全能におわし、 最も高遠におわし、すべてに賢明におわし、すべてに浸透し、すべてを見、すべてを知り、主権を有する保護者におわし、永遠の光明の源泉におわす」。

おお、わがしもべよ。洞察力を有するごく少数のものを除くすべての人間が彼を離れて行ったこの日、汝は神の喜び給うものを求め、彼の愛にすがった。人々の 目が閉ざされたこの日、汝は彼を切に求めつづけた。御恩寵により、朽ちることのない永遠の報酬をもって神が汝を厚く報いることを願う。このことを確信せ よ。神の命令により、そして悪意と嫉妬に燃える人々の手によりわが頭上に降り注がれた苦悩の雨のほんの数滴について汝に明かすならば、汝はわが苦境に、日 夜悲嘆の涙にくれるであろう。神の主権と、その主権に内在する偉大な力を宣言するこの啓示の不思議を認識できる洞察力と公正な心を持つものはどこにもいな いのであろうか。そのような洞察力を有するものが立ち上がり、人々に公然ともしくは秘かに忠告し、その忠告を神のためのみに発し、その忠告によって万人が 奮起し、悪を働く人々のむごい仕打ちに苦しむこの虐げられし者[6]の援助に向かうことをわれは願う。

精霊の声が背後より聞こえるようである。曰く、「汝の顔を眺めるものの心が悲しみに沈むことのないよう、汝の話題と口調を変えよ」。言挙げよ。神の恩寵と 威力に支えられ、われはこれまでに一度たりとも人に援助を求めたことはない。今後も援助を求めることはない。イラクでの追放の日々、神は真理の威力により われを助け給うた。地上の民がわれに刃向かったとき、神はその庇護の下陰にわれをかくまい給うた。そして都を離れるとき、神は権威の衣をわれにまとわせ、 悪意と否定の人々以外の誰もがわが威厳を認めたのである。

言挙げよ。神への信頼こそがわが軍勢であり、神への確信の威力こそがわが民である。わが愛こそがわが旗印であり、神の記憶こそがわが伴侶である。神こそは主権の主であり、最高の力に満ち、栄光にあふれ、なんら制約されない御方におわす。

神の愛の道を進む旅人よ。神の大業に加勢するために立ち上がれ。言挙げよ。おお、人々よ。この若者[7]を 地上の虚栄や天上の楽しみと交換してはならない。唯一真実なる神の正義にかけて言う。彼の頭髪の一本は、天と地にあるすべてのものに優るものである。お お、人々よ。汝らの所有する金銀のために彼を捨てようと誘惑されぬよう注意せよ。彼以外に汝らを利するもののまったく存在しない日において、すべての支柱 が震える日において、身の毛がよだちすべての目が恐怖におののき上空を見上げるとき、彼の愛を汝らの魂の宝の宝庫とせよ。言挙げよ。おお、人々よ。神を畏 れ、彼の啓示にそむいたり軽蔑したりしてはならない。神の御前にひれ伏し、昼夜となく彼の讃美を唱えよ。

世界の中心に燃えるこの不滅の炎をもって自らの魂に点火せよ。そして、宇宙のすべての水をもってしても決して冷ますことのできないほどの熱意をもって魂の 炎を燃え立たせよ。汝らの発する言葉がわがしもべらの中の不注意な人々に対する忠告となり、正しく生きる人々の心に喜びを与えるものとなるよう汝らの主に ついて伝えよ。

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XVI. 言挙げよ。おお、人々よ。これは比類なき日である。全人類が切望 する者を称える舌も、同様に比類なきものでなければならない。彼の目に受け入れられることを望む行為もまた、比類なきものでなければならない。全人類はそ の地位にふさわしいものを得、その運命に値することを完遂することを期待し、この日の到来を切望してきた。世俗の事物にさまたげられることなく、万物の主 を認めるものは幸いなり。

都市の破壊も、山々の崩壊も、大地の分裂さえも人々をその眠りか らさますことはできない。人間の心の盲目は、これほどまでに達したのである。今や、諸々の聖典に暗示されていたことは実現し、そこに記録されていた諸々の しるしは現われ、予言の叫びは常に響きわたっている。しかし、神の御心によってみちびかれた人々以外はすべて、無思慮の酔いの中で途方にくれている。

日々新たな災難に苦しむこの世の有様を見よ。その苦悩は絶えず深まりつつある。ライースヘの書簡[8]が 著わされて以来、今日にいたるまで、世の中が鎮まることも、人々の心が休まることもなかった。あるときは論争と論議に乱され、あるときは戦争で激しく揺れ 動かされ、根深い疾病の犠牲となったのである。そしてその病は絶望の段階に近づきつつある。なぜなら、真の医師は治療を施すことをさまたげられ、代わり に、無能なる療法士ばかりが好まれ、彼らには思いのままに行動する自由が与えられているからである…。騒乱の土ぼこりは人々の心をくもらせ、彼らの目を見えなくしている。彼らはやがて、神の日において彼らの手がなしたことの結果に気づくであろう。すべてに精通する者は、全能者にして、御力に満ち給う御方の命にしたがって、汝らにこのように警告するのである。

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XVII. 偉大なる 宣言におわす者の名において。慈悲者は確かな主権をもって今や現われたのである。秤は定められ、地上に住むすべてのものは一か所に集められたのである。 ラッパは鳴り、そして見よ、すべての目は恐怖におののき、頭上に向けられている。神の聖句の息吹により活力を得てあらゆる事物を超越したもの以外、天と地 に住むすべてのものの心は恐怖に震えている。

今日こそは地球がその悲報を伝える日である。悪を働くものは地球の重荷である。このことを認めることができたならば。空虚な妄想の月は砕かれ、天界には濃 い煙が立ちのぼっている。全能者にして威力に富む汝らの主の恐怖に圧倒され地に伏す人々をわれは見る。呼び人は声たからかに叫び、主の怒りは人々を引き裂 くほどである。左側の人々は溜め息をつき、悲しみ嘆いている。一方、右側の人々は高貴な館を住まいとし、慈悲に満ち給う者の御手より命の美酒を飲み、まこ との喜びの中にある。

地は揺れ、山は崩れ、天使たちは幾重にも列をなしてわが眼前に整列している。ほとんどの人間は酔い痴れて呆然とし、怒りの表情をしている。われはこのよう にして悪を働く人々を一堂に集めたのである。自分の築いた偶像に走り寄る人々の姿をわれはそこに見る。言挙げよ。この日、いかなるものも神の命令を逃れる ことはできない。まことに、これは耐え難い苦しみの日である。人々を過誤の道に誘いだしたものをわれは指さすが、人々はその姿を見てもなおその正体を認め ることができないでいる。泥酔した彼らの目はまさに閉ざされているのである。彼らの口より流れる中傷の言葉が彼らの提供する証明である。危急の場の救助者 におわし、御自力にて存在し給う神は彼らの中傷をとがめ給う。邪悪者は、彼らの心の内に悪を芽生えさせたのである。そして、彼らは、誰にも防ぐことのでき ない苦悩に侵されているのである。悪を働く人々の名簿を手に、彼らはよこしまな人々のもとに急ぐのである。彼らの行いはこのようなものなのである。

言挙げよ。天空はたたみあげられ、地球は彼の手中にあり、悪を働く人々は前髪を掴まれている。にもかかわらず、彼らは気づかないでいる。彼らは毒された水 を飲み、そのことに気づかないのである。言挙げよ。呼び声が鳴り響き、人々は墓の中から立ち上がり、周囲を見回している。あるものは慈悲者なる神の宮廷に 到達しようと急ぎ、他のものは地獄の炎の中にうつぶせに倒れている。また、あるものは唖然として右往左往している。神の聖句はもはや明らかにされている が、彼らはそれに背を向けている。神の証拠は提示されているが、彼らはそれを知らない。そして、慈悲者の顔に対面するとき、彼らの顔は悲しみに覆われ、な おも遊びに興じている。彼らは地獄の炎を光明と取り違えてそれに向かって急ぐ。彼らが心に描く愚かな空想は、神とはまったく関係のないものである。言挙げ よ。汝らが歓喜しようとも、激怒しようとも、天空はすでに引き裂かれ、神は輝ける主権につつまれて天上より降り給うたのである。そして、森羅万象は声たか らかにこう宣言しているのである。「王国は神に属し、神こそは全能にして、すべてを知り、すべてに聡明なり」。

このことを確信せよ。不信心なる人々の手がなしたことにより、われは苦悩に満ちた牢に投獄され、圧政の軍勢に包囲されているのである。しかし、地上のいかなる喜びも、この若者[9]の味わった喜びに匹敵するものではない。神かけて言う。圧政者の加える危害は、この若者の心をくもらすことは決してない。また、彼の真実を拒絶する人々の優勢も、この若者を決して悲しませることはない。

言挙げよ。苦しみはわが啓示の地平線であり、恩寵の昼の星はこの地平線上に輝いているのである。人々の虚しい空想の雲をもってしても、また、侵略者の空虚な妄想をもってしても恩寵の昼の星の輝きを遮断することはできない。

主の足跡をたどれ。主が汝らを記憶すると同様に、汝らもまた主のしもべらを心に留めよ。このことにおいて、不注意なる人々の騒動や敵の剣に妨げられてはならない…。主の甘美なる芳香を広く伝えよ。主の大業への奉仕の道において一瞬たりともためらってはならない。常に許し給い、恩恵に満ち給う汝らの主の勝利が宣言される日は間近に迫っているのである。

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XVIII. 言挙げよ。汝らの心の土壌に英知と理解の野草が芽吹くよう、われはわが玉座より神聖なる言葉の大河を放出させたのである。このことを汝らは感謝すべきでは ないか。主の礼拝を軽んずるものは、切り捨てられた人々の内に数えられよう。わが聖句を幾度となく彼らに読み聞かせたにもかかわらず、彼らは傲慢と軽蔑の 態度を改めず、その事実に気づくことなく彼の法を著しく犯しつづけたのである。また、彼を信じないものは黒煙に覆われるであろう。約束の時刻が彼らを捕ら えているにもかかわらず、彼らはたわむれつづけている。そして、彼らは前髪を掴まれていることにまったく気づいていない。

来るべきことが突然訪れたのである。見よ、それを逃れて走る彼らの姿を。不可避の出来事が起こったのである。見よ、それを背後に捨て去る彼らの姿を。この 日こそは、誰もが自分から逃れようとする日である。ましてや、親族からも逃れようとする。汝ら、このことを洞察することができたならば。言挙げよ。神かけ て言う。ラッパの音は鳴り響き、そして見よ、人類はわが目前に卒倒した。先駆者は叫び、招集者はつぎのように声たからかに宣言したのである。「王国は神に 属し、神こそは威力に満ち、危急の場の援助者におわし、御自力にて存在し給う御方にまします」。

この日こそは、すべての目が恐怖に満ちて天上に向けられる日である。この日こそは、すべてを知り、すべてに賢き汝らの主が救済すると欲したもの以外の地上 のすべての人々の心が恐怖におののく日である。慈悲なる神より輝ける心を付与されたもの以外の顔はすべて暗黒と化したのである。栄光に満ち、すべてに讃美 される神の御顔を拝することを公然と拒否する人々の目は泥酔している。

言挙げよ。汝らはコーランを読んだことはないのか。真理を発見できるよう、まっすぐな道であるこの書を読んでみよ。これこそは、天上と地上に住むすべての ものに提供された神の道である。コーランに無関心でも、バヤンの書は汝らにとって身近な存在のはずである。その書を開き、眼前に据えて見よ。神の使者たち が嘆き悲しむようなことを犯すことのないようその聖句を読んでみよ。

汝らの柩ひつぎよ り急ぎでよ。いつまで眠っているのか。二度目のラッパの音も鳴らされたのである。汝らは誰の顔を眺めていると思うのか。これこそは慈悲の神なる汝の主に他 ならないのである。彼の証拠を否定する自分自身の姿を見よ。地球は激しく揺れ、その重荷を振るい落としたのである。汝らはこのことを否定するのであろう か。言挙げよ。山脈が糸くずのようにほぐされたのを汝らは認めないのであろうか。畏怖の念を呼び起こす神の大業の尊厳によって人々が深い苦悩に陥っている事実を汝らは否定するのであろうか。廃墟と化した彼らの家々を見よ。また、溺れる軍勢と化した彼ら自身を見よ。

この日こそは、慈悲に満ちた者が明白なる主権をまとい、英知の雲に乗って地上に降り立った日である。彼は万人の行いをすべて知る。いかなるものも、彼の栄 光を見誤ることはない。汝ら、このことを理解するならば。あらゆる宗教の天界は引き裂かれ、人間の理解力の地上は破壊されたのである。神の天使たちがくだ りくる様子を見よ。言挙げよ。この日こそは、人々が互いを欺く日である。ならば、汝ら、どこに逃れるつもりなのか。山々は押しつぶされ、天空は折りたたま れ、地球は彼の御手に治められている。汝ら、このことを理解できたならば。汝らを守り得るものがどこにいようか。慈悲に満ちた者にかけて言う。誰も汝らを 守ることはできない。全能者にして、栄光に満ち、良きものを授け給う神以外に汝らを守り得るものは存在しない。すべての女性は孕はらんでいたものを産み落としたのである。人間と天使が共に集うこの日、わが目に映るのは泥酔しきった人々の姿である。

言挙げよ。神に関して疑いの余地があろうか。威力と主権をまとい、恩寵の天界からくだりくる彼を見よ。彼の証拠に疑いの余地が あろうか。目を開き、彼の確かな証拠を検討せよ。楽園は汝らの右手に位置し、汝らのすぐそばまできている。そして地獄の炎は燃え盛っている。すべてを飲み 込むその猛烈な炎を見よ。楽園に急ぎ入り、慈悲者の手より命の美酒を飲め。これこそは、汝らに対するわが慈悲の証である。

おお、バハの人々よ。歓喜してこの美酒を味わえ。汝らはまことにすべての良きものを得よう。これこそは、神に接近した人々に与えられたものである。これこ そは汝らに対する慈悲なる神よりの報いとしてコーランの書において、そして後にはバヤンの書において汝らに約束された流水である。この水を飲むものは幸い なり。

われに顔を向けたわがしもべよ。この書簡は、栄光に満ち、すべてを知り給う汝の主の日々について汝が人々に語ることができるよう牢獄より汝に授けられたの である。このことを神に感謝せよ。このようにして、われはわが英知と言葉の水をもって汝の信仰の礎を築いた。まことにこれこそは、汝の主の玉座が据えられ た水である。「彼の玉座は水の上に立つ」。この意味が理解できるよう、このことを汝の心の中で熟考せよ。言挙げよ。諸々の世の主なる神に讃美あれ。

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XIX. 神は不可知の本質であり、聖なる存在者である。そして、神は肉体的存在、上昇や下降、前進や後退などのあらゆる人間的属性をはるかに超越した存在である。 聡明にして啓発された心の持ち主にとってこのことは明白である。人間の舌が神の讃美を充分に述べ、人間の心が神の計り知れない神秘を理解することは、神の 栄光からして到底不可能である。神は、古今を通じ、御自身の永遠なる本質の中に隠されておられ、神の実在は永久に人間の目から隠されたままにされるのであ る。「いかなる視力も神を捉えることはできないが、神はいかなる視力をも包含する。神は鋭敏におわし、すべてを感知し給う…」。

このようにして、日の老いたる者を知ることは不可 能であり、その知識に通ずる門戸は生きとし生けるものに対し堅く閉ざされている。そして彼曰く、「神の恩寵は万物を超越し、わが恩寵は万物を余すところな くつつみ込む」。この言葉の通り、無限なる恩恵の源におわす神は、神聖さの輝く宝石たちを霊の世界より遣わし、彼らに人体という高貴な形を与え、人類の前 に出現させたのである。彼らの出現の目的は、不変なる存在者の神秘を世に伝え、神の不滅の本質の不可思議について語ることである。

彼らは清められた鏡であり、いにしえの栄光の曙で ある。そして彼らは、宇宙の中心天体であり、その真髄であり、その究極の目的である神の地上での解説者である。彼らの知識や力は神に由来し、彼らの主権は 神に源を発する。まさに彼らの顔の美は神の御姿の反映であり、彼らの啓示は神の不滅の栄光の象徴である。彼らは神の知識の宝庫であり、天上の英知の貯蔵庫 である。無限の恩寵は彼らを通じて提供され、衰えることのない光は彼らによって顕わされるのである…。

彼らは聖なる神殿であり、不滅の栄光の光を反射す る最初の鏡である。そして、まさに彼らは目に見えぬものの中の見えぬものである御方の表現にすぎないのである。これら聖なる徳性の宝石の出現によって、知 識や威力、主権や支配、慈悲や英知、栄光、恩恵や恩寵という神のすべての御名や属性が顕示されるのである。

神のこれらの属性は、ある預言者にのみ特別に与え られ、他のものには差し控えられるということは決してない。否、神のすべての預言者、神に愛され、神に選ばれたすべての使者は例外なく神の御名の保持者で あり、神の諸々の属性の権化である。彼らの間に差異が存在するとすれば、それはただ彼らの啓示の威力の違いと、彼らが放射する光の威力の違いに限られる。 まさしく、つぎのように述べられている通りである。「われは、使者たちの内のあるものを他のものより卓越させた」。

したがって、神の無限の御名と崇高なる属性が預言 者や神に選ばれた者らの内に反映されていることは明白である。たとえ外見上、ある属性の光が人々の目に映らないとしてもこのことには変わりはない。彼らは 世俗超脱の精髄であり、神の属性の曙であり、神の聖なる御名の宝庫なのである。神のある属性を外面に現わしていないとしても、それはその属性を所有してい ないことを意味するものでは決してない。外見上、彼らは世俗の威厳をすべて剥奪されているように見えるかも知れない。しかし、彼らにはひとり残らず主権や 支配という神のあらゆる属性が付与されているのである。彼らこそは輝ける魂であり、美しき顔である。

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XX. このことを確信せよ。不可視なる御方は決して御自 身の本質を具現し、人間に現わすことはない。過去も現在も、神はあらゆる説明や知覚し得るものを超えて無限に高遠である。栄光の隠れ家より神の声は絶えず こう宣言しつづけている。「まことにわれは神なり。全知者、全賢者なるわれ以外に神はなし。われはわれ自身を人類に顕わし、わが啓示のしるしの曙なる者を 遣わし、彼を通じて森羅万象につぎのように証言させた。比類なき御方におわし、すべてを知り、すべてに聡明なる神以外に神はなし」。神は永遠に人間の目よ り隠されたままであり、神の顕示者を通じて以外に神を知る方法はない。そして、顕示者がその使命の真実を証明するために提示できる最大の証拠は自らの存在 である。

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XXI. おお、サルマンよ。いにしえの存在者の知識に通ず る扉は人間の面前で閉ざされており、未来永劫に閉ざされつづけるのである。いかなる人間の理解力をもってしても神の聖なる宮廷に接近することはできない。 しかし、神はその慈悲のしるしとして、またその慈愛の証拠として、人類に聖なる教導の昼の星を遣わし、神の一体性の象徴を顕わすのである。そして、これら の聖別された存在を知ることは、神御自身を知ることと同じであると神は定めたのである。彼らを認めるものは、神を認めるものである。彼らの呼びかけに応え るものは、神の声に応えるものである。彼らの啓示の真実を証言するものは、神そのものの真実を証言するものである。彼らに顔をそむけるものは、神に顔をそ むけるものである。彼らを信じないものは、神を信じないものである。彼らはみなこの世と天界を結ぶ神の道であり、天と地の諸々の王国に生きるすべてのもの に対する神の真理の旗印である。彼らは人類に遣わされた神の顕示者であり、神の真理の証拠であり、神の栄光のしるしである。

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XXII. 神の信託をもたらす者たちは、新しい大業の唱導者として、また、新しいメッセージの啓示者として世の人々の前に出現するということは汝にとって明白であろ う。これら天上の王座の鳥たちはみな、神の御心の天上から遣わされたものであり、何人も抵抗し得ない神の教えを宣布するために立ち上がったものらである。 したがって、彼らはみな同一の魂として、また、同一の人物とみなされるのである。なぜなら、彼らはみな神の愛の同じ聖盃から飲み、唯一性の木の果実を分け 合っているからである。

神の顕示者たちは、それぞれ二つの地位を有する。その一つは、純粋な抽象と本質的一体性の地位である。この点からして、もし汝が、彼らをみな同じ名で呼 び、同じ属性を持つものであると主張しても、それは真実に反するものではない。彼曰く、「われは、神の使者たちの間に区別をつけない」。なぜなら、神の顕 示者たちはみな神の一体性を認めるよう世の人々に呼びかけ、無限の恩寵と恩恵の大河の存在を人々に知らせるからである。彼らはみな預言者としての衣をまと い、栄光のマントを与えられている。それゆえ、コーランの原点なるモハメッドは、「われは預言者の全員なり」と著わしたのである。同様に、「われは最初の アダム、ノア、モーゼ、そしてイエスである」とも述べている。同様な言葉がアリによっても語られている。唯一性の唱道者たちの本質的一体性を語るこのよう な言葉は、神の不朽の御言葉の水路や、聖なる知識の宝石の宝庫からも放出され、多くの聖典に記録されている。これらの御顔は神の命令の受領者たちであり、 神の啓示の曙である。この啓示は複数性の覆いや、数の次元などをはるかに超越するものである。彼曰く、「わが大業はただ一つである」。神の大業が唯一無二 であるならば、その唱道者たちもまた、必然的に同一でなければならない。同様に、確信の灯であるイスラムのイマムたち曰く、「モハメッドはわれらの最初で あり、モハメッドはわれらの最後であり、モハメッドはわれらのすべてである」。

預言者たちはみなそれぞれ異なった衣をまとって現われた神の大業の中心であるということは汝にとって明白であろう。洞察力をもって観察するならば、預言者 たちはみな同じ神殿に住み、同じ天空を舞い、同じ玉座に座し、同じことを語り、同じ教えを宣布していることが理解できよう。存在の本質であり、無限で計り 知れない光輝を放つ発光体たちである彼らの同一性とはこのようなものである。したがって、もし聖なるものの顕示者たちのひとりが、「われはすべての預言者 の再来である」と宣言したとしても、まことにそれは真実を語った言葉である。同様に、次々と現われる啓示が、それ以前の啓示の再来であることは事実であ り、確立された真理である…。

もう一つの地位は特異性の地位であり、それは創造の世界とその有限性に属するものである。この第二の地位について、神の顕示者たちは、それぞれ独自の個性 と明確に規定された使命、予定された啓示、そして特定の制限を与えられている。各顕示者は、それぞれ異なった名で知られ、特別な属性で特徴づけられ、一定 の使命を果たし、特定の啓示を託されている。まさしく彼曰く、「われは、使徒たちの内のある者を他のものより卓越させた。神はある者には語りかけ、ある者 を起し、高めた。そしてわれは、マリヤの子、イエスにも数々の明らかな証拠を与え、聖霊をもって彼を強化した」。

これら聖なる知識の源泉からほとばしりでる種々の言葉や発言に相違があったり、異なっているように見えるのは彼らの地位や使命にこのような差があるからで ある。しかし、聖なる英知の神秘を伝授された人々の目には顕示者たちの言葉はすべて一つの真理を表現するものである。ほとんどの人は、われが述べてきたこ れら二つの地位を認識することができなかったため、本質的には同一である顕示者たちが述べた種々異なった発言に困惑したり、とまどったりしたのである。

顕示者たちの言葉にみられる差異は、地位の相違によるものであるということは常に明白であった。したがって、彼らの同一性と崇高な超脱という観点からすれ ば、神性、神格、最高の単一性および内奥の本質というような属性は、これら実在の精髄たちにすべて当てはまるのである。というのも、彼らはみな聖なる啓示 の王座にとどまり、神聖なる隠蔽いんぺいの座に据えられているからである。彼らの出現により、神の啓示は明らかにされ、彼らの顔により、神の美は現わされる。このために、神聖なる実在の顕示者たちの語るところに、神御自身の口調を聞きとることができるのである。

顕示者たちの第二の地位、即ちそれぞれの特異性、差異、物質の世に係わる限界、特質および規準という観点から見ると、彼らは絶対的隷属、まったくの窮乏、 完全な自己滅却を現わしているのである。まさしく彼曰く、「われは神のしもべであり、お前たちと同様の人間に過ぎない」…。

万物を覆いつつむ神の顕示者たちの中の誰かが「われは神なり」ともし宣言したとしたら、彼はまことに真実を述べており、そこには疑いの余地はない。なぜな ら、彼らの啓示や属性や名を通して、神の啓示、神の御名、神の属性が世の中に明らかにされるからである。このことはこれまでにも繰り返し立証してきたとこ ろである。彼曰く、「あの槍は神の槍であって汝のものではなかった」。また、こうも述べられている。「まことに、汝に忠誠を誓うことは、即ち神に忠誠を誓 うことである」。また、預言者たちの中の誰かが「われは神の使者である」と宣言したとしたら、それもまた疑う余地のない真実を語っているのである。まさに こう言われている、「モハメッドは、お前たちの中の誰の父親でもなく、彼は神の使者である」と。この観点から見れば、顕示者たちはみな、あの理想の王、あ の決して変わることのない本質の使者に外ならないのである。また、もし彼ら全員が「われはすべての預言者の打ち止めである」と宣言したとしても、まことに 彼らは疑いのかすかな影さえない真実を語っているのである。つまり、彼らはみなただひとりの人物、ただ一つの魂、ただ一つの霊魂、ただ一つの本質、そして ただ一つの啓示であるからである。彼らはみな「始め」と「終わり」、「最初」と「最後」、「明らかなるもの」と「隠されたるもの」の現われであり、それら はすべて最も深奥なる精霊におわし、永遠なる本質の真髄におわす神に属するものである。同様に、もし彼らが「われらは神のしもべなり」と宣言するならば、 これもまた明白で争う余地のない真実である。なぜなら、彼らは何人も決して達し得ない完全なる隷属の状態で現われたのである。それゆえ、これら存在の精髄 たちは、古来永劫の神聖さの大海原に底深く沈んでいたとき、あるいは神聖なる神秘の最高峯の絶頂に舞い上がったとき、自らの言葉が神の御声であり神御自身 の呼び声であると公言したのである。

もし慧眼けいがんが開かれていれば、顕示者たちはこのような地位にあるにもかかわらず、万物に浸透し不朽におわす神の御前にあっては、自らを完全に 滅却し、無に等しい存在とみなすことが理解できよう。思うに、顕示者たちは自らを完全な無とみなし、神の宮廷において自らの名が語られることを神に対する 冒瀆とみなすのである。何となれば、神の宮廷では、自己に関するわずかなささやきさえも、自己主張と独立自存の証拠とされるからである。神の宮廷に到達し た人々から見れば、このようなことを連想すること自体、重大な罪悪なのである。ならば、神の御前にあって神以外について語り、最愛なる御方以外のものに心 や舌や精神や魂を向け、神の美以外の顔を見、神の御声以外の調べを聞き、神の道以外の道を歩むことは何と重大な罪であろうか…。

顕示者たちは、彼らに与えられたこの地位のために、自らが神の御声であるなどと主張したのである。また、彼らに与えられた使者としての地位のために、自ら が神の使者であると宣言したのである。顕示者たちは、常に状況に応じた言葉を述べ、それらの発言のすべてを自らに関するものとして認めたのである。実に、そ の発言は神の啓示の領域から創造の領域にまで、また、神性の領域から地上の存在の領域にまでおよんでいる。したがって、顕示者たちの言葉は、それが神性の 領域、主の領域、預言者の領域、使者の領域、守護者の領域、使徒の領域、あるいは隷属の領域のいかなる領域に属するものであろうとも、それはすべて、疑う 余地のない真実なのである。であるから、目に見えぬ者の顕示者たち、神聖さの曙たちが述べた種々異なった言葉が、以後、決して人々の魂を騒がせたり、心を 惑わせたりすることのないよう、われがこれまでに説明の裏づけとして引用してきたことについて注意して考えてみよ。

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XXIII. 過去の時代について考えて見よ。神の恩恵の昼の星が出現し、この世をその啓示の光で照らすごとに、その時代の人々は彼に刃向かい、その真実を否定したので ある。世の指導者と見なされた人々は、自分たちの配下にある民衆が神の無限の恩恵の大洋である御方に向かうことを例外なく妨げようと努力したのである。

各時代の聖職者たちが下した判決の結果をみよ。その判決のために人々は神の友なるアブラハムを火に投げ入れたではないか。同様に、全能者と対話したモーゼ を人々は嘘つきとののしり、中傷を語るものとして糾弾したではないか。また、その極めて優しく温和な性質にもかかわらず、神の精神なるイエスの敵がイエス をどのように攻めたかについて考えてみよ。存在の真髄であり、目に見えるものと見えぬものの主なる御方が直面した反抗の激しさゆえに、イエスは休む所さえ なかった。安住の地を奪われ、イエスは放浪を余儀なくされたではないか。預言者たちの打ち止めであるモハメッドに降りかかったことについて熟考せよ。万人 の命が彼のために捧げられんことを。万人にその主権が及ぶ主なるモハメッドは神の一体性を宣言し、自らの教えの真実を主張した。そのためにユダヤの指導者 たちや偶像崇拝者たちは何と酷い苦悩を彼に与えたことか。わが大業の真にかけて言う。神の聖約を破り、証言を侵し、証拠を拒否し、神の御しるしに異論を唱 えた人々が彼に加えた苦しみを思うとき、わがペンはうめき声をたて、万物は号泣する。われが過去の出来事を語る目的は、それにより汝が理解を得ることにあ る。

神の預言者たち、神の使者たち、そして神に選ばれし人々がいかに酷い扱いを受けたかは汝の知る通りである。人々がなぜ彼らに迫害を加えたのか、その動機や 理由についてしばし考えてみよ。どの時代のどの宗教においても神の預言者は敵に冒瀆されることを免れることはなかった。圧政者の残虐行為を免れた預言者は なく、また、見せかけの正義と敬虔の衣に身をつつんだ時の学識者たちの非難にさらされなかった預言者もいなかった。彼らは昼も夜も苦悩の中を歩んだのであ る。栄光に満ち給う唯一真実の神以外には、誰もその苦しみを計り知ることはできない。

この虐げられし者[10]に ついて考えてみよ。最も明白な証拠が彼の大業の真を証明している。また、明白な言葉をもって彼が告げた予言は成就した。また、学識もなく、神学者たちが精 通する議論について教育を受けた訳でもなければ経験をつんだ訳でもない彼が、神聖なる霊感により無限の知識を人々の上に雨と降らせたのである。見よ。それ にもかかわらず、この世代の人々は彼の権威を否定し、彼に刃向かったのである。彼はその生涯のほとんどを敵の手中にあって苦悩を強いられた。圧政者の非道 によりこの悲惨な牢獄に縛られている今、彼の苦しみはその頂点に達したのである。今までに起こったことと、現在まさに起こっていることを洞察力と輝く心を もって観察し、それについて心の中で熟考し、この時代のほとんどの人々が認めることのできなかったことを汝が発見できるよう、われは神に嘆願する。彼の日 の甘美なる芳香を嗅ぎ、無限に放射される彼の恩寵にあずかることができるよう、われ神に嘆願する。この日、彼の恩恵を通じていにしえの王の名のもとに波 だっている最大なる大海より汝が心行くまで飲み、彼の大業に山のごとく確固不動でありつづけることができるよう、われは神に嘆願する。

言挙げよ。あなたに栄光あれ。すべての聖者は、あなたの威力の無数の証拠に直面し、自らの無力なることを証言いたしました。また、すべての預言者は、あな たの変わらぬ栄光の輝きの前にあって自らの無なることを告白いたしました。天上の門を開け放ち、高きにある軍勢を喜びに満たしたあなたの御名により嘆願い たします。この日、私があなたに献身できますよう助け給え。あなたの書に定められたことを守ることができますよう私を強くなし給え。おお、わが主よ。あな たは、私の内にあるものを知り給う。しかし、私はあなたの内にあるものを知るすべを持ちません。あなたはすべてを知り、すべてに精通し給う御方におわしま す。

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XXIV. おお、神の一体性を信ずる人々よ、注意せよ。神の大業の顕示者た ちの間に差別をつけようとしたり、または彼らの出現に伴いその啓示を宣言した諸々のしるしの間に区別をつけようとする誘惑にかられてはならない。これこそ が神の一体性の真の意味である。汝ら、この真理を理解し、信ずるものならば。さらに、神のすべての顕示者の行いやそのなしとげた事業、否、それのみか、彼 らに係わるあらゆることや、彼らが未来に顕わすであろうものはすべて神によって定められ、神の意志と目的の反映であることを確信せよ。彼らの人格、言葉、 メッセージ、行為、ふるまいの間にわずかでも区別をつけようとするものは、実に、神を信じず、神のしるしを否認し、神の使者の大業を裏切るものである。

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XXV. 神の顕示者が生きたどの時代も神によって定められた時代であり、ある意味ではどれをも「神の約束の日」と呼ぶにふさわしい日な のである。このことは明白である。しかし、今のこの日は比類なき日であり、過去のいかなる日にも優る日である。「預言者たちの打ち止め」という言葉は、こ の日の崇高なる地位を充分に表わすものである。まことに、予言の周期は終わり、永遠の真理が到来したのである。そして、彼は威力の旗印を掲げ、雲によって さえぎられることのない啓示の光輝を今や全世界に注いでいるのである。

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XXVI. すべてを所有し、比類なき栄光に輝く王なる神に讃美あれ。あらゆる創造物の理解をはるかに越え、人の心の想像をもはるかに超越する讃美をもって神を讃美す る。神以外に、神を充分に讃美できるものは存在せず、人間は決して神の栄光の全容を語ることはできない。神の崇高な本質に到達したと主張できるものはどこ にいようか。また、神の計り知れない神秘の奥底を理解できたと誇れる心はどこに存在しようか。神の栄光の源より新たな啓示が発せられるたびに、想像をはる かに越える神聖にして無限なる象徴が出現するのである。同様に、神の無敵の威力が表されるたびに、永遠の光が大海となって放出されるのである。神の全能な る主権のすばらしい証拠は無限に崇高なり。そのかすかな光に触れただけでも、天と地にあるすべてのものは完全に消滅するであろう。神の無限の威力の証は語 り得ぬほど崇高である。その中の最小のものでさえ全創造物の理解を超越する。始めのない始まりより、終わりのない終わりまで創造されるいかなる創造物もそ れを理解することはできない。神の神秘を解き明かそうとするとき、神の御名の具現者でさえも探究の荒野をさまよい、渇きと熱意を抱いて神の本質を求めつづ けるのである。同様に、神の属性の顕示者たちは、神聖さのシナイ山に立って神に嘆願し、神が御自身の神秘を解き明かすよう懇願するのである。

神の無限の慈悲の大海原のひと滴しずくは、森羅万象に存在という装飾を与え、神の無類の楽園よりただよう微風は、すべて の創造物を神聖さと栄光の衣につつんだのである。すべてに君臨し、すべてに浸透する神の御心の無限の深海より立ちのぼるしぶきは、まったくの無の中から創 造の世を呼び起こし、創造の世に無限の広がりと無限の時間を与えたのである。神の恩恵の不思議は無限なり。慈悲に満ちた神の恩寵の流れは止まることを知ら ない。神の創造の過程には始まりはなく、終わりもあり得ない。

どの時代のどの周期においても、神は神の不可思議な真髄の顕示者たちの放つ光輝を通じてすべてのものに新たな生命を与えるのである。その目的は、天と地に あって神の栄光の証を反映するものに、ほとばしる神の慈悲と恩恵の雨にあずかる機会を与えることである。見よ、神の無限の恩寵の不思議はすべてを包含し、 創造の世にあまねく行きわたっている。全宇宙を探しても、神の威力の証拠を語らない原子、神の御名を称えない原子、神の一体性の輝きを表現しない原子を一 つたりとも発見することはできない。神の恩寵の不思議はこれほどまでに強大なのである。神の創造は完璧にして完全なり。したがって、最も鋭い知性や、最も 純粋な心をもってしても、神の創造物の中の最も取るに足らない存在の性質さえも理解することはできない。ましてや、真理の昼の星であり、見ることも知るこ ともできない本質におわす御方の無限の神秘を理解することは到底望めない。最も敬虔な瞑想者の想像も、最も優れた人間の完成度も、人間の舌やペンが記し得 る最高の讃美も、すべては人間の有限なる知性の産物であり、その知性の限界によって条件づけられているのである。探究のシナイ山に立つモーゼに匹敵する一 万の預言者が、「汝は決してわれを見ることはない」ととどろく神の命令の声に唖然とし、天上の玉座に座するイエスにも匹敵する無数の使者が、「汝は決して わが本質を理解することはできない」と響きわたる禁令に呆然としているのである。神の崇高なる実在は、古来より、言葉に言い表わせないほどの神聖さにつつ まれ、神の不可思議なる本質は、未来永劫を通じて神秘に覆われつづけるであろう。神の近づき難い実在を理解しようとするいかなる試みも、その終着点は完全 なる当惑である。また、神の崇高なる存在に近づき、神の本質を心に描こうとするいかなる努力も絶望と失敗に終わるのである。

あなたの知識の神聖なる奥底を理解しようとするとき、取るに足らない存在なる私は途方に暮れてしまいます。あなたの創造力を表わすあなたの御業に秘められ た威力を推量しようとする私の試みはすべてむだに終わります。私の目は、私の目を見る能力すら持ち合わせていません。ならば、あなたの本質を発見したとど うして主張できましょうか。私の心は、私の心に潜むものの真価を推し量ることすらできません。ならば、あなたの性質を理解したとどうして偽ることができま しょうか。全宇宙は、あなたの神秘を前に唖然としています。ならば、私はあなたを知り得たとどうして主張できましょうか。見よ、全宇宙はあなたの存在を声 たからかに宣言し、あなたの真理を証言しています。ならば、私はあなたに気づいていないとどうして主張できましょうか。御恩寵の扉は永遠に開放され、あな たの御前に進む手段はすべての創造物に提供されています。そして、あなたの比類なき美の象徴は、目に見えるもの、見えぬものを問わずすべての創造物の真髄 に刻み込まれています。私はここに証言いたします。御恩寵に満ちたこの恵み、完全にして完璧なこの賜物にもかかわらず、あなたの神聖さと栄光の宮廷はあな た以外のいかなるものの理解をもはるかに超越し、あなたの存在の神秘はあなた以外のいかなるものの心にも不可思議であります。あなた以外にあなたの性質の 神秘を解き明かすことのできるものは存在しません。また、あなたの崇高なる本質以外に、あなたの発見し難い存在の実態を理解できるものはありません。何と 多くの天来の栄光に満ちた人々が、生涯を通じてあなたとの別離の荒野をさまよい、なおもあなたを発見することができなかったことでしょうか。何と無数の神 聖にして不朽の魂があなたの御顔を眺めるために行脚し、探究の砂漠に迷い、呆然と立ちすくんだことでしょうか。すべてを焼き尽くすあなたの別離の炎は、あ なたを熱烈に愛する数えきれない人々を死滅の淵に沈めました。そして、あなたの御顔の輝きを見るためによろこんで命を捧げた忠実なる魂は何と多くあったこ とでしょうか。あなたを切望し、あなたを追い求める人々のため息やうめき声は決してあなたの神聖なる宮廷に届くことはなく、あなたの御顏の前に立つことを 乞い願う旅人の嘆きも決してあなたの栄光の座には届きません。

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XXVII. 神の一体性に讃美あれ。不二の主権者にして宇宙の 栄光みなぎる支配者におわす神に栄誉あれ。神はまったくの無より万物の実在を創造した。また、神は創造界の最も洗練され、最も微妙な要素をも無より創造し た。神はその創造物を別離の屈辱と究極の滅亡の危機より救い、不朽の栄光の王国に迎え入れたのである。これを可能にしたのは、すべてを覆いつつむ神の恩寵 と、すべてに遍在する神の慈悲以外の何ものでもない。そうでなければ、まったくの無が無の状態から存在の領域へと進む価値と能力を自ら獲得することはあり 得ようか。

神はこの世とそこに生きて動くすべてのものを創造した。つぎに、神は何ものにも束縛されぬ御主権と御心により、人間にある特有の能力を与えた。それは神を知り、神を愛する能力である。この能力の付与こそは森羅万象の創造の動機であり、その存在の基礎をなす目的である…。 どの創造物に対しても、神は御自分の御名の中の一つの名の光を注ぎ、御自分の属性の中の一つの属性の栄光を付与し、それらは創造物の本質の内奥にそれぞれ 納められている。しかし、人間に対しては、神は御自分のすべての名と属性の光を集中し、人間の本質をして神御自身を映す鏡とした。全創造物の中で人間のみ がこの偉大な恩恵と不朽の恵沢のために選ばれたのである。

神の恩恵の昼の星と聖なる教導の源泉によって人間 の本質に付与されたこのエネルギーは、潜在能力として人間の内に秘められているのである。それはちょうど蝋燭の中に炎が隠され、ランプの中に光が潜在する のと同様である。世俗の欲望はこのエネルギーの光輝を覆い隠してしまう。それはちょうど太陽の光が、鏡を覆う塵やごみの下に隠されてしまうのと同様であ る。蝋燭もランプも外部の助けなしに自らに点火することは不可能である。鏡もまたそれを覆う塵を自ら取り除くことはできない。ランプは点火されるまで決し て燃えることはなく、鏡もその表面の塵を取り除くまでは太陽の姿を映し、その光と栄光を反映することはできない。これらは明白な事実である。

唯一真実の神をその創造物に結びつける絆や直接の 交わりはあり得ない。また、永遠なる絶対者と、はかない従属者の間にはなんらの類似点も存在し得ない。したがって、神は各時代と各時節において、清廉潔白 な魂が天と地の王国に出現することを定めた。この不可思議で神秘的な、かつ霊妙な存在者に対し神は二重の性質を与えた。その一つは物質界に関係する肉体的 な性質である。他方は精神的性質であり、これは神御自身の実質より生じたものである。さらに、神はこの存在者に二重の地位を授けた。第一の地位は神の最も 奥に潜む本質に関係するものであり、彼らの声は神御自身の声であることを意味する。つぎの伝承はこのことの真実を証言する。「われと神との間の関係は多様 かつ神秘的である。われは神そのものであり、神はわれそのものである。しかし、われはわれたるものであり、神は神たるものである」。同様に、つぎの言葉が ある。「立ち上がれ、おおモハメッドよ。そして見よ。愛する者と愛される者は融合し、汝の内に一つの存在となっている」。さらに、つぎのように言われてい る。「神と彼らの間には、彼らが神のしもべであるということ以外にはまったく差異はない」。その第二の地位は人間としての地位であり、つぎの聖句はそのこ とを指している。「われは汝らと同様の人間にすぎない」。「言挙げよ。わが主に讃美あれ。われは普通の人間や使徒以上のものではない」。しかし同時に、彼 らは世俗超脱の精髄であり、光輝みなぎる実在者であり、すべてを覆う神の恩寵の水路なのである。確かな指導の光にみちびかれ、最上の主権を付与された彼ら にはつぎの使命が与えられている。それはつまり、彼らの言葉の霊感と、彼らより放出される誤りのない恩寵と、彼らの啓示の神聖なる微風とをもって、愛慕と 感受性を備えたすべての魂を清め、世俗の煩労と限界の塵埃をその心から取り除くという任務である。このことが果たされたとき、人間の本質に内在する神への 信頼は初めてその姿を現わし、それを覆い隠すヴェールの奥より昇りくる啓示の太陽と同様の輝きをもって出現し、人間の心の頂きにその明らかなる栄光の旗を 掲げるのである。

前述の章句や引喩はつぎのことを明白に示し、そこ には疑いの余地はない。天と地の王国は、神御自身を顕示する存在の出現を必要とする。その顕示者は、神御自身の恩寵を媒介する本質的存在者なのである。神 こそはすべてを治める主権者なり。人間は、真理の昼の星の教えを通じて、自分の真髄の奥底に潜むすべての潜在力を顕わし得る地位に達するまで進歩発展す る。各時代や宗教制において出現した神の預言者や選ばれし人々は、まさしくこの目的のために世に現われたのである。そして彼らは、神のみに由来する偉大な 力を発揮し、永遠なる存在者のみが表わし得る威力を示したのである。

意味を理解できない言葉を根拠に、神の無限の教導 の扉が人間に閉ざされているとどうして主張できようか。健全な心意の持ち主であれば、このようなことを真剣に想像することもないであろう。彼らは聖なる発 光体であり、光輝みなぎる光明である。このような存在に始まりや終わりがあるとどうして考えられようか。いかなる洪水も、すべてをつつみ込む神の恩寵の流 れに比べることはできない。また、いかなる祝福も、すべてに遍在するこの大いなる慈悲に優ることはない。神の慈悲と恩寵の潮が一瞬たりともこの世から差し 控えられるならば、この世は完全に消滅してしまうことは疑 いもない。この理由により、神の慈悲の扉は始めなき始めより全創造物に開け放たれ、真理の雲は終わりなき終わりまでその賜物と恩恵を人間の能力と実質と個 性の土壌に降らせつづけるのである。これこそが永遠より永遠につづく神の方法である。

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XXVIII. わが大業への奉仕に立ち上がり、わがうるわしき名を称えるものは幸いなり。わが威力の力によりわが書を握りしめ、すべてに賢き命令者なる汝の主がそこに記 したあらゆる戒律に確固としてすがれ。おお、モハメッドよ。イスラム教シーア派の信奉者たちの言動が、初期の時代の喜びと熱意をいかに鈍らせ、その光の純 粋な輝きをいかにくもらせたかを見よ。人類の主なる彼らの預言者の名に結びついた教えにしたがっていた初期のころ、彼らの前進は途切れることのない勝利と 成功によって飾られた。しかし、彼らは次第に理想の指導者であり師である者の道を外れ、神の光に背を向け、神の一体性の原理を汚していったのである。そし て、彼らは徐々に、主の御言葉の威力の提唱者に過ぎない人々に注意を向けるようになった。すると、彼らの威力は消えて弱体化し、栄光は屈辱に転じ、勇気は 恐怖と化した。彼らがどのような状況に置かれているかは、汝も見て知っている通りである。自分たちを、神聖なる一体性の焦点である御方と同等と見なす彼ら の姿を見よ。自分たちの犯した悪行のために、栄光に満ちる「真理なる言葉」を復活の日において認めることができない彼らの姿を見よ。今後、この人々が空虚 な希望や虚しい空想から自らを擁護し、神聖なる一体性の真の意味を理解できるようわれは切に願う。

顕示者は常に神の代表者であり、神の代弁者である。まことに、顕示者は神の最も優れた称号の曙であり、神の最も崇高な属性の黎明の場である。ある人物を顕 示者と同列に据え、顕示者と同等と見なすならば、神聖なる存在を唯一無比と説き、彼の本質を不可分にして不二とどうして主張し得ようか。われが真理の威力 により汝に示したことについて熟考し、その意味を理解するものであれ。

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XXIX. 神が人間を創造した目的は、人間に創造主を知らしめ、神の御前に到達させることである。これは未来永劫を通じて変わることのな い崇高なる目標であり最高の目的である。天来の書と、神の啓示による荘厳な聖典はすべてこのことについて明白に証言している。神聖なる導きの曙を認め、彼 の宮廷に入るものは神に接近し、神の御前に到達したものである。そこは真の楽園であり、天上の最も崇高な館もその象徴にすぎない。そこに達したものは、サ ドラトル・モンタハ[11]の向こうに立ち、「弓を二つ並べた距離」にまで接近した者の地位を理解し得たものである。逆に、神聖なる導きの曙を認めることのできない人々は、神より遠く離れていることの苦しみを自らにもたらす。神より離れていることは地獄の烈火そのものであり、まったくの無そのものである。たとえ見た目には地上の最も絢爛けんらんたる座を占め、最高の玉座に着いていようとも、これこそがそのような人々の行き着くところである。

真理の曙にとって、迷走する魂を遠隔の淵より救 い、神の宮廷に引き寄せ、神の御前に誘導することは無論容易である。「神がそう望むなら、全人類を一つの民にまとめたであろう」。しかし、神の目的は違う ところにある。清い魂の人々と、世俗超脱の心を持つ人々が、自らに内在する力によって、最大の大海の岸辺にのぼりつくことを可能にすることが神の目的であ る。それにより、栄光に輝く御方の美を探し求めるものが、傲慢と強情なる人々と区別され、分けられる。栄光に満ち、光り輝くペンはこのように定めたのであ る…。

神の正義の顕示者である天上の恩寵の曙たちがこの 世に出現するとき、彼らは地上の権力をまったく持たず、世俗の権勢の手段も剥奪された状態に置かれている。このことも、神の目的の根底にある区別と分類の 原則を反映しているのである。永遠なる本質におわす御方が御自分に内在するすべてを明らかにし、御自分の栄光のすべてをもって輝くならば、誰ひとりとして 彼を疑い、彼の真理を拒むものはないであろう。否、すべての創造物は彼の光の証拠によって完全に消滅するほどに圧倒され当惑するであろう。そのような状況 の中で、いかにして信仰深きものと強情なものを区別することができようか。

この原則は過去の宗教制においても適用され、充分に立証されている…。 この理由により、新しい顕示者が現われ、神の卓越した力の新たな啓示が人々に授けられたどの時代においても、神について誤った理解を持つものらは、比類な き永遠の美がはかない人間の姿で出現することに惑わされ、顕示者を受け入れなかったのである。彼らは顕示者の示す道をはずれ、神への接近を象徴する顕示者 との同行を嫌ったのである。そして彼らは信仰を得た人々を無数に殺害し、顕示者にしたがう人々の壊滅に立ち上がったのである。

この宗教制において、価値のない愚かな人々が抱い た幻想を見よ。虐殺や略奪、追放などの手段を用いることで、神の威力の手によって点火されたランプを消し、永遠の輝きの昼の星の光を奪うことができると彼 らは想像したのである。このような逆境は、このランプの炎を煽る油であるという真理に彼らはまったく気づいていない。神の変革力は大なり。神の御力はすべ てに及び、神は御心のままに変え給う…。

理想の王が行使し給う主権について常に熟考し、神 の御力と至上の影響力の証拠を見よ。拒否の象徴であり、暴力と怒りの提唱者であるものらの空虚な言葉から汝の耳を清めよ。唯一真実なる神の威力が全創造物 に勝利し、神の主権のしるしが森羅万象を覆いつつむことを汝らが目撃するときは近づきつつある。汝らはその日、神以外のものはすべて忘れ去られ、無と見な されることを発見するであろう。

そして、つぎのことを心に銘記せよ。いかなる状況 にあっても、神とその顕示者たちはその固有の高貴と崇高さから分離されることはない。否むしろ、高貴と崇高さはそれ自体、神の御言葉によって創造されたも のである。汝らもし、自らの目ではなく、わが目を通じて見ることを選ぶならば。

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XXX. 神以外に神はなく、神は御恩寵にあふれ、最愛なる御方におわすことを神御自身が証言し給う。すべての恩寵と恩恵は神に属し、神は欲する者に欲するままに与 え給う。神こそは御力に満ち、全能者におわし、危急の場の救助者にましまし、御自力にて存在し給う御方におわす。われはまことに、王の中の王であり、すべ てに讃美され給う唯一真実の神の御心により遣わされたバブを信奉するものである。さらに、われはモスタガスの時に出現することが運命づけられている者にわ が忠誠を誓い、彼につづいて終わりなき終わりまで出現しつづけるであろうすべての顕示者にわが忠誠を誓う。われは、これらすべての顕示者の内面と外面の双 方に神御自身の出現を認める。汝ら、このことを理解できたならば。彼らはみな神の鏡であり、その鏡は神御自身と、その美と、その威力と、その栄光のみを映 すのである。汝ら、このことを理解できたならば。顕示者は神聖なる存在を映す最初の鏡であり、顕示者以外のものは顕示者の栄光を映す能力のみを持つ鏡と見 なさなければならない。汝ら、理解力が完全に欠落していないのであれば。誰も顕示者を逃れることはできず、また、誰も顕示者の目的の成就を阻むことはでき ない。この鏡たちは永遠に途切れることなく次々と出現し、日の老いたる者の光を反射しつづけるであろう。同様に、神の御恩寵は永遠に流れつづけるため、顕 示者の栄光を映す人々も永遠に存在しつづけるであろう。これこそは誰も論破できない真理である。

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XXXI. アダムの出現からバブの出現につらなる一連の啓示について、心眼をもって熟考せよ。神の御前にあってわれはつぎの真理を証言する。すべての顕示者は、神の 御心と目的の働きによってこの世に遣わされたのである。各顕示者は、具体的なメッセージをたずさえ、神聖なる教典を託され、強大なる書簡の神秘を解く任務 を与えられたのである。各顕示者に与えられた啓示の範囲は前もってはっきりと定められていたのである。これを明かすことは、まことに、汝に対するわが恩恵 のしるしである。汝、この真理を理解できたならば…。 やがてこの累進的啓示の過程は、最も神聖にして崇高なる者の比類なき顔が人類の目に明かされる段階に到達した。しかし、その栄光が人々の汚れた目に発見さ れることを嫌い、彼は御自分の姿を千にも及ぶヴェールにつつむことを選んだ。それは丁度、神によって定められた啓示の証拠やしるしが彼の上に降り注がれて いる最中であった。神以外の何者もそれらの証拠やしるしを計り知ることはできない。やがて隠遁の時期は終わった。若者は無数のヴェールにつつまれたままで あったが、われは若者の顔を包含する栄光のごく少量の光を放出させた。すると、見よ。天上の住人の全員が激しい興奮に見舞われ、神の寵愛を受ける人々は彼 の前に額ずき、敬慕の念を表わした。まことに、この大業を天と地に住むすべてのものに宣言するために彼は御自分で立ち上がったのである。こうして、創造界 の誰の目も目撃したことのないような栄光がその姿を現わしたのである。

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XXXII. 慈悲に満ち給う御方の友なるアブラハムについて汝が聞いていることは疑いのない真実である。神の声は、イシュマエルを生贄いけにえに捧げるようアブラハムに命じた。その目的は、神の信教への 確固不動なるアブラハムの態度と、神以外のすべてのものからの超脱を人々に示すことにあった。さらに、神はその生贄を通じて地上の人々の罪や不正をあがな うことを意図された。マリアの息子イエスもこれと同様の栄誉を渇望し、唯一真実なる神に嘆願した。神の御名と栄光は高遠なり。また、神の使徒なるモハメッ ドも同じ理由をもってホセインを生贄に捧げたのである。

神の秘められた無限の恩寵の本質を理解したと主張できるものは誰もいない。また、すべてを覆いつつむ神の慈悲を計り知ることのできるものは誰もいない。 人々の犯した罪や悪行は余りにも非道であり、神の預言者や選ばれし者に浴びせられた試練は余りにも苛酷なものであった。そのため、苦しみもがきながら滅亡 して行くことが全人類にとってふさわしい報いである。しかし、人類は愛に満ちた神の秘められた摂理によって守られている。神の摂理は、目に見える威力と、 目に見えぬ働きを通じて人類をその悪行の罰則から守り、これからも守りつづけるであろう。真理を発見し、神の道に不動となり得るよう、この言葉を心にとど めて熟考せよ。

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XXXIII. 神の御言葉とそこに潜む潜在力の啓示についてわれ はこう定めた。つまり、神の御言葉を人類に示すとき、全知者にして全賢者なる神が前もって定めた条件に厳密にしたがって啓示は行なわれる。さらにわれはこ う定めた。神の御言葉そのものが御言葉を覆いかくす役割を果たすのである。これこそはわが目的を達成するわが威力である。御言葉の内に潜むエネルギーのす べてが突然放出されるならば、誰もそのように強大な啓示の衝撃に耐えることはできない。否、天と地にあるすべてのものは、狼狽ろうばいのあまり逃げ去るであろう。

神の使徒なるモハメッドに下されたことについて熟 考せよ。モハメッドがもたらした啓示の範囲は、威力に満ち給う全能者により前もって明白に定められていた。しかし、モハメッドの言葉を聞いた人々は、彼ら の地位と精神的能力の程度に応じてのみ彼の目的を理解したのである。モハメッドも同様に、そのメッセージの重荷に耐え得る彼らの能力に比例して英知の顔を 現わしたのである。人類が成熟の段階に達するや否や、御言葉はその内に潜在するエネルギーを人々の目に披露した。即ち、このエネルギーは、六十年[12]にアリ・モハメッドなるバブの内に古来の美が現われたとき、完全な栄光をもって顕わされたのである。

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XXXIV. 御力の威力により創造物を無存在の裸形らぎょうより救出し、生命のマントを着せた神に讃美と栄光あれ。神は 特別な恩恵として全創造物の中より人間のもつ純粋で宝石のような本質を選び、神を知り、神の栄光の偉大さを反映する無類の能力を付与した。人間に与えられ たこの二重の特異性は、空しい欲望のさびを人の心より洗いながし、創造主が与え給う衣を着るにふさわしい存在となし、人間の魂を無知のあさましさより救出 したのである。

人間の身体と魂を飾るこの衣は、人間の幸福と発展の基礎そのものである。唯一真実の神の恩寵と力に助けられ、この世とそのすべての束縛と腐敗から自らを解放し、知識の木に到達し、その木陰で変わらぬ真の安らぎを味わうことのできる日は何と祝福された日であろうか。

汝の心の鳥は、友らに対する汝の大いなる愛の歌を さえずり、その調べは友らの耳に達した。われはそれに感動し、汝の質問に答え、明かすことの許されている秘密を汝に伝えることとした。貴書にはつぎのよう な質問が記されていた。つまり、神の預言者の中で誰が最も優れていると見なされるべきかという質問である。このことを確信せよ。神のすべての預言者の本質 は一つであり同じである。彼らの一体性は絶対的である。創造主なる神は言う。わがメッセージの伝達者の間には何らの区別もない。彼らの目的は一つである。 彼らの秘密は同じ秘密である。ある預言者を他より高く尊び、他より高めることは決して許されない。あらゆる真の預言者は、自らのメッセージを、過去に現わ れたすべての預言者の啓示と基本的に同じであると見なした。この真理を理解できない人々は、見苦しい愚かな言葉を吐くかも知れない。しかし、鋭敏な視力を 有し、啓発された理解力をもつものは、そのような空言によって自らの信仰をゆるがされることは決してない。

しかし、この世における神の預言者たちの啓示の範 囲は当然異なる。各預言者は特有のメッセージを伝達し、特定の行為を通じて自らを明かすよう命じられているのである。この理由により、預言者たちの偉大さ に優劣があるように見えるのである。彼らの啓示は、地上に輝きを注ぐ月光にたとえられる。月の光量は月がその姿を現わすごとに異なる。しかし、その固有の 光輝は減じることもなければ消滅することもない。

したがって、つぎのことは明白である。預言者たち より放射される光量に差異があるように見えても、それは光そのものに固有な現象ではない。むしろその差異は、絶えず変わりつつあるこの世の感受性の違いに 原因があるのである。全能なる比類なき創造主は人類に預言者を送り、各預言者に固有のメッセージを託し、その現われた時代の要求に最も適した行動をとるよ うに命じたのである。神が人類に預言者を送る目的は二つある。第一の目的は、人の子らを無知の暗黒より解放し、真の理解の光にみちびくことである。第二の 目的は、人類の平和と平安を保障し、それらが確立されるためのあらゆる手段を提供することである。

神の預言者たちを医師と見なせ。その使命は人類の 健全を促進し、人類に取りついた分裂という病を和合の精神を通じて癒すことである。彼らの言葉に疑いをはさんだり、彼らの行動を非難したりする権利は誰に も与えられていない。なぜならば、彼らのみが患者を理解し、その病を正しく診断したと主張できるからである。知覚力がいかに鋭敏であろうとも、聖なる医師 が有する英知と理解の高さに達することは誰にも望めない。ゆえに、聖なる医師がこの時代に処方する治療法が以前に処方されたものと同一でないとしても驚く ことはない。否、それはむしろ当然である。病人を苦しめる疾病は、その進行状態によってまったく違う治療法を必要とするのである。同様のことが神の預言者 たちに当てはまる。この世を神の知識の昼の星の光輝で照らすとき、神の預言者たちは常にその時代の状況に最も適した方法を用いて人々を神の光の信奉へと召 喚したのである。彼らはこのようにして無知の暗黒を追い払い、彼らの知識の栄光を世に注ぐことができたのである。したがって、明敏なる人々の目は預言者た ちの最も奥深くにある真髄に向けられなければならない。何となれば、どの時代においても、彼らの唯一の目的は過てる人々をみちびき、苦しむ人々に安らぎを 与えることであるからである。今は繁栄と勝利のときではなく、全人類は多種多様の疾病にとらわれている。したがって、誤りのない医師の全能なる御手が用意 する妙薬を用いて人類の生命の救助に誠心誠意努力せよ。

さて、宗教の本質に関する汝の質問について。真の 賢者はこの世を人間の身体にたとえたことを知れ。人間の身体はそれに着せる衣服を必要とする。同様に、人類の身体は正義と英知のマントによって飾られなけ ればならない。また、神によって与えられた啓示が人類の衣である。この衣がその目的を果たし終えたとき、全能者は必ずその衣を更新する。なぜならば、どの 時代も神の新たな光を必要とするからである。すべての神聖なる啓示は、それが現われた時代の状況に適する内容をもって下されたのである。

つぎに、過去の宗教の指導者たちの言説に関する汝 の質問について。疑いもなく、賢明で称賛に値する人はみなそのような空虚で無益な話を避けるであろう。比類なき創造主は、すべての人間を同じ物質より創造 し、人間の本質を他の創造物より高めた。それゆえ、人間の成功と失敗、利得と損失は自らの努力に依存する。努力すればするほど、人の進歩は大である。神の 恩恵の春雨が人間の心の土壌に真の理解の花を咲かせ、世俗のあらゆる汚れを洗い流すことをわれは切望する。

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XXXV. つぎのことについてしばし考えてみよ。どの宗教制においても、地上の人々は慈悲に満ち給う神の顕示者を忌み避けた。何が彼らにそうさせたのであろうか。 人々はなぜ顕示者に背を向け、顕示者の権威に反旗を翻したのであろうか。神聖なる命令者のペンより流れでるこの言葉について熟考するならば、人類はひとり 残らず神より贈られたこの永遠なる啓示の真実を直ちに受け入れ、彼の荘厳なる言葉の証人となるであろう。神の一体性の顕示者であり、神の永遠なる栄光の曙 である者がこの世に生きたどの時代においても、常に人々を顕示者から遮断し、今後も遮断しつづけるであろうものは人々の抱く空虚な妄想のヴェールである。 つまり、永遠なる真理におわす御方は自らの目的に沿って自らを現わしたのであるが、それは人々の期待と希望に反する姿であったのである。これに関連して彼 はつぎのように記している。「神の使者が汝らの魂の望まないものをたずさえて汝らを訪れるたびに、汝らは傲慢のあまり、ある使者を嘘つきと非難し、他の使 者を殺害した」。

過去の時代の使者たちが、人々の心が編みだした虚しい空想に添って現われていたならば、誰もこの聖者たちの真実を拒否しなかったであろうことは明白であ る。この人々は、昼も夜も、唯一真実の神の思いに没頭し、献身的に礼拝してきたにもかかわらず、最終的には神の御しるしの曙と、神の論破し難い証拠の顕示 者を認めることも、その恩寵にあずかることもできなかったのである。このことは聖典が証明するところである。無論、汝もこのことを耳にしたことがあろう。

キリストの宗教制について考えてみよ。約束された者の到来を熱心に待ち望んでいたにもかかわらず、当時の学者たちは例外なくキリストを否認した。神学者の長であったアナニアも、僧侶たちの長であったカイアパもキリストを非難し、死刑を言い渡した。

神の預言者モハメッドも同様であった。万人の魂が彼に代わって捧げられんことを。啓示の初期のころ、メッカやメディナの学識者たちはモハメッドに刃向か い、その教えを拒絶した。ところが、無学の人々がモハメッドを認め、その教えを受け入れたのである。考えてみよ。無学のエチオピア人バラルは信仰と確信の 天に昇ったが、学者を率いるアブドラ・オバイは悪意みなぎる態度でモハメッドに刃向かったではないか。神の御言葉に陶酔した羊飼いは最愛なる御方の住処に 入ることを許され、人類の主なる御方との統合を果たした。ところが、博学と英知を誇った人々は、彼の道を迷いでて、彼の恩寵にあずかることもできなかっ た。そのため、彼はつぎのように記した。「汝らの中の地位の高いものは卑しめられ、地位の低いものは高められるであろう」。この主題をほとんどの聖典に発 見することができ、また、このことは神の預言者や使者たちの言葉にも登場する。

まことに、われは言う。この大業の偉大さゆえに、父親は飛ぶようにして息子のもとを走り去り、息子もまた飛ぶようにして父親のもとを走り去るのである。ノ アとカナンの地の物語を思い起こしてみよ。この日々は楽園のような喜びの日々であり、汝が栄光に満ち給う神の甘美なる芳香を逃すことなく、この精神の春季 と彼の恩寵の放出にあずかることができるよう神に嘆願する。すべての知識の的におわす御方の御名において立ち上がれ。そして、人々の有する学問を完全に離 脱し、声たからかに彼の大業を宣言せよ。神聖なる啓示の昼の星にかけてわれは誓う。汝が立ち上がる瞬間、神聖なる知識が洪水のごとく汝の心より放出される のを汝は目撃するであろう。そして、彼の天来の英知の不可思議の完全な栄光を目の当たりにするであろう。慈悲に満ち給う御方の言葉の甘美を一度たりとも経 験したものは、何のためらいもなく自らを捨て、自らの命を最愛なる御方に捧げるであろう。

神のこのしもべ[13]が 世俗の栄誉や利益を心に求めたことが一度でもあったと誰が信じようか。彼の名をいただく大業は、この世のはかない事物をはるかに超越するものである。流刑 に処せられ、圧政の犠牲となり、この最大なる牢獄につながれた彼の姿を見よ。敵は彼を四方より囲み、この状況は彼の生涯を通じてつづくであろう。したがっ て、彼が汝らに伝えることはすべて神のために語ることであり、その目的は地上の人々の心を邪悪な欲望の汚れから清め、欲望のヴェールを引き裂き、人々を唯 一真実なる神の知識にみちびくことにある。これこそは、人間が志すことのできる最も崇高な地位である。人々がわが大業を受け入れるか拒否するか、いずれも われを利することもなければわれを害することもない。われは、ただ神のために人々に呼びかけるのである。まことに、彼はいかなる創造物をも必要としない。

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XXXVI. 人の子[14]が息を引き取り神に向かったとき、森羅万象は大いに嘆き涙したことを知れ。彼が自らを生贄いけにえとして捧げることによって、あらゆる創造物に新たな能力が付 与されたのである。その明らかな証拠は汝の目前にあり、地上のすべての人々がその証人である。哲人たちの語った最も深い英知の言葉も、人の知性が編みだし た最も深遠な学問も、最も器用な手が作り上げた芸術も、最も強力な指導者が及ぼした影響力も、すべてを超越し、すべてに行き渡る彼の輝かしい精神によって 放出された霊感と生命力の現われにすぎない。

われはここに証言する。彼がこの世に姿を現わしたとき、彼の栄光の輝きはすべてのものを覆ったのである。悪と無知という癩病らいびょうに侵されていたものは彼を通じて癒されたのである。汚れた人々や、強情な人々は彼によって治癒されたのである。そして、全能なる神より生まれた彼の威力により、盲目なる目に光が与えられ、罪人の魂は清められたのである。

癩病という表現は、人間を主なる神の知識から遮断するヴェールを指すものとして解釈できよう。神より遮断されることに甘んじるものはまさに癩病者であり、 御力に満ち、すべてに讃美され給う神の王国において記憶されないものである。われはここに証言する。神の御言葉の威力によりあらゆる癩病者は清められ、す べての病は癒され、人間のあらゆる疾病は消し去られたのである。彼こそは地上を浄化した者である。光り輝く顔をもって彼に向かうものは幸いなり。

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XXXVII. 神への信仰を告白し、神の御しるしを信じ、「神の行いに対 し、理由を問うことはならない」の真理を認識したものは幸いなり。神はこの認識をすべての信仰の装飾とし、礎となした。いかなる善行も、それが受け入れら れるか否かは、この認識の有無によって左右される。反抗者のささやきによって道を踏み外すことのないよう、汝らの目をこの真理にしっかりと据えよ。

古来より禁止されてきたことを彼が合法と定め、いつの時代にも合法と見なされてきたことを彼が禁じたとしても、彼の権限を問う権利は誰にも与えられていない。一瞬たりともためらうものは違反者と見なされよう。

この崇高にして根本的な真理を認めず、この高遠なる地位に達し得なかったものは、疑念の嵐に動揺し、その魂は不信心な人々の言葉に惑わされるであろう。逆 に、この原理を受け入れたものは、最も完成された不動の精神を付与されるであろう。この栄光に満ちた地位、すべての崇高なる書簡を飾るこの地位に誉れあ れ。これこそは神が汝らに与え給う教えであり、この教えは汝らをあらゆる疑念や混乱から救い、この世ときたるべき世における救済を汝らに提供するものであ る。まことに、彼は常に許し給い、恩恵に満ち給う御方である。

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XXXVIII. このことを確信せよ。どの宗教制においても、神聖なる啓示の光は人々の精神的能力に直接比例するかたちで人々に与えられてきたのである。太陽について考え て見よ。地平線上にその姿を最初に現わすとき、太陽の光線は何と微弱なものか。しかし、頂点に向かって昇るにつれ、太陽の熱と勢力は次第に増し、その間に あらゆる生物は光線の強度に順応することができる。その後、太陽は徐々に落ちて行き、やがては地平線に沈む。もしも太陽に秘められているすべてのエネル ギーが突然現わされるのであれば、あらゆる生物が害されることは疑いもない…。真理の太陽についても同様である。もしも真理の太陽が全能者の摂理によって授けられたその威力のすべてを突然現わすとすれば、人間の理解力 の土壌は消耗し朽ち果てるであろう。つまり、人の心はその啓示の強度に耐えることも、その光線の輝きを反射することもできないからである。人々は困惑し、 圧倒されて息絶えるであろう。

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XXXIX. 主なるわが神よ。あなたの不可思議なる命令のすばらしい出現と、私のために準備し給う無数の苦悩や試練を思い、あなたに讃美を捧げまつる。あるときは、あなたは私をニムロデの手に委ね、またあるときは、ファラオの鞭むちが私を責めたてることを許し給いました。私は計り知れぬ苦悩を彼らの手によって強 いられました。あなたのみが、すべてを覆うあなたの知識とあなたの御心の働きによりその苦悩のほどを理解することができるのです。あなたは私に幻影を現わ し、あなたの知識によりその幻影を通じて私に霊感を授け給いました。そして、あなたの御力の威力によりその意味を私に明かし給いました。ところが、私の見 たことのほんの断片をあなたの王国の敬愛の的なる住人たちに伝えようと彼らに耳打ちしただけで、あなたは私を邪悪な人々の牢獄に閉じ込め給いました。さら に、あなたの御命令により不信心者の剣が私の首をはねました。つぎに、人々の目に触れることのないあなたの栄光に満ちた一体性の宝石を披露し、あなたのご 主権と永遠なるご威力のすばらしいしるしを彼らに示したことによって私は磔はりつけとなりました。それにつづく時代、私はカルベラの平野にて何と苦い屈辱をなめさせ られたことでしょうか。あなたの民に囲まれながらも私は何という孤独を味わったことでしょう。私はかの地で何という無力感を味わったことでしょう。これほ どの屈辱にも飽き足りない迫害者たちは私の首を切断し、それを高く掲げながら各地を練り歩き、私の首を不信仰なる群衆の目にさらし、最後には心なき邪悪者 の玉座の前にそれを据えたのです。つぎの時代、私は宙につるされ、私の胸板は悪意みなぎる敵の残虐さの的とされました。銃弾の嵐が私の四肢を貫き、私の身 体を引き裂きました。最後に、見よ、この日の出来事を。不実なる敵は、私に刃向かって団結し、悪意と憎しみの猛毒をあなたのしもべらの魂に注ぎ込もうと絶 えずたくらんでいます。彼らは力を結集し、この目的を遂げようと努力しているのです…。神 よ、わが最愛なる御方よ。私の置かれた状況がいかに悲惨なものであれ、私はあなたに感謝を捧げます。そして、あなたの御心の道において私に降りかかってき たことに対し私の精神は感謝を捧げます。あなたが私のために定め給うことに私は満足し、それがいかに悲劇的なものであれ、私は私を襲う苦痛と悲しみを喜ん で受け入れます。

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XL. おお、わが最愛なる御方よ。あなたは私にあなたの息を吹き込み、私を私自身より分離し給いました。しかし、後にあなたは命令を下し、私の中に存在するあな たの実在のほんのわずかな象徴とかすかな影のみを過てる人々と嫉妬に溺れる人々に示すことを許し給いました。見よ、この象徴にまどわされた彼らは私に反対 して立ち上がり、拒絶の言葉を私に浴びせたのです。おお、わが最愛なる御方よ。あなたの御姿を現わし、私をこの窮地より救い給え。

すると、答える声が聞こえた。「われはこの象徴をこよなく愛した。この象徴がわが目のみに映ることをなぜ許すことができようか。この象徴をわが心のみが知 ることをなぜ認めることができようか。汝の美と同一なるわが美にかけて言う。わが真の願いは、汝の姿をわれ自身の目よりも隠すことであり、ましてや人の目 には決してさらしたくはないのである」。

この言葉に返答しようと思った瞬間、突然書簡は巻き上げられ、私の主題は完成を見ず、私の言葉の真珠は日の目を見ることはなかった。

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XLI. おお、人々よ。神こそわが証人なり。われが寝所に眠っていたとき、見よ、神の微風がただよいきて、われを眠りよりさました。生気を与える神 の精霊はわれをよみがえらせ、わが舌は神の召集を声にするために解かれた。神にそむいたといってわれを非難するな。汝の目ではなく、われの目でわれを見 よ。全知者にして恩寵深き者は、汝らにこう忠告するのである。おお、人々よ。神の究極の意志と目的をわれが手中におさめていると思うのか。われは決してそ のような主張を唱えはしない。このことをわれは全能者、高遠なる者、全知者、全賢者なる神の御前で証言する。神の信教の究極の運命がわが手中にあったとす れば、われは決して一瞬たりともわれ自身を汝らに顕わすことに同意することはなく、わが唇より言葉の一つさえも漏れることをゆるさなかったであろう。この ことについては、まことに、神御自身こそが証人なり。

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XLII. おお、正義の子よ。夜のうちに不滅なるものの美は、忠誠の新緑の丘より、サドラトル・モンタハヘ行ってさめざめと泣いた。彼の悲しむ様を見て天上の群衆 も、天国の住人たちももらい泣きしたほどであった。そして何故にかくも歎き悲しむやと問われたとき、彼は答えた。命じられた如く、われ忠誠の丘にて期待し て待てり。されど地上の住人たちより誠実の香りは匂い来らず。かくてわれ帰るよう召されしとき、われは見ぬ、見よ。ある聖なる鳩らは、地上の犬らの爪に甚 だしく苦しめられたるを。そこで天の侍女は彼女の神秘なる家よりヴェールを脱ぎすて、光り輝きつつ走り出で、彼らの名を尋ねた。すると一つを除くすべての名が告げられた。せき立てられて残りのひとりの第一の文字が語られた。そこで天上の館に住む人たちが栄光の住居より駈けだした。第二の文字が述べられたとき、彼らはひとり残らず塵埃じんあいの上に平伏した。このとき最奥の神殿より一つの声あり、曰く「これまでは、されどもうこれ以上は断じて」。まことにわれ彼らがなせること、またなしつつあることの証人とならん。

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XLIII. おお、アフナンよ、わが古来の幹より分枝したものよ。わが栄光と慈愛は汝に向けられる。神の大業の幕屋は何と広大であろうか。それは地上のあらゆる国や民 族を覆いつつんでいる。そして、まもなく、全人類はその庇護のもとに結集されよう。汝の奉仕の日は今やきた。いかに大いなる恩寵が汝の上に注がれてきたか については、無数の書簡が証言している。わが大業の勝利のために立ち上がり、汝の言葉の威力により人々の心を征服せよ。不幸なもの、虐げられたものに安ら ぎと安寧を保証するものを、汝は身をもって示さなければならない。汝の努力によって、囚われの身にある人々が鎖から解放され、真の自由を得ることができる よう精進せよ。

この日、正義は苦境にあって嘆き、公正は圧制の頸木くびきの下でうめき声をあげている。暴虐の暗雲は地上より光をうばい、人々をつつんだ。しか し、全能なる命令者の指示にしたがい、われはわが栄光のペンの動きにより、あらゆる人体に新しい生命を吹き込み、すべての言葉に新たな威力を付与した。こ の蘇生の波は全世界に及び、その証拠はあらゆる創造物に現われている。これこそがこの虐げられし者のペンより人類に伝えられた最も偉大で、最も喜ばしい吉報である。それゆえ、おお、わが最愛なる人々よ、何を恐れる必要があろうか。汝らを狼狽ろうばいさせ得るものがどこにあろうか。この邪悪な世代の人々はかわいた粘土の土塊つちくれにすぎず、それを溶かすには一滴の水で充分なのである。そして、汝らの集い合う行為だけでも、これら空虚で価値のない人々の勢力を分散するに充分なのである…。

この日、洞察力のあるものはみな、つぎのことを容易に認め るであろう。つまり、この虐げられし者のペンによって著わされた忠告こそが、世界の進歩と、人類の高揚にとって最高の推進力となるものである。立ち上が れ、おお人々よ。そして、神の御力の威力により、自己との葛藤に勝利することを決意せよ。これが果たされるならば、人類は自らの無益な幻想によって作り上 げた偶像への隷属から解放され、聖別されよう。まことに、これらの偶像はその哀れな崇拝者たちに非常な損失を負わせ、彼らのみじめな境遇の原因となってき たのである。それらは、完成への道を進もうと努力する人間の行く手を阻む障害物なのである。神聖なる威力の御手が人類に援助の手を差しのべ、彼らをその嘆 かわしい零落れいらくの状態より救い給うよう、われは切望する。

わが書簡の一つにつぎのような言葉が記されている。おお、神の人々よ。私事におぼれるな。心を常に人類の繁栄の回復と、人々の心と魂を聖別させるものに向 けよ。このことを成し遂げるための最善の道は、純粋で清らかな行為、そして徳の高い生活と、正しいふるまいにある。この大業の勝利を保証するものは勇敢な 行動であり、その力を確固たらしめるものは聖人にふさわしい人格である。おお、バハの人々よ。正義に愛着せよ。まことに、これはこの虐げられし者[15]が汝らに与えた法であり、その束縛されることのない意志が、汝らすべてに第一に選定したものである。

おお、友らよ。魂も奮い立つこの神聖なる 春季にあって、慈悲深い恩恵が汝らの上に雨のように注がれている。この恩恵を通じて、汝らは自らの魂を活気づけ、蘇生させなければならない。神の偉大なる 栄光の昼の星はその光輝を汝らに注ぎ、その限りない恩恵の雲は汝らを覆っている。この大いなる恩寵を逸することなく、新しい装いに身をつつんだ最愛なる者 の美を得たものの報酬は何と高遠なものであろうか。汝ら、用心せよ。邪悪なる者が汝らを罠わなに陥れようと待ち伏せている。その悪意に満ちた策略を警戒し、すべてを見給う神の御名の光にみちびかれ、汝らをとりまく暗黒より逃れよ。汝らの視野を汝ら自身に限ることなく、むしろ全世界をつつむものとせよ。邪悪な者とは、人の子の進歩をさまたげ、その精神的発展を妨害するものである。

この日、あらゆる国家と公正な政府の利益を促進し、その地位を高めるものを固守しなければならない。このことは万人に課せられた義務である。最も高遠なる 者のペンが著わした各々すべての聖句により、愛と和合の門戸は、その錠が解かれ、人類の面前に大きく開け放たれた。過去にわれはつぎのように宣言した、そ してわが言葉は真理なり。「親愛と友情の精神をもって、あらゆる宗教の信者と交われ」。人の子が互いを忌み嫌い、彼らの間に不和と分裂を生みだす原因と なっていたものは、この言葉の啓示によってすべてことごとく廃絶されたのである。全人類の教育にとって最も有効な手段が神の意志の天上より下されたのであ る。その目的は、存在の世界を高貴なものとなし、人々の心と魂を高めることに他ならない。昔日せきじつの人々が語り、または書き記した事柄の至上の 真髄と最も完全な表現がこの最強の啓示によって、すべてを所有し、常に持続し給う神の意志の天上より下されたのである。過去の時代にはつぎのように記され た。「自国への愛は、神の信教の基本的要素である」。しかし、荘厳なる舌はその出現の日につぎのように宣言した。「自国を愛するは自慢に値せず、真に誇る べきは、世界を愛するものである」。この崇高なる言葉によって、世に大いなる力が放たれた。そして、彼はこの力を介して人類の心の鳥に新鮮な衝撃を与え、 新しい方向を定めた。また、彼は神の聖典より、束縛と限定のあらゆる痕跡を抹消したのである。

おお、正義の人々よ。燃えさかる藪やぶにきらめく光のように輝かしく、その火炎のように壮麗であれ。汝らの愛の炎の光輝は、疑いもなく、地上の争い合う国や民族を融合し、和合させるであろう。一方、敵意と憎悪の炎の激しさは、闘争と破滅の原因としかなり得ない。神が全創造物を神の敵の邪悪な策略より守り給うよう、われは嘆願する。まことに、神はすべてのものを支配し給う。

唯一真実の神に讃美あれ。神の栄光に誉れあれ。神は、最も高遠なる者のペンを通じて、人類の心の扉の錠を開けたのである。このペンによって啓示されたすべての聖句は、燦然さんぜんと輝く門戸である。そしてこの門戸は、清く敬虔けいけんな生活と、清純無垢せいじゅんむくな 行いの栄光を明かすものである。われより発した声明と教えは、決して特定の国のみに宛てられたものでも、特定の民族のみを利するものでもない。この啓示に よって下されたことは、全人類がそれをことごとく厳守しなければならない。そうしてこそ初めて、真の自由に達し得よう。地球上は、神の啓示のけんらんと輝 く栄光にすべて照らされている。六十年[16]には、神の教導の光の先駆者が立ち上がり、精霊の新たなる啓示を発布した。すべての創造物が彼のために命を捧げんことを。つづいて、二十年後[17]に現われた者により、この約束された栄光と、驚くべき恩恵が世界に授けられた。見よ、いかに人類の大半が、神の最も高遠なる言葉を傾聴する能力を与えられているかを。人類の融和と精神的更生は、すべてこの言葉に依存するのである。

おお、神の人々よ。真実無比の友の忠告に心を向けよ。神の言葉は、人間の心に植えられた苗木にたとえられよう。この苗木がしっかりと根をおろし、枝が天空 とそのかなたまで高くのびるよう、汝らは英知と聖別された清らかな言葉の活水をもってその成長を育成しなければならない。

おお、地上に住む人々よ。この最大なる啓示の卓越性を明示するものはここにある。つまり、われは一方において、人の子らの争いの原因となり、悪意と危害の もととなるものを神の聖典の紙面よりすべて消しさった。他方においてわれは、理解と調和、そして恒久にして完全なる和合の必要条件を定め記したのである。 わが法規を守るものは幸いなり。

害毒の悪臭が察知される事柄をすべて避けるよう、否、むしろそれを逃れるよう、われはわが愛する人々に幾度も忠告してきた。世界は大いなる動乱のさなかに あり、世の人々の心は完全な混乱状態にある。われはここに全能なる神に嘆願する。神よ、あなたの正義の栄光により、この人々を恩寵深く照らし給え。そし て、彼らがいついかなる状況にあっても、彼らにとって有益な道を常に見いだすことができるよう援助し給え。まことに、神はすべてを所有し、最も高遠なる御 方であり給う。

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XLIV. 世の知識者たちよ。神への畏敬の念をなおざりにしてはならない。保護者におわし、御自力にて存在し給う神のすべての書が言及するこの無学なる者の大業について公平に判断せよ…。神の逆鱗げきりんに 触れることの恐怖と、比類なき不二なる者の恐怖をもってしても汝らは目覚めないのであろうか。この世の虐げられし者は、汝らと交流したこともなければ、汝 らの書物を読み、汝らの議論に参加したこともない。彼のまとう衣、長くのびた頭髪、頭にかぶった帽子はすべて彼の言葉の真実を物語っている。汝らの不正は いつまでつづくのであろうか。正義の化身なる者が押し込められたこの場所を見よ。彼の神聖なる言葉の光明を見逃し、彼の知識の大海よりの分け前を逸するこ とのないよう汝らの目を開き、彼の苦悩を見よ。そして、汝らのなしたことについて真摯に黙考せよ。

聖職者でもなければ預言者の末裔まつえいで もないことを理由に、この虐げられし者に異論を唱えるものが庶民の中にも貴族の中にもいる。言挙げよ。おお、正義を自負する人々よ。彼の現在の地位は、彼 に備わっていなければならないと汝らが主張する地位をはるかに超えるものである。少しでも考えればこの真実は汝らに明白となろう。神の大業は、聖職者や神 学者や哲人や学者が共有するものをまったく持ち合わせていない家から出現し進行したのである。全能者の御心によりこのように定められたのである。

精霊の息吹は彼を目覚めさせ、啓示を宣言するために立ち上がるよう彼に命じたのである。眠りから目覚めるや否や、彼は声たからかに全人類を諸々の世の主な る神のもとに召喚したのである。われは、人間の弱さともろさを考慮してこれらの言葉を著わしたのである。そうした配慮を入れなければ、われの宣布する大業 は本来いかなるペンも描写し得ず、いかなる心も想像し得ないほど偉大なるものである。母なる書を所有する御方こそわが証人なり。

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XLV. 古来の美が鎖に繋がれることに同意したのは、人類 がその束縛から解放されるためであり、この最も強固な砦の囚人となることに甘んじたのは全世界が真の自由に達するようにするためである。古来の美は、地上 のすべての人々が永遠の喜びを得て歓喜に満たされるよう悲哀の杯を飲み干したのである。これは汝らの主の慈悲である。彼こそは憐れみ深く、最も慈悲深き御 方におわす。おお、神の一体性を信ずるものらよ。われは、汝らが高められるようにと卑しめられることを受け入れ、汝らが繁栄するようにと無数の苦悩に耐え るのである。全世界の再建のために到来した彼のおかれた状況を見よ。自らを神の協同者と称するものらによって、彼は最も荒廃した都市に住むことを強いられ たのである。

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XLVI. わが投獄の重荷をわれは嘆かない。また、敵の手がもたらした屈辱と辛苦もわれを悲しませることはない。わが命にかけて誓う。これらの苦しみはわが誉れであり、神が自らを飾り給う栄光である。おお、汝らこのことを知り得たならば。

われに負わされた恥辱は、全創造物に付与された栄光を現わした。そして、われが耐え忍んだ虐待を通じて、正義の昼の星が出現し、その光輝を人類に注いだのである。

われを悲しませるのは、腐敗した情欲におぼれていながら、恩寵にあふれ、すべてに讃美される神の信教の関係者として自らを名乗るものらである。

楽園の住人がバハの人々の衣より高潔さの甘美な芳香を嗅ぎ、地上の人々が彼らの顔に慈悲深き御方の輝きを見出し、彼らを通じて全能にして、すべてを知り給 う神の御しるしと証跡がひろく普及されるよう、バハの人々はこの世とそこに存在するすべてのものに死し、あらゆる物質的事柄を超越しなければならない。世 俗の事物にふけり、神の大業の令名を汚すものは、まさに非常な過ちにある。

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XLVII. おお、ユダヤの人々よ。神の精神なるイエスを再び磔はりつけにしたいのであれば、われを死刑に処する がよい。何となれば、イエスはわれを通じて再び汝らの前に現われたのである。欲するままにわれを処遇せよ。何となれば、われは神の道に自らの命を捧げるこ とを誓ったのである。天と地の全勢力が結集してわれに刃向かっても、われは誰をも恐れない。おお、福音書の信奉者らよ。神の使者なるモハメッドを殺害する ことを望むのであれば、われを捕らえ、わが命を断つがよい。何となれば、われは彼であり、われ自身は彼自身である。われを欲するままにせよ。何となれば、 わが心に抱く最高の希望は、わが最愛なる御方の御国に昇り、その御前に到達することである。これこそは神聖なる命令である。汝ら、このことを理解するなら ば。おお、モハメッドの信奉者らよ。バヤンの書を汝らに下した者の胸を槍で貫くことを望むのであれば、われを捕らえ、われを攻め立てるがよい。何となれ ば、名は違えども、われは彼の最愛なる者であり、彼自身の出現なのである。われは栄光の雲に覆われて出現し、神より不屈の主権を与えられたのである。まこ とに、彼こそは真実であり、目に見えぬものを知り給う。まことに、われに先駆けて現われた者に対して汝らが行ったと同じことを汝らがわれにも強いることを われは予期する。万物はこのことを証言する。汝ら、聞く耳を持つものならば。おお、バヤンの人々よ。バブがその出現を宣言し、モハメッドがその到来を約束 し、イエス・キリストがその啓示を伝えた者の血を流すと決意したのであれば、覚悟を決めて無防備な姿で汝らの前に立つわれを見よ。汝らの欲するままにわれ を処遇するがよい。

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XLVIII. 神はわが証人なり。神の書に記された教えに反するものでなかったならば、われはわが血潮をもって最愛なる御方の道を染めようと欲するものの手をとり、喜ん でその手に接吻したであろう。われを殺害するものの行為は全能者の怒りを買い、呪いを招き、すべてを所有し、公平におわし、すべてに賢明なる神が存在しつ づける永遠を通じて苦しめられるに値する行為であるにもかかわらず、われは神がわれに所有を許し給う富を惜しまずわが殺害者に与えたであろう。

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XLIX. まことにこのことを知れ。自分自身に目を向けるとき、この若者[18]は 全創造物の中で最も取るに足らない存在をそこに見る。しかし、自分に与えられた能力により放射されるまばゆい光を熟視するとき、見えるものと見えざるもの のすべての精髄に浸透する主権の威力に変貌する自己を目の当たりにするのである。真理の威力により御自身の顕示者を世に遣わし、全人類へのメッセージを彼 に託し給うた神に栄光あれ。

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L. おお、思慮なき人々よ。怠慢のまどろみを振りはらい、彼の栄光を通じて全世界を取りまいた輝きを見よ。彼の光の誕生には、未だ時期尚早と反対をささやく人 もいる。何と愚かなものらであろうか。おお、盲目なる心を持つものらよ。それが早すぎようと、遅すぎようと、現に今や彼の燦然さんぜんと輝く栄光の証拠は顕わされているのである。その光が出現したかどうかを確かめるのが汝らに課せられた義務である。その出現の時刻を定めることは、汝らの力も、わが力も及ぶところではない。その時刻は、神の計り知ることのできない英知によって、前もって定められたものである。おお、人々よ。神が汝らのために望み、定めたことに満足せよ…。 おお、わが不幸を願うものらよ。永遠の教導の昼の星こそわが証人なり。もしわれにその権限があったならば、われはいかなる状況のもとでも、決して世に名を 挙げることに同意することはなかったであろう。なぜなら、われの有する名は、汚れた舌と、偽りの心を持つこの世代の人々と係わることをまったく蔑視べっしするからである。そして、われが沈黙し、静止することを選ぶときはいつも、見よ、わが右手に立つ精霊の声がわれを醒さま し、わが面前に至上の精霊が現われ、ガブリエルがわが頭上を覆い、そして栄光の精神がわが胸の内にあって奮い立ち、われに立ち上がって沈黙を破るよう命じ るのである。汝らが聴力を清め、耳をすますならば、わが四肢のすべてが、否、わが存在のすべての原子がつぎの言葉を宣言し、証言していることを必ず感知す るであろう。「神をおいて他に神はなく、そして、今やその美が顕わされている者は、天と地にあるすべてのものに向けられた神の栄光の反映である」。

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LI. おお、人々よ。唯一真実の神かけて誓う。これこそはすべての海が端を発する大海であり、最終的にはすべての海はこの大海に統合されるのである。すべての太 陽は彼より発生し、彼のもとに戻るのである。神聖なる啓示の樹は彼の威力を通じて実を結び、果実の一つ一つは預言者の姿をもって遣わされたのである。そし て、預言者たちは神の創造物に宛てたメッセージをたずさえて諸々の世に向かったのである。まさに、すべてを包含する知識を有する神のみがその諸々の世の数 を把握し給う。彼のペンによって書き記された御言葉のたった一つの文字だけで、これらすべてのことを成し遂げるに充分だったのである。そして、そのペンは 彼の指示の指によって動き、また、その指は神の真実の威力によって支えられているのである。

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LII. 言挙げよ。おお、人々よ。神の恩寵と慈悲から自ら を遠ざけてはならない。自らを遠ざけるものは実に痛ましい損失をこうむっているのである。おお、人々よ。汝らは塵を崇拝し、汝らの主なる恩寵深き御方、す べてに寛大なる御方より顔をそむけるのか。神を畏れよ。そして、滅びるものの仲間に加わるな。言挙げよ。神の書はこの若者の姿で下されたのである。それゆ えに、最も卓越した創造者なる神に誉れあれ。おお、世の人々よ。彼の顔より逃げ去ることのないよう充分に注意せよ。それどころか、彼の面前に達するために 急ぎ、彼のもとに戻るものの仲間であれ。おお、人々よ。神に祈りを捧げよ。そして、神に対する義務を怠り、神の大業に対し罪を犯したことについてゆるしを 請え。また、愚者の仲間に加わるな。彼こそが汝らを創造し、大業を通じて汝らの魂を養育し、最も崇高にしてすべてを知り給う全能者を汝らに知らしめたので ある。彼こそが神の知識の宝庫を汝らの目に明らかにし、汝らを確信の天上に引き上げたのである。その確信とは、彼の抵抗し難い、論破し得ない、最も高遠な る教えに対する確信である。神の恩寵を失うことのないよう注意せよ。汝らの努力が水の泡とならないよう注意せよ。そして、この最も明白な、この高貴な、こ の輝かしい栄光に満ちた啓示の真理を否定することのないよう注意せよ。汝らの創造主なる神の大業について公正に判断せよ。高きにある王座より下されたもの を見よ。そして、潔白にして聖別された心をもってそれについて瞑想せよ。そうすれば、この大業の真理は真昼の栄光に輝く太陽のように明白となろう。そし て、汝らは神を信じるものとなろう。

言挙げよ。彼の真実性を立証する最初にして最大の 証拠は彼自身の存在である。第二の証拠は彼の啓示である。このいずれをも認めることのできない人々のために彼は第三の証拠を確立した。彼の著わした言葉こ そがその証拠である。まことに、これこそは人々に対する彼の優しさと慈悲の証である。神は万人の魂に神のしるしを認知する能力を与えたのである。そうでな ければ、彼は彼の証言をどのようにして人々に証明し得たであろうか。彼の大業について心の中で熟考するものであれ。彼は誰といえども決して不当に扱うこと はない。また、何人の魂にもその能力を超える課題を課すことはない。彼はまことに憐れみ深き御方、すべてに慈悲深き御方なり。

言挙げよ。神の大業の栄光は偉大であり、盲目なれ どもそれを知覚できよう。ましてや、鋭敏にして純粋な視力を有するものがそれを見逃し得ようか。盲目なるものは太陽の光を知覚できないとしても、その絶え ることのない熱は感知できる。しかし、バヤンの人々の中の心の盲目なるものらは、真の太陽にいかに長い間照らされていてもその栄光の輝きを知覚すること も、その光線の暖かみを感知することもできないでいる。このことについては神がわが証人なり。

言挙げよ。おお、バヤンの人々よ。われは、汝らが われを知り認めるようにとこの世の中で汝らを選び、汝らを楽園の右に位置する地点に引き寄せた。まさに、それは不滅の炎が種々の語調を用いて「力に満ち、 最も高遠なるわれ以外に神はない」と叫ぶ地点である。この昼の星は、慈悲者におわす汝らの主の御心の地平線上に輝き、その光を通じて大小を問わずすべてを 照らしているのである。自らをこの昼の星より遮断することのないよう注意せよ。他人の目に頼ることなく、自らの目でその栄光を認めることができるよう視力 を清めよ。何となれば、神は何人の魂にもその能力以上の重荷を負わすことは決してない。これと同様のことが過去の預言者や使者にも下され、すべての聖典に 記録されている。

おお、人々よ。この広大無辺の空間に入ることを許 されるよう努力せよ。この空間に神は始まりも終わりも定めず、そこには彼の声がとどろき、神聖さと栄光の甘美なる芳香が漂っている。汝らに与えられた壮麗 なる衣を脱ぎ捨ててはならない。汝らの主を想起する恩恵を汝らの心より締めだしてはならない。汝らの主の甘美なるメロディーに聞き入る喜びを汝らの耳より 奪ってはならない。まことに、それは荘厳にしてすばらしく、明白にしてすべてを動かす最も雄弁なる声なり。

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LIII. おお、ナシル、わがしもべよ。 永遠の真理なる神こそわが証人なり。今日、この天来の若者は、栄光に満ちた不滅の命の聖杯を人々の頭上に掲げ、期待に胸を弾ませ、その座に立って待ってい るのである。果して誰の目が彼の栄光に気づくであろうか。果たして誰がこの純白の手が掲げる聖杯にためらいなく手を伸ばし、この聖杯を飲み干すであろう か。静かに注がれるいにしえの王の無類の恩寵を口にしたものは未だ数少ない。彼らは楽園の最も崇高なる館に住み、権威の座にしっかりと据えられているので ある。神の正義に誓って言う。彼の栄光を映す鏡たちも、彼の名を現わすものたちも、また、過去と未来を通じて創造されるあらゆる存在も決して彼らに優るこ とはない。おお、汝、このことが理解できたならば。

おお、ナシルよ。 この日のすばらしさは人間の理解力をはるかに越えるものである。いかに優れた知識を有し、いかに聡明な人間でもこの日のすばらしさを理解することは望めな い。ましてや、このすばらしき日の光を遠く離れ、その栄光から締めだされた人間にはこの日のすばらしさは想像すらできない。汝の視力を阻む嘆かわしい ヴェールを引き裂くことができれば、汝はそこに無類の恩恵を発見することができよう。その恩恵に類似し、または匹敵するものは、太古の昔より未来永劫にか けても存在しない。神の代弁者はどのような言葉を使えばよいのか。どのような言葉を使えば、ヴェールに阻まれた人々は彼の栄光を認めることができるであろ うか。天上の王国に住む正しき人々は、栄光に満ちたわが名のために聖なる美酒を飲み干すであろう。彼ら以外には誰もこの恩恵にあずかることはできない。

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LIV. わが最愛なる神の正義にかけて誓う。われは決して世俗の主権を求めたことはない。わが唯一の目的はここにある。つまり、恩寵にあふれ、比類なき神がわれに 伝えるよう命じたことを人々に告げることである。それにより、人は世俗に係わるすべてのものを超越し、不信心なものが理解することも、不従順なものが想像 することもできないほどの高みにまで達することができよう。

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LV. おお、「ター」の地[19]よ。 過ぎ去りし日のことを想起せよ。主はその王座を汝の上に据え、主の栄光の光は汝を覆いつつんでいた。汝に対する大いなる愛ゆえに、確信の象徴であった何と 多くの聖者が汝のためにすべてを犠牲にし、命をも捧げたことか。汝の上に喜びを、そして汝の内に住む人々の上に至福があらんことを。世界の希望の的である 者の生命の息吹は汝の内より発せられたことをわれは証言する。このことは、洞察力を有するすべての人の心が知るところである。目に見えざる者は汝の内にそ の姿を現わし、人間の目より隠されていたものは汝の内より出現したのである。われは、汝を誠実に愛し、汝の領内をその血潮で染め、その塵が今や汝の土の下 に隠されている無数の人々の中の誰を偲べばよいのか。神の甘美なる芳香は絶えず汝の上に漂い、未来永劫を通じてもそれは決して断たれることはない。わがペ ンは感動に震えて汝を記念し、暴虐の犠牲となって汝の土に眠る老若男女を称える。

その内のひとりにわが姉がいる。彼女に捧げるわが忠誠の証 として、またわが慈愛の証拠としてここに彼女を記憶する。その苦境は何と哀れなものであっただろうか。そして、彼女は何と清らかな忍従の精神をもって神の もとへと戻って行ったことか。すべてを包含するわが知識を通じてわれのみがそのことを知る。

おお、「ター」の地よ。神の恩寵により、汝は神に愛されし人々が今も集う中心としてある。彼らこそは幸福なり。このすばらしい時代の主なる神の道に苦しみ を味わい、汝の内に保護を求める避難者こそ幸福なり。唯一真実の神を記憶し、神の御名を称え、神の大業の奉仕に献身するものは幸いなり。彼らこそは古来よ りの聖典に記された人々である。信奉者たちの指導者は、彼らを称えてつぎのように述べている。「彼らを待ち受ける祝福は、われらの今の祝福をはるかにしの ぐものである」。まことに、これが真実の言葉であることをわれはここに証言する。しかし、彼らの地位の栄光は未だに明かされていない。神聖なる威力の御手 はこのヴェールを必ず取り除き、全世界の目に光と喜びを与えるものを人類の眼前に置くであろう。

神の栄光は崇高なり。汝はこれほどの恩恵に恵まれ、神の讃美をもって飾られたのであるから、永遠なる真実におわす神に感謝を捧げよ。この日々の真価を正しく認識し、この啓示にふさわしいものにしっかりとすがれ。まことに、彼こそは慈愛に満ちた全知の忠告者である。

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LVI. 何も悲しむことはない、おお「ター」[20]の 地よ。神は汝を全人類の喜びの源として選び給うたゆえに。神が望むならば、正義をもって統治し、狼たちが追い散らした神の羊の群れを再び集めるものを汝の 王座に据えて祝福するであろう。その統治者は大いなる喜びをもってバハの人々に顔を向け、彼らに好意を示すであろう。まことに、その統治者は人類の中の宝 石として神の目に映るであろう。神の栄光と、神の啓示の王国に住むすべての者の栄光は彼の上に永遠に宿らん。

汝、大いに歓喜せよ。何となれば、神の栄光の顕示者は汝の内に誕生し、神は汝を「彼の光の曙」と定めたのである。汝に授けられたこの名を喜びとせよ。恩寵の昼の星はこの名を通じてその光輝を放ち、天と地を共に明るく照らしたのである。

やがて汝の内の情勢は一変し、主権は国民の手に移行するであろう。まことに、汝の主はすべてを知り、その威力と権威はすべてに及ぶものである。汝の主の恩 寵深い好意を確信せよ。主の優しき眼差しは永遠に汝に向けられよう。汝の動揺が、平和と平穏に変わる日は近づきつつある。すばらしき書にはこのように定め られているのである。

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LVII. おお、モハメッドよ。わが存在の宮廷を離れた後、汝の歩みをわが邸宅[21]に向け、汝の主の代わりにそこを訪問せよ。邸宅の門前に進み、起立してつぎのように述べよ。おお、神の最大なる邸宅よ。神は、古来の美を通じて汝を世界の注目の的とし、汝を古来の美の面影おもかげの象徴として天と地に住むすべてのものに宣言したのであるが、その古来の美は今いずこに。おお、神の邸宅よ。汝が古来 の美の足台をつとめ、慈悲者のメロディーが絶え間ない旋律を奏でて汝のもとより流れでた過ぎ去りし日々は今いずこに。その栄光を通じて森羅万象を照らして いた汝の宝石は今いずこに。古来の王が汝をその栄光の王座としていた日々は今いずこに。古来の王が汝を天と地の間に置かれた救済の唯一の灯火として定め、 日の出、日の入りごとに栄光者の甘き芳香が汝を通じて分散された日々は今いずこに。

おお、神の邸宅よ。その存在の輝きが汝を覆いつつんでいた威力と権威の太陽は今いずこに。汝の内にその座を据えていた束縛されることなき主の慈悲の曙は今 いずこに。おお、神の王座よ。何が汝の表情を変え、汝の支柱を揺るがしたのであろうか。汝を熱心に求める人々の面前で、何が汝の門戸を閉ざす原因となった のであろうか。汝の姿をこれほどまでに哀れなものとしたのは何か。それは、諸々の世の最愛なる者が敵の剣の追跡を受けていることを汝が知らされたからであ ろうか。彼がいかなる悲しみや苦悩を味わったときも、汝は常に彼の伴侶としてとどまったのである。それゆえに、主の祝福が汝の上に宿り、彼に対する汝の忠 誠が主によって祝福されることを願う。

われ、ここに証言する。汝は彼の超越した栄光が輝いた場であり、彼の最も聖なる住居である。栄光に満ち給う者の息吹は汝より発せられ、その息吹は森羅万象 に及び、楽園の宮殿に住む献身的な人々の心を喜びに満たしたのである。汝に降りかかったことを見て、天上の集合と、神の御名の都市の住人は悲嘆にくれて涙 したのである。

今もなお、汝は全能なる者の名と属性の象徴であり、天と地の主がその眼差しを向ける地点である。神の保護の約束を宿した箱に降りかかったと同じことが汝に降りかかったのである。この言葉の意味を理解し、すべての創造の主なる者の意図するところを把握したものは幸いなり。

汝を通じて慈悲者の甘美なる芳香を嗅ぐものは幸いなり。汝の崇高さを認め、汝の神聖さを擁護し、汝の地位に不断の敬意を現わすものは幸いなり。汝より目を そらし、汝の真価を認識することのできなかった人々の目が開かれ、彼らが汝を認め、真理の威力によって汝を高めた者をまことに認めることができるようわれ は全能者に嘆願する。今日、彼らは汝に対して実に盲目であり、汝のことにまったく気づいていない。まことに、汝の主は恩寵に満ち、許し給う御方におわす。

われ、ここに証言する。神は汝を通じてしもべらの心を試されたのである。歩みを汝に向け、汝を訪問するものは幸いなり。汝の権利を否定し、汝にそむき、汝の名を汚し、汝の神聖さを傷つけるものに災いあれ。

おお、神の邸宅よ。信仰なきものらが汝の神聖さのヴェ-ルを引き裂いたとしても嘆いてはならない。創造の世において、神は彼の面影という宝石をもって汝を 飾ったのである。いかなる時代においても、人は決してこの装飾を汚すことはできない。いかなる状況においても、汝の主の目は常に汝に向けられている。汝を 訪れ、汝の周囲を巡り、汝の名を通じて主に呼びかけるすべてのものの祈りにまことに主は耳をかたむけよう。彼こそは許し給う御方、慈悲に満ち給う御方にお わす。

おお、わが神よ。あなたとの別離によってこのように変わり果てた姿となり、

あ なたの存在との距離を嘆き、あなたを襲った苦悩のために涙を流したこの邸宅を通じて嘆願いたします。どうか私を許し、私の両親を許し、私の家族を許し、あ なたを信じた私の同胞を許し給まえ。おお、すべての御名の王におわす御方よ。あなたの恩恵により、私の必要とするものがすべて満たされますようなし給ま え。あなたは、恩恵あるものの中の最も恩恵深い存在におわし、諸々の世の主にまします。

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LVIII. 神秘の地[22]に追放された初年、わがしもべなるメ-ディに著したわが言葉を想起せよ。今やわが邸宅[23]を襲った略奪と暴力に彼が心を傷めることのないよう、われはその邸宅に今後起こるであろうことを予告しておいた。まことに、主なる汝の神は天と地にあるすべてのことを知り給う。

われはメ-ディにつぎのように書いた。これはわが邸宅を襲った最初の屈辱ではない。過去においても、圧制者の手は侮辱を重ね、わが邸宅を汚したのである。 まことに、将来においてわが邸宅はさらに卑しめられ、洞察力を有するすべての目はその哀れな姿に涙するであろう。ヴェ-ルにつつまれ、全能にしてすべてに 讃美され給う神のみぞ知ることをわれはこのようにして汝に明かすのである。時が来れば、主は真理の威力を通じてわが邸宅をすべての人々の目に映るほどまで に高めるであろう。主はそれを御国の旗印となし、忠実なる集合がその周囲を巡る聖堂となすであろう。主なる汝の神は、悲しみの日の到来に先駆けてこのよう に述べるのである。敵の襲撃によってわが邸宅が陥るであろう状況を汝が悲しむことのないよう、われはわが聖なる書簡を通じて汝にこのことを明かすのであ る。すべてを知り、すべてに賢明におわす神に讃美あれ。

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LIX. 公平な観察者はつぎのことを進んで認めるであろう。この啓示の夜明け以来、この虐げられし者[24]は 栄光の黎明の場に顔を向けるよう全人類を招きつづけ、腐敗、憎悪、虐待、不道徳を禁じてきたのである。にもかかわらず、見よ、圧制者のなすことを。その暴 虐を敢えて語ろうとするペンは存在しない。永遠の真理なる者の目的は、すべての人間に朽ちることのない生命を与え、人類の安全と平和を保障することにあ る。にもかかわらず、見よ、この人々は彼の愛するものらの血を流そうと奮起し、永遠の真理なる者に死を宣告したのである。

迫害の先導者たちは、この上もなく愚かであるにもかかわらず、知恵者の中の最も聡明なものとして信望を得ている。この世界は、彼の敷居に仕えるしもべらの ために創られたものであるにもかかわらず、迫害の先導者たちは盲目のあまり、その彼自身をこの忌まわしい要塞の牢獄に閉じ込めたのである。迫害の先導者た ちと、この「偉大なる宣言」の真実を否定する人々にもかかわらず、全能者はこの牢舎を最も崇高なる楽園と化し、最もすばらしい天国に転じた。

わが苦しみを和らげる物質的恩恵をわれは拒否しなかった。 しかし、わがすべての仲間が証言する通り、わが聖なる宮廷はこれら物質的恩恵をはるかに超越して聖別されたものである。この牢獄にいる間、不信仰なる人々 が奪おうと奮闘したものをもわれは敢えて受理した。もし、わが名のために純金や純銀の建物を築き、計り知れない価値の宝石に飾られた館を建てようと欲する ものが現われるならば、疑いもなくその申し出は許可されよう。まことに、彼は欲するままになし、御心のままに定め給う。さらに、最も高遠なるペンによって 記録された予言の言葉が成就し、すべての世の主なる神がこの最も崇高にして、最も神聖にして、強力にして、すばらしい啓示のために定めたことが実現される ために、この地の各所に崇高にして堂々たる建物を築き、ヨルダン川に隣接する豊かにして神聖なる領土を唯一真実なる神への礼拝と奉仕に捧げようとする行為 にも許可が下されよう。過去の時代、われはつぎのような言葉を述べた。「おお、エルサレムよ、汝の裾を広げよ 」。この言葉を心に熟考せよ、おお、バハの人々よ。そして、解説者にして、最も明白なる者におわす汝らの主に感謝せよ。

秘められた事柄は、神のみぞ知る。しかし、その秘密が明かされるならば、全人類はそこに完全にして完璧なる正義の証拠を目撃するであろう。そして、誰もが 疑う余地もない確信をもって彼の定める教えにすがり、その求めるところに寸分違わずしたがうであろう。不道徳に背を向け、純潔にして正しい生活をおくるす べてのもののために、われは豊富にしてすばらしい報償をわが書に定めたのである。まことに、彼は偉大なる贈与者であり、恩恵に満ち給う。

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LX. わが幽閉ゆうへいはわれを何ら辱はずかしめ得るものではない。わが命にかけて言う。否、むしろそれはわれに栄光を授けるものである。われを辱しめ得るものとは、われを愛すると告白しながらも実際は邪悪な者に追従するわが信徒らの行為である。まことに、彼らは滅びるものらに属す。

この啓示の定められた時刻が満ちたとき、この世の昼の星である者はイラクの地に出現した。そして彼は信徒らに対し、世俗のあらゆる汚れから自らを清めるも のを厳守するよう命じた。あるものは、堕落した心の欲望にしたがうことを選んだ。一方、他のものは正義と真理の街道を歩み、正しくみちびかれた。

言挙げよ。世俗の欲望にしたがい、または、地上の事物に心うばわれたものはバハの人々の内には数えられない。わが真の信徒とは、黄金の谷をも雲のごとく超 然として通過し、振り向くことも、立ち止まることもないものである。まさに、このようなものこそがわれに属するのである。天上の軍勢は、かようなものの衣 より高潔さの芳香を嗅ぐことができよう…。そして、たとえ最も美しく、見目うるわしい女性に会ったとしても、彼の心にはその美を欲する影ほどの誘惑もおこらないであろう。このようなものこそが純潔無垢じゅんけつむくな存在である。日の老いたる者のペンは、全能にして、恩寵あふれる汝らの主に命じられて、かくあるようにと汝らに指示するのである。

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LXI. 世界は苦しみの中にあり、その動揺は日毎に強まりつつある。その 顔は強情と不信心に向けられている。その状態は実にあわれなものとなり、現在それを暴露することはふさわしくないほどである。その強情は長くつづくであろ う。そして、定められた時刻が満ちたとき、突然、人類の四肢を震わせるものが現われるであろう。そのときになって初めて、神の旗はひるがえり、楽園の小夜 鳥はそのメロディーをさえずるであろう。

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LXII. われが味わった悲しみや、わが深憂しんゆうと心痛、われにふりかかった災難と試練を想起せよ。また、わが幽閉ゆうへいの有様、われの流したなみだ、わが苦悶のにがさ、そして今やこの遠隔の地におけるわが 投獄を、汝の心に呼び起こせ。おお、モスタファよ。神こそわが証人なり。もし汝が、古来の美にふりかかったことについて知らされていれば、汝は荒野に逃 れ、そこで大いになみだしたに違いない。悲しみのあまり、汝は自らの頭を打ち、あたかも毒蛇にかまれたもののように泣き叫んだであろう。しかし、全能にして、最も力強き汝の主の御心の天上よりわれに下された計り難い定めの秘密を、汝に知らせることをわれは拒んだのである。このことを神に感謝せよ。

神の正義にかけてわれは言う。毎朝、床をたつとき、われは扉の外に群がる無数の苦難の軍勢を見た。そして毎夕、床に就くとき、見よ、わが心は敵の悪魔のよ うな残虐行為による苦悶に裂かれていた。古来の美が口に運ぶ食べ物の一片一片には、新たな苦しみの猛攻が添えられていた。また、彼の喉を通る一滴一滴の水 には、最も悲痛な試練の苦味が混入されていた。彼が一歩ふみだすごとに、そこには予期し得ない災難の軍勢が待ち受けていた。そして後方からは、苦悶の悲し みが徒党を組んで彼を追った。

これがわが状態である。汝、このことを心の中で熟考せよ。しかし、神がわが身の上に注ぎ給うことで汝の心を痛めてはならない。汝の意志を神の御心に融合さ せよ。何となれば、われはいかなるときも、神の意志以外の何ものをも望んだことはなく、神の不変の定めのすべてを喜んで迎えたのである。汝の心を忍耐強く 持ち、うろたえてはならない。心を痛く乱された人々の道を歩むな。

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LXIII. おお汝、顔をわれに向けたものよ。わが故郷の都市[25]の姿がはるかに見えたとき、そこに立ち止まり、つぎのように告げよ。おお、「ター」の地よ。 危急の場の救助者におわし、御自力にて存在し給う神よりの音信をたずさえ、われはかの牢獄より汝のもとへときた。おお、世界の母よ。おお、全人類を照らす 光の泉よ。汝の主の愛情あふれる慈愛をわれは汝に告げる。また、永遠の真理におわし、見えざるものを知り給う御方の名において、われは汝に挨拶を述べる。 そして、われはここに証言する。隠された御名なる者は、汝のその地において出現し、見えざる宝はその地において現わされた。万物の秘密は、それが過去のも のであれ、未来のものであれ、すべて汝を通じて明かされたのである。

おお、「ター」の地よ。諸々の名の主なる者は栄光に満ちた地位にあって、汝に想いをめぐらせた。汝は神の大業の黎明の場であり、その啓示の源泉であった。 そして、汝は神の最も偉大なる名の現われであった。その名こそは、人類の心と魂を震わせた名である。汝の境内において、何とおびただしい数の男女が神の道 に命をささげ、圧制の犠牲となり、あまりにも惨く汝の土の下に葬られていったことか。その情景は、神の栄誉あるしもべらのすべてを嘆き悲しめるものであっ た。

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LXIV. 最高の喜びが宿る都市、神聖にして輝かしいかの都市[26]を思い起こすことをわれは望む。まさに、その都市は最愛なる御方の芳香が漂った場所であり、彼のしるしが広められ、彼の栄光の証拠が出現し、彼の旗が翻り、彼の幕屋が打ち立てられ、英知あふれる彼の命令が示された場所である。

まことに、それは再会の甘美なる芳香が放出された都市である。神を誠実に愛する人々はこの芳香に魅せられて彼のもとへと進み、神聖さと美の住処への入場を 求めたのである。その歩みをこの都市に向ける旅人は幸いなり。また、恩寵に満ち、すべてに讃美される主の恩寵の発露によってこの都市に入ることを得て再会 の美酒を飲み干した旅人は幸いなり。

おお、心の望みである地よ。われは神よりの吉報をたずさえて汝を訪ね、神が汝に向け給う恩恵と慈悲を伝え、神の御名により汝を称え、汝に挨拶を送る。まこ とに、彼は偉大なる善と恩恵の存在である。汝に顔を向けるものは幸いなり。すべての世界の主におわす神の存在の芳香を汝を通じて知らされたものは幸いな り。神の栄光は汝の上に宿り、神の御光の光輝は汝を覆いつつんだのである。何となれば、神は汝を神のしもべらの楽園となしたからである。神は宣言し給う。 汝こそは、神御自身が預言者や使者たちの書に記した祝福された聖地である。

おお、至上の栄光に満ちた地よ。「彼以外に神はなし」の旗は汝を通じて翻り、「まことに、われは真実なる存在であり、見えざるものを知る」の旗印は汝を通 じて掲げられたのである。汝を訪ねる者はみな、汝を称えなければならない。また、汝の内に住むわが聖木より現われた枝であり、葉であり、わが栄光のしるし であり、われにしたがい、われを愛すものであり、最も強固な決意をもってわが栄光の地位にその顔を向ける人々を称えなければならない。

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LXV. 帝都[27]に 到着したときのことを想起せよ。皇帝の大臣たちは、汝が彼らの法や慣習を知らないと思い、汝を愚者と見なした。言挙げよ。わが主にかけて言う。正にその通 りである。われは、神がその恩寵と恵沢を通じてわれに教えたもの以外は何も知らない。われはこのことを確固と証言し、この事実をためらいもなく告白する。

言 挙げよ。汝らのすがる法や規則が汝ら自身の作によるものならば、われはそれに決してしたがわない。これがすべてに賢明におわし、すべてを知り給う御方のわ れに対する指示である。これがわれの歩んだ道であり、今後も神の威力と御力によりわれはこの道を歩みつづけるであろう。まことに、これが真実の道であり、 正しい道である。汝らの法や規則が神によって定められたものであると主張するのなら、その証拠を提示せよ。汝ら、真実を語るものならば。言挙げよ。すべて の人間の最も小さな行いをも記録した書に、彼らが汝に向けた非難と行為をわれは記した。

言挙げよ。おお、大臣たちよ。汝らは神の教えを遵守し、自らの法や規則を放棄し、正しくみちびかれるものでなければならない。これは汝らの所有するすべて のものに増して汝らの利益に資するものである。おお、汝らこのことを知り得たならば。神の戒律に違反するならば、神は汝らのいかなる業績をも認めない。間 もなく汝らはこの空虚な生涯で自分の成したことの結果を発見し、その報いを受けるであろう。まことに、これは疑いの余地のない真実である。

過去の時代においても何と多くのものが汝らと同じことを行ったことか。その地位が汝らより上であったにもかかわらず、最後には彼らは土に戻り、避け難い破 滅に身をゆだねるに至った。神の大業について心の中で熟考せよ。彼らが歩んだと同じ道を汝らは歩み、やがて汝らにあてがわれる住居においては、汝らに友情 の手を差し伸べるものも、汝らを助けるものもいない。汝らはまことに汝らの行いについて詰問され、神の大業に対する責任を果たさなかったことについて弁明 を求められ、誠実な態度をもって汝らを訪れた神に愛されし人々をなぜこうも軽蔑し、拒絶したかについて説明を求められよう。

神に愛されし人々に関して汝らは共に協議した。そして、汝らは自らの欲望が命ずるままに行動し、危急の場の救助者にして、全能者なる神の教えを見捨てたのである。

言挙げよ。何たることか。汝らは自らの策略にすがり、神の原理を葬り去るのか。まことに、汝らはその行為によって自らを害し、他人をも害したのである。お お、汝らこの事実を把握できたならば。言挙げよ。汝らの法や原則が正義に基づくものであれば、汝らはなぜ自らの腐敗した意向に合致する法を守り、自らの欲 望に反するものを拒否するのか。そのような状態にある汝らに、人を公正に裁く権利があると主張できるであろうか。汝らの命令にしたがって汝らの前に進みで た者を汝らは拒絶し、迫害し、日々新たな残虐行為をもって攻め立てたのである。汝らの規則や原則は、汝らのこのような行動を正当化し得るものなのか。一度 たりとも彼が汝らの命令にそむいたことがあったであろうか。イラクのすべての住民を始めとし、洞察力を有するすべての観察者はわが言葉の真実を証言する。

おお、帝国の大臣たちよ。判断に公正であれ。追放に値するどのようなことをわれが行なったと言うのか。流刑をもって罰せられるどのような罪をわれが犯した と言うのか。汝らとの面談を求めたのはわれである。だが、われを迎えることを汝らがいかに拒否したかを見よ。神かけて誓う。汝らの犯したことは痛ましいほ どの不当行為であり、この世のいかなる不正もこれに及ばない。全能者はこの事実を証言し給う…。

この世とその虚栄や装飾は消え去るものであることを知れ。そこに永続するものは何もない。唯一永続するものは神の御国である。御国は神のみに属し、神こそ はすべてに君臨する主であり、危急の場の救助者であり、栄光に満ちた全能者である。汝らの生涯の日々はめぐり、やがて汝らが没頭し自慢とするものはすべて 消滅する。汝らは神の天使たちの一団に召喚され、森羅万象の四肢が恐怖に震え、あらゆる圧制者の肉体が恐怖にしぼむ地点に必ず立たされるであろう。空虚な 生涯を通じて行なったことについて問われ、その報いを受けるであろう。これは汝らを待ち受ける避け難い日であり、何人もその時刻を遅らせることはできな い。これこそは真理を語り、すべてを知る者の口より発せられた証言である。

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LXVI. おお、帝都[28]の 住民たちよ。神を恐れよ。人々の間に紛争の種を蒔いてはならない。悪魔の道を歩んではならない。残された生涯の数少ない日々を唯一真実なる神の街道を歩 め。先立った人々の日々が過ぎ去ったと同様に、汝らの日々も過去のものとなろう。そして汝らの先祖が土に戻ったと同様に、汝らも土に戻るのである。

われは神以外の何ものをも恐れないことを知れ。われはただ神にのみ信頼を置き、神にのみすがり、神がわれに望むことのみを望む。まことに、これがわが心の願いである。汝ら、このことを知り得たならば。われはわが身体と魂を生贄いけにえとして諸々の世の主にお わす神に捧げた。神を知り得たものは神のみを知り、神を恐れるものはたとえ地上のすべての勢力が刃向かってきても神以外の何ものをも恐れない。われは神の 許しのもとにのみ語り、神の威力と権威を通じて神の真実にのみしたがう。まことに、神は真実を語るものに報い給う。

おお、しもべよ。汝の証言が人々の間に永く残り、信仰あるものへの忠告となるよう、汝が帝都に到着したときに目撃したことを語れ。帝都に入るや見たもの は、粘土に群がって遊ぶ子供のような大臣や長老たちであった。神がわれに教えた真理をわれが伝えようとしても、それを受けとめることができるほど成熟した ものをわれは発見できなかった。また、すばらしきわが英知の言葉を理解できるほど熟したものもいなかった。彼らの罪を思い、創造された本来の目的をまった く無視して生きている彼らの姿を見て、わが内なる目は彼らのために涙した。これが都で見たものであり、彼らに対する警告として、また、人類全体に対する警 告としてわが書に記録すると決めた事柄である。

言挙げよ。もしこの世とその虚栄を求めるならば、母の胎内にいたときに求めるべきであったのである。つまり、胎児のときには気づかずとも刻一刻とこの世に 接近しつつあったのである。一方、この世に生まれ成人したものは刻一刻とこの世から遠のき、土に近づきつつあるのである。だとすれば、余命いくばくもない 汝ら、与えられた機会をほぼ使い果たしてしまった汝らはなぜ地上の財貨をかき集めることにこれほどまでに貪欲なのか。おお、無思慮な人々よ。汝らはなおも 眠りから覚めないのであろうか。

神のためにこのしもべ[29]が汝らに贈る忠告に耳をかたむけよ。まことに、このしもべは何の報酬も汝らから求めず、神の定め給うことに服従し、神の御心に完全に従順なのである。

おお、人々よ。汝らの生涯の日々の大半は過ぎ去り、汝らの最期は迫りきている。それゆえ、自らが築き、自らすがりつづけているものを放棄せよ。代わりに神 の教えにしっかりとすがれ。そうすれば、神が汝らのために定めた目的を達成し、正しい進路をたどるものとなろう。この世のものや、この地上の虚栄と装飾を 自らの喜びとしてはならない。同様に、これらのものに望みをかけてはならない。最も崇高にして、最も偉大なる神の面影おもかげに全幅の信頼を置け。神は早晩、汝らの所有するすべてのものを無と化すであろう。神を自らの恐怖の的とし、神との間に交わした聖約を忘れてはならない。そして、ヴェールによって神より隔てられた存在であってはならない。

神の御前にあって傲慢に振る舞い、神の愛し給う人々を軽蔑の目で見、彼らを拒絶するようなことのないよう注意せよ。神と神の御しるしを信じ、神の一体性を 心より証言し、神の唯一性を声たからかに宣言し、神の許しのもとにのみ言葉を語る信仰深い人々の前では謙虚であれ。汝らがその眠りから覚めるよう、われは このように正義をもって汝らに忠告し、真実をもって汝らに警告するのである。

自分の望まない重荷を他人に課してはならない。また、自分に望まないことを他人に望んではならない。これは汝らに対するわが最善の忠告である。汝ら、このことを守れたならば。

汝らと共にある聖職者や学識者の内、その言動が一致し、神の定めた限界を逸脱せず、その判断が神の書に記された神の命令に沿うものを尊重せよ。彼らこそは 天と地に住むすべてのものに対する教導の灯りであることを確信せよ。自分たちと共に生きる聖職者や学識者を無視し軽視する人々は、まことに神の与え給う恩 恵を変質させる人々である。

言挙げよ。神が汝らに与えた恩恵を撤回するときを待つがよい。神は何も見逃さない。神は天地の秘密を知り、神の知識はすべてを覆う。汝らの過去の行為、こ れから行なおうとする行為、そしてわれに与えた苦悩を汝らの喜びとしてはならない。汝らはこのようなことで自分の地位を高めることは決してできない。汝 ら、自らの行いを鋭い目で考察することができたならば。同様に、汝らはわが崇高な地位を損なうことなど決してできない。否、われを襲った苦しみに忍耐を もって耐えたため、神はわれに報いるであろう。まことに、神は忍耐をもって耐えるものの報酬をいや増し給う。

このことを確信せよ。神の選ばれし人々、神に愛されし人々、神以外のすべてを超越した神のしもべら、全能者を記憶することにおいていかなる財宝や商工にも 欺かれることのない人々、神が語るまでは決して言葉を発することのない人々、神の命令にしたがって行動する人々はすべて、太古より試練と苦悩を味わう運命 にあったのである。これこそは太古よりの神の方法であり、未来においてもこの方法は変わることはない。確固として耐えるものに祝福あれ。あらゆる災難と苦 しみに耐え、身に降りかかった不幸を嘆くことなく忍従の道を歩むものに祝福あれ。

神は、われの生きた日々を想起する人々をやがて創造するであろう。彼らは、われを襲った苦悩について語り継ぎ、何の証拠もなくわれを不当に処遇したものら に対してわが権利の回復を要求するであろう。疑いもなく、神はわが虐待者の生命をも支配し、彼らの悪行をすべて知り給う。彼らの犯した罪のために、神は必 ず彼らを捕らえるであろう。まことに、神は最も凄まじい復讐者なり。

このようにわれは唯一真実の神について汝らに語り、神が定めたことを汝らに伝えた。それは汝らが神に許しを乞い、神のもとに戻り、まことに悔い改め、自ら の悪行を認識し、眠りから覚め、無思慮の状態を拭い捨て、過去の失態を償い、善を行なうものとなることを願ってのことである。わが言葉の真実を認めようと 欲するものは認めるがよい。また、認めようとしないものは背を向けるがよい。わが唯一の義務は、汝らが神の大業に対する自らの義務を怠っていることを汝ら に忠告することである。汝ら、わが忠告を聞き入れるものならば。神がその恩寵により汝らに慈悲を垂れ、汝らの罪を洗い流し、汝らの悪行を許すようわが言葉 に耳をかたむけ、神に戻り、悔い改めよ。神の広大なる慈悲は神の怒りの猛威をしのぐものである。そして、神の恩寵は、存在を与えられ、生命の衣につつまれ た過去と未来のすべてのものを覆いつつむのである。

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LXVII. 過去に一度も起きたことのないようなことがこの啓示において示されたのである。しかし、それを目撃した信仰なきものらはこのようにつぶやいた。「まことに、これは神に対する嘘を企てる魔術師に違いない」。彼らこそは見捨てられた人々である。

おお、日の老いたる者のペンよ。すべての国々に対し、イラクの地での出来事について述べよ。その地の聖職者たちの使者に任命され、われに面会したもののこ とを語れ。わが面前に進んだその使者は、様々な学問に関する質問をわれに向けたが、われはわれに内在する知識を通じてそれに答えた。まことに、汝らの主 は、目に見えざるすべてを知る。すると使者は言った。「私はここに証言します。あなたの有する知識は他のいかなるものの知識をもしのぐものです。人々はあ なたが崇高な存在であると言っています。しかし、この優れた知識だけではあなたの地位の崇高さを立証することはできません。もしあなたが真実を語るもので あるのなら、地上のすべての人間が力を合わせてもできないような偉業をお示し下さい」。すると、栄光と愛に満ちた汝らの主の存在の宮廷においてそのための 確固たる命令が発せられた。

「見よ、そして汝が何を見たかを語れ」。使者は呆然としていたが、やがて我に返って言った。「まことに私は栄光に満ち、すべてに讃美される神を信じま す」。「では人々のもとに帰り、彼らにつぎのように告げよ。『われにどのようなことを求めてもよい。彼は欲するままになす威力を有す。過去のいかなるもの も、また、未来のいかなるものも彼の意志を妨げることはできない』。言挙げよ。『おお、聖職者たちの集合よ。希望する事柄を決め、その実現を慈悲の神なる 汝らの主に求めよ。ただし、彼がその威力を通じて汝らの希望を実現させたときには、汝らみな彼を信じ、彼の真実を拒むものとはなるな』」。使者は答えた。 「悟りの夜明けの光明は現われました。慈悲なる者の証言は成就されました」。そして、栄光に満ち、すべてに愛される神の指示によって使者は席を立ち、彼を われのもとに送った人々のところに戻って行った。

何日過ぎても使者は再びわれを訪れることはなかった。ついに他の使者がやってきて、聖職者たちが当初の目的を断念したと説明した。何と卑しむべき人々か。 これがイラクでの出来事であり、ここに示したことをわれ自身が証言する。その後、この出来事は広く語り伝えられたが、誰ひとりとしてその真実の意味を理解 するものはなかった。われはこのように定めた。おお、汝ら、このことを知り得たならば。

われ自身にかけて言う。過去の時代においても、神の証明を示すよう求めたものはいたが、証拠が示されるや否や彼らはいつも神の真実を拒否した。それでも 人々は概ね無思慮の状態のままにある。一方、理解力の光明がその視力を照らしている人々は、慈悲に満ちた者の甘美なる芳香を認識し、彼の真実を受け入れる のである。彼らこそはまことに誠実なる人々である。

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LXVIII. おお、わが樹に実る果実であり、葉である侍女よ。わが栄光と慈悲は汝の上に宿らん。汝の身に降りかかった不幸を嘆いてはならない。生命の書を読むならば、そこに汝の悲しみをぬぐい、苦悩を溶かし去るものを必ず発見するであろう。

おお、わが樹に実る果実よ。人の運命や宿命についてつぎのことを確信せよ。命令者におわす主権者が発する命令には二通りあり、人はその両方を受け入れ、し たがわなければならない。一方の命令は、決して変えることのできない定めであり、他方は、人の言う「未だ途上にある命令」である。前者は、ひるがえること のない確定した命令であり、人は全身全霊をもってそれを受け入れなければならない。しかし、確定した命令であっても、神はそれを変えたり破棄したりでき る。ただし、変えることによって新たに生じる害は、その命令が変えられなかった場合の害を上回るものであるため、人は神の定める命令を進んで受け入れ、確 信をもってそれにしたがわなければならない。

反対に、未だ途上にある命令に関しては、祈りと嘆願によってそれを回避することができる。
おお、わが樹に実る果実よ。汝と汝の縁者たちが、その有害な結果から守られることを神に嘆願する。

言挙げよ。おお神よ、わが神よ。私の手に託し給いましたものを、あなたは御心により御自分のお側近く呼び戻し給いました。あなたの侍女なる私は、このこと がなぜ私に降りかかったのか、なぜこうでなければならないのか、と尋ねる立場にはありません。あなたのいかなる行いも讃美され、あなたのいかなる命令にも したがわなければなりません。おお、わが主よ。あなたの侍女は御恩寵と御恵みに望みを託しております。私をあなたのお側近く引き寄せるものと、あなたのす べての世を通じて有益なるものを得ることができますよう助け給え。あなたは許し給い、御恩寵に満ち給う御方にまします。あなたの他に神はなく、あなたは命 令者におわし、日の老いたる御方にまします。

おお主よ、わが神よ。人々の面前であなたの愛の美酒を飲み 干したものに祝福を垂れ給え。あなたの敵の迫害にもかかわらず、あなたの一体性を認め、あなたの唯一性を証言するものに祝福を垂れ給え。あなたの創造の世 にはびこる迫害者の四肢を恐怖に震わせ、地上の傲慢なるものらの身体を震撼させたものに対して自らの信仰を告白したものに祝福を与え給え。私はここに証言 いたします。御主権は決して滅びることはなく、御心は決して変わることはありません。あなたに顔を向け、あなたの御綱みつなをしっかりと握りしめたあなたの侍女たちに対し、御恩恵の大洋と御恩寵の天界にふさわしいものを定め与え給え。

おお、神よ。あなたは御自身を富の主と宣言し、あなたに仕えるすべてのものを貧しき困窮者と呼び給いました。まことにあなたは書き給う。「おお、信ずる 人々よ。汝らは神を必要とする困窮者であり、神はすべてを所有し、すべてに讃美される御方なり」。このように私は自らの貧しさを認識し、あなたの御豊かさ を認めるものであります。どうかあなたの富の栄光を私から取り上げ給わぬよう嘆願いたします。まことに、あなたは最高なる擁護者におわし、すべてを知り、 すべてに賢き御方にまします。

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LXIX. アシュラフの母親の行動を思い起こしてみよ。アシュラフは「ザ」の地[30]で命を捧げたが、彼は現在、疑いもなく真実の座にあり、威力に満ち給う全能者の御前にある。

不信心なる人々は不当にもアシュラフの命を断つことを決意し、母親をその場に呼ぶこととした。母親が息子に忠告を与えれば、息子は信仰を捨て、諸々の世の主なる神の真理を否定した人々の道を選ぶであろうと彼らは期待した。

息子の顔を見た母親の開口一番の言葉は、神を愛する人々と、天上の軍勢の心を悲しみに満たし、彼らは苦痛の悲鳴をあげた。わが舌の語ることをまことに主は知り給う。主こそはわが言葉の証人なり。

母親はアシュラフにこう言ったのである。「息子よ、私のいとしい子よ。主の道に命を捧げることを惜しんではならない。天と地に住むすべてのものがあがめ、 その御顔の前にぬかずく御方によせるお前の信仰を捨てることがないよう注意しなさい。息子よ。まっすぐ進みなさい。主なる神の道に忍耐しなさい。諸々の世 の最愛なる御方の御前を目指して急ぎなさい」。

わが祝福と、わが慈悲と、わが讃美と、わが栄光は彼女の上に宿らん。われは、われ自らをもって失われた息子を償うこととする。いまやその息子はわが権威と 栄光の天幕の内に定住し、彼の顔から放射される光は天上の館にある天の侍女たちを照らしている。その顔の輝きはわが楽園の住人や、あらゆる神聖な都市の住 人をも覆いつつむほどである。彼の顔を見るものはこう言うであろう。「見よ。これぞ高貴なる天使の姿に他ならない」。

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LXX. 世の中の平衡状態は、この最も偉大な、この新しい世界秩序の震えんばかりの影響力によってくつがえされたのである。人類の整然とした生活は、人間の目がこれまでに決して見たことのない、この二つとないすばらしい制度の力によって大改革されたのである。

汝らがその秘密を解き、深い所に隠されている知恵の真珠を残らず 発見できるよう、わが言葉の大海に身をしずめよ。この大業の真理を奉じる汝らの決意にぐらつきがないよう注意せよ。これこそは神の威力の可能性を示し、神 の主権を確立した大業である。喜びに輝く顔をもって、汝ら、神のもとに急げ。これこそは過去においても、未来においても、神の永遠にして不変の教えであ る。教えを求めるものには、それが得られんことを。また、それを求めることを拒むものについては、まことに、神は創造物を必要とすることをまったく超越 し、自ら満ち足り給う。

言挙げよ。これこそは神の御手に握られた誤りのない秤である。天 と地のすべてのものはこの秤にかけられ、その運命が決定されるのである。おお、汝らこの真理を認め、信ずるものならば。言挙げよ。これにより貧しきものは 富み、学識者は啓発され、探求者は神の御前に上ることができたのである。汝ら、この秤を自分たちの間の不和の原因にせぬよう注意せよ。強大にして慈愛深き 主の大業の中にあって、不動の山のようにしっかりと定住せよ。

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LXXI. おお、世の人々よ。わが美の昼の星が沈み、わが幕屋の天界が汝らの目から隠されるとき、失望してはならない。わが大業を促進し、わが言葉を人々の間に高め るために立ち上がれ。われは常に汝らと共にあり、真理の力で汝らを強めるであろう。われはまことに全能である。われを認めるものはみな、天と地のいかなる 勢力もその行く手を阻むことのできないほどの強い決意をもって立ち上がり、われに仕えるであろう。

世の人々は深い眠りにある。その眠りから目覚めれば、彼らは全知にして、聡明なる神のもとへと一心に急ぐであろう。主が彼らのことを心にとめ、わずか一言 でも主に言葉をかけてもらえるのであれば、彼らは地上のすべての財宝を所有していたとしても、それをすべて投げすてるであろう。隠されたる諸事の知識を有 する者は、かくして汝らに訓示する。彼はその知識を、創造物の目には触れることのない書簡に納めた。そしてその書簡は、諸々の世の全能なる加護者である彼 以外の何者にも明かされることはない。邪悪な欲望に酔いしれるあまり、人々は非常な困惑に陥っている。そのため、もはや彼らは「われ以外に神はなく、われ は強大にして、聡明なる者なり」と声たからかに四方より呼びかける万物の主を認めることができないのである。

言挙げよ。汝の所有物を汝の喜びとしてはならない。それらは、今宵、汝が所有していようとも、明日には他人のものとなる。すべてを知り、すべてに精通した 者が汝らにこう注意するのである。言挙げよ。汝の所有物が確かなものであり、永続するものであると断言できようか。否、最も慈悲深きわれ自身にかけて言 う。汝の生涯の日々は一陣の風のごとく過ぎさり、汝の誇る華美や栄華は、先立ったものらの虚飾や栄華と同様に崩れさるのである。熟考せよ、おお人々よ。汝 らの過ぎし日々と、失われた幾百年もの時のながれはどうなったのか。神への思いに捧げた日々は喜びの日々であり、聡明なる御方の讃美に過ごした時は、祝福 されたときである。わが命にかけて誓う。権力者の栄華も、富豪の富も、また、不信心者の優勢も持続するものではない。彼の一言でそれらはすべて消滅する。 まことに神は御力に満ち、全能にして、すべてを屈服させ給う御方である。人々の所有するこの世のものに何の利益があろうか。彼らは自分たちの真の利益とな るものをまったく無視している。そのうち、彼らは眠りから覚め、全能にして、すべてに讃美される彼らの主の日々に逃したものは、もはや取り戻せないことを 知らされよう。このことを悟っていたならば、主の玉座の前に彼らの名が語られるためには、彼らは自らのすべてを放棄していたであろう。まことに、彼らは死 者の内に数えられる。

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LXXII. おお、人々よ。わが存在の栄光が退き、わが言葉の大海原が静まるとき、心を乱されてはならない。われが汝らと共にあることには道理があり、わが不在にもまた違った所以ゆえんがある。比類なき者、全知者なる神以外は誰もそれを知り得ない。まことに、われはわが栄光の王国より汝らを見守り、わが大業の勝利のために立ち上がるものには誰であれ、天上の軍勢と、わが愛する天使の一団をもって援助の手を差しのべるであろう。

おお、地上の人々よ。永遠の真理におわす神こそわが証人なり。何ら束縛されぬ汝らの主の語った甘美なる言葉により、岩の中からも静かにながれる清水が湧き でたのである。にもかかわらず、汝らは今もなお眠りにある。汝らの所有するものを投げすて、世俗超脱の翼に乗り、すべての創造物を超えて高く舞い上がれ。 そのペンの動きにより全人類の魂に大変革をもたらした創造の主は、汝らにこう命じるのである。

栄光に満ちた汝らの主がどれほど高遠な所から呼びかけているかを、汝らは承知しているのであろうか。諸々の名の主である汝らの主が、汝らに命令するに用い たペンを、汝らは正しく認識したと想像しているのであろうか。わが命に誓って言う、決してそうではない。もしこのことを理解していたならば、汝らはこの世 のものをすて、最愛なる者の御前へと一心に急いだであろう。そして、最愛なる者の言葉に魅せられ、汝らの魂は喜びに恍惚こうこつとなったであろう。その喜びは全宇宙をも激動させるほどのものであり得たのである。とすれば、この狭く、取るに足りない世界にあっては、どれほどの激動が起こったであろうか。このようにしてわがめぐみの天水は、わが慈愛の天上より注がれたのである。これこそはわが恩寵の証である。されば汝ら、感謝するものであれ。

肉体の欲望と、堕落した心の抱く欲望とによって、汝らの間に分裂が生じることのないよう注意せよ。汝ら、一つ手の指の如く、また、一つ身体の器官の如くあれ。啓示のペンは、かくして汝らに勧告するのである。おお、汝ら、信ずるものならば。

神の慈悲と賜物について熟考せよ。神はいかなる被造物をも必要としない。にもかかわらず、神は汝らに対し、汝らを利するものを命じ給う。汝らの悪行は決し てわれを害することはない。汝らの善行もまた、われを利することはない。われはまったく神のためのみに汝らに呼びかけるのである。このことは、理解と洞察 力を有するすべてのものが証言するところである。

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LXXIII. つぎのことは明白であり、証明を待たない。神の御名や属性を現わすものの本質を覆いつつむヴェールが引き裂かれるとき、否、目に見える創造物と目に見えぬ あらゆる創造物の本質を覆いつつむヴェールが引き裂かれるとき、そこに残るのは神のしるしのみである。このしるしは、神御自身がそれぞれの創造物の本質の 内に置いたものであり、天と地の主なる神が望むままに持続するものである。万物には、これほどの祝福が授けられているのである。ならば、真の信仰を得たも のを待ち受ける運命はこれをはるかに越えてすばらしいものでなければならない。真の信仰を得た人々の誕生と存在を、全宇宙の創造の目的の原点と見なすこと ができる。信仰という本質は始まりのない始まりより存在し、終わりのない終わりまで存続する。それと同様に、真の信仰を得たものは永遠に存続し、永遠に生 きつづける。その魂は神の御心の周囲を永遠に巡り、神が永続する限り永続しつづける。真の信仰を得たものは、神の啓示を通じて出現し、神の指示によって姿 を隠す。不滅の領土の最も崇高なる館は、神をまことに信じ、神のしるしを信じる人々のために用意されていることは明白である。死はその神聖なる座を決して 侵すことはできない。汝が彼の愛の道に忍耐し、この真理を理解できるよう、われはこうして汝の主のしるしを汝に託すのである。

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LXXIV. 神の御口をもれる一つ一つの言葉は、すべての人体に新たな生命を授けるに充分な威力を有する。おお、汝ら、この真理を理解するものならば。この世に見られ る驚くべき事業のすべては、彼の最も崇高にして、至上なる意志の働きと、その確固不変たるすばらしい目的とを通じて現わされたものである。御自身の属性の 一つを人類に告げるために御口から「創作者」という一言が啓示されることにより、世々代々を通じて人間の手が創作し得る様々な技巧を生みだすに充分な威力 が放出されるのである。まことに、これは確かな真理である。この輝ける言葉が語られるや否や、この言葉にそなわった生気みなぎるエネルギーはすべての創造 物の中で躍動を始める。そして、それによりあらゆる技巧が編みだされ、完成させるための方法や手段が誕生するのである。今日、汝らが目のあたりにしている 多くの驚くべき成果はすべて、この名称の啓示の直接的結果なのである。きたるべき将来、まことに汝らは未だかつて聞いたこともないことを目撃するであろ う。神の書にはこのように定められており、洞察力にすぐれたもの以外は、誰もこのことを理解し得ないのである。同様に、わが属性の一つである「全知者」を 表わす言葉がわが口より発せられるや否や、すべての創造物は、その能力と限界に応じて、科学の知識を解き明かす最もすばらしい力を付与される。この知識を 実現させる能力も、時の経過と共に、全知なる全能者の指示により付与されよう。他にも、あらゆる名称が啓示されるとき、それに伴って同じような聖なる力が 放出されるのである。このことを確信せよ。神の御口をもれるあらゆる文字は、まことに母なる文字である。そして、神聖なる啓示の源泉である者が語るあらゆ る言葉は、母なる言葉であり、彼の書は母なる書である。この真理を理解するものは幸いなり。

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LXXV. 汝の視力を嘆かわしくも奪ったヴェールをわが名のもとに引き裂け。また、神の一体性に対する信仰より生まれた威力により、汝の 空虚な模倣に根づく偶像を霧散させ、慈悲に満ち給う御方の御喜びの清らかな楽園に入場せよ。神以外のすべてのものを離れ、汝の魂を浄化せよ。そして、彼の 広大にして強力な啓示の境内と、彼の最高にして過ちのない権威の下陰に安息を得ることの甘美を味わえ。自らを利己的な欲望の暗幕につつんではならない。何 となれば、わが業わざのす ばらしさが人々の前に完全に示されるよう、われは汝らの一人一人をわが創造の完成の域にまで引き上げたからである。このことにより人間はみな、栄光に満ち 給う神の美を自力で認識する能力を有し、今後も持ちつづけるであろう。人々にこのような能力が付与されていなければ、神の美を認めなかったものの責任をど うして問うことができようか。地上のすべての人々が召集され一堂に会する日、神の面前に立つものにつぎのような質問がなされたとすればどうであろうか。 「お前はなぜわが美を否認し、なぜわれに背を向けたのか」。この質問に対し「人はみな過ちを犯し、誰ひとりとして真理に顔を向けるものはいませんでした。 私もその例にならっただけです。悲しいかな、その結果、私は永遠なる御方の美を認めることができなかったのです」と答えるならば、その弁解は疑いもなく却 下されるであろう。つまり、人の信仰はその本人によるものであり、他人の行動に条件づけられるものではないのである。

これはわが啓示に秘蔵されたる真理の一つである。われはこの真理を荘厳なる舌に語らせ、威力のペンに書かせ、天来のすべての書に記したのである。このこと について熟考するならば、汝は汝の内なる眼と外なる眼とにより神聖なる英知の不思議と天来の知識の宝石を発見するであろう。われはそれらを明快にして重厚 な言葉をもってこの崇高にして朽ちることのない書簡に記録したのである。発見に成功すれば、汝は至上の玉座より遠くさまようことはなく、また、越えること のできない聖木や、永遠なる威力と栄光の住処を離れることも決してない。

創造物のなせる業わざに比 べ、神のしるしは太陽のように輝き、明らかである。彼に由来するあらゆるものは他とはまったく違い、人間の作り上げたものとは永遠に異なる。数限りない学 識と英知の発光体が彼の知識の源泉より創出され、慈悲に満ち給う御方の息吹が彼のペンの楽園から絶え間なく人々の心と魂に吹きわたっているのである。この 真理を知り得たものは幸いなり。

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LXXVI. お お、わがしもべよ。近づき難い最大者なる汝の主の王座より下されたことに耳をかたむけよ。神以外に神は存在せず、神は御自身を知らしめるために創造物を創 造した。神こそは慈愛に満ちた慈悲者なり。神はあらゆる民族が築いた都市に使者を送り、使者たちに使命を与えた。それは、神の御心の楽園の吉報を人類に宣 言し、久遠の神聖さと超越した栄光の座のもとにある永遠に安全なる避難所に人類を引き寄せるという使命である。

あるものは神の光にみちびかれ、彼の御前の宮廷に入場することができた。そこで彼らは忍従の両手より永遠の生命の清水を飲み、彼をまことに認め、信じた 人々の内に数えられるに至った。逆に、あるものは彼に反対し、神の御しるしを拒絶した。神こそは御力に満ちた全能者、全知者なり。

時代は進み、時はやがて時代の完成を見たこの主なる日の到来におよんだ。この日、バヤンの昼の星は慈悲の地平線上にその姿を現わし、栄光に満ち給う御方の 美はバブと呼ばれたアリ・モハメッドの崇高なる姿を介して輝きでた。バブが現われると人々はただちに彼に対する攻撃を始めた。あるものはバブを全能なるい にしえの神を冒瀆するものとして非難した。また、あるものはバブを狂人と決めつけた。このように言い張る僧侶にわれ自身も出会ったことがある。さらにある ものは神御自身の代弁者であるというバブの主張を否定した。彼らはバブを全能者の言葉の盗用者として非難し、バブが聖なる言葉の意味を曲げて自分の言葉に 混入させたと罵倒した。人々の口から流れでる言葉のために崇高なる者の目は涙にあふれる。そして、彼らは未だに自らの座にあって歓喜しているのである。

バブは声明された。「おお、人々よ。神こそわが証人なり。 われは、汝らのいにしえの祖先の主なる神のもとより啓示をたずさえてきたのである。おお、人々よ。汝らの所有するものに目を奪われてはならない。否、神が 汝らに贈ったものに目を向けよ。それは汝らにとって全宇宙にも増して価値のあるものである。汝ら、この真理を理解できたならば。おお、人々よ。 汝らの手元にある神の証拠や証言の言葉に今一度目を向けよ。そして、この日において汝らに届けられた啓示をそれらの証言や証拠と比べてみよ。そうすれば、 あやまりのない真実が必ず汝らに示されよう。おお、人々よ。 悪魔の足跡をたどるな。否、慈悲者の信教にしたがい、まことに信ずるもののひとりであれ。神の啓示を認め損なうことに何の利益があるというのか。それには 何の利益もない。全能者であり、すべてを知り、すべてに賢明なわれ自身を通じてわれはこの真理を証言する」。

バブが忠告を重ねれば重ねるほど人々の敵意はその猛威を増した。そしてとうとう、恥ずべき残忍さをもって人々はバブの命を奪ったのである。圧制者の上に神の災いあれ。

ごく少数のみがバブを信じ、ごく少数のわがしもべらが感謝を捧げたのである。バブは彼のすべての書簡、そして彼のすばらしい書物のすべての章節を通じてこ れらの信者に対しつぎのように忠告されたのである。きたるべき約束された啓示の日が到来したとき、他のことに没頭してはならず、天と地にあるいかなるもの にも身を投じてはならない。バブは声明された。「おお、人々よ。われは、きたるべき彼の出現のためにわれを現わしたのである。わが聖典のバヤンを汝らに下 した唯一の目的は、きたるべき彼の大業の真実を立証するためである。神を畏れよ。コーランの民はわれと論争したが、汝らはきたるべき彼と決して論争しては ならない。彼について何か耳にしたときは、彼のもとに急ぎ、彼が示すすべてのことにしっかりとすがれ。汝らに利益をもたらし得るものは、彼以外に何も存在 しない。汝らが、過去のすべての時代を通して人々が積み重ねてきたあらゆる証言の一部始終をそろえてもこのことは変わらない」。

その数年後、神の命令の天界は裂かれ、バブの美は新たな衣をまとい、神の御名の雲海より現われでたのである。しかし、この人々は森羅万象をその輝く光につ つむ者に悪意をもって刃向かったのである。この人々は彼の聖約を破り、彼の真理を拒絶し、彼と論戦を交え、彼の示すしるしのあら捜しをし、彼の証言を偽り の言葉と片づけたのである。こうして、彼らは不信仰なるものらの仲間入りをしたのである。やがて、この人々は彼の命を奪おうと決意した。取り返しのつかな い過ちの中にある人々の状態はこのようなものである。

目的を達成できないと悟ると、この人々は策略に走ったのである。見てのとおり、この人々は 毎日のように新たな策略を準備し、彼に危害を加え、神の大業を挫き、汚そうと必死になっている。言挙げよ。汝らに災いあれ。神に誓って言う。汝らの策略 は、汝ら自身を辱めるものである。慈悲の神なる汝らの主はいかなる創造物をも必要としない。いかなるものをもってしても神の所有するものを増やすことも、 減らすこともできない。汝らがもし信じるのであれば、その信仰は汝ら自身を利するのである。また、信じないのであれば、それによって苦しむのは汝ら自身以 外の何ものでもない。いかなる場合においても、不信仰者の手は決して彼の衣の裾を汚すことはできないのである。

おお、神を信ずるわがしもべよ。全能者の正義に誓って言う。われを襲った出来事について語れば、人の魂と心はその重荷に耐えることはできないであろう。神 こそわが証人なり。自分を監視し、この人々と同じ道を歩むな。汝の主の大業についてじっくりと瞑想せよ。他人を通じてではなく、主を通じて主を知るよう努 力せよ。何となれば、主以外に汝を利することのできるものは存在しない。森羅万象はこの事実を証言する。汝、このことを理解し得るものならば。

栄光に満ち、最も力強い汝の主の許しによりヴェー ルの中から姿を現わし、近づき難い至上者なる汝の主の名により永遠なる生命の聖杯を握りしめよ。そして、天と地のすべての住民を前にして、ためらうことな く聖杯を飲み干せ。神に誓って言う。聖杯が汝の唇にふれる瞬間、天上の集合はつぎのように汝を称えるであろう。「心行くまで飲め、おお、神をまことに信じ るものよ」。同様に、永遠なる生命の都市の住人たちはつぎのように叫ぶであろう。「喜びに満たされよ、おお、主の愛の聖杯を飲み干したものよ」。さらに、荘厳なる舌は汝をこう迎えるであろう。「おお、わがしもべよ。大いなる祝福が汝を待ち受けている。汝の到達した地点は、天と地にあるすべてのものを超越し、真の超脱の旗印である人々以外は決して到達し得ない地点である」。

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LXXVII. さて、人間の創造に関する汝の質問について。人はみな、庇護者におわし、御自力にて存在し給う神によって築かれた性質をもって創造されたことを知れ。そし て、神の保護された、威力あふれる書に定め記されたところにしたがい、各人に対しては前もって決められた分量が与えられている。しかし、汝が潜在的に有す るものはすべて、汝自身の意志の働きを通じてのみ実現される。汝自身の行動がこの真理を証明している。たとえば、バヤンの書に記された禁法について考えて みよ。神はその書の中で、御自身の命にしたがい、御心に召すままに合法なるものを規定した。同様に、御主権の威力を介し、神は選ぶままに禁法を定めた。バ ヤンの書の聖句がこのことを証言している。汝もまたこのことを証言するに違いない。しかし、人は故意に神の法を破る。とすれば、その行為の責任を神に帰す ることができるのであろうか。それとも、その責任は法を犯した本人にあるのであろうか。公正に判断せよ。善きものはすべて神に属し、悪しきものはすべて汝 自身からでたものである。汝にはこのことが悟れないのであろうか。この同じ真理はあらゆる聖典にも啓示されている。汝、このことが理解できるものならば。 神にとって、汝が心に描く行為はすべて、その行為がすでに実行されたときと同様に明白である。神をおいて他に神はなく、森羅万象とその統治は神と共にあ る。神の御前において万事は明白であり、すべては神の聖なる隠されたる書簡に記録されている。しかし、神のこの先見を、人の行動の原因とみなしてはならな い。それはあたかも、汝がある出来事を予知していたり、それが起こることを望んでいたとしても、そのこと自体が決してその出来事の原因となり得ないのと同 様である。

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LXXVIII. 創 造の起源に関する汝の質問について、つぎのことを確信せよ。神の創造は、永遠なるいにしえより、永遠なる未来を通じて存在しつづけるものである。神の創造 には始まりはなく、終わりもない。「人類の主」という名が、しもべの存在を前提としているように、「創造の主」という神の名も、創造の存在を前提としてい るのである。

古来の預言者たちの言葉として、つぎのようなことが語り継がれている。「最初に神が存在し、神を知る創造物は何一つとして存在しなかった」。「主は独りで いたため、主を敬愛するものは何も存在しなかった」。これらや、これに似た言葉の意味は明白であり、その意味を誤解してはならない。彼の啓示したつぎの言 葉がこの真実を物語っている。「神は独りでいた。そして、神と共にあるものは何もなかった。神の永遠なる有り様は永遠に変わらない」。洞察力を有するもの は容易にこの事実を認めることができるが、主は現在その姿を現わしているにもかかわらず、主の栄光を認知するものは誰もいない。これらの言葉の主旨はここにある。つまり、神聖なる存在者の住まう場所は、神以外のすべてのものの視界の届くところをはるかに超えるものである。現世は 附随の世であり、附随の世で表現され、理解され得るものはおのずとこの附随の世に課せられた限界を越えることはできない。神のみがその限界を超越し給う。 まことに、神は永遠のいにしえより存在し給う。永遠なるいにしえより、神には対等者や協同者は存在せず、永遠なる未来を通じてもそれはあり得ない。神の名 に比較し得る名は存在しない。また、いかなるペンも神の性質を描写し得ず、いかなる舌も神の栄光を語ることはできない。神は永遠に神以外のすべてのものを はるかに超越して崇高なり。

神の至上の顕示者がその姿を人類に現わすときについて考えてみよ。その時刻が到来するまでは、いにしえの存在者は神の言葉を発しておらず、誰ひとりとして その存在を知るものはない。その状態においては、いにしえの存在者は、誰もその存在を知らない世における全知者である。まことに、それは創造物を持たない 創造主の状態である。そして、彼の啓示に至る直前の瞬間において、すべての創造物は自らの魂を神に捧げて息絶えるのである。つぎの言葉はまことにこの日の ことについて書かれたものである。「この日、王国は誰に所属するのか」。そして、この問いに答えるものは誰ひとりとして存在しない。

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LXXIX. 神の諸々の世界に関する汝の質問について。神の世は無数にあり、その範囲は無限であるという事実を知れ。すべてを知り、すべてに聡明なる神以外に、これら の世界を計り知るものも、理解し得るものもない。睡眠中の汝の状態について考えてみよ。まことにわれは告ぐ。睡眠の現象は、人の世における神の最も神秘な しるしである。おお、このことを人々が心の中で熟考するならば。見よ、汝が夢の中で見たことが、年月を経て完全に実現されることを。夢の中の世界が汝のい ま住む世界と同一であれば、夢の中の出来事は同じ瞬間にこの世においても起こっていなければならない。同時の出来事であれば、汝自身がそのことを証言して いたであろう。しかし、事実はそれと異なる。したがって、必然的に、汝の住む世界は汝が夢の中で経験する世界とは異なり、別のものである。後者には始まり も終わりもない。この夢の中の世界は、栄光に満ちた全能なる神の定め給う通り、汝自身の内にあり、汝の内につつまれている、ともし汝が主張するならば、そ れは真実と一致する。また、汝の精神は睡眠の限界を超え、地上のあらゆる執着を脱ぎすてて、この世の最も内奥の真髄の中に隠された領土を神のなせる業によ り横切ったと主張しても、それもまた同様に真実である。まことにわれは告ぐ。神の創造は、この世界以外の多くの世界に及び、地上の創造物以外の創造物をふ くむ。神はこれら各々の世界において、神以外の何者も探し求めることのできないものを定め置き給うた。神こそはすべてを探索し、すべてに賢き御方である。 汝の主であり、諸々の世の主におわす神の目的を発見することができるよう、われがここに汝に明かしたことについて瞑想せよ。これらの言葉の中には、神聖な る英知の神秘が秘蔵されている。われはこの主題に関してくわしく論ずることを差し控えた。それは、わが言葉によって創造されたものらのなす行為の結果、わ れは悲しみに取りかこまれているからである。おお、汝、わが声に耳かたむけるものならば。

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LXXX. 神の預言者や神に選ばれし人々は別として、人は肉体の死後、この世での生涯を特徴づけた個性、人格、意識および理解をまったく そのまま保持するかどうか、汝はわれに質問した。もしそうだとすれば、失神や重病のような頭脳能力への軽い障害が人の理解と意識を失わせるのに、どうして 肉体の分解とその要素の分離を必然的に意味する死が、理解力を滅ぼし、意識を消滅させる力を持たないのかと汝は述べた。人間の存在と機能に必要な器官その ものが完全に分解するときも、人間の意識と性格が保たれていくと誰が想像し得ようか、と汝は質問した。

人間の魂は肉体や心のあらゆる病を超えて崇高なる ものであり、それらより独立した存在であることを知れ。病人に見られる虚弱は、魂と肉体の間に介在する障害物によるものである。魂そのものはいかなる肉体 の病にも影響されない。ランプの光について考えてみよ。外部の物体はランプの光を遮断するかも知れないが、光そのものは衰えない力で輝きつづける。同様 に、人間の肉体を苦しめるすべての疾病は、魂がその固有の実力と能力を顕わすことを妨げる障害物である。しかし、肉体を離れたあと、魂は地上のいかなる力 も及ばないほどの権勢と影響力を発揮する。すべての純粋で洗練され、聖別された魂は途方もない力を付与され、非常な喜びに喜悦するであろう。

枡の中に隠されているランプについて考えてみよ。 ランプは輝いていてもその光は人の目には映らない。同様に、雲に覆われている太陽について考えてみよ。実際は、光の源泉は不変であるのにその輝きは何と減 じたように見えるかを観察せよ。人間の魂を太陽にたとえると、地上の万物は人間の肉体にたとえられる。外部の障害物が両者の間に介在しない限り、肉体の全 体が魂の光を反映しつづけ、魂の力によって支えられるのである。しかし、両者の間にヴェールがさしはさまれるや否や、その光の光輝は減ずるように見えるの である。

さらに、雲のかげに完全に隠れた太陽について考え てみよ。地球はそれでもなお太陽の光に照らされているが、地上に届く光の量はかなり減じられている。雲が消えるまで、太陽はその栄光のすべてを現わすこと はない。雲の有無は太陽固有の光輝に影響を及ぼすことはない。人間の魂は肉体を照らす太陽であり、肉体は生命を維持するに必要なものを魂より得る。以上の ように考えるべきである。

また、果実について熟考せよ。果実は実を結ぶ前 に、樹の中に潜在的に存在する。樹を切り砕いても、そこに果実の小片さえ発見できない。しかし、汝も観察する通り、果実が姿を現わすとき、それは驚くべき 美とすばらしい完成度をもって出現する。実際、ある果実は樹から切り取られて初めて最高の発展の域に達するのである。

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LXXXI. さて、人間の魂とその死後の生存に関する質問につ いて。魂は肉体より分離後、神の面前に到達するまで進歩しつづけるということを知れ。魂がやがて到達する状態は、年代と世紀のめぐりによっても、この世の 変遷と偶然によっても変わることのない状態である。そして神の王国、神の主権、神の統治と威力がつづく限り魂も永続し、神の諸々のしるしや属性を顕わし、 神の慈愛と恩恵を放射する。これほど高遠な地位の崇高さと栄光を適切に述べようとするとき、わがペンの動きは止まる。いかなる言葉も慈悲の御手が魂に付与 する栄誉を適切に表現することはできず、地上のいかなる力をもってしてもそれを描写することはできない。肉体を後にするとき、世の人々の空ろな想像より聖 別されている魂は幸いなり。そのような魂は、創造主の御心にしたがって生き、行動し、最も高遠なる楽園に入る。最も崇高なる館の住人なる天の侍女たちはそ の魂を取り巻き、神の預言者や神に選ばれし人々はその魂との交友を求める。その魂は彼らと自由に会話を交わし、諸々の世の主なる神の道において耐え忍ばね ばならなかったことについて彼らに語るであろう…。 死後の魂の状態については決して叙述され得ず、また人間の目にその全貌を明かすことは適切ではなく、許されてもいない。神の預言者や使者たちは、人類を一 直線の真理の道にみちびく目的のためにのみ遣わされたのである。彼らの啓示の根底にある目的は、人間が死に際して最高度の純粋さと、聖別された状態で、そ して完全なる超絶をもって最も高遠なる御方の王座にのぼることができるように人類を教育することにある。これらの魂が放射する光は、この世の進歩と人々の 発展の原因となるものである。彼らは存在の世を発酵させる酵母であり、この世界の技巧や不思議が顕わされるよう活気づける力となるのである。彼らを通じて 雲は人々の上に恵みを降らせ、地球はその果実を結ぶのである。万物は原因、原動力、そして活力の源を必要とする。超脱の象徴であるこれらの魂は、存在の世 に崇高なる推進力を提供し、これからも提供しつづけるであろう。この世界が胎児を宿す母親の子宮の世界と異なるように、彼方の世はこの世界と異なるのであ る。人間の魂が神の面前に達するとき、その不滅性に最も適した、そして天界の住居に最もふさわしい姿を装う。しかし、魂の存在は原因に基づく結果であり、 絶対的なものではない。つまり、前者は原因に先行されるものであり、後者は原因から独立したものであるからである。唯一神のみが絶対的存在である。神の栄 光は高遠なり。この真理を理解するものは幸いなり。神の預言者の行動を心に照らして熟考するならば、汝らは必ず、そして進んで、この世以外に諸々の世が存 在しなければならないことを証言するであろう。すべての時代を通じて、真に賢明で学識ある人々の大半は、英知の書簡に栄光のペンによって記録されている通 り、神の聖なる書が明かしたことの真理を証言してきたのである。唯物論者さえも彼らの書の中で、神に任命された使者たちの英知を認め、楽園、地獄の火、未 来の報酬と罰についての預言者たちによる言及は、人々の魂を教育し高めようとする望みに動機づけられたものであると見なした。それゆえに、いかに人類一般 は各々の信仰や意見に係わりなく神の預言者たちの卓越性を認め、優越性を認識してきたかについて熟考せよ。神の預言者たちは超脱の宝石であり、あるものは 彼らを英知の権化と称賛し、他のものは彼らを神御自身の代弁者と信じる。神の世がこの地上での生命に限られると信じるならば、預言者たちはどうして敵に自 らを引き渡すことに同意したであろうか。また、誰もかつて経験したことも目撃したこともないほどの苦難と責め苦をどうして快く受け入れたであろうか。

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LXXXII. 魂の特質について汝はわれに質問した。まことにこ のことを確信せよ。魂は神のしるしであり、天来の宝石である。魂の実体は最も学識あるものも理解し得ないものであり、その神秘はいかに鋭敏な心意をもって しても計り知ることは望めない。全創造物の中で、創造主の卓越性を最初に宣言するのは魂であり、神の栄光を最初に認め、神の真理に愛着し、神の前で讃美を もって最初にひれ伏すものも魂である。神に忠実な魂は、神の光を反映し、やがて神のもとに戻る。しかし、創造主への忠誠を怠る魂は、自我と欲望の犠牲とな り、結局は自我と欲望の淵に沈むであろう。

この日、人々の抱く疑いや空想のために永遠なる真 理者より顔をそむけてはならない。聖職者や世俗の権威者が引き起こす騒ぎのために永遠なる真理者のメッセージを否定してはならない。万人の主なる神は、こ のことを遵守した人間を神の力強いしるしの一つと見なし、最も高遠なるペンが自らの書にその名を記録した人々のうちに数えるであろう。このような魂の真価 を認め、その地位を理解し、その美徳を発見したものは幸いなり。

昔の書には魂の多様な発展段階について多く書かれ ている。例えば強情、短気、霊感、慈悲、満足、神の御心に適うことなどである。しかし、最も高遠なる者のペンはそれについて論ずるつもりはない。この日、 神と共に謙虚に歩み、神にすがるすべての魂は、あらゆる良き名と地位の栄誉と栄光を授かる自己を発見するであろう。

睡眠中の人間の魂は、外部の影響を受けて魂に何ら かの本質的変化が起こっているとは決して言えない。つまり、魂の本来の状態や特性は変化するものではない。魂の働きに変化があるとすれば、それは外部的要 因によるものである。その環境、理解力、感知力の変化はすべて外部的影響によるものである。

人間の目について考えてみよ。それはすべての創造 物を感知する能力を持つが、ほんのわずかな障害が事物を識別する力を奪うほどにその視力を妨げるのである。これらの原因を創造し、これらの原因の原因であ り、この存在の世におけるあらゆる変化と変動はその原因によると定め給う神の名に讃美あれ。宇宙のすべての創造物は、神の知識にみちびく扉に過ぎず、神の 主権のしるし、神の諸々の名を現わすもの、神の威厳の象徴、神の威力の痕跡、神のまっすぐな道に入る手段に過ぎない…。

まことにわれは告ぐ。人間の魂の本質は神のしるし の一つであり、神の神秘のうちの神秘である。それは全能者の力強いしるしの一つであり、神の諸々の世の実在を宣言する先駆者である。人間の魂の中には、世 界が現在まったく理解し得ないものが秘められている。神の法のすべてに遍在する神の魂の啓示について心の中で熟考せよ。そして、神に反抗し、諸々の名の主 に向かうことを人々に禁じ、欲望と邪悪にしたがって歩むことを人々に強いるかの卑しく、どん欲な性格とそれとを対比せよ。まことに、それは過ちの道を遠く さまよう魂である…。

さらに汝は、魂が肉体より分離した後の状態につい てわれに質問した。まことにつぎのことを確信せよ。神の道を歩んだ魂は、必ず最愛なる者の栄光に戻り、引き寄せられるであろう。神の正義にかけて言う。そ のような魂はいかなるペンが叙述することも、いかなる舌が述べることもできないほどの地位に達するであろう。神の大業に忠実でありつづけ、神の道に揺るが ず確固とした魂は、昇天後、全能者が創造し給うたあらゆる世界に利益を与え得るほどの力を所有する。そのような魂は、理想の王と聖なる教育者の命により、 存在の世界を発酵させる純粋な酵母を提供し、この世の技巧や驚異を現わす力を供給する。粉が発酵するにはいかに酵母を必要とするかについて考えてみよ。超 脱の象徴であるこれらの魂は世界の酵母である。これについて瞑想せよ。そして、感謝するものであれ。

いくつかの書簡の中でわれはこの課題に言及し、魂の成長の様々な段階について説明した。まことにわれは告ぐ。人間の魂は、あ らゆる出現と退却を超えて高められたものである。それは静止していながら飛翔する。それは動いていながら静止する。魂は、始まりも終わりもない世界の実在 を証す証拠であると共に、偶発の世の存在を証言するものでもある。夢の中で見たことが多年の後、汝の眼前にいかに再現されるかを見よ。夢の中に現われた世 界の神秘がどれほど不思議なものであるかについて熟考せよ。汝の心の中で、計り難い神の英知について熟考し、その多種多様にわたる啓示について瞑想せよ。

神の工作の驚くべき証跡を目撃し、その範囲と特性について熟考せよ。預言者たちの打ち止めなる彼はこう述べた。「おお、神よ。あなたへのわが驚嘆と驚異を増し給え」。

物質の世界には限界があるかどうかという汝の質問 について。このことの理解は観察者の理解力によることを知れ。ある意味では物質の世界には限界が存在するが、他の意味ではそれはあらゆる限界を超えて高遠 なるものである。唯一真実なる神は永遠のいにしえより存在し、未来永劫を通じて存在しつづける。同様に、神の創造には始まりも終わりもない。しかしなが ら、創造されたものはすべてそれに先行する原因の結果である。このこと自体、創造主の唯一性を疑いの余地もなく立証する。

汝はさらに、天体の特質についてわれに質問した。 その特質を理解するには昔の諸々の聖典の中に述べられた天体と天空についての言葉の意味を調べなければならない。また、天体とこの地上の世界の関係と、天 体がそれに及ぼす影響を発見する必要がある。人の心はこの途方もない主題に驚嘆し、知性はその深い神秘に当惑する。神以外にこのことの意義を計り知ること のできるものはない。ある学者は地球の誕生を数千年前の出来事だとする。しかし、長年の観察にもかかわらず、彼らは地球以外の惑星の数やそれらの年代につ いて考えようとはしなかった。さらに、彼らの唱える理論より生じた多くの矛盾についても考慮せよ。あらゆる恒星は惑星を持ち、あらゆる惑星には固有の生命 体があり、その数は誰も計算し得ないほどであることを知れ。

おお、わが顔に目を向けたものよ。この日、栄光の 曙はその光輝を顕わし、最も高遠なる者の声は呼びかけている。われは以前、つぎのように語った。「この日は、誰も主に質問を向けてはならない日である。栄 光の曙より発せられた神の呼び声を耳にしたものは立ち上がってつぎのように叫べ。『おお、諸々の名の主よ。われここにあり、われここにあり。おお、天界の 創造者よ。われここにあり、われここにあり。そして、われここに証言す。あなたの啓示により、神の書に秘められていたものは明かされ、あなたの使者たちに よって聖典に記録されたすべてのことは実現した』」。

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LXXXIII. 人間の真髄に目を向けて見ると、そこには神によって付与された意識というものが存在する。まず、自分自身について考えてみよ。汝の運動と静止、意志と目 的、視力と聴力、嗅覚と言語力、そしてそれ以外に汝の五感や精神的洞察力に関連するものや、それらを超越するものを観察してみよ。これらはすべて意識とい う能力に由来し、意識によってその存在が可能となっているのである。それらは意識と非常に密接に結びついているため、肉体とのつながりが一瞬でも切断され ると、それらすべての感覚はただちに停止し、その働きを表わす能力を奪われてしまうのである。上述のすべての感覚は、意識の正常な機能に常に依存している ことは明白であり、疑いの余地はない。そして、意識は、万物の主権者なる主の啓示のしるしの一つと見なすべきものである。すべての名や属性は意識が機能す ることによって出現し、意識の働きの停止によってすべてが崩壊し、消滅するのである。

この能力は視力と同じものであると主張すれば、それはまったくの間違いである。つまり、視力は意識に由来するものであり、視力の働きは意識に依存するもの なのである。同様に、この能力は聴力と同じものであるという主張も意味のないものである。つまり、聴力がその機能を果たすためのエネルギーは意識という能 力から得られるからである。

同様の関係が意識を、人体に備わっている他のすべての名や属性が与えられたものにも結びつけているのである。これらの名や現実の属性は、神のしるしである この能力を通じて発揮されるものである。その本質と真実において、このしるしはあらゆる名や属性をはるかに超越するものである。否、このしるしの栄光に比 べれば、他のすべてのものは無と化し、忘れ去られたものとなる。

過去と未来の最も優れた賢者たちが達成し得る知性と理解力を結集し、今から始めて終わりのない終わりまで考えつづけても、汝は決してこの神秘を理解し、そ の真価を計り知ることはできない。まことに、これは神の定めた捉え難い真理であり、不変にして栄光に満ち給う神の啓示のしるしである。汝に内在するこの真 理を充分理解するに無力であることを悟るならば、神を理解することは到底適わないことを容易に認めることができよう。衰えることのない栄光の昼の星であ り、永遠なる日の老いたる者におわす生ける神の神秘を解き明かそうとする汝の努力も、他のいかなる創造物の努力も実を結ぶことはないのである。成熟した瞑 想の結果、人はやがて自らの無力を告白するに至るが、この告白こそが人間の理解の頂点であり、人間の発展の最高峰を示すものである。

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LXXXIV. 唯 一真実の神を、創造物とは別の、そして限りなく高められた存在として考えよ。全宇宙は神の栄光を反映しているが、神は創造物より独立し、創造物を超越した 存在である。これが神の一体性の真の意味である。永遠の真理なる神は、存在の世界に無双の主権を行使する威力に満ち、その姿は万物の鏡に映しだされてい る。存在するものはすべて神に依存し、万物の生命を維持する糧はすべて神に由来する。これが神の一体性の意味であり、これがその根本の原則である。

あるものは自らの空虚な幻想に惑わされ、創造物を神と同列と捉え、神の協同者と見なした。彼らは自分たちこそが神の一体性の提唱者であると想像した。唯一 真実なる神かけて言う。そのような人々は盲目的模倣の犠牲者であり、そうありつづけるであろう。彼らは、神の概念を狭め、限定するものらのうちに数えられ るのである。

神の一体性をまことに信ずるものは、二元性と唯一性を混同することはなく、神の唯一性の概念をくもらせる多様性の観念をしりぞけ、聖なる存在者をその本質により数の限界を超えるものと見なすのである。

神の一体性の信仰の真髄は、神の顕示者と、目に見えない、近づき難い、不可知の精髄である神を、一つであり、同じであると見なすことより成り立つ。このこ との意味はつぎの通りである。神の顕示者に関するものはすべて何のためらいもなく神御自身の意志と同一視されなければならない。つまり、あらゆる状況下で の顕示者の行動と行為や、顕示者が定めるものと禁ずるものすべてのあらゆる様相は神の意志と一致するのである。これは神の一体性をまことに信ずるものが到 達することを望み得る最も高遠なる地位である。この地位に達し、信仰に確固たるものは幸いなり。

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LXXXV. おお、わがしもべらよ。魂が振るい立つこの神聖なる春の季節、恩寵に満ちた恵みが汝らの上に降り注いでいる。汝らはこの恵みにより汝らの魂を活気づけ、よ みがえらさなければならない。彼の偉大なる栄光の昼の星はその光輝を汝らに注ぎ、彼の無限の恩寵の雲は汝らを覆いつつんでいるのである。このすばらしい恩 恵を逸することなく、また、新しい衣に身をつつんだ最愛なる者の美を認め損なうことのないものの報酬は何と大いなるものであろうか。

言挙げよ。おお、人々よ。神のランプは赤々と燃えている。汝らの背反の暴風がその光を消すことのないよう注意せよ。今こそは立ち上がり、主なる汝らの神を 大いに称えるときである。肉体の安らぎを追い求めることなく、汝らの心の純粋を守り、汚点のないものとせよ。邪悪なるものは汝らを罠に陥れようと待ち伏せ ている。その忌まわしい仕掛けに捕らわれることのないよう身構えよ。そして、唯一真実なる神の名の光にみちびかれ、汝らをつつむ暗黒を脱出せよ。自分自身 のことに陶酔することなく、汝らの思考を最愛なる者に集中せよ。

言挙げよ。おお、道を外れ、迷える人々よ。真実以外を語ることのない神聖なる使者は、最愛なる者の到来を汝らに告げる。見よ、今や最愛なる者は出現したのである。ならば、汝らはなぜ悲しみと憂鬱ゆううつの中にあるのであろうか。純粋にして隠されたる者は、ヴェー ルを捨て、汝らと共にいるではないか。ならば、意気消沈する理由はどこにあろうか。始まりと終わりであり、静と動である者は汝らの眼前に今や姿を現わした のである。見よ。この日、終わりの中に始まりの姿が映しだされ、静寂の中から動きが生じたのである。この動きは、全能者の言葉により創造の世の隅々にまで 放出された強力なエネルギーより生じたものである。生命力あふれるその威力により活力を得たものは、最愛なる者の宮廷に向かわざるを得ない自分を発見する であろう。そして、これより自らを遠ざけるものは、救い難い落胆と悲嘆に沈むであろう。この世と、そこに存在するいかなるものにも邪魔されず、この時代の 光明を発見し、人々の言葉に惑わされることなく正道に踏みとどまることのできたものこそが真の意味の賢者である。この啓示のすばらしき夜明けに漂う微風 は、魂を振るい立たせる息吹である。それでも蘇生そせいされないものは、まことに死者にも等しい。至上の救世主を認めず、自らの魂を自らの欲望の鎖で縛り、魂を悲嘆と無力の状態に放置するものはまことに囚人に等しい。

おお、わがしもべらよ。この泉の水を味わったものは永遠の命を獲得し、飲むことを拒むものは死者にも等しいのである。言挙げよ。おお、不正を働く人々よ。 嫉妬心が原因となり、汝らは、すべてに満ち足り給う御方の甘美なる声に耳をかたむけようとしない。彼の神聖なる秘密が汝らに明かされるよう、ねたみを心か ら排除せよ。栄光の頂点にある太陽の如く出現して輝く彼を見よ。

言挙げよ。おお、理解力を持たない人々よ。厳しい試練が汝らを追跡し、突然汝らに襲い掛かるであろう。この試練が汝らに危害を加えることなく過ぎ去るよう 奮起せよ。偉大なる栄光をもって汝らの前に現われた主なる汝の神の名の高貴を受け入れよ。まことに、彼はすべてを知り、すべてを所有する最高の保護者な り。

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LXXXVI. さて、人間の魂は肉体より分離後も、引きつづき互いに認識し合うか、という汝の質問について。深紅の箱船に入り、そこに定住するバハの人々の魂は、肉体よ り分離後も互いに親密に交わり、語り合うことを知れ。彼らは生活、希望、目的、努力のすべての面において非常に密接な係わりを持ち、あたかも一つの魂のよ うになるであろう。彼らこそはまことに博識であり、鋭い洞察力を持ち、理解力を授けられた人々である。すべてを知り、すべてに賢き者はこのように定めたの である。

神の箱船の住人であるバハの人々はみな、互いの置かれている状態と様子を充分認識し、親しさと友情の絆でむすばれている。しかし、この状態に達すること は、各自の信仰と行いとに必然的にかかっている。同じ地位と等級にあるものは、互いの能力、性格、業績、真価などを充分に知っている。しかし、低い地位の ものは、上級者の地位を正しく理解することも、真価を評価することもできない。各人は、汝の主よりその分け前を与えられよう。神のもとへと魂が飛び立つま で、常に顔を神に向け、神の愛の道を確固として歩むものは幸いなり。神こそは主権に満ち給う万物の主であり、最も力強く、常にゆるし給う御方、すべてに慈 悲深き御方である。

一方、不信心者の魂に関しては、われはつぎのように証言する。最後に息を引き取るとき、彼らは生涯を通じて逸した善きものに気づき、自分の置かれた苦境を嘆き、神の御前において自らをいやしむであろう。魂が肉体を離れた後も、彼らのこの状態はつづく。

肉体の死後、人はみな、自分の行いの価値を評価し、自らの手が何をなしたかを知らされる。このことは明白明瞭である。神の威力の地平線上に輝く昼の星にか けてわれは誓う。唯一真実の神を信奉するものがこの世を後にする瞬間、叙述し得ないほどの喜びと歓喜を経験する。一方、過ちの内に生きてきたものは、比べ ようのない恐怖とおののきにとらわれ、非常な驚きと混乱に覆われる。すべての宗教の主におわす御方の、御恩寵に満ちた賜物と、諸々の御恩恵とにより、信仰 の不朽なる選り抜きの美酒を飲み干したものは幸いなり…。

神に愛されし人々はこの日、神の顕示者に目を向け、顕示者が御心にしたがって啓示したものに目をしっかりと据えなければならない。過ぎさりし時代から引き 継がれてきた伝承の中には、何ら根拠を持たないものがある。また、過去の世代の人々が心に抱き、書物に記してきた概念は大部分、堕落した心の欲望に影響さ れたものである。汝も見て知っている通り、神の言葉に関して今日一般に普及している評論や解釈のほとんどは、真実をまったく含んでいない。その解釈の誤り は、そこに介在するヴェールが引き裂かれることによって暴露される場合もある。神のいかなる言葉の意味をも理解できていないことを、彼ら自身が認めるので ある。

人々は、過去の時代に語られた空虚な言葉より自らの心と耳を清めなければならない。そして、魂の奥底から神の啓示の曙である御方に向かい、彼によって顕わ されたすべてのものに向かわなければならない。神に愛されし人々がこのことを果たすならば、それは神の目から見て、非常な賞賛に値するのである。この真理 を示すことがここでのわが趣旨である…。

彼の名を讃美し、感謝するものであれ。わが愛する人々にわが挨拶を伝えよ。彼らこそは、神の愛を受けるために、神によって選ばれた人々であり、神は彼らの目標を成就させ給う。諸々の世界の主におわす神に栄光あれ。

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LXXXVII. さて、汝はつぎのように質問した。「人類の父なるアダム以前に生きた預言者たちや、その時代の王たちについては何も記録されていないが、それはなぜか」。 彼らに言及するものが存在しないことは、彼らが現実に存在したことを否定する証拠にはならない。記録が現存しないのは、それが非常に遠い過去の出来事で あったということと、この間、地球上に数多くの極めて大きな変化があったことに起因している。

アダム以前の人々は、今の時代に存在するような文字や筆記様式を知らなかった。さらに、読み書きの術をまったく知らない時代もあり、当時の人々は現在とは完全に違う方法や様式を持っていた。このことを正確に論ずるには詳しい説明を要する。

アダムの時代以降に起こった様々な変化について考えてみよ。地球上の人々に現在広く使われている言語も、もとは存在しなかっ た。地球上に現在広く普及している戒律や習慣についても同様のことが言える。過去の時代の人々は、現在知られている言語と異なる言語を用いていた。その 後、バベルという地において言語の分化が始まった。その地は「言葉の混乱が起こった場所」という意味の「バベル」と呼ばれた。

後に、様々な言語の中でシリア語が優勢となり、古代の聖典はこの言語を用いた。やがて、神の友なるアブラハムが出現し、地上を神の啓示の光で照らした。ヨ ルダン川を渡る際にアブラハムが使った言語は「渡る際の言葉」という意味の「ヘブライ語」と呼ばれた。そして、神の書や教典はこのヘブライ語をもって示さ れるようになった。アラビア語が啓示の言語となったのはそれからさらに長い時代が経過してからである…。

アダムの時代以降に起こった言語、言葉、書体における度重なる広範囲な変化を見よ。アダム以前の時代に起こった変化はこれをはるかに上回るものであったに違いない。

このようなことを著すわが目的はつぎのことを示すことにある。つまり、その最も高く超越した地位において、唯一真実なる神はい にしえより永遠の未来を通じて常に御自身以外のあらゆるものの讃美と想像を越えて崇高である。神の創造は永遠に存在し、神の栄光の顕示者たちと、永遠なる 神聖さの黎明の場である人々は太古よりこの世に遣わされ、人類を唯一真実なる神のもとに召集する任務を付与されてきたのである。彼らの名前が一部忘れられ てしまい、彼らの生涯に関する記録を失われたのは、この世界を巻き込んだ度重なる動乱や変革が原因である。

様々の書に大洪水のことが記されており、その大洪水は歴史の記録や地上にあったすべてのものを破壊したとある。同じような大災害が数多く起こり、それによ り過去の出来事の痕跡は消滅したのである。地球はいつ生まれ、歴史はどこまでさかのぼるのか。このことについても、現存する史料や様々な民族の言い伝えに 異なる説明を見ることができる。ある民族は八千年の歴史を有するとし、他の民族は自分たちの歴史は一万二千年前までさかのぼるとする。ジュークの書を読め ば明らかであるが、様々な書に登場する記述には多くの相違点がある。

汝が汝の目をこの最も偉大なる啓示に向け、これら相反する物語や伝承を完全に無視することができるよう、われは神に嘆願する。

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LXXXVIII. まことに、このことを知得せよ。正義の真髄と正義の源泉とはいずれも、人類に対する神御自身の顕示者によって定められた法の内に具現化されている。おお、 汝ら、この真理を認めるものならば。実に、顕示者は最高にして、誤りのない正義の基準をすべての創造物に対し具現するものである。顕示者の定める法が、た とえ天と地にあるすべてのものの心に恐怖をもたらすものであったとしても、その法はなおも明白なる正義に他ならない。この法の啓示が人々の心に引き起こす 恐怖と不安は、実に、母親の乳より離された乳児の泣き叫ぶ声にたとえられよう。おお、汝ら、洞察力を有するものならば。人間は、もし神の啓示の根底に存在 する目的を発見することができれば、必ず恐れをすて、感謝の念に心を満たし、至上の喜びをもって悦に入るであろう。

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LXXXIX. 神の言葉は永続するものであることを汝は固く信じている。神の栄光は崇高なり。ならば同様に、神の言葉には無限の意味が含まれていることを、疑念を許さな い信念をもって確信せよ。神の言葉の選ばれた解釈者と、その言葉の秘密を胸に秘めた人々以外は誰も神の言葉の大いなる英知を計り知ることはできない。聖典 を読み、神の代表者の権威をくつがえそうと聖典の中から意のままに選ぶものはまことに死者同然である。表向きは隣人と歩み会話し、隣人と飲食を共にしてい ても、死者同然である。

おお、この世の人々はなぜわれを信じようとしないのであろうか。すべての名の主なる神がバハに教授し、バハの胸のうちに秘められていることが人類に明かされるならば、この地上の人々はひとり残らず唖然とするであろう。

言葉の衣につつむことのできない真理は何と多く存在することか。いかなる表現法をもってしても充分に言い表わすことのできない真理は無限に存在する。その ような真理の意義を解明することはできない。また、何らかの比喩を用いたとしてもその真理に接近することはできない。定められた時刻が到来するまで、多く の真実については語ることすら許されない。まさに、つぎのように書かれている通りである。「人は、自分の知っていることのすべてを明かすことはできない。 また、明かし得ることのすべてが時機を得ているとは言えない。そして、時機を得た言葉のすべてが聞き手の能力に合致しているとも言えない」。

これらの真理の内、わが知識の光の宝庫であり、わが隠されたる恩寵の受領者である人々の能力に合った真理のみが開示される。神が御力により汝を強化し、汝 がすべての知識の源である者を認めることができるよう助け、汝がすべての人為的学問より自らを解放できるようわれは神に嘆願する。つまり、「すべての知識 の対象である者を既に発見し認めたのであれば、さらに学問を追求する利益はどこにあろうか」。知識の根本である御方にすがれ。知識の源泉である御方にすが れ。そうすれば、明白な根拠を持たず、明瞭な書の証言にも支持されることのない人為的学問にたけていると自負するあらゆる人々の支配を逃れることができよ う。

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XC. 天 上に存在するすべてのものと、地上に存在するすべてのものは、みなその中に示されている神の属性や御名の直接の表われである。例えば、一つ一つの原子の中 には、あの最大の光の啓示を雄弁に立証する数々のしるしが秘められている。思うに、あの啓示の偉大なる力がなかったなら、すべての存在はあり得なかったで あろう。一つの原子の中に輝く知識の発光体は何と輝かしく、一滴の雫に波打つ英知の大洋は何と広々としていることであろう。人間はこの原理を立証する最高 の証拠である。つまり、すべての創造物の中にあって、天賦の衣は人間に与えられ、人間はこのようにすばらしい栄光が得られるよう選び抜かれたのである。何 となれば、神のすべての属性や名は人間の中に潜在する。そして人間に宿るその潜在性は、他のいかなる創造物もしのぐことのできないほどのものである。人間 は神のすべての名や属性を享受することができる。まさしく、こう述べられている。「人間はわが神秘であり、われは人間にとっての神秘である」。この最も微 妙で高遠なる主題に関する数多くの聖句は、すべての天来の書や聖典に繰り返し登場する。まさしくこう述べられている。「われは、彼らに対し、わがしるしを この世と彼らの内に必ず示す」。また、こうも述べられている。「そして、汝らは自らの内に宿る神のしるしが見えないのか」。さらにまた、こう述べられてい る。「神を忘れ、そのために神により自分を忘れさせられたものらのようにはなるな」。これに関連して、永遠の王におわす者はつぎのように述べ給う。願わく は神秘なる礼拝堂に住むすべてのものの魂が彼に捧げられんことを。彼曰く、「己を知るものは、神を知るものである」。

これらの言葉はつぎのことを明白に示している。神の名や属性はあらゆる創造物の内に啓示されており、万物の最も内なる本質がこのことを証言している。あら ゆる創造物は、その能力に応じて神の知識を示したり表わしたりする。これは非常に力強く普遍なる啓示であり、目に見えるもの、見えぬもののすべてを覆いつ つんでいる。まさしくこう述べられている。「神を表わすだけの啓示の力を有するものが神以外に存在し得ようか。神を発見できない目は盲目なり」。同様に、 永遠なる王はこう言われた。「何を見ても、われは常にその内部に、またその前後に神を見る」。さらに、コメイルの伝承にこう書かれている。「見よ、永遠の 朝から一条の光がさし、その光の波は人間の本質の奥底にまで浸透した」。すべての創造物の中で、人間は最も崇高なる存在であり、最も完成された存在であ る。そのため、この啓示の光度において人間は他のあらゆる創造物をしのぎ、この啓示の栄光をより完全に表現している。そしてすべての人間の中で最も完成さ れ、最も秀でて、最も卓越した存在は真理の太陽の顕示者たちである。否、顕示者以外のすべての人間は、顕示者の意志の作用によって生き、その満ちあふれる 恩寵を受けて存在し、活動するのである。

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XCI. この啓示が真実であることを示す証拠の中に、つぎのようなものがある。どの時代のどの宗教制においても、不可視の本質が顕示者を通してその姿を現わすと き、預言者という太陽を求め、聖なる教導の月を求めて神の御前に集まってくるのは名も知れず、世俗のいかなるしがらみにも捕らわれない人々であった。この ため、各時代の聖職者や富者たちは彼らを軽蔑し、あざけり笑った。まさしく、あやまてる人々について聖典はこう語っている。「すると、彼の民のうちの不信 心なる人々の長老たちは言った。『お前を見ると、われわれと同じ人間にすぎない。また、お前にしたがう人々を見ると、われわれの中でも、最も思慮が浅く、 最も卑しいものばかりである。さらに、お前にはわれわれにまさる長所は何も見受けられない。否、われわれはお前を単なる嘘つきと見る』」。人々は神聖なる 顕示者の揚げ足をとり、異議を唱えて言った。「われわれの中で卑しいものや、取るに足りないもの以外は誰ひとりとしてお前にしたがうものはいない」。彼ら の言わんとするところは、学識者や富者や名声を博した人々の中には、ひとりとして顕示者を信じるものはいないということであった。彼らはこれを根拠とし、 真実のみを語る者を嘘言者と決めつけようとしたのである。

しかし、最強の主権たるこの最も輝かしい宗教制においては、多くの啓発された聖職者、最高の学識者、博学円熟の博士たちが顕示者の宮廷に到達し、顕示者の 神聖なる御前の盃より飲み、最もすばらしい恩寵にあずかる栄誉を授けられたのである。彼らはみな、最愛なる御方のためにこの俗世とそこにあるすべてを捨て たのである…。

この人々はみな、神の啓示の太陽の光にみちびかれ、顕示者の真理を受け入れ、その真実性を告白したのである。その信仰のために、彼らの大半は財産や血族縁 者を捨て、栄光に満ち給う御方の御心に忠実にすがったのである。彼らは最愛なる御方のために命を投げだし、所有するすべてを彼の道に捧げたのである。彼ら の胸は敵の投げ矢の的となり、彼らの首は不信心者の槍を飾るに至った。これら世俗超脱の権化の血潮に塗られなかった土地はどこにもなく、また、剣という剣 は彼らの首を突き刺したのである。彼らの行動は、彼らの言葉の真実を明かすに充分な証明である。この聖者たちは最愛なる御方のために命をも捧げようと雄々 しく立ち上がり、その犠牲の様相に全世界は驚嘆したのである。ならば、彼らの証言は現代の人々を納得させるに充分なものではなかろうか。この証言は、何の 価値もないものを得るために自らの信仰を裏切り、永遠の生命を朽ち果てるものと交換し、塩泉を求めて神の御前の大河を放棄し、他人の財産を奪うことを人生 の唯一の目的とするものらの不誠実さを充分に立証するものではなかろうか。汝は、まさしくその目で、世の人々が世間の空しい俗事に追われ、主なる最も高遠 なる御方のもとを遠く離れ、さまよっている様子を見ている。

公平に判断せよ。言行が一致し、外面的行動と内面的生活とが完全に一致するものの証言は充分なるものであり、注目に値するものではなかろうか。彼らの行動に心は衝撃を受け、彼らの堅忍不抜の精神と肉体の忍耐力に魂は驚嘆させられるのである。それとも、自らの空虚な幻想の檻おりの中に幽閉ゆうへいさ れ、我欲の空気のみを吸うあの不信心者たちの証言が受け入れられるべきなのか。不信心者たちは暗黒のこうもりの如く、世俗の束の間の事物を追い求めるとき 以外は床から頭をもたげようとしない。また、自らの強欲な生活の目的を遂行するために働くとき以外は、夜も落ちついていられない。彼らは自己本位の策謀に 熱中し、神の命令を完全に忘れている。昼間は世俗的な利益に全魂をかたむけ、夜間はただただ自分たちの肉欲を満足させることだけに熱中するのである。この 狭量な人々の唱える拒否の言葉に執着し、神の御心にしたがって自らの生命、財産、名声、評判、名誉の一切をなげうった人々の信仰を無視するのを、一体いか なる掟や規準が正当化することができようか…。

彼らは何という愛の心、何という献身、何という 歓喜と聖なる喜悦をもって自らの命を栄光に満ち給う御方の道に捧げたことであろうか。すべてのものはこの事実を証言している。なのに人々は、どうしてこの 啓示を軽んじることができようか。過去のどの時代がこのように重大な出来事を目撃したであろうか。もし、これらの使徒たちが、まことに神を求めて努力する ものでないというのであれば、他に誰がこの名で呼ばれるに値するであろうか。これらの使徒たちは権力や栄光を何ら求めなかった。富を追求することもしな かった。彼らは、神の喜びを得る以外にはいかなる希望も抱かなかった。もしこれらの使徒たちが、そのすばらしい証言や驚くばかりの業績にもかかわらず、偽 り者だとしたら、一体誰が自らを真実と主張するに値するのであろうか。われは神かけて誓う。もし人々が、自分の心の中で神聖なる啓示の神秘について熟考す るならば、使徒たちの行動そのものが全人類に対する充分な証言であり、反駁はんばくし難い証明であることに気づくであろう。「正義に反して行動するものは、いかなる運命が彼らを待ち受けているかを今に思い知らされるであろう」…。

非の打ちどころのないほどに誠実なこれら殉教者たちのことについてよく考えてみよ。聖典の明文は彼らの誠実さについて証言している。この人々はみな、汝が 現に目撃したように、自らの生命、財産、妻や子、その他すべてのものを犠牲にして、天上の楽園の最も崇高なる部屋へと昇って行ったのである。この優れたる 光栄に満ちた啓示の真実性に対するこれら世俗超脱の気高い人々の証言を拒否し、黄金のために自らの信仰を投げ捨て、権力を守るために全人類への指導者の第 一人者たる御方を拒否した不誠実なる人々が、この燦爛さんらんと輝く光に反対して述べた非難を是認し、受け入れることは、正しいと言えようか。自らの生命や財産はもとより、神の聖なる教えのために自らの有する世俗の権力の一片さえも決して放棄しようとしない彼らの正体は暴露され、すべての人々はそれを認めているにもかかわらず、なお、彼らの述べる非難を受け入れるとは。

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XCII. 神の書は開けひろげられ、彼の言葉は人類を彼のもとへと呼びよせている。しか し、この大業にすがり、自らをこの大業の推進の道具となすことを望むものはほんの一握りしかいない。この世の塵を純金に変えることのできる神聖なる霊薬 は、この少数の人々に付与された。そして、人類の子らを悩ます病に効く誤りのない妙薬を投与する能力が彼らに与えられた。この崇高なる啓示、この計り知れ ぬほどすばらしい啓示の真実を受け入れない限り、誰も永遠の生命を得ることはできない。

おお、神の友らよ。この世の虐げられし者[31]の声に耳をかたむけよ。そして、彼の大業を高めるものにしっかりとすがれ。まことに、彼は欲するものを彼のまっすぐな街道にみちびく。この啓示は、弱者に力を与え、貧者に富の冠を授けるものである。

最高の友情と、完全なる友愛の精神をもって共に協議せよ。そして、汝らの生涯の貴重な日々を、世の改善と、いにしえよりつづくすべての主権者なる彼の大業の促進に捧げよ。まことに、彼は正しきことを全人類に命じ、人の地位の堕落につながるすべてのことを禁じたのである。

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XCIII. あらゆる創造物は神の実在の象徴の一つであることを確信せよ。あらゆる創造物は、その能力に応じて、全能者のしるしの一つであり、永遠にそうありつづけ る。すべてに君臨し給う主は、御主権を諸々の名と属性の王国に現わすことを欲し、その御心の働きによりすべての創造物を神の栄光の象徴とされた。神の実在 の普遍なる啓示はすべてを包含したため、全宇宙を探しても神の光輝を反映しないものを発見することはできない。この状態では、接近や遠隔という概念は完全 に消滅する…。これはすべての創造物に付与された崇高なる賜物である。もし神の威力の御手がこの賜物を奪いさるならば、全宇宙は荒廃し、無と化すであろう。

主なる汝らの神は万物をはるかに越えて高遠なることを見よ。神の主権の荘厳なることを見よ。神の高遠なることと、至上なる威力を見よ。神の栄光に誉れあ れ。万物は神によって創造され、神の御名と属性を現わすものとして定められ、神より付与された恩寵により接近と遠隔を越えて崇高である。ならば、これらす べてを創造した神の本質はそれらに増して何と崇高であろうか。

詩人の記した言葉について瞑想せよ。「最愛なるものが、われにも増してわれに近いことを不思議に思うな。これほど近いにもかかわらず、なおもこれほどわれは彼より遠いことを不思議と思え」…。 この詩人は、「われは、人間の血管よりも人間の近くにいる」という神の啓示の言葉に言及してこう述べたのである。わが最愛なる者の啓示がわが存在のすべて に浸透したため、最愛なる者はわが血管よりもわれに近いのである。この真実を確信し、われ自身の地位についても充分認識しているにもかかわらず、われは最 愛なる者からはるか遠くにある。詩人のいわんとする意味はこうである。自分の心は、慈悲に満ち給う御方の座であり、その啓示の輝きが宿る王座である。しか し、自分の心は創造主を忘れ、神の道を外れ、神の栄光から自らを遮断し、世俗の欲望に汚れている。

このことに関連して決して忘れてはならないことがある。つまり、唯一真実の神は、いかなる接近や遠隔をもはるかに超越し給う。神の実在はこのような限界を 超越する。神と創造物との間に尺度を置くことはできない。あるものは神に近く、あるものは遠いとしても、その違いは各人の状態にのみ原因があるのである。

人間の心は、慈悲に満ち給う神の啓示がその中心を置く王座である。過去に著したわが神聖なる言葉はこの事実を証言する。その中につぎのような言葉がある。 「天と地をもってしても、われをつつみ込むことはできない。われを信じ、わが大業に忠実なるものの心のみがわれをつつみ込むことができる」。人間の心は神 の光をいただき、慈悲に満ち給う御方の出現の座である。にもかかわらず、人間の心は何と頻繁に過ちを犯し、この光の源とこの出現の源泉におわす御方に背を 向けるのであろうか。人間の心を神より遠ざけ、疎遠の状態に陥れるのは人間のかたくなな心である。しかし、彼の存在に目覚めた心は、神に接近し、神の王座 に近づいたものと見なされるのである。

つぎのことについて考えてみよ。人間は自分を忘れることがよくある。一方、神はすべてを覆う知識により常に創造物を思い、その栄光の明白なる光を注ぎつづ ける。この状況にあって、明らかに神は人間にとって自分よりさらに近い存在であり、未来永劫を通じてそうありつづける。何となれば、唯一真実の神はすべて を知り、すべてを見、すべてを理解するが、有限なる人間は過ちを犯し、自らの存在に秘められた神秘について無知であるからである…。

すべての創造物は神の実在の象徴であるとわれは説いた。これは善人も悪人も、敬虔なものも信仰なきものもすべて神の目には同等に映るという意味ではない。 そのようなことは断じてない。また、神聖なる存在者が、何らかの状況においては人間に比較できる存在であるとか、神とその創造物の間に何らかの関連がある という意味でもない。神の御名に誉れあれ。神の栄光は崇高なり。しかし、一部の愚かな人々はこのような誤解に陥っている。彼らは虚しい空想の天界を舞い、 神聖なる一体性の意味を曲解したのである。彼らによれば、神聖なる一体性の意味は、万物が神の象徴であり、したがって創造物の間には何の区別も相違も存在 しないというのである。さらに踏み込んで、これら象徴に過ぎないものは神御自身と同等であり神の協同者であると主張するものもいる。神よ、許し給え。まこ とに神は唯一であり、不可分である。神はその本質において唯一であり、その属性においても唯一である。神の御名の中のたった一つの名より放出される輝き、 もしくは、神の栄光のほんのかすかな暗示に接するとき、神以外のすべてのものは無と化してしまう。ましてや、神御自身に直接対面したらどうなるであろう か。

慈悲者というわが名の正義に誓って言う。これらの言葉を現わすとき、崇高なる御方のペンは大いに震え、震撼させられた。神の無限にして永遠なる大海原の波 やうねりに比べて、はかない水滴は何と小さく、取るに足らない存在であろうか。永遠なる御方の栄光は、創造以前よりつづく本質である。無常にして滅び去る 存在が、この言葉に尽くせぬ栄光に直面するとき、それは何と卑しい存在と映るであろうか。このような考えを持ち、そのような言葉を口にする人々に代わって われは力に満ち給う神に許しを乞う。言挙げよ。おお、人々よ。一瞬の気まぐれにすぎない存在を、どうして御自力にて存在し給う神に比較できようか。神の創 造物であり、神のペンによって記された文字に過ぎない存在を、どうして創造主と比べることができようか。否、神の記し給う文字はすべてに優り、あらゆる創 造物をはるかに越えて崇高であり、聖別されたものである。

さらに、神の実在を象徴する存在同士の関係について考えてみよ。太陽は神の実在の象徴の一つに過ぎないが、太陽を暗闇と同等と見なすことができようか。唯 一真実の神はわが証人なり。心の困窮者や、目を惑わされたもの以外は誰もそのようなことを信じるものはいない。言挙げよ。自分の存在について考えてみよ。 爪も目も身体の一部に違いないが、それらに同等の地位と価値を認めることができようか。同等だと答えるのならば、汝はまことに栄光に満ち給う主なるわが神 を偽り者と攻撃するものである。何となれば、汝は爪を切り捨て、一方、目は命ほどに大事にするではないか。

自らの地位と身分の限界を逸脱することは決して許されない。それぞれの地位と身分の限界は保全されなければならない。つまり、いかなる創造物も、それに定め与えられた地位に照らして考えなければならない。

つぎのことを心に記憶せよ。すべてを覆うわが名の光が宇宙を照らしたとき、どの創造物にも定められた程度に応じて、特定の影響力を行使する能力が付与さ れ、独自の美徳が与えられたのである。猛毒の効果について考えてみよ。それは命を奪うものにせよ、特定の状況のもとでは有益な影響を持ち得るのである。創 造物に注ぎ込まれたそれぞれの潜在能力は、この最も祝福された御名の出現の直接の結果によるものである。すべての名と属性の創造主におわす御方に栄光あ れ。枯れて朽ち果てた樹は火にくべよ。そして、緑あざやかな良き樹木の陰にとどまり、その果実を味わえ。

神の顕示者の時代に生きた人々は、多かれ少なかれ、同様の不適切な言葉を口にしてきたのである。その状況は啓示の書や聖典に記録されている。

神の一体性の真の信奉者とは、あらゆる創造物の中に永遠の真理なる御方の実在のしるしを見るものである。創造物と創造主の間には区別はないと主張するものは神の一体性の真の信奉者ではない。

たとえば、「教育者」という神の名より放射される光について考えてみよ。この光の痕跡はすべてのものの中に存在し、あらゆる存在の改善はこの光によるもの である。ここでいう教育には二種類ある。その一つは普遍的であり、その影響は万物に及び、万物を支えるものである。神を「諸々の世の主」と呼ぶのはこのた めである。他方は、この御名の陰に寄り添い、この最も強大な啓示に避難所を求めた人々に限定される教育である。この避難所を求めないものは、この特典を自 ら放棄し、最大名の天来の恩寵によって下された精神的糧の恩恵を享受することはできない。この両者の間に存在する隔たりは何と大いなるものであろうか。神 に完全に向かい、神を愛するがためにこの世を放棄するものの地位を覆うヴェールが取り外され、この地位に備わった真の栄光が明らかとなれば、森羅万象は唖 然とするであろう。既に説明したように、神の一体性の真の信奉者は、これら二つの名の出現の徴候を、信者たるものと不信者なるものの両者に見るであろう。 そして、もしこの光の放出が停止されれば万物は消滅する。

同様に、「比類なき御方」という神の名より放射される光について考えてみよ。見よ、この光は全宇宙をつつみ、万物はみな神の一体性のしるしを現わし、永遠 の真理なる御方の実在を証言し、神の主権と唯一性と威力を宣言している。この啓示は、森羅万象を覆いつつむ神の慈悲の証拠である。ただし、自らを神の協同 者とするものは、この啓示に気づくことはなく、人間を神に引き寄せ、神と融合させる信教を得ることはない。世界のあらゆる国民や民族は神の一体性を証言 し、神の唯一性を認めている。神の一体性のしるしが彼らに内在しなかったならば、彼らは決して「神以外に神は存在しない」という言葉の真実を認識すること はできなかったはずである。にもかかわらず、見よ、彼らは嘆かわしい過ちを犯し、神の道より遠く迷いでたのである。荘厳なる啓示者を認めることができな かったため、彼らは神の一体性の真の信奉者の内にもはや数えられることはない。

神の啓示のしるしは、自らを神の協同者とする人々の内にも存在するが、それをどう見なせばよいのか。それは、ある意味では、誠実なる人々を照らす栄光の反 射光によるものである。しかし、理解力を付与されたもの以外は誰もこの真理を把握することはできない。神の一体性をまことに認識した人々は、この御名を最 初に表わすものと見なされよう。彼らこそは神の御手が差し伸べた聖杯から神聖なる一体性の美酒を飲み干し、神に顔を向けた人々である。このように聖別され た人々と、神のもとを遠く離れた人々の間には何と広大な距離があることか。

洞察力をもって、いにしえの王なる御方の啓示の御しるしを万物の中に発見し、その聖別された神聖なる存在が全創造物をはるかに越えて神聖であることを汝が 認めることができるよう、われは神に嘆願する。まことに、これこそは神の一体性と唯一性に対する信仰の根源であり、その真髄である。「神は独りであった。 そして、神と共にあるものは何も存在しなかった」。今も神は変わらぬ存在である。神以外には神はなく、神こそは唯一であり、無二であり、全能者であり、最 も崇高にして、最も偉大なる存在である。

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XCIV. さて、二つの神の存在に関する汝の言及について。注意せよ、注意せよ。主なる汝の神に協同者が存在するなどと決して考えてはならない。神は現在も過去も永 遠の昔より唯一であり、単独であり、比肩者も同等者もなく、過去においても永遠であり、未来においても永遠であり、万物を超越し、常に永続し、不変であ り、御自力にて存在し給う。神の王国において神は仲間も相談相手も指定することなく、神に比較されるものも、神の栄光に匹敵するものもない。宇宙のあらゆ る原子はこの真実を証言する。さらに、高き王国の住人たち、すなわち最も高遠なる座を占め、栄光の王座の前にその名が記憶されている人々もこのことを証言 する。

神は御自身により御自身のためにこう宣言し給う。すなわち、神の他に神はなく、神以外のものはすべて神の命令によって創造され、神の許しにより形造られ、 神の法の支配の下に置かれ、神の唯一性の輝く証拠に比べると忘れられた存在であり、神の一体性の力強い啓示に直面するとき無と同様のものである。汝も心の 最も奥なるところでこれが真実であることを証言せよ。

まことに、神は永遠にその真髄において唯一であり、その属性において唯一であり、その業わざにおいて唯一である。いかなる比較も神の創造物にのみ適用され、いかなる関連性に関する概念も神に奉 仕する人々にのみ属するものである。神の真髄はその創造物の叙述を超えて無限に高遠である。超絶なる威厳の座にあるのは神のみであり、崇高にして近づき難 い栄光の玉座を占めるのは神のみである。人間の心の鳥は、いかに高く飛翔したとしても、神の不可知の真髄の高みに達することは決して望めない。創造の世を 存在に呼び起こしたのは神であり、森羅万象は神の命令により生じたのである。ならば、神の御心の指示にしたがい彼のペンが記した言葉によって生命を得たも のをどうして神の協同者と認め、神御自身の顕現と見なすことができようか。神の栄光は、人間のペンや舌がその神秘について暗示したり、人間の心が神の真髄 について想像するものをはるかに超越した存在である。彼以外のすべてのものは神の御扉の前に貧相な姿でわびしく立ち尽くす。また、万人は神の威力の偉大さ の前で無力であり、万人は神の王国において隷属者にすぎない。そして、神はいかなる創造物をも必要としないほどに豊かなり。

崇拝者と崇拝される者、創造物と創造者の間に確立される隷属の絆は、人間に対する神の慈悲深い恩恵の現われであり、人間の価値を示すものではない。明敏で、真の信者はすべてこのことを証言する。

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XCV. 万人の主なる汝の主はその書につぎのように定めた。つまり、神が人類に注ぎ給う恩恵は無限なり。これは過去においても未来においても不変なることを確信せ よ。全能者が人間に付与し給う第一に重要な恩恵は理解力という賜物である。神がこの賜物を与え給う目的は、創造物が唯一真実の神を知り、認めることを可能 にするための他の何ものでもない。まことに、神の栄光は高遠なり。この賜物は、ものごとの真理を見いだす能力を人間に付与し、人間を正しい方向にみちび き、創造の神秘の発見を助ける。つぎに重要な賜物は視力であり、それは理解力を機能させるための主な手段である。聴覚や心の感受性などその他も同様に人間 の身体に付与されている賜物のうちに数えられる。これらの能力を創造し、それを人間の身体に現わした全能者は無限に高遠なり。

これらの賜物は唯一真実の神の威厳、威力、主権、そしてすべてを包含する神の知識の確実な証拠である。まことに、神の栄光は高遠なり。触覚について考えて みよ。触覚が人体の全体にわたって広がっていることを目撃せよ。視力と聴力はそれぞれ特定の局部に限られているが、触覚は身体の全体を覆う。神の威力に栄 光あれ、神の主権に讃美あれ。

これらの賜物は人間に固有のものである。しかし、他のあらゆる賜物を超越し、不朽の特性を持ち、神御自身に属する賜物が存在する。それは神の啓示という賜 物である。創造主は物心両面の恩恵を多く人間に与えているが、それらはすべて神の啓示という賜物に対する補助的な働きをするものにすぎない。この賜物は、 その本質において天より下されたパンであり、永遠にそうありつづけるであろう。それは神の崇高なる証言であり、神の真理の最も明白なる証拠であり、神の無 上の恩恵のしるしであり、すべてを包含する神の慈悲の証であり、慈愛に満ちた神の摂理の証明であり、神の完全なる恩寵の象徴である。この日において神の顕 示者を認めるものは実に、神のこの最高の賜物の分け前にあずかったものである。

これほど大いなる恩恵を汝に授けた汝の主に感謝し、声たからかに告げよ。「おお、理解力を有するあらゆる心の希望の的におわす御方よ。すべての讃美をあなたに捧げます」。

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XCVI. 最も高遠なるペンは絶え間なく呼びつづけているが、その声に耳をかたむけるものは何と少数であろうか。識別力ある目と聞く耳を有するものは、この世をいろ どるものがいかにはかないかを容易に認めることができる。しかし、諸々の名の王国の住人たちはこの世の無常を忘れ、その派手な装いに気をとられている。

現在、新しい生命が地上のすべての人々の間に目覚めつつある。しかし、その原因を発見し、その目的を知るものは誰もいない。西洋の人々について考えてみ よ。彼らは空虚で取るに足らないことを追求し、それを確立し促進するために数えきれないほどの生命を犠牲にしてきた。この犠牲は現在もつづいていることを 目撃せよ。一方、ペルシャの人々には明白で輝かしい啓示が託されており、この啓示の崇高さと名声の栄光は今や地球上を覆っている。にもかかわらず、彼らは 意気消沈し、深い無気力の淵に沈んでいるのである。

おお、友らよ。汝らに付与された徳をなおざりにしてはならない。汝らの崇高な運命に不注意であってはならない。人の心が案出した空虚な想像のために汝らの 労力を浪費してはならない。汝らは理解の天上にきらめく星であり、夜明けにそよぐ微風である。汝らは万人の生命を支えなければならない静かな清水であり、 彼の聖なる巻物に書き記された文字である。最高の和合と完全な友情の精神をもって、この神の日にふさわしいことを成し遂げることができるよう努力せよ。ま ことにわれは告ぐ。紛争や不和やその他、人間の心が忌み嫌うものはすべて、人間の地位にふさわしいものではない。汝らの活力を神の信教の普及に集中せよ。 この高い使命に値するものは立ち上がり、信教の普及に尽力せよ。これができないものは、自分の代わりにこの啓示を宣布するものを任命する義務がある。まこ とに、その威力によりこの啓示は最強の構造物の基礎をも震わせ、山々を塵と粉砕し、すべての魂を唖然とさせたのである。この日の偉大さの全容が明かされれ ば、人はみなたとえ一瞬であろうともその大いなる栄光の分け前にあずかろうとする熱望のためにこの世とその滅び行く財宝はおろか、何千回でも自分の命を捨 てるであろう。

汝らのすべての行動は英知によってみちびかれなければならない。そして、汝らは確固として英知による行動を貫かなければならない。汝ら全員が神の意志を実 行できるよう強化されることをわれは神に嘆願する。神に愛されし人々の中で、彼への奉仕とその名を高めるために立ち上がるものに付与される地位を正しく評 価できるよう汝らが慈悲深く援助されることをわれは神に嘆願する。神の栄光と、天と地にあるすべての栄光がこの地位を得た人々の上に宿らんことを。最上の 楽園である最高の天上の住人たちの栄光が彼らの上に注がれんことをわれは願う。

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XCVII. 自らを神の協同者と見なす人々がこの地の住人の心に植えつけた疑念について考えてみよ。「銅を金に変えることは本当に可能なのか」と彼らは問う。答えて言 え。まさに、主に誓ってそれは可能である。その秘密はわが知識の内に秘められ、われはその秘密をわれの欲するものに明かそう。わが威力を疑うものは、その 秘密が明かされ、その真実を確信できるよう主なる神に嘆願せよ。銅を金に変えることが可能であるということは、金もまた同様に銅に変質できるという充分な 証明である。汝、この真理を理解できたならば。ある鉱物の密度、形、本質を、他のいかなる鉱物にも付与することは可能である。その知識は、われと共にある 隠されたる書に秘められている。

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XCVIII. 言挙げよ。おお、宗教の指導者たちよ。汝らの間に今日普及している基準や学問をもって神の書を推し量ってはならない。なぜならば、神の書はそれ自体、人の 世に確立された誤りのない秤なのである。地上に住む諸々の民の有するものはすべて、この完全なる秤にかけられなければならない。そして、この秤に用いられ る基準は、この秤固有の基準によってのみ試されよう。おお、汝ら、このことを知り得たならば。

昼に夜に、朝に夕べに汝らが呼びつづけてきた者を、汝らは認めることができなかったのである。汝らのこの有様をわれは嘆き、わが哀れみの目にはなみだがあ ふれる。おお、人々よ。雪のように純白な顔と、輝く心とをもって、祝福された深紅の地点に向かって進行せよ。そこでは、サドラトル・モンタハ[32]がこのように呼びかけている。「まことに、われ以外に神はなく、われは全能なる庇護者にして、自力にて存在する者なり」。

おお、宗教の指導者たちよ。洞察力や看破力において、われに比べられるものが汝らの中にいようか。また、わが言葉と英知に匹敵するものを持つとあえて主張 できるものがどこにいようか。否、慈悲深きわが主にかけて言う。地上にあるすべてのものは朽ち果てる。そして、これこそが全能にして、敬愛される汝らの主 の御顔である。

おお、人々よ。あらゆる学問の最高にして、究極の目標としてわれが定めたものは、すべての知識の的である者を知ることである。にもかかわらず、見よ、この 有様を。汝らの学識はまるでヴェールのように彼との間をさえぎっており、汝らはこの状態にあまんじているではないか。彼こそはこの光明の曙であり、隠され ていたものはすべて、彼を通じて明かされたのである。この言葉の輝きの光源を発見できたならば、汝らはこの世の人々と彼らの所有するすべてをすて、この最 も祝福された座に接近したであろう。

言挙げよ。まことに、これこそは母なる書が納められている天界である。おお、汝ら、このことを理解し得たならば。彼こそは岩を叫ばせ、聖地のそびえる山頂に燃えさかる藪やぶに「御国は神のものなり。神は万物を支配し給う主におわし、御力に満ち、愛し給う者なり」と声たからかに語らせた者である。

われは学び舎に学んだこともなければ、汝らの論文をひもといたこともない。常に存在し給う神のもとへと汝らを召喚するこの無学なる者の言葉に耳をかたむけよ。これは汝らにとって、地上のすべての財宝にまさるものである。おお、汝ら、このことを理解し得たならば。

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XCIX. 神に対する信仰心はあらゆる国で衰えつつある。彼の健全なる妙薬の他にそれを回復させ得るものは何もない。不信心による腐食は、人間社会の核心をもむしば みつつある。彼の威力みなぎる啓示の霊薬以外に何が人間社会を浄化し、復活させ得るであろうか。おお、ハキムよ。物質の微小かつ不可分な分子の構成要素に 完全な変化をもたらし、その物質を純金に変えることが果して人間の力で可能であろうか。これは複雑で困難な課題に見えよう。しかし、われにはより偉大なる 事業を成し遂げる力が付与されているのである。その事業とは、悪魔的勢力を、天来の威力に変革させることである。このような変革をもたらし得る力は、かの 霊薬の効力をも越えるものである。神の言葉以外に、これほど崇高な、そして広範囲にわたる変革を達成するに必要な能力を有するものは存在しない。神の言葉 のみがこのような卓越性を誇り得るのである。

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C. 神の王座より発せられた聖なる布告者の声はつぎのように宣言する。おお、汝ら、わが愛する人々よ。わが聖なる衣服の裾をこの世の事物で汚してはならない。そして、汝らの腐敗した邪悪な欲望の衝動にしたがうな。その栄光の頂点に達し、この牢獄の天界に燦然さんぜんと輝く神聖なる啓示の昼の星こそわが証人なり。森羅万象の愛慕の的である者に心を向ける人々は、この日、目に見えるもの見えぬ もののすべての創造物を超越し、それらより自らを聖別しなければならない。もしわが大業を教えひろめるために立ち上がるならば、彼らは、何ものにも束縛さ れぬ御方の息吹によって奮い立たされなければならない。そして決意を固め、思いをまったく彼のみに集中し、あらゆるものを完全に超越し、独立した心と、こ の世とその虚栄より聖別された魂とをもって、わが大業を地球上にひろく伝えなければならない。旅のそなえとして彼らが選び得る最高のものは、神への信頼で ある。また、最も崇高にして、栄光に満ち給う彼らの主の愛をもって身を装うことが彼らにとって最もふさわしいことである。これをなせば、彼らの言葉はその 聞き手に影響をおよぼすであろう。

この日、自らの邪悪な欲望におぼれ、地上の事物とそのはかない栄光に望みをかけたものらは深い淵によってわれより隔てられている。その隔たりは何と大であ ろうか。慈悲に満ちた者の宮廷は、外見上この世の財を完全に剥奪された状態に幾度となく置かれてきた。彼と生活をともにするものは、そのつど、困窮を極め た。彼らのその苦しみにもかかわらず、最も高遠なる者のペンは、いかなるときにも、この世とその財貨に関連するものに言及することも、わずかに暗示するこ とも良しとしなかった。そして、何らかの贈り物が彼に届けられたときは、それは贈り主に対する恩寵のしるしとして受け取られた。もしかりに、われが地上の すべての富をわれ自らの使用のために専有したとしても、わが主権に対し異論を唱え、わが権限に挑戦する権利は誰にも与えられていない。唯一真実の神の名の もとに、金品を人にせがむことほど卑しい行為はほかに想像すらできない。

汝を初めとし、永遠の真理なる御方にしたがう人々に課せられた義務はこれである。つまり、人間を地上の事物への執着から聖別させ、その汚れを清めるものの もとへと万人をまねくことである。それにより、栄光に満ち給う御方の衣の甘美なる芳香が、彼を愛するすべてのものよりただよって来よう。

しかし、富めるものは、困窮者に対し最善の配慮を払わなければならない。なぜならば、貧しい中にあって、たゆまず忍耐するものに対し神は大いなる栄誉を準 備し給う。わが命にかけて誓う。神が御心により与え給う栄誉以外に、この栄誉に比較し得るものはない。忍耐強く耐え、自らの苦しみを覆い隠す貧しき人々を 待ち受ける祝福は大いなるものなり。同様に、自らの富を困窮者に分け与え、彼らを自分自身に優先する富者は幸いなり。

神よ、願わくは、貧しきものも生計を立てるに努力せんことを。この最も偉大なる啓示において、これは万人に課せられた義務であり、神はそれを善行とみなし 給う。この義務に忠実なるものに対しては、見えざる御方の援助が確実に下されよう。神は望み給う者を、御恩寵を通じて富ますことができ給う。まことに、神 は万物を支配し給う。

おお、アリよ。神に愛されし人々に告げよ。人間の持ち得る徳の中にあって、最も根本的なものは公正である。あらゆる事柄の評価は公正によらなければならな い。この囚人の身に降りかかってきた悲痛と苦難についてしばし熟考せよ。生涯を通じてわれは常にわが敵の意のままにされた。そして、神の愛の道において、 日毎、新たな苦悩を味わってきた。だが、われは神の大業の名声が地上にひろく伝えられるまで忍耐強く耐え忍んできた。もし、ここである人物が立ち上がり、 自らの心の内に案出した空虚な想像にみちびかれるままに、人々の間に不和の種をまこうと、公に、またはひそかに画策したとすれば、そのような人間は公正に 行動したと言えようか。否、万物にその御力が及び給う御方に誓ってそうではない。わが命にかけて言う。わが心は神の大業のために、そして自らの発言の意味 をも理解せず、自らの理解し得ないことを想像するものらのために嘆き、わが目は悲痛のなみだを流す。

この日、万人に求められることはこれである。つまり、最大名に確固としてすがり、人類の一体性を確立することである。彼のもとに向かう以外に逃げ場はな い。また、彼以外に避難所を求めることはできない。人々を神の無限の大海の岸辺から引き離し、人間的制約を受ける姿をもって現われたこの栄光あふれる明白 なる存在者以外のものに人々の心を向ける言葉を語るものがいたとすればどうであろうか。それがいかに高い地位のものであれ、その人物は全創造物の非難を浴 びるに違いない。即ち、彼は慈悲に満ち給う御方の甘美なる芳香を自ら逸したものであるからである。

言挙げよ。おお、理解力を持つ心を有する人々よ、汝らの判断に公正であれ。判断に公正を欠くものは、実に、人間の地位を特徴づける特性を欠くものである。 永遠の真理なる御方は、人の胸の内に隠されているものをよく知り給う。しかし、神の寛容は永きにわたり、そのため、人類はその大胆さを増した。つまり、定 められた時がくるまで、神は諸々の覆いを引き裂く手をとどめ給う。すべてにまさる神の慈悲は、神の激怒の嵐を押さえているのである。そのため、ほとんどの ものは、唯一真実の神は彼らがひそかに犯したことに気づいていないと想像している。すべてを知り、すべてに精通し給う御方にかけて誓う。あらゆる人間のあ らゆる行為は、完全な明白さをもって神の知識の鏡に正確かつ忠実に映し出されている。言挙げよ。おお、弱きものと哀れなるものの罪を覆い隠し給う御方に讃 美あれ。御名に誉れあれ、おお、あなたに対し罪を犯す無思慮な人々をゆるし給う御方よ。

人々が自らの心に抱く想像にしたがって歩むことを、われは断じて禁じた。その趣旨はこれである。つまり、諸々の知識の至上の源泉と目的である者を認め、彼 が御心のままに顕わすことをすべて受け入れることができるようにするためである。しかし、見よ、いかに人々が自らの無益な幻想と、空虚な想像に捕われてい るかを。わが命にかけて言う。彼らは自らの心が案出したものの犠牲者なのである。だが、彼らはそのことに気づいていない。彼らの口をもれる言葉は空虚で無 益なものである。だが、そのことを彼らは悟っていない。

われは神に嘆願する。万人が彼を知り、自らをも知り得るよう、御恩寵を慈悲深く垂れ給え。わが命にかけて言う。彼を知ったものは、彼の愛の限りない空間に 舞い、この世とその中のすべてを超脱するであろう。地上のいかなる勢力も、ここに至ったものをその進路からそらすことはできない。ましてや、空虚な想像に みちびかれ、神の禁じ給うことを語るものらが彼らをその進路からそらすことは決してできない。

言挙げよ。この日は、万人が彼の声に耳をかたむけなければならない日である。この虐げられし者の呼び声に耳をかたむけ、唯一真実の神の御名を崇めよ。神を 記憶することをもって汝らの身を飾る装飾とし、神の愛の光をもって汝らの心を照らせ。これこそが人々の心の錠を開ける鍵である。これこそが命あるものすべ ての魂を清める研磨である。神の御心の指より注がれたことを心にとどめないものは、明らかなる過ちの内に生きるものである。真の信仰の証明は親和と公正な る行為にある。不和と害毒は決して真の信仰の証とはなり得ない。真理を語り、神の信託をたずさえた者が汝に守るよう命じたものを人々に伝え知らせよ。おお 汝、わが名を呼び、自らの目をわが宮廷に向け、自らの舌をもって恩恵に満ちた汝の主を讃美するものよ、わが栄光は汝と共にあらん。

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CI. あらゆる聖典、否、神によって記されたあらゆる聖句の啓示の根底にある目的はこれである。 つまり、ゆるぎない平和と平安が世に確立されるよう、人々に正義と理解力を付与することである。人々の心に確信を与え、人間の地位を高め、その満足を促進 させるものはすべて神の御心にかなうものである。人はもし、人間に与えられた高貴な運命をまっとうすることを選ぶならば、何と崇高な地位に達することがで きようか。そしてまた、人は何という堕落の深淵の底にまで沈み得る存在なのであろうか。最も卑しい創造物さえもそれほどまでに落ちることはない。おお、友 らよ。この日、汝らに与えられた機会をとらえてはなすな。豊富に湧きおこる彼の恩寵を逸することのないようにせよ。この祝福された日において、神の恩寵に より、汝らの一人一人が純粋で聖なる行為の装飾で身を飾ることができるよう、われは神に嘆願する。まことに、神は欲するままになし給う。

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CII. おお、人々よ。われが汝らに告げるこの真理に耳をかたむけよ。神の栄光に讃美あれ。唯一真実の神は、人間の心を他にゆるさない御自身の占有物とみなし給 う。このことは過去にも、未来にも不変である。それ以外のものは、それが海のものであれ、陸のものであれ、また、富であれ、栄誉であれ、神はそれらをすべ て地上の王や支配者たちにゆずりわたしたのである。「神は欲するままになし給う」の言葉を宣言する旗印は、初めなき始まりより、神の顕示者の前に燦然さんぜんたる光輝をもってひるがえっている。人類が今日必要とするものは、為政者への服従と、 英知の綱に忠実にすがることである。人類の当面の保護、保障、安全を確保するに必要な手段は人間社会の統治者に委ねられ、彼らの手中にある。これこそは神 の望み給うことであり、神の命じ給うことである…。 地上の王たちのひとりが神のために立ち上がり、弾圧にあえぐこの虐げられた人々の勝利のために奮起することをわれは切望する。このような国王は永遠に讃美 され、称えられよう。神はこの虐げられた人々につぎの義務を定めた。つまり、彼らは、彼らの援助に立ち上がるものを助けなければならない。そして、常に変 わらぬ忠誠をその援助者に示し、その最善の利益の達成に務めなければならない。われにしたがう人々は、わが大業の勝利のために立ち上がるものに対し、その ものの福利を増進することに、いかなる場合においても努力し、常に献身と忠節の証を立てなければならない。わが忠言に耳をかたむけ、それを守るものは幸い なり。わが望みを果たすことを怠るものは不幸なり。

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CIII. 神は真実を語る舌を通して、つぎのような言葉を彼のあらゆる書簡の中で証言し給う。「われは栄光のアブハの王国に住む者である」。

神の正義にかけて誓う。彼はこの崇高で、神聖にして力強い、そして超絶した地位の高みよりすべてを見、すべてを聞き、今このときこう宣言している。おお ジャバードよ、汝に祝福あれ。汝は過去の時代の誰も達し得なかったものを手に入れたのである。永遠の真理なる彼にかけて誓う。汝は高遠なる楽園の住人の目 に喜びをもたらしたのである。しかし、世の人々はまったく気づいていない。汝の地位が明かされれば世の人々の心は動揺し、足をすべらせ、虚栄心の権化たち は唖然として地面に倒れ、聞くことを恐れて無思慮の指を耳に押しつけるであろう。

この世の事物に没頭するあまり、神の最も偉大なる面影を忘却したものらについて嘆いてはならない。永遠の真理なる者にかけて言う。全能者の激怒が彼らを捕 らえる日が近づきつつある。まことに、神はすべてを征服する全能者におわし、最強の御方におわす。神は彼らの堕落の汚れを排除して地上を清め、神に近いし もべらにこの地上を継がすであろう。

言挙げよ。おお、人々よ。聖なるヨセフをただ同然の値で売り飛ばしたことにより汝らの口は塵に埋もれ、汝らの目は灰につぶされよう。おお、正道より遠く迷 いでた人々よ。汝らの上に宿るのは何というみじめさよ。彼と彼の大業をしのぐ力を汝らが有すると心に思っているのか。そのようなことはあり得ない。これが 真実であることを神御自身が証言し給う。彼こそは最も力強い御方、最も高遠なる御方、最も偉大なる御方におわす。

やがて神の懲罰の熱風が汝らを襲い、地獄の塵が汝らを完全に覆うであろう。地上の虚栄と虚飾を蓄積し、侮蔑ぶべつをもって神に背を向けるものはこの世ときたるべき世の双方を失うものである。神は間もなくその威力の御手で彼らの所有物をはぎ取り、恩寵の衣を彼らより奪い去るであろう。彼らは間もなくこれらの出来事を目撃し、汝もその証人となろう。

言挙げよ。おお、人々よ。この世とその虚偽に欺かれてはならない。この世とそこに存在するすべてのものは神の意志の手中にしっかりと握られている。神は望 み給うものに恩恵を与え、望み給うものより恩恵を奪う。神は選ぶままになし給う。もしこの世が神の目から見て価値あるものであったならば、神は決して御自 分の敵に一粒のからしの種ほどもそれを所有させなかったであろう。しかし、汝らの手がこの大業において行ったことに対する報いとして、神は汝らを世俗の事 柄に巻き込んだのである。まことに、これは汝らに対する懲罰であり、汝らは自らの意志によりこの懲罰を自らにもたらしたのである。汝ら、このことを感知し 得たならば。神は世俗を価値のない卑しむべきものと見なし、疑うものの心を試す術すべとして使い給う。汝らはそのようなものを自らの喜びとするのか。

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CIV. おお、汝ら世界の人々よ。まことに、不慮の災難が汝らを追い、悲しき報いが汝らを待ち伏せていることを知れ。汝らの行える行動が、わが目より消されていると思うな。わが美かけて誓う。汝らなせることすべてを、わがペンは橄欖かんらん石せきの書に、明らかなる文字もて刻みしことを。

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CV. おお、地上の王たちよ。すべてを支配する主が出現したのである。王国は神に属し、神こそは全能なる庇護者にして、 御自力にて存在し給う。神のみを崇拝し、輝く心もてすべての名の主なる汝らの主に顔を上げよ。たとえ汝らの所有するすべてをもってしても、この比類なき啓 示に比べ得るものでは決してない。汝ら、このことを知り得たならば。

他人のために積み 上げたものを己の喜びとし、わが守られたる書のみが語り得る諸々の世界から自らを閉めだしている汝らの姿をわれは見る。汝らの蓄えた財宝は、汝らの究極の 目的から汝らを遠く引き離している。この状況は決して汝らにふさわしいものではない。汝ら、もしそれを理解するものならば。心を清め、世俗の汚れをすべて 洗いながし、主の王国へと急げ。主こそは天と地の創造者におわし、世界を震撼させ給う。そして、すべてを放棄して隠されたる書の定めにすがるものを除き、 主は地上のすべての人々を嘆き悲しませたのである。

この日こそは、神と語り合った者が日の老いたる者の光に到達し、海をもうねらせたこの聖盃から再会の清水を飲み干 した日である。言挙げよ。唯一真実なる神かけて言う。シナイ山は啓示の曙の周囲を巡り、神の精神なる者は王国の高所よりつぎのように声たからかに宣言して いる。「おお、地上の傲慢なるものらよ、奮起せよ。そして彼のもとに急げ」。この日、カルメル山は敬慕の念を抱き彼の宮廷に向かって急ぎ、シオンの中心か らは「約束は果たされた。神の聖典に予告されたものは実現した。神こそは最も崇高なる全能者におわし、最愛なるものなり」の叫びがとどろいているのであ る。

おお、地上の王たちよ。最も偉大なる法はこの場所、このすべてを超越する輝きにつつまれたこの場所において啓示さ れたのである。隠されていたものはすべて、至上の命令者の意志により明かされたのである。彼こそは終末をもたらし、月を裂き、あらゆる不変なる命令を説く 者なり。

おお、地上の王たちよ。汝らは従属者にすぎない。今や王の中の王なる者がその最もすばらしき栄光につつまれて出現 し、危急の場の救助者におわし、御自力にて存在し給う御自身のもとに汝らを召喚しているのである。汝らの慢心が啓示の源を認める妨げとならぬよう注意せ よ。また、世俗の諸事が暗幕となって、汝らを天上の創造者から閉め出すことのないよう心せよ。立ち上がり、すべての国の望みの的である者に仕えよ。汝ら は、彼の口をもれる一言によって創造され、彼は時代を超えて、汝らを御自身の主権の象徴と定めたのである。

神の正義にかけて言う。汝らの領土を手に入れることがわが目的ではない。人民の心を捕え、それを所有することこそ がわが使命であり、バハの目は常に彼らを見据えている。諸々の名の王国はこの真実を証言する。汝ら、それを理解するものならば。主にしたがう人々はみな、 この世とそれに属するものをすべて放棄する。ならば、これほど崇高な地位にある者の世俗超脱は何と大いなるものであろうか。汝らの宮殿を捨て、彼の王国へ の入場を求めて急げ。まことにこれはこの世においても、つぎの世においても汝らを利することである。天上の領土の主はこのことの真を証言する。汝ら、もし それを知り得たならば。

わが王国においてわが大業の援助に立ち上がり、われ以外のすべてを離脱する国王を何と大いなる祝福が待ち受けていることか。そのような王は、神がバハの 人々に用意した深紅の箱舟に乗る同伴者のひとりに数えられよう。万人はその王の名を称え、その地位に敬意を払わなければならない。目に見える王国、見えぬ 王国のすべての住人の全能なる庇護者というわが名の鍵により、諸々の都市の開錠に努めるその王に万人は加勢しなければならない。このような王は人類の目に 相当し、創造の世の額に輝く装飾であり、全世界を覆う祝福の源泉である。おお、バハの人々よ。汝らの財産、否、汝らの命をも捧げて彼に加勢せよ。

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CVI. すべてに精通した医師の指は人類の脈をとらえている。彼は病を診断し、誤りのない英知により治療薬を処方するのである。各時代にはそれぞれ特有の問題があ り、人にはそれぞれ特別の願いがある。苦悩する今日の世界が必要としている治療薬は、後の時代が求めるものと決して同一ではあり得ない。汝らの生きる時代 の要求を憂慮し、そこに関心を寄せよ。そして、その時代に必要とされるもの、また、急務とされることに汝らの審議を集中せよ。

全人類がどれほど深刻かつ計り難い苦悩に悩まされているか、われには手に取るように見える。病床に伏し、激痛に苦しめられ、幻滅しきった人類の姿がわが眼 前にある。慢心に酔いしれたものらが、人類と、決して誤ることのない聖なる医師との間に立ちはだかっている。そして、見よ、彼らの策略は自分たちをも含む 全人類を抜き差しならぬ罠に陥れている。彼らは病の原因を発見することもできず、治療法についての知識も何ら持ち合わせていない。彼らはまっすぐなものを 曲がっていると思い、友を敵と取り違えている。

この囚人の優美なるメロディーに耳をかたむけよ。深い眠りにある人々が目をさますよう、立ち上がり、声たからかに告げよ。言挙げよ。おお、まるで死人のよ うな人々よ。神のめぐみの御手は汝らに生命の水を差しのべている。急ぎ行き、心ゆくまで飲め。この日、生まれ変わったものは、もはや決して滅びることはな い。また、この日、死んだままの状態にあるものは、決して生きることはない。

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CVII. 慈悲に満ちた汝らの主は、全人類が一つの魂、一つの身体のようになることを心から望む。創造された他のあらゆる日を超越するこの日において、神の完全なる 恩寵と慈悲の分け前を勝ち取るよう急げ。神に属するものを得るために、自らの所有するすべてを捨てるものを待つ至福は何と大いなるものか。そのようなもの は神に祝福された人々のうちに数えられることをわれは証言する。

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CVIII. おお、人々よ。われは汝らに時刻を定めた。定められた時刻までに神に向かうことを怠るならば、まことに彼はすさまじい威力をもって汝らを捕らえ、恐ろしい苦悩が四方より汝らに襲いかかるであろう。汝らの主がそのとき汝らに下す懲罰は、何と厳しいものとなろうか。

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CIX. おお、カマールよ。必滅の人間が、この日、神の恩寵深きめぐみにより達し得る極みは、人 類の目に未だ明らかにされていない。存在の世界は、過去においても、また現在においても、これについて理解する能力を持たなかった。しかし、この大いなる めぐみに秘められた潜在性が、神の命令により、人間に明らかにされる日が近づきつつある。諸国の軍勢が彼に向かって配列されても、世界中の王たちが彼の大 業をくつがえすために同盟しても、彼の力の威力は動じることなく存続するであろう。まことに、彼は真理を語り、比類なき全知者の道へと全人類を召喚する。

人間はみな、常に進歩する文明を前進させるために創造された。全能者はわが証人なり。野獣のように 行動することは人間にふさわしくない。人間の尊厳にふさわしい美徳は、地上のすべての民族や種族に対する寛容、慈悲、憐れみ、慈愛である。言挙げよ。お お、友らよ。これこそは、諸々の名の主なる御方の天来の恩寵により放出された清水である。この清らかな流れより、心ゆくまで飲め。そして、わが名におい て、他の人々にもその清水を飲ませよ。これにより、あらゆる国の指導者は、永遠の真理なる者の出現の目的と、自分たちが創造された理由とを完全に理解する に至るであろう。

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CX. 偉大なる存在者は言う。おお、人の子らよ。神の教えと宗教の根本の目的は、人類の利益を守り、その統合を促進し、人々の間に愛と友情の精神 を養うことにある。それを、仲たがいと不和、憎しみと敵意の原因としてはならない。これは真の道であり、確固たる不動の基礎である。この基礎の上に築かれ たものは何であれ、世の中の変転や不意の出来事などによってその力を損なわれることは決してない。また、幾世紀にもわたる変転もその構造をくつがえすこと はできない。わが希望は、世界の宗教の指導者たちや支配者たちが、この時代の改革とその繁栄の復興のために、一致して立ち上がることである。世界の窮乏に ついてとくと考え、互いに協議するがよい。そして、現状を案じて充分な討議を行い、病んで、ひどくいためつけられている世界が必要とする治療薬を施すがよ い。すべてのことに対して中庸をもって対処することは、権力の座にあるものの義務である。何事も中庸という限度を逸脱すれば、その有益な効果は失われる。 たとえば、自由や文明というようなものを考えてみよ。賢者たちがそれらをどれほどすばらしいものと考えようとも、度を過ぎれば、かえって人々に有害な影響 をおよぼすのである…。指 導者や学識者の尽力により、世の人々が自らの最上の利益を認識できるようみちびかれることを、われは神に嘆願する。いつまで人類は片意地を張るのであろう か。いつまで不正がつづくのであろうか。いつまで混乱と動揺が人々の間にのさばるのであろうか。いつまで不和が社会を騒がせるのであろうか…。失 望の風はあらゆる方向から吹き、人類を分裂し苦しめる闘争は日々増加している。現在、一般に行きわたっている秩序は痛ましいほど不備であるため、迫りくる 激動と大混乱の徴候は今やはっきり見受けられる。われは神に嘆願する。神の栄光に誉れあれ。神よ、御恩寵により世の人々をめざめさせ給え。彼らの行いの結 果を有益なものとなし給え。彼らの地位にふさわしい行いが実行されるよう、彼らを助け給え。

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CXI. おお、地上で争っている民族や種族の人々よ。汝らの顔を和合に向けよ。そして、和合の光の輝きもて 自らを照らせ。共に集い、たとえ自分たちの間の論争の原因が何であれ、神のためにそれを根絶するよう決心せよ。そうすれば、この世の偉大な発光体なる者の 光輝が全地球をつつみ、そこに住むものはすべて一つの都市の市民となり、ただ一つの王座の居住者となるであろう。この虐げられし者[33]は、 その生涯の初めからこのこと以外の望みは何も抱かなかった。そして、これ以外の望みを今後も抱くことはない。人種や宗教が何であれ、世界の人々はみな一つ の天の源から霊感を受け、みな一つの神の民である。このことに何ら疑う余地はない。彼らの戒律の間に見られる相違は、それが啓示された時代の種々の要求や 緊急度によって起こるものである。人間の我欲から起こるいくつかの例外を除けば、それらの戒律はすべて神の定めたものであり、神の意志と目的の反映であ る。奮起して、信仰の力で身をかため、汝らの空想の神々、汝らの間に不和をまき散らすものを粉砕せよ。そして、汝らを融合させ、和合させるものにすがれ。 まことに、これは母なる書が汝らに啓示し与える最も崇高なる言葉である。荘厳なる舌は、その栄光に輝く住処にあってこのことを証言する。

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CXII. 永きにわたり地上を苦しめてきた動乱と、人々をとらえてきた混迷と当惑を見よ。地上は戦争に荒らされ、突如と訪れる不慮の災難に苦しめられ てきた。世界は不幸と苦難に取りかこまれているにもかかわらず、その原因や源が何であるかを立ち止まって考えるものは誰もいない。真の勧告者が忠告の言葉 を口にしたときはいつも、見よ、人々はみな、彼を害毒をもたらす扇動者として非難し、彼の主張を拒否したのである。人々のこの態度は何と途方もなく、訳の わからないものか。外面的にも内面的にも一致する二人の人間を見出すことはできない。万人は一致と調和のために創造されたにもかかわらず、不和と悪意の証 拠はあらゆるところに明らかである。偉大なる存在者は言う。おお、わが最愛なる人々よ。和合の幕屋は建てられた。汝ら、互いに他人視してはならない。汝ら は一つの木の果実であり、一つの枝の葉である。正義の光がこの世を照らし、この世を圧制より聖別することを、われは念願する。神の栄光は高遠なり。神の威 力の象徴である地上の支配者や国王たちが、全人類の究極の福利の促進に献身することを決意して立ち上がるならば、必ずや正義の統治が人の子らの間に確立さ れ、その光の燦然さんぜんたる輝きが地球を取りまくであろう。偉大なる存在者は言う。世界の安定と秩序は、報酬と罰の双柱の上に築かれており、将来もこの双柱によって支えられつづけるであろう…。また、偉大なる存在者は他の節でつぎのように書いた。おお、世界の支配者たちよ。留意せよ。この地上には、正義と英知の持つ征服力にまさる力は存在しない…。前方に英知の旗をひるがえし、後方に正義の軍勢を結集して行進する王は幸いなり。その王はまことに平和の額と、安全の面おもてを飾る装飾である。正義の昼の星は、今や圧制の雲に覆われている。しかし、その光を人類に注ぐことができれば、地球上は完全に変わるであろう。このことに疑いの余地はない。

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CXIII. おお、帝都[34]に おけるペルシャ国王の大使よ。神の大業の究極の運命はわが手中にあると汝は想像するのであろうか。わが投獄、われに強いられた辱め、もしくはわが死や滅亡 が神の大業の進路を変え得ると汝は想像するのであろうか。汝が心に抱いた想像は何と卑劣なものであろうか。まことに、汝は自分の心が考案する虚しい想像に したがって歩んでいるに外ならない。神以外に神は存在せず、神こそは自らの大業を現わす威力に満ち、自らの証言を高め、御心によって欲するものを確立し、 それを汝の手や、彼にそむいたものらの手が決して届くことも、危害を加えることもできない崇高なる地位にまで引き上げ給う。

汝は神の御心を阻み、神の決定の執行を停止させ、神の主権の実行を妨害できる力を有すると思っているのであろうか。天と地にあるもののいったい誰が神の信 教に抵抗できるというのか。否、永遠の真理なる御方にかけて言う。全宇宙のいかなるものも神の目的を阻むことはできない。汝は妄想を追っているにすぎな い。妄想を捨てよ。それは決して真理の代わりとなり得るものではない。心より悔い改めるものであれ。汝を創造し、汝を育み、汝と同じ信仰を唱える人々の中 の大臣として汝を据えた神のもとに戻るものであれ。

さらに、このことを確信せよ。神こそは、自らの命令により天と地のすべてを創造したのである。ならば、神の命令によって存在を得た人間がどうして神に勝利 し得るであろうか。おお、悪意みなぎる人々よ。神は汝らの想像をはるかに越えて崇高なり。もしこの大業が神に属するものであれば、誰もそれを止めることは できない。また、もし神に属さないのであれば、汝らの中の聖職者や、自らのよこしまな欲望にしたがい彼に刃向かう人々の勢力は、この大業をくじくに充分な 力を持つはずである。

汝はファラオの親族に関する話を知っているはずである。神はこの古代の信者が語った言葉を神の使者に伝えたのである。神は、神の使者をあらゆる人間の上に 置き、御自分の教えを託し、地上に生きるすべてのものに対する慈悲の源泉とした。真実を語る彼はまさにこう伝えたのである。「自らの使命の証拠をたずさえ て汝らの前に現われたものを、『わが主は神なり』と宣言しただけの理由で汝らは殺害するのか。もし彼が虚言者ならば、その虚言は彼の身の上に降りかかる。 また、もしその証言が真実ならば、彼の警告することの少なくとも一部は汝らに降りかかってくるであろう」。これは、あやまりのない書を通じて神がその最愛 なる者に伝えた言葉である。

にもかかわらず、汝らは彼の指示に耳をかたむけず、彼の法を無視し、聖典に記された彼の忠告を拒絶し、彼のもとを離れ遠くさまよう人々に加わったのであ る。どれだけの数の人が、 毎年毎月、汝らのために処刑されてきたであろうか。汝らは何と数多くの不正を働いたことであろうか。汝らの不正は誰もかつて見たことのないものであり、い かなる歴史家も記録したことのないものである。汝らの残虐行為のために、何と多くの乳飲み子が孤児となり、何と多くの父親が息子を失ったことか。おお、不 正を働く人々よ。何と多くの妹が兄を悼み、何と多くの妻が唯一の頼みである夫の死を嘆いたことか。

汝らの残虐のほどは日々増大し、最後には、最も崇高にして、最も偉大なる神の御顔から一度たりとも目をそらしたことのない者の命を汝らは奪ったのである。 通常の処刑の方法を選ぶならまだしも、汝らはかつて誰も見たことのないような状況のもとで彼を殺害したのである。彼のその姿に天界は涙を流し、神に近い魂 たちは彼の苦悩を目の当たりにして泣き叫んだのである。まさに、彼は汝らの預言者の古来の家系に生まれた末裔まつえいではないか。彼が神の使者の直系であることは汝らの間で広く知られていたではないか。過去のすべての歴史をさかのぼっても、誰も汝らが彼に負わせたような仕打ちを人に 負わせたことはない。神かけて言う。創造の世は汝らのような存在を過去に見たことはない。汝らは、汝らの預言者の家に生まれた者を殺害し、名誉の座に居座 り、そのことに歓喜して祝杯をあげているのである。汝らは過去の時代の人々をののしっているが、汝らは彼らと同じ罪を犯したのである。にもかかわらず、汝 らは自分の犯した極悪非道の行為に気づいてもいない。

判断に公正であれ。汝らがののしりその不幸を願う人々の行為は、汝らの行為とどう違うのか。彼らは、自分たちに遣わされてきた預言者の子孫を殺害したが、 汝らも同様に自らの預言者の子孫を殺害したではないか。汝らの行為は、彼らの行為と同じではないか。ならば、なぜ自分たちを彼らと区別できるというのか。 おお、不和の種を蒔く人々よ。

汝らが彼の命を奪った後、彼の信奉者のひとりがその死の復讐を目指して立ち上がった。この名もない復讐者の企てに誰も気づいていなかった。やがて、復讐者 は運命によって定められていた行為を犯してしまった。したがって、公平に判断するならば、責められる立場にあるのは汝らのみである。汝らと同じ罪を犯した ものがこの地球上のどこにいるというのか。諸々の世の主なる御方にかけて言う。汝らに比べられるものはどこにも存在しない。

地上のすべての王や支配者たちは、彼らに遣わされた預言者や聖者たちの子孫を敬い尊敬する。汝ら、このことを理解し得たならば。一方、汝らは、いかなる時 代のいかなるものも犯したことのない行為を犯したのである。汝らの犯した罪のために、理解力を有するあらゆるものの心は悲嘆に暮れたのである。にもかかわ らず、汝らは無思慮の淵に沈んだままであり、自らの行いが極悪非道であることに気づいていないのである。

汝らの強情はなおもつづいた。そして、やがて汝らの矛先は、汝らの敵意を招くようなことを何一つ行っていないわれに向けられたのである。汝らを創造し、汝 らに命を与え、汝らが力を得ることを可能とし、神に従順なる人々の仲間に汝らを加えた神を汝らは畏れないのか。汝らの強情はいつまでつづくのか。反省する ことをいつまで拒みつづけるのか。いつになれば眠りから覚め、無思慮の状態を脱するのか。真実に気づかないその状態はいつまでつづくのか。

つぎのことについて心の中で熟考せよ。汝らの行動や、汝らの手が犯した様々な所業をもってしても、汝らは神の炎を消し、神の啓示の光を覆い隠すことに成功 しなかったではないか。まさに、神の啓示の光の輝きは、永遠の生命の波うつ大海に浸る人々をつつみ込み、神の一体性をまことに信じ、支持する人々の魂を引 き寄せたのである。神の御手は汝らの手をはるかに越えたものであることを知れ。神の取り消すことのできない命令は汝らのすべての企てに勝り、神はすべての しもべの上に君臨し給う。神は御目的を果たすに充分な力を有し、欲するままに成し、欲するままに定め、御力に満ち給う全能者におわす。これを真実と認める ならば、汝らはなぜ心を掻き乱すことなく平静をもって生きないのか。

日毎、汝らは新たな不正を働く。われは汝らの政務に一度たりとも干渉したことはない。にもかかわらず、汝らは過去の時代と同じようにわれを処遇する。われ は汝らに反対したことも、汝らの法にそむいたこともない。見よ、ついに汝らはわれをこの遠隔の地に投獄したのである。しかし、つぎのことを確信せよ。汝ら の手や、不信心なるものらの手が犯すいかなる行為も神の大業を変え、神の道を変更させることはできない。これは過去においても、現在においても同様であ る。

おお、ペルシャの国民よ。わが忠告に耳をかたむけよ。もしわれが汝らによって殺害されれば、神は必ず代わりの者を立て、わが死によって空いた座に据えるで あろう。これこそは神の古来よりの方法であり、神の方法に変化を見ることはない。汝らは神の地上に輝く神の光を消そうというのか。神は汝らの望みを忌み給 う。そして、汝らが心の中で密かに憎むこの光を神は必ず完成し給う。

おお、大臣よ。しばし立ち止まり、反省し、公正に判断せよ。汝は国王の大臣たちに対しわれを誹謗ひぼうし、自らの欲するままに真実をねじ曲げ、われに中傷を浴びせたのである。汝のこのような言 動を正当化し得る行為をわれはいつ犯したというのか。かつて、イマム・ホセインの殉教祭のころにわが父の家で汝と会ったとき以外、われは汝と会ったことは ない。殉教祭のときは、自分の考えや信条を他人に伝えることのできるような会話や議論の機会はなかったはずである。汝が正直なものならば、わが言葉のまこ となることを証言するであろう。さらに、われは汝、もしくは汝以外のものがわが心の内を知ることのできるような会合に参加したことはない。わが証言をわれ 自身の口から一度たりとも耳にしたことのない汝がなぜわれに判決を下すことができるのか。栄光に満ち給う神のつぎの言葉を汝は知らないのであろうか。「汝 に挨拶するあらゆる人をつかまえて『おまえは不信心者である』とは言うな」。「主の顔を見ることを切望し、昼も夜も涙する人々を押しのけるな」。まこと に、汝は神の書の教えを破り、なおも自らを信者と自負しているのである。

神の一体性の信奉者が決して耐えることのできないような危害を汝らはわれに浴びせた。その行為にもかかわらず、われは汝に対しても、他のものに対しても何 ら悪意を抱いていない。神こそこの真実を証言し給う。わが大業は神の御手の内にあり、われは神のみに信頼を置く。やがて汝の生涯の日々は過ぎ去り、今は目 にあまる傲慢な態度をもって隣人に優勢を誇っている人々の日々も終末を迎える。間もなく汝らは神の御前に集合させられ、自らの行いについて詰問され、汝ら の手のなしたことに相当する報いを受けるであろう。悪を働く人々の住処は何と悲惨な場所であろうか。

神に誓って言う。自分が何をしてきたかに気づくならば、汝は涙を流し、神のもとに避難所を求め、汝に残された日々を失望と悲嘆 のうちに過ごすであろう。その状態は、神が汝を許すまでつづくが、まことに神は最も寛大にして恩恵に満ち給う。しかし、汝は汝の心と魂と内なる真髄のすべ てをかたむけてこの世の虚栄に没頭しているため、汝の無思慮は死の瞬間までつづくであろう。そして、この世を後にしたとき、汝はわれが汝に示したことを発 見し、汝のすべての行いが神の書に記録されていることを知らされるであろう。その書には、地上に住むすべての人間の、原子の重量にもみたない行為までが漏 れなく記録されているのである。したがって、わが忠告を受け入れ、汝の心の聴力をもってわが発言を傾聴せよ。わが言葉をないがしろにするな。わが真理を拒 否するものとなるな。汝に与えられたものを汝の誇りとするな。危急の場の救助者におわし栄光に満ち給う神の書に記された言葉を眼前に置け。「彼らが警告を 忘れたころ、われは万物の門戸を彼らに開け放った」。これと同様に、われは汝と、汝の同類のものにこの地球上とその装飾にみちびく扉を開け放ったのであ る。この聖句の後半に約束されたことの成就を待つがよい。これは全能者におわし、すべてに賢き御方の約束であり、必ず成就するものである。

おお、われに悪意をいだく集団よ。汝らが選び、汝らが歩む道についてわれは知らない。われは汝らを神のもとに召喚し、神の日を思い起こすよう忠告する。わ れは神との再会の吉報を汝らに伝え、汝らを彼の宮廷に引き寄せるのである。そして、われは彼のすばらしい英知の象徴を汝らに下し与えるのである。にもかか わらず、見よ、汝らはわれを拒絶し、偽りを語る汝らの口をもれる言葉によってわれを異端者と責め立て、われに対して様々な策略を企てたのである。そして、 あふれんばかりの恩恵によって神がわれに付与し給うことをわれが汝らに明かすとき、汝らは「これは魔術にすぎない」と言う。過去の時代の汝らと同類の人々 も同じ言葉を吐いたのである。おお、汝らこのことが理解できたならば。この言動によって汝らは神の恩恵と恩寵を逸し、神が汝らとわれの間に裁きを行うとき に至るまで神の恩恵と恩寵を得ることはできないであろう。まことに、神こそは最高の審判者なり。

汝らの中にこう言うものがいる。「彼は自分を神だと主張した」。神かけて言う。これぞ最悪の中傷である。われは神を信じ、神の証を認め、神の預言者や天使 を信じる神のしもべにすぎない。わが舌も、わが心も、わが内なる存在も、わが外なる存在もすべてこう証言する。神以外に神はなく、神以外のものはすべて神 の命令によって創造され、神の意志の働きによって形作られたのである。神以外に神は存在せず、神こそは創造主におわし、死者をよみがえらせ給う御方にまし まし、命を与え、命を奪い給う御方におわす。われは、神の恩恵によってわれに与えられた恵沢を広く伝える者である。これが罪だとすれば、まことにわれは罪 人の中の最大の罪人である。われとわが家族は汝らのなすがままである。ためらうことなく、汝らの欲するままにせよ。そうすれば、われは主なるわが神のもと に戻り、汝らの顔を見なくてもすむ場所に到達できよう。まことに、これこそがわが最大の望みであり、わが切なる願いである。このわが状態を神は見給い、熟 知し給う。

おお、大臣よ。汝の姿は常に神の目に映っていることを記憶せよ。汝は神を見ることはできないが、まことに神は汝をはっきりと見給う。わが大業を観察し、公 平に判断せよ。われのどの行為が原因で汝はわれに刃向かうのか。われのどの行いが原因で汝はわれに対する誹謗中傷を流布するのか。われは国王の命令にした がってテヘランを去り、国王の了承を得てイラクに定住した。もしわれが本当に国王に対し罪を犯していたならば、国王はわれを釈放したであろうか。一方、わ れが無罪ならば、汝はなぜわれにこれほどまでの苦しみを浴びせるのか。実に、これは汝と同じ宗教を唱えるいかなるものも経験したことのないほどの苦しみで ある。イラク到着後、われの行動は政府の権威を損なうものであったであろうか。このような非難すべき行為をわが行動の中に発見したものがひとりとしていた であろうか。その地の住民に問いただすがよい。そうすれば真実を発見することができよう。

われはかの地に十一年間滞在した。やがて、汝の政府を代表する公使がその地に赴任してきた。その名を書き記すことすらはばかられるが、その公使は酒に溺 れ、肉欲に支配され、悪事を働き、腐敗し、イラクの国土にその腐敗を広めた。汝が真実を求めるものならば、バグダッドの大半の住民はこのことが事実である ことを証言する。その公使は他人の財産を不当に接収し、神のすべての掟を破り、神が禁じ給うあらゆる罪を犯した。自己の欲望にしたがい、公使はやがてわれ に刃向かい、不正なる人々の道を歩んだ。公使は汝に手紙を送り、われを告発した。そして、汝は何の証拠も、何の信頼できる証言も求めることなく、公使の告 発の内容を信じ、彼と同じ道を歩んだのである。汝は虚偽と真実を識別し、正しい判断を下すための説明を何ら求めず、調査や確認を試みることすらしなかっ た。公使がどのような人物であったかを知りたいならば、当時イラクに赴任していた他の公使たちや、バグダッドの都を治めた知事や参事たちに尋ねてみよ。そ うすれば真実が露呈し、汝は確かな情報を得ることができよう。

神こそわが証人なり。われはいかなる状況にあっても公使やその他のものに反抗したことはない。われはいかなる状況にあっても神の教えを厳守し、動乱にくみ したことはない。公使自身がこのことを証言する。公使はわれを捕らえ、ペルシャに送還することによって自分の名声と名誉を高めようと意図していたのであ る。汝は、まったく同じ目的のために彼と同じ罪を犯したのである。全知者におわし、すべてに君臨し給う神の目には、汝らは同類のものとして映る。

汝にこれらの言葉を向けるわが目的は何か。わが苦悩を軽減し、もしくは汝がわがためにとりなしをするよう求めているのではない。否、すべての世の主なる神 に誓って言う。これらのことを汝に示すわが趣旨はつぎの通りである。汝が自分の行いを自覚し、われに加えたような危害を他のものに加えることを思いとどま らせ、汝と全宇宙を共に創造し給うた神に対してまことに悔い改め、汝にこれからは分別をもって行動させることがわが目的である。このことは、汝のすべての 所有物と、残り少ない汝の公職の任期に増して貴重である。

不正を企てることのないよう注意せよ。汝の心を正義にしっかりと据え、神の大業を変えようとしてはならない。そして、神の書に記されたことに目を向けるも のであれ。いかなる状況にあっても自らの邪悪な欲望の誘いに屈してはならない。汝の主におわし、恩恵に満ち、日の老いたる者におわす神の法を遵守せよ。汝 がやがて朽ちて土に戻ることは確実である。そして、汝の楽しみとするものと同様に汝は必ず死滅する。これこそは真実と栄光の舌が語る言葉である。

過去の時代に語られた神の警告を想起し、神の忠告を聞き入れるものであれ。まことに、真実を語る御方はつぎのように述べ給う。「われは土をもって汝らを創 造し、汝らを土に戻す。そして、われは汝らを再び土の中から呼び起こす」。このことは、地位の高い低いにかかわらず、この世に住むすべてのものに及ぶ神の 定めである。神と神に愛されし人々を前に横柄な態度をとり、彼らを傲慢にもさげすみ、軽蔑することは、土をもって創造され、土に戻り、再び土より呼び起こ される運命にある人間に似つかわしい態度では決してない。否、神の一体性の顕示者にしたがうことこそが汝にふさわしい行為である。また、神のためにすべて を放棄し、栄光に満ち、すべてに讃美される神の街道より人間を引き離し、人の注意をそらすあらゆるものより解脱した信仰深い人々の前に謙虚であることが汝 や汝と同じ状態にあるものらにふさわしい姿なのである。われはこのようにして汝の利益となるものと、全幅の信頼と確信を主に置く人々の利益となるものを汝 に下し与える。

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CXIV. おお、国王よ[35]。真実を語る者の言葉に耳をかたむけよ。真直ぐな道を過ちなく進む者は、神が汝に選び与えたものを報酬として求めているのではない。われは汝の健全なることを欲し、そのために汝を汝の主なる神のもとに召喚し、正しき道を指示し、真の喜びに至る大道を示すのである。

おお、国王よ、注意せよ。よこしまな欲望に走るものを汝の周囲に置いてはならない。託された信託を放棄し、その信託を明らかに裏切ったものを大臣に据えて はならない。人民の権利をこのような大臣に委ねてはならない。神は汝に恩恵を授け、汝も同様に人民に恩恵を与えなければならない。神への畏敬をなおざりに せず、正しく行動するものであれ。信仰と正義の芳香につつまれたものを大臣に据え、共に協議し、汝の心に最善と思えることを選び行え。そして、寛大を汝の 常とせよ。

このことを確信せよ。神を否定するものは信頼に値せず、真を欠くものである。まことにこれこそは真実であり、疑いの余地のない真理である。神に不誠実なる ものは、国王に対しても不誠実である。このような人間を悪行から踏み止まらせるものは何もない。隣人を裏切ることを踏み止まらせるものも、正しき道を歩ま せるものも存在しない。

国政を他人にまかせきることのないよう注意せよ。汝の信任に値しない大臣たちに信頼を置くな。そして、無思慮な人生を送るものであってはならない。汝に心 をそむけた人々を避け、彼らに信頼を置くな。汝に係わることや、汝と同じ信仰に帰依する人々に係わることを彼らに委ねてはならない。狼が、神の羊の群れの 羊飼となることを許すことのないよう注意せよ。神に愛されし人々の運命を悪意みなぎるものらに委ねるな。神の戒律を破るものが信頼に報い、彼らの公言する 信念に忠実であることを期待するな。彼らを避け、彼らの策略や悪事が汝を傷つけることのないよう自らをしっかりと防御せよ。彼らに背を向けよ。そして、栄 光に満ち、恩恵にあふれる汝の主なる神に目を据えよ。神は、神に自らを完全に委ねるものと共にあることは確かである。まことに神は、神に全幅の信頼を置く ものをあらゆる危害から守り、すべての悪の策略者の不正より保護し給う。

わが言葉に耳をかたむけ、わが忠告にしたがうならば、地上のいかなるものの策略も汝に触れ、汝を害することのできないほど崇高な地位に神は汝を引き上げる であろう。おお、国王よ。汝の心の底より、そして汝の全存在をもって神の教えを遵守せよ。そして、圧制者の道を歩んではならない。汝の権力の手をもって国 政の手綱をしっかりと握り、人民に係わることについては自らがおもむいて調査せよ。何ごとも見逃してはならない。何となれば、最高の善はそこに宿るからで ある。

神に感謝せよ。神は万人の中から汝を選び、汝を汝と同じ信仰に帰依する人々に君臨する王として据えた。神が汝に与えたこのすばらしい恩恵の真価を認識し、 神の名を讃美しつづけることこそが汝にとってふさわしい行為である。また、汝にとって、神を讃美する最善の方法はこれである。つまり、神に愛されし人々を 愛し、神のすべてのしもべらが圧制から解放され、二度と迫害されることのないよう彼らを不誠実なものらの悪事から守り擁護することである。さらに、汝は 人々の間に神の法を確立するために立ち上がらなければならない。そうすることにより、汝は神の法に確固として立つものとなろう。

正義の大河の清水が汝の国民に届くようにせよ。そうすれば、神は目に見えるもの、見えぬものの軍勢をもって必ず汝を援助し、諸事において汝を強化するであ ろう。神以外には神は存在せず、森羅万象とその王国は神に帰属する。そして、忠実なる人々の業績は神のもとに届くのである。

汝の財宝に信頼を置いてはならない。否、汝の主なる神の恩寵に全幅の信頼を寄せよ。何ごとにおいても神を信頼し、神の御心に服従するものであれ。神を自ら の援助者とし、天と地の財宝を所有する神の財宝をもって自らを富ませよ。神は選び給うものに与え、望み給うものからは差し控える。神以外に神はなく、神は すべてを所有し、すべてに讃美される。神の慈悲の門前にあって、人はみな等しく貧民である。神の主権の出現の場にあって、人はみな等しく無力であり、神の 恩恵を乞い求めるものである。

中庸の道を踏み外してはならない。汝に仕えるものに対し公平であれ。彼らの必要に応じて彼らに報酬を与えよ。蓄財に走り、自らを着飾り、自宅に装飾を施 し、何のためにもならないものを取得し、贅沢に溺れるものらの内に数えられるような報酬を彼らに与えてはならない。困窮するものも、逆に贅沢に溺れるもの もないよう、揺るぎなき正義をもって彼らを処遇せよ。これこそが明白なる正義である。

卑劣な人間が、高貴で栄誉に値する人々を支配する状況を許してはならない。また、高潔な人々を、下劣で価値のない人間の思いのままにさせてはならない。実 に、これこそは帝都(コンスタンチノープル)に到着するやわが目に飛び込んできた光景であり、われはこのことを証言する。帝都の住民の一部は莫大な財産を 所有し、度を越えた富に囲まれて生活している。一方、他の住民は困窮と極度の貧困にあえいでいる。これは、汝の主権からしてあるまじき状況であり、汝の地 位にまったくふさわしくない。

わが忠告を受け入れ、公正をもって国を治めるよう努力せよ。そうすれば神は汝の名を高め、汝の正義の名声を世に広めるであろう。国民を犠牲にしながら大臣たちを富ませることのないよう注意せよ。毎日、夜明けと共に苦悩のうめき声をたてる貧者や心正しきものの嘆息たんそくを恐れ、彼らに対し慈悲深い王であれ。まことに、彼らこそはこの地上における汝の宝である。汝は汝に託された宝を守り、その宝を盗もうとするものの襲撃を撃退しなければならない。彼らの生活について調査し、毎年のように、否、毎月のように彼らの状況を確認せよ。このことにおいて、義務を怠るものであってはならない。

神の誤りのない天秤を汝の目前に据えよ。神の御前に立つ思いで、自らの行動をこの天秤にかけて日ごと評価せよ。そして、生涯を通じて自らの行いを常に評価 しつづけよ。裁きの場に召喚される前に自らを清算せよ。裁きの日、神を畏れるあまり誰も立ちつづけることはできず、無思慮な人々の心は恐怖に震えるであろ う。

国王たるものは太陽のように恵みに満ちた存在でなければならない。太陽のようにすべての生命の成長を育み、各人にその正当な報酬を与えなければならない。 そして、太陽と同様、その恵みは自らに由来するものではなく、威力に満ちた全能者の定めによるものである。国王たるものはその慈悲において、すべてを知り 給う至上の命令者の指示にしたがい大地を隈無く潤す雲のように寛大で惜しみない存在でなければならない。

国政の一切を他人の手に委ねることのないよう注意せよ。汝の果たすべき機能を、汝よりも有能に果たし得るものはない。われはこうしてわが英知の言葉を汝に 解き明かすのである。われはまた、汝が圧政の左手より正義の右手に移り、神の輝く恵みの大海に接近することを可能とするものを汝に下し与えるのである。こ れこそは公正をもって国民に接し、正義の道をひたすら前進した過去の王たちの歩んだ道である。

汝はこの地上における神の影である。この崇高にして卓越した地位にふさわしく行動するよう努力せよ。われが汝に与え教えた道から外れることがあれば、汝は 汝に与えられた偉大で比類なき価値を持つこの栄誉を汚すこととなる。したがって、神のもとに帰還し、神に完全にすがり、この世とその虚栄に係わるものを心 から排除せよ。異邦人に対する愛が汝の心に侵入し、汝の心を住処とすることを許すな。そのような愛着の痕跡をことごとく排除し、心を浄化しない限り、神の 光の光輝は汝を照らすことはない。何となれば、神は人間に心を一つしか与えていないからである。まことに、これは神の指示により神の古来の書に書き記され た真実である。神の創造により、人間は一つの不可分の心を与えられた。したがって、汝の心に宿る愛も唯一不可分であるよう注意せよ。汝の心に存在するすべ ての愛をもって神の愛にすがれ。そして、神以外のものへの愛着から自らを遠ざけよ。これを果たすならば、汝は神の援助により神の一体性の大海に浸ることが でき、神の助けにより神の唯一性の真の支持者となり得るであろう。神はわが証人なり。汝にこれらの言葉を現わすわが唯一の目的は、汝をこの世の無常から解 き放ち、永遠の栄光の領土に入ることを助け、神の許しにより汝がその領土に定住し治めることを可能とすることである…。

おお、国王よ。われは神に誓って言う。わが迫害者について汝に直訴することがわが狙いではない。わが悲しみと苦悩について、われは神のみに訴える。神こそ はわが創造主であり、わが迫害者の創造主であり、わが状況を知り、すべてを見つづけ給う。わが狙いは、迫害者たちに対し彼らの行為の結果について警告する ことである。わが警告を聞き入れ、われに対して行なったことを、二度と他のものに繰り返すことがなければ幸いである。

われが味わった辛苦も、われを苦しめた困窮も、われを包囲した諸々の 苦難もすべて過ぎ去るであろう。同様に、わが迫害者に喜びをもたらす快楽も、彼らの味わう富もすべて過ぎ去るであろう。これは、地上の何人も否定できない 真実である。われが塵に埋もれた生活を強いられる日々は間もなく終了する。同様に、彼らが栄誉の座にある日々も間もなく終わる。神は真実に照らして必ずわ れと彼らの間に裁きを行うであろう。まことに、神は最高の審判なり。

われに降りかかったすべてのことについてわれは神に感謝する。神がこれまでに定めたことも、これから命令するであろうことも、われは忍耐をもってすべてに 耐えよう。われは神に信頼を置き、わが大業を神の手に委ねる。忍耐強く耐え、全幅の信頼を神に置くものに神は必ず報いるであろう。創造の世とその主権は神 に属する。神は選び給うものを高め、定め給うものを卑しめる。神の行いについて疑念をはさむ権利は誰にもない。まことに、神は栄光に満ち給う全能者なり。

おお、国王よ。汝に宛てられた言葉を注意深く吟味せよ。迫害者の暴虐をやめさせ、正義にそむくものを、汝と信仰を同じくする人々から切り離せ。神の正義に かけて言う。われの味わった苦悩は、それを語ろうとするあらゆるペンを悲しみで圧倒するものである。わが苦悩を列挙するとすれば、神の一体性をまことに信 じ支持するものは決してそれに耐えることはできない。わが苦しみのために、わが敵も涙し、洞察力を有するあらゆる人間の目は涙にうるんだのである。汝が神 の一体性を信じ支持する人々の最も強固な要塞となることをわれは願った。そのためにわれは汝に接近し、汝の庇護のもとに入るよう人々に勧告した。にもかか わらず、われはこのような試練に見舞われたのである。

おお、国王よ。われは汝にそむいたことがあろうか。一度たりとも汝の法を破ったことがあろうか。イラクの地にて汝を代表する大使たちは、汝に対するわが不 実の証拠を一つたりとも示すことができようか。諸々の世の主なる御方にかけて言う。そのようなことは決してない。われは一瞬たりとも汝に反抗したことも、 汝の大使たちに反抗したこともない。今までにわれを苦しめてきた試練をしのぐ厳しい試練に今後遭遇したとしても、神の御心によりわれは決して汝に反抗した りはしない。

われは昼も夜も、日没にも夜明けにも汝に代わって神に祈る。神の恩寵の助けにより汝が神に服従し、神の命令を遵守し、神が汝を悪の軍勢より擁護し給うよう われは祈りつづける。したがって、汝は欲するままになし、汝の地位と汝の主権にふさわしい方法をもってわれを処遇するがよい。何を達成しようとしても、今 後何を目指すにしても、決して神の法を忘れてはならない。言挙げよ。諸々の世の主なる神に讃美あれ。

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CXV. おお、ザビヒよ。啓示のペンは、神によって啓示されたほとんどすべての書簡につぎのよ うな言葉を記している。われは、神に愛されし人々にこう忠告する。わが神聖なる衣の裾が不法な行為によって汚されぬよう、また、恥ずべき行動の塵によって 汚されぬよう注意せよ。また、われは彼らにこう警告する。わが書簡に記されたことに汝らの目を据えよ。もし彼らが慈悲に満ち給う御方のペンの黎明の場より 輝きでた神聖なる忠告に耳をかたむけ、彼の呼び声を聞き入れていたならば、地上のほとんどの人々はすでに彼の教導の装飾に飾られていたであろう。しかし、 前もって運命づけられていたことが現実となったのである。

この最大なる牢獄にあって、日の老いたる者の舌は、純白の巻物に記録されたつぎの言葉を再び語る。おお、唯一真実の神に愛されし人々よ。邪悪で汚れた自ら の欲望の狭苦しい空間を脱出し、無限の広がりを誇る神の領土に入り、清らかさと解脱の草原にとどまれ。そうすることにより、全人類が汝らの行いの芳香に よって神の衰えることのない栄光の大海にみちびかれよう。この世とこの地上にまつわる事柄に捕らわれるな。この世の外見的指導者たちの活動に干渉すること のないようくれぐれも自制せよ。

神の栄光は高遠なり。唯一真実の神は、地上の統治を世の国王たちに委ねたのである。権力の座にあるものらが諮はかって決めたことに反する行動を起こす権限は誰にも与えられていない。神は、人の心の都を御自分のために取っておかれたのである。そして、すべてに君臨する真理におわす御方に愛されし人々こそはその都の鍵である。彼らの一人一人が最大名の威 力によりこれら都の門を開け放つことができるよう、われは神に嘆願する。唯一真実の神を援助するということは、このことを意味するのである。夜明けをもた らした者のペンは、そのすべての書や書簡を通じてこの命題に言及してきたのである。

同様に、神に愛されし人々は、隣人に対し寛容でなければならない。神に愛されし人々は、全人類が彼らをこの地上での神の信託人として認めるほどに聖別さ れ、あらゆる事物を超越し、誠意と公平を表わすものでなければならない。全能者の戒律がいかに崇高な次元に達したかを見よ。それに比べ、弱き心の人々が今 もとどまっている場所がいかにみじめなものかを見よ。慈悲に満ち給う汝らの主のペンが築いた天界を確信の翼に乗って飛行するものは幸いなり。

おお、ザビヒよ。すべてに君臨する真理におわす神の成せる業わざを見よ。そして、つぎのように宣言せよ。彼の威力は偉大なり。諸々の世を包含する 彼の威力は何と偉大なるものか。彼の解脱は崇高なり。森羅万象の理解をはるかに超える彼の解脱は何と計り知れぬほど崇高なるものか。彼の従順さに栄光あ れ。神に近づくことのできた人々の心を溶かし去った彼の従順さに栄光あれ。

われは、わが敵の手によって無数の苦悩を味わった。しかし、日の老いたる者のペンはいかなる苦悩によってもその目的達成を阻まれないことを知らしめるため に、われは地上のすべての支配者たちに向けて、神の命じ給う言葉を宣言した。彼のペンは神の許しによって動き、神こそは朽ち果てる骨を創造し給う。

この偉大なる事業について考えてみよ。彼を愛する人々は腰を据えて努力し、神の大業の勝利をもたらすものに心を集中させなければならない。そして、恥ずべ き下劣な行為に決して走ってはならない。永遠の真理におわす御方の外面的行動や行為について少しでも考えて見るならば、汝は地に伏してつぎのように叫ぶで あろう。おお、主の中の主におわす御方よ。あなたは全創造物の主におわし、目に見えるものと見えぬものすべての存在の教育者におわすことを証言いたしま す。あなたの御力は全宇宙を覆いつつみ、地上の軍勢はあなたをくじくことはできず、地上のすべての民族や国家の権勢をもってしてもあなたの目的の成就を阻 むことはできないことを証言いたします。あなたの願いは全世界の蘇生、全人類の和合の確立、そして地上に住むすべての人々の救済以外の何ものでもないこと を証言いたします。

神に愛されし人々のあるべき姿と、彼らが昇り詰めなければならない高所についてしばし考えてみよ。彼らが御力の援助により、神の御心に沿って行動できるよ う慈悲の神におわす汝の主に絶えず嘆願しつづけよ。まことに、神こそは最も強力におわし、栄光に満ち、すべてを知り給う。

おお、ザビヒよ。投獄はこの虐げられし者に何ら危害を加えたこともなければ、これからも加えることはない。同様に、世俗の全財産の剥奪、追放、殉教、その 他いかなる外見的な辱めも彼を害することはできない。彼を傷つけるのは、神に愛されし人々が悪を働き、それを至上の真理なる者に帰することである。これこ そがわれを襲う苦しみである。このことについては、すべてに君臨し給う御方がわが証人なり。われをひどく痛めるものは、バヤンの人々が日ごと繰り広げてい る主張である。あるものは、わが枝(息子)たちの中のひとりに忠誠を誓い、また、他のものは独自の主張を展開し、自らが欲するままに行動している。

おお、ザビヒよ。荘厳なる舌はこう述べる。真実を語るわれ自身に誓って言う。過去のすべての宗教は、この最も強大なる啓示に至ってその最も高い完成の域に 達したのである。彼の後に現われて、神の啓示をたずさえてきたと主張するものはまさしく虚偽を語るいつわりものである。その人物が、そのような主張を撤回 し放棄するよう神が恩寵深く援助されるよう、われは神に祈る。もし悔い改めるならば、無論、神は彼を許すであろう。しかしもし、過ちに固執するなら、神は 必ずそのものを容赦なく扱うものを遣わすであろう。まことに、神こそは全能者にして、最も威力ある御方におわす。

バヤンの人々を見よ。われ以前の顕示者であり、わが美の先駆者であった者の啓示の唯一の目的は、わが啓示とわが大業の宣布であったにもかかわらず、バヤン の人々はこのことにまったく気づいていない。わがためでなければ、彼は彼の告げた言葉を決して口にしなかったであろう。このことについては、至上の真理な る御方がわが証人なり。すべてを所有する近づき難い者の大業を、慰めや気晴らしとしかとらえないこの愚かな人々を見よ。彼らの心は日ごと新たなたくらみを 編みだし、彼らの妄想は日ごと彼らをさらなる後退にみちびく。彼らの言うことが真実ならば、汝の主の大業の安定はどうして保障されようか。このことについ て心の中で熟考せよ。そして、鋭い視力を有し、物事を注意深く観察し、初志に忠実で、信念に固いものであれ。未だかつて誰も述べたことも、誰も想像したこ ともないような主張を、全人類がこぞって支持したとしても、汝はそれを完全に無視し、その主張から自らを遠ざけ、すべての世の愛慕の的におわす御方に顔を 向けつづけなければならない。汝の確信のほどはこうでなければならない。

わが正義にかけて言う。この大業は計り知れないほど偉大である。この日は想像を絶するほど強大である。すべてを放棄し、天と地にあるすべてのものを照らす御方の顔に目を据えるものは幸いなり。

おお、ザビヒよ。利己的欲望は常に人の心にささやいている。その猛襲に揺るぎなく確固としていたいのならば、汝の視力は鋭く、汝の魂は強く、汝の足は鋼鉄 のように丈夫でなければならない。これこそは最大名のペンが、いにしえの王の御心によって伝えようと決めた確かなる指導である。この指導を掌中しょうちゅうの珠のように大事にし、感謝するものであれ。永遠なる真理におわす御方の大業の奉仕に日夜努力し、彼以外のあらゆるものを離れよ。われ自身 にかけて言う。汝がこの日、目にしているものはすべて消滅する。汝の主の大業に確固不動でありつづけるならば、汝の地位は崇高なものとなろう。汝の活動は 彼に向けられ、汝の最後の安息所は彼と共にある。

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CXVI. おお、キリスト教国の王たちよ。神の精神なるイエスのつぎの言葉を汝らは耳にしたことがないのであろうか。「私は去って行くが、また、あなたがたのところ に戻ってくる」。ならば、彼が天上の雲に乗って汝らのもとに戻ってきたとき、汝らはなぜ彼に近づかなかったのか。なぜ彼の顔を見るために彼の前に進まな かったのか。また、イエスは他の個所でつぎのように語った。「その方、すなわち、真理の霊がくるとき、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる」。に もかかわらず、見よ。 彼が真理をたずさえて現われたとき、汝らは彼に顔を向けることすらしなかった。そして、汝らはいつものように娯楽や虚栄に没頭していた。汝らは彼を歓迎す ることもなく、彼の前に進もうともしなかった。そのために汝らは彼の口を漏れる神の聖句を聞くこともなく、全能者の無限なる英知にあずかることもなかっ た。神こそは栄光に満ち、すべてに賢き御方におわす。汝らは大いなる失敗を犯したのである。その失敗により、汝らは神の息吹が汝らに届くことを妨げ、汝ら の魂は神の息吹の甘美を味わう機会を逸したのである。汝らは、腐敗しきった欲望の谷底を歓喜してさまよっている。汝らと、汝らの所有するすべてのものは無 と化すであろう。汝らは、必ず神のもとに戻り、森羅万象を呼び集め給う御方の前で自分の行いについて説明を求められるであろう…。

おお、国王たちよ。過去の二十年間、われは日毎に新たな苦悩を味わってきた。われに先立った者は、誰ひとりとしてわれが耐え忍んできたことを経験したこと はなかった。汝ら、このことが理解できたならば。われに刃向かった人々は、われに死を宣告し、わが血を流し、わが財産を略奪し、わが名誉を傷つけたのであ る。汝らは、わが苦しみのほとんどを知らされている。にもかかわらず、汝らは暴虐者の手を制止しようとしなかった。圧制者の暴虐を止め、すべての国民を公 平に扱い、それにより汝らの高い正義感を全人類に示すのが汝らの明白な義務なのではないのか。

汝らが正義をもって国を治め、踏みにじられた人々の権利を擁護し、悪を働く人々を罰するために神は人民の政治の手綱を汝らに委ねたのである。神がその聖な る書により汝らに定めた義務を怠るならば、神は汝らの名を不正者の一員として記すであろう。そうなれば、汝らは何と深刻な過ちを犯したこととなるであろう か。汝らは自分の想像の産物にすがり、神の教えを投げ捨てるのか。神こそは最も崇高にして近づき難い御方におわし、すべてをしたがわせ給う全能者なり。自 分の所有物を投げ捨て、神が遵守するよう命じたものにすがれ。神の恩寵を追求せよ。何となれば、神の恩寵を求めるものは神のまっすぐな道を歩むからであ る。

われの置かれた状況について考えてみよ。そして、われを苦しめた辛苦や苦悩を見よ。一瞬たりともわれを無視してはならない。そして、われとわが敵について 公正に判断せよ。このことは、汝らに明らかな利益を提供するものである。われがわが生涯について汝らに語り、われに襲いかかったことについて述べるのは、 汝らがわが苦しみを癒し、わが重荷を軽減するためである。欲するものは、わが苦悩を除去せよ。また、それを望まないのであれば、わが主は実に最高の援助者 なり。

おお、しもべよ。われが汝に伝え与えたことを人々に知らしめ、警告せよ。誰をも恐れることなく、揺らぐものであってはならない。天と地にあるすべてのもの が見つめる前で神が彼の大業を高め、彼の証言を褒め称える日は迫りきている。いかなる状況にあっても、常に全幅の信頼を主に置き、主に目を据え、主の真理 を拒絶するあらゆるものに背を向けよ。主なる汝の神を、汝に満ち足りる救済者とし、援助者とせよ。汝に顔を向ける王がひとりとして存在しなくても、われは 地上での汝の勝利を確約し、必ずやわが大業を全人類を覆うまでに引き上げることを果たす。

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CXVII. 偉大なる存在者は世界の平和と安らぎ、そして人類の進歩のための必要条件を表わすことを欲し、つぎのように記した。全人類を巻き込んだ大会合が開催される 必要性が広く認識されるときが必ず到来する。地上の指導者や国王たちはこの大会合に出席し、その協議に加わり、大平和の基礎をこの世にいかにして築くかに ついて検討しなければならない。このような平和を確立し、人類の平安を保障するためには、世界のすべての列強は互いに完全に和解しなければならない。ある 国王が武器を取り他国に向かうことがあれば、万人は決起してそれを阻止しなければならない。これがなされれば、各国は自国の領土の安全を保障し、国内の治 安を維持するに充分なもの以上の軍備を必要としなくなる。これはすべての国民と政府と国家の平和と安寧を保障するものである。神の恩寵と威力に満ちた御名 を映す鏡である地上の王や支配者たちが、この段階に到達し、人類を圧制の猛攻より守ることをわれは切に願う…。人類が一つの共通の言語と共通の文字を採用する日が近づいている。これが達成されるとき、人はどこの都市に旅しても、自分の故郷に入るが如くとなる。洞察力と理解力を有する人はみな、ここに記されたことを実行に移し、実現させるよう努力しなければならない…。 この日、自らを全人類への奉仕に捧げるものこそが真の人間である。偉大なる存在者は言う。全世界の国民と民族の最高の利益を追求するために立ち上がるもの に祝福と喜びあれ。また、他の個所で偉大なる存在者はこう宣言した。自国を愛することは自慢にはならず、全人類を愛することこそが誇るに値する。世界は一 つの国であり、人類はその市民である。

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CXVIII. おお、地上の王たちよ。神を畏れ、全能者の定める限度を逸脱することのないよう注意せよ。 彼の書に記された汝らに対する命令を遵守し、その限界を超えることのないよう留意せよ。いかなる人をも不当に扱ってはならない。それが芥子粒ほどの不正で あったとしても。正義の道を歩め。まことに、これこそがまっすぐな道である。

汝らを隔てる不和を解消し、軍備を削減せよ。それにより支出の重荷は軽減され、汝らの心は安らぎを覚えるであろう。汝らの分裂の原因となっている不和を癒 すがよい。それにより、自らの都市や領土を守るに充分な軍備以外の武器はまったく不要となろう。神を畏れ、中庸の領域より踏みだすことのないよう注意せ よ。そして放蕩ほうとうと浪費に生きるものらの内に数えられないよう注意せよ。

汝らが年ごとに支出を増やし、その負担を国民に強いていることをわれは知らされた。まことに、これは国民の耐え得る限度を超え、嘆かわしいほどの不正であ る。公正をもって人を裁き、人々の中に立つ正義の象徴であれ。公平に判断するならば、これこそが汝らに似つかわしい姿であり、汝らの地位にふさわしい有り 様なのである。

注意せよ。汝らに直訴し、汝らに保護を求めるものを不当に扱ってはならない。神への畏れを心に抱いて進み、正しき人生を歩むものであれ。汝らの権力や軍備 や財宝に安住してはならない。汝らを創造した神に全幅の信頼と確信を置け。いかなる事柄についても神に援助を求めよ。援助は、神のみより来らん。そして、 神は欲するものを天と地の軍勢をもって助け給う。

このことを知得せよ。貧民は汝らと共にある神の信託である。神の信頼を裏切ることのないよう注意せよ。貧しき人々を不当に扱ってはならない。そして、不誠 実なるものの道を歩むな。正義の天秤が設置される日、万人はその報いを得る。富めるものも、貧しきものも例外なくその行いが審判されよう。その日、汝らは 神の信託をどのように遇したか必ず問われるであろう。

明白にして無類の言葉をもってわれは汝らに忠告した。この書に示された忠告を無視するならば、天罰が汝らを四方より攻め、彼の正義の判決が汝らに下されよ う。その日、汝らは彼に対して無抵抗となり、自らの無力なることを知らされる。自分たちと、自分たちの配下にある人々を哀れに思わないのか。神が最も聖な る、最も崇高なる書に記し給う教えにしたがって人々の間に裁きを行なえ。この書を介し、神はあらゆるものに限度を定め、すべての事柄について明白なる説明 を与えたのである。それらの説明は、それ自体、神を信ずる人々に対する戒めである。

わが大業を調査し、われに降りかかったことについて調べてみよ。その上で、われとわが敵に関して公平に判断せよ。隣人を公正に扱うものであれ。圧制者の手 をとめ、虐げられた人々の権利を擁護することを怠るならば、汝らは何を根拠に人の上に立つのか。汝らがまことに誇れるものは何か。口にする飲食が汝らの自 慢なのか。宝庫に積み上げた富が汝らの自慢なのか。それとも、身を飾る装飾の種類の多さと価値が汝らの自慢なのか。このようなはかない所有物がまことの栄 光をもたらすのであれば、汝らに踏み付けられている大地の方が汝らの上位にあることになる。何となれば、大地は全能者の命令によりこれらすべてのものを汝 らに提供し、付与しているからである。そして、汝らの所有するすべてのものは、神の定めるところにしたがい大地の奥底より取りだされたものである。汝らが 汝らの富をその中から得ることができるのは神の慈悲の証拠に他ならない。自らの置かれた状況を見よ。汝らが誇りとしているものを見よ。汝ら、このことが理 解できたならば。

否、森羅万象の王国を御手に納める神かけて言う。汝らにとって永遠にしてまことの栄光はつぎのことにのみ由来する。神の教えに確固としてしたがうこと、全 身全霊をもって神の法を遵守すること、神の法の確実な実行を決意すること、そして、正しい道をひたすら歩みつづけること。まことの栄光はここにこそ存在す る。

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CXIX. おお、地上の支配者たちよ。なにゆえに、汝らは太陽の輝きをくもらせたのか。なにゆえに、汝らは太陽がその光を放つことを止めたのか。汝らと、世の貧しき ものたちが共に平和と安らぎを得ることができるよう、最上なる者のペンの忠告に耳をかたむけよ。地上の王たちによって平和が樹立されることを、われは神に 嘆願する。まことに、神は望むままになし給う。

おお、地上の王たちよ。汝らが年毎に出費を増し、国民にその重荷を課していることをわれは見る。このことは公正にまったく反した行動である。この虐げられし者[36]の 流すなみだと、ため息を恐れよ。国民に過大な負担を課すことをやめよ。宮殿を建てるために国民から盗むことをやめよ。否、むしろ、自分に選ぶものを国民に も選択せよ。こうして、われは、汝らを利することを示すのである。おお、汝ら、理解するものならば。国民は汝らの宝である。神の命令にそむき、汝らの信託 である国民を強盗の手に引きわたすことのないよう注意せよ。汝らは国民によって支配し、国民によって生活し、国民の助けによって征服する。にもかかわら ず、汝らは国民を蔑視する。何と奇妙なことか。

最大平和を拒否した以上は、自らの状況と、汝らに頼る国民の状況を少しでも改善できるよう、小平和にしっかりとすがれ。

おお、地上の支配者たちよ。自国の領土を守るに充分な軍備以上は所有する必要のないよう、互いに和解せよ。すべてを知り、忠実なる者の忠告を無視することのないよう注意せよ。

おお、地上の王たちよ。不和の嵐が静まり、国民が平安を得ることができるよう、互いに和合せよ。おお、汝ら、理解するものならば。汝らの中のあるものが武器をかざせば、全員でそのものに向かえ。これこそは明白なる正義である。

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CXX. おお、選出された各国民の代表者 たちよ。共に協議せよ。そして、人類を利することのみを追求し、世の状況の改善を協議の課題とせよ。おお、汝ら注意深く観察することができたならば。この 世を人間の身体と同等に見なせ。それは完全かつ完璧な姿をもって創造された。しかし、様々なことが原因となり、今や深刻な病や障害に侵されている。一日た りとも安らぎを得ず、その病は益々深刻化している。なぜなら、この世は、私欲に走り、重大な過ちに陥った無知なる医者たちの手当てにゆだねられているから である。そして、あるとき、有能なる医師の治療により身体の一部が治癒されても、残りの部分は癒されることはなかった。全知にして賢明なる者は、汝らにこ う告げるのである。

この日、傲慢さに酔いしれた為政者のなすがままになっている世界をわれは見る。その傲慢のあまり、為政者たちは自 分の最善の利益となることすら見分けることができず、ましてや、これほど驚異的かつ挑戦的な啓示を認識することは到底できないでいる。世の状況の改善に立 ち上がる為政者が現われるたびに、このことを告白するかいなかにかかわらず、常にその動機は自己を利することにあったのである。そして、その卑劣な動機が 原因となり、世を癒し改善する能力が限られたものとなったのである。

一つの普遍な大業と、共通の信仰のもとに全人類が融合されること。主は、これを世の病を癒す最高の治療薬、そして 最強の手段と定めたのである。しかし、有能にして、全能なる、そして霊感を得た医師以外にこのことを実現できるものは存在しない。まことに、これこそは真 実であり、これ以外のことはすべて過ちである。

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CXXI. 言挙げよ。われを妬み、傷つけようと欲する人々よ。われに向けられた汝らの怒りの猛威は汝らを混乱させた。見よ、栄光の昼の星 はわが啓示の地平線上にのぼり、その輝きは全人類を覆いつつんでいる。にもかかわらず、汝らは自らをその光輝より遮断し、無思慮の淵に沈んでいる。汝ら、 自らを哀れに思わないのか。既に真理と認めた者の主張を拒否するな。過ちを犯すものであってはならない。

唯一真実の神の正義にかけて言う。この啓示を拒否するならば、地上のすべての国々が汝らをあざけり笑い軽蔑するであろう。大業の真実を証明するために神の 証言を人々に示したのは汝らに他ならない。神こそは荘厳なる庇護者におわし、御力と栄光に満ち、すべてを知り給う。しかし、すべてをしたがわせる主権の栄 光につつまれた神のつぎなる啓示が汝らに下されるや否や、汝らはその啓示に背を向けたではないか。おお、無思慮な人々の内に数えられるものらよ。

太陽の輝きを消し、その光を奪う力を有すると汝らは本当に心に思っているのか。わが命にかけて言う。天と地にあるすべてのものの援助を得たとしても、汝ら は決してその目的を果たすことはできない。神の畏敬の街道を歩み、汝らの業績を無と化すな。彼の言葉に耳をかたむけ、ヴェールによって彼のもとより締めだ されたものであってはならない。言挙げよ。神はわが証人なり。われは、われ自身のために何も求めない。神の勝利と、神の大業の完勝こそがわが望みである。 神こそは、われと汝らの間に立つ充分な証人なり。わが行いはわが言葉の真実を立証し、わが言葉はわが行いの道しるべである。汝ら、自らの目を清めるなら ば、この事実を容易に認めることができよう。

汝らの目はその視力を失ったのであろうか。神の威力と主権の偉大さは汝らの目に映らないのか。彼の荘厳さと栄光が見えないのか。汝ら、嫉妬と悪意みなぎる 集団に災いあれ。わが言葉を聞き入れ、一瞬たりともためらってはならない。慈悲に満ち給う神の美である者が汝らにこう命じるのはなぜなのか。それは、汝ら が自分の所有するものを離れ、全宇宙が彼の啓示のもとに守られていることを発見できる高みに登りつめることを望むからである。

言挙げよ。この日、彼の啓示の庇護のもとに入る以外に神の怒りの猛威と神の激烈な威力を逃れる所はなく、避難所もなく、汝らを守り擁護するものもない。まことに、これはこの若者[37]を通じて現わされた啓示である。これほどの輝きを放ち、貴重にしてすばらしい構想を与え給う神に栄光あれ。

われ以外のすべてのものを離れ、わが顔に面を向けよ。汝らにとってこのことは汝らの所有するもの以上の価値がある。神の舌は、真実を語り、すべてを包含し理解するわれ自身の言葉を介してわが言葉の真実を証言する。

言挙げよ。彼の大業に対する汝らの忠誠が彼を利すると思うのか。または、彼の大業の真実を否定することによって彼に損害を与え ることができると思うのか。すべてを征服し、近づきがたく、最も高遠なるわれ自身にかけて誓うが、そのようなことは決してない。名称のヴェールを引き裂 き、名前の王国を突破せよ。わが美にかけて言う。すべての名の王者が現われたのである。始まりのない始まりよりすべての名は彼の命令によって創造され、彼 は思うままにすべての名を創造しつづけるであろう。まことに、彼は御力に満ち、すべてに賢き御方におわす。

神の導きの衣を脱ぎ捨てることのないよう注意せよ。天上の青年たちが汝らの頭上に掲げた聖杯より心行くまで飲め。汝らにこう命ずるのは誰なのか。それは、 汝らに対し汝ら自身以上に慈悲を持ち、汝らに感謝も報酬も求めない者である。彼に報酬を与えるのは、真実の威力により彼を汝らのもとに遣わし、唯一彼を指 名し、彼を全創造物に対する御自身の証言として定めた神である。神の御しるしを現わす力を彼に与えたのは神である。日の老いたる者の舌が汝らを呼び寄せる 方向を見、真実を理解できるようもう一度目を凝らして見よ。つぎのことについて考えてみよ。明白にして崇高なる権力を有し、啓示の雲に乗って現われ、右手 には神の王国を、左手には神の永遠なる主権にまつわるすべての力と栄光を握り、全能者におわし、すべてを征服し、御力に満ち給う神の軍勢にみちびかれ、そ の口を途切れることなくもれる言葉は、最も学識ある賢者たちをもってしても計り知ることのできない者が神以外に由来するメッセージをたずさえて出現するこ とがあり得ようか。先祖より伝わった話の中にも、最初のアダムにさかのぼる最古の世代から伝わった話の中にも果してこのようなことを耳にしたことはあろう か。汝が正直と高潔を自負するならば、洞察力をもって判断し、真実を語れ。

言挙げよ。われの著した聖句の数は、前の啓示においてバブに下されたものに匹敵する。神の精神なる者が語る言葉の真実を疑うものは、わが御前の宮廷に進み、神聖なる啓示によって現わされたわが言葉を聞き、わが主張の明白な証拠の目撃者となれ。

言挙げよ。全能者の正義にかけて言う。神の恩恵の升は満ち溢れ、彼の言葉は完成され、彼の御顔の光は明らかに示され、彼の主権は全創造物を覆いつつみ、彼の啓示の栄光は出現し、彼の恵みは雨となって全人類に降り注いでいるのである。

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CXXII. 人間は、最も不思議な力を有する存在である。しかしながら、適切な教育の欠如のために、人間は自己に内在するものを失ってしまっている。神の御口をもれる 一言により、人間は生みだされた。つぎに発せられた一言により、人間は自らの教育の源泉を認識できるようみちびかれた。さらに発せられた一言により、人間 の地位と運命は保障された。偉大なる存在者はこう語る。人間を、計り知れないほど高価な宝石に富む鉱山と見なせ。教育のみがその宝を放出させ、人類にその 利益を与えることができる。神の聖なる意志の天より下された諸々の聖典が明らかにしたことについて瞑想するならば、その目指す目標は以下の通りであること を容易に認めることができよう。つまり、その目標とは「王国は神に属せり」の言葉のしるしがすべての心に刻まれ、聖なるめぐみと、恩寵と、慈悲の光が全人 類を取り巻くよう、全人類があたかも一つの魂のように見なされることである。神の栄光は高遠なり。唯一真実の神が御自身のために欲するものは何もない。人 間が神に誓う忠誠は神にとって何の利益にもならない。同時に、人間の背信は神に何ら危害をおよぼすものではない。御言葉の領土の飛鳥ひちょうは、絶え間なくつぎのように呼びかけている。「われは万物を汝のために望んだ。そして、汝自身をも汝のために望んだ」。この時代の学識者や世 俗にたけたものらが、人々に融和と愛の芳香を吸収することを許すならばどうなるであろうか。理解力を有するあらゆる心は真の自由の意味を悟り、乱されるこ とのない平和と、完全な平静の秘密を発見するであろう。世界がこの地位に達し、その光に照らされるとき、まことにつぎの言葉がこの大地に当てはまるであろ う。「汝はそこに窪地くぼちも高まる丘も見ることはない」。

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CXXIII. 汝らに先立った世代の人々はどこに逃れたのであろうか。生前、この地上の最も豊かですばらしい土地をわがものとしていた人々は、今はどこにいるのであろうか。おお、人々よ。彼らを教訓とし、正しい道を踏みはずすものとなるな。

汝らの所有する物は早晩そうばん他人の手にわたり、汝らの家は他人の住居となる。わが言葉に耳をかたむけ、愚かなる人々の内に数えられることのないようにせよ。

汝ら全員にとって最も重要な義務はこれである。つまり、他人によって侵されることも、奪われることもないものを自分のために選ばなければならないのである。それは何か。全能者こそわが証人なり。それは神の愛である。おお、汝らこのことを理解し得たならば。

いかなる豪雨や洪水によっても破壊されない住居を建てよ。人生のあらゆる移り変わりや栄枯盛衰えいこせいすいからも汝らを守る住居を建造せよ。この世にみすてられ、虐げられた者が汝らに送る指示はこれである。

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CXXIV. 変わることなき生ける神の一体性は何とすばらしいものであろうか。それはあらゆる限界を超え、あらゆる創造物の理解力をも超越する。いにしえより神は近づ き難い神聖さと栄光の場所に住まい、未来永劫を通じて神はすべてより独立した主権と荘厳さの高みにある王座にとどまり給う。神の侵し難い真髄は何と高遠な るものか。神の真髄は、あらゆる創造物の知識より完全に独立し、天と地のすべての住人の讃美をはるかに超えて崇高なり。

崇高なる源泉と、恩恵と賜物の真髄を通じて神はあらゆる創造物に神の知識のしるしを託したのである。それは、あらゆる創造物に、その能力と地位に即して、 神の知識を表現する機会を与えようと欲したからである。神の託し給うしるしは、神の美を創造の世に投影する鏡である。この明敏にして高貴なる鏡を磨く努力 を重ねれば重ねるほど鏡は神の御名と属性の栄光を忠実に映し、神のしるしと知識の不思議を忠実に現わすのである。この鏡には偉大なる反射力が備わってお り、鏡の作用により万物はその定められた地位に内在する潜在性を実現し、自らの能力と限界を認め、「まことに、彼こそは神なり、そして神以外には神はな き」の真理を証言することができるのである…。

人は自らの意志による努力と、自らの精神的能力の働きによりこの鏡を磨くことができる。これは、疑う余地のない真理である。そして、鏡に付着した世俗の塵 や汚れを洗い流し、悪魔的空想を排除することにより、人は永遠なる清らかさの緑地に到達し、永久なる友愛の宮廷に達することが可能となる。しかし、いかな るものごとにも定められた時があり、いかなる果実にも定められた季節がある。この原理にしたがい、これらの恩恵に内在するエネルギーが放出される最適な時 期があり、この賜物の新鮮なる栄光は神の日々においてのみ出現する。神は、その日その日に、前もって定められたすばらしい恩寵の分け前を与え給う。しか し、神の顕示者に直接かかわる日々は他に類を見ない日々であり、この日々に与えられた地位を人の心は理解することはできない。この日々には大いなる価値が 注入されている。もしこの永遠なる歓喜の日々において、天と地に住むすべてのものが、衰えることのない栄光に満ちた昼の星に対面し、彼の御心に心を合わせ るならば、各人は地上のあらゆるものを超越し、彼の光に照らされ、彼の恩寵により清められた自己を発見するであろう。この恩寵に讃美あれ。いかに大いなる 祝福もこの恩寵に優ることはない。また、創造物が未だかつて見たことのないこの愛情あふれる親切に栄光あれ。彼は、人々が語り、彼に帰するいかなるものに も増して崇高なり。

この恩寵により、その日、人はもはや隣人を必要とすることはない。神によって定められたその日、彼の聖なる宮廷を求め、そこに到達し得た大半のものは大い なる知識と英知を現わすに至った。この事実は充分に立証済みである。清らかにして神聖なる魂をもつ彼らの得た知識と英知は、それ以外の人々がいかに長期間 学び研究してもその一滴に相当するものすら決して把握することも理解することもできない。この威力の働きにより、神に愛されし人々は真理の昼の星の出現の 日において人間のあらゆる学問より独立し、それを超越できたのである。否、人間の学問と英知の最も奥深い真髄が彼らの心と彼らの内に秘められた力の泉より 絶え間なく湧きでたのである。

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CXXV. おお、わが兄弟よ。真の求道者が、日の老いたる者の知識に通ずる道に足を踏み入れようと決心したとき、先ず最初に、神の内奥の神秘の啓示の場である自己の 心を清浄にし、それまでに習得したあらゆる知識という、光をさえぎる塵や、悪魔のような幻想の化身たちの暗示を払いのけなければならない。まことに、道を 求めんとするものは、最愛なる者の永遠の愛の聖所である自分の胸中をあらゆる不浄なものから聖別し、自らの魂を水と粘土に属するあらゆるものや、すべての 影のようなはかない愛着から清めなければならない。愛ゆえに盲目的に過ちに傾斜することなく、あるいは、憎しみゆえに真理を拒絶することのないよう、愛憎 いずれの痕跡も残らないほどに求道者は自らの心を清めなければならない。まさしく汝は今日、いかに多くの人々が、このような愛や憎しみのために不滅の御顔 を見失い、神の神秘の権化たちから遠く離れてさまよい歩き、導きもなく、忘却と錯誤の荒野をあてどもなくさまよい歩いているかを、まざまざと目の当たりに している。

求道者たるものは、常に神を信頼し、世俗の人々と断交し、塵の世から自分を引き離し、主の中の主におわす御方にすがらなければならない。道を求めるもの は、決して自己を他より高位に置こうとしてはならず、自分の心の紙片から傲慢や虚栄のすべての痕跡を洗いながし、忍耐と甘受を固守し、沈黙を守り、無益な 無駄話を慎まなければならない。何となれば、舌はくすぶる火であり、過度の饒舌じょうぜつは致命的な毒となるからである。物質的な火は肉体を焼き尽くすが、舌の火は心も魂も共に焼き滅ぼしてしまう。前者はほんの一時しか燃えていないが、後者の影響は一世紀も持続する。

求道者たるものは、また、陰口を重大な罪と心得なければならない。陰口は心の灯を消し、魂の生命を滅ぼすものであるため、その支配より自らを遠ざけなけれ ばならない。求道者はわずかなものに満足し、あらゆる法外な欲望をすてなければならない。世俗をすてた人々との交わりを大切にし、高慢な俗人たちから遠ざ かることを得難い恩恵と考えなければならない。道を志すものは、毎日、夜明けに神と親しく語り合い、全魂をかたむけて、敬愛する御方を不屈に求めつづけな ければならない。求道者は、神の御名を切に唱えるその炎により、あらゆる気まぐれな考えを焼却し、稲妻の如き速さで神以外のすべてのものを通り過ぎなけれ ばならない。探求者たるものは、追い立てられている人々を救い、貧しい人々への親切を差控えるようなことがあってはならない。道を求めるものは、動物に親 切にしてやらねばならない。ならば、言語を与えられている人間にはなお一層親切でなければならない。求道者は、敬愛する御方のために自らの生命を捧げるこ とをためらってはならない。また、人々の非難に左右され、真理から顔をそむけるようなことがあってはならない。求道者は、自分の欲せざることを他人に望ん ではならず、また、自分が守れないことを約束してはならない。悪事を行うものと交わることを心して避け、その人々の罪がゆるされるよう祈らなければならな い。道を求めるものは、罪深い人々をゆるし、彼らの地位の低さを決して軽蔑してはならない。なぜならば、誰も自分の最期を知るものはいないからである。罪 深いものが、臨終の際きわに信仰の本質に到達し、不滅 の盃を飲み干して天上の集合の方へと舞い上がっていったという例が、何としばしばあったことか。また、実に信心深かったものが、霊魂の昇天に際し、あまり もの変わりように地獄の火中に落ちてしまうということも何と度々あったことか。われが今ここで、これらの得心のいく重要な話をした目的は、神以外のものはすべて、束の間のはかないものであり、全幅の崇敬の的である神以外のものはみな、まったくの無であることを求道者に痛感させたいがためである。

これらは、崇高なる人々の属性の一部であり、霊的な心の持ち主であることを証明するものである。これらの属性については、既に、確実なる知識の道を歩む旅 人としての必要条件に関する記述の中で述べてある。超越した旅人や、誠実な求道者がこれら必須の条件を満たしたとき、彼らを真の求道者とはじめて呼べるの である。人が、「わがために奮闘する人々」という聖句に含まれる条件を満たしたときはいつでも、「われ自らその手を引き、正しい道を歩ませよう」という言 葉によって与えられる祝福が受けられよう。

求道心、真剣な努力、燃えさかる願望、情熱的な献身、熱烈な愛、歓喜と忘我の灯が求道者の心の中にともされ、また、神の慈愛の微風がその魂の上にただよう とき、過誤の暗黒は初めて追い払われ、疑いや不安の霧は晴らされ、知識と確信の光は求道者を覆いつつむようになるであろう。そのときにこそ、神秘の先駆者 が、精霊の喜ばしい音信を持って、神の都から朝日のように輝きだし、知識のラッパの吹奏により、心や魂や精神を怠慢の眠りから覚醒かくせいさせるであろう。ここに至り、神聖な不滅の精霊の豊かな恩寵の発露により求道者はかく も新しい生命を与えられ、新しい目、新しい耳、新しい心、新しい意志が授けられることを発見するであろう。そのものは、この宇宙の明らかなしるしを熟視 し、魂の隠された神秘を理解するであろう。神の目で凝視すれば、彼は、完全なる確信の地位への門が、すべての原子の中に存在することを感知するであろう。 そして、万物の中に、神の啓示の神秘と永遠なる顕示の証拠を発見するであろう。

神かけて誓う。教導の道を歩み、正義の極点に昇りつめようと努力するものがこの栄光ある最高の地位に到達したとき、求道者は三千里も離れた所からでも神の 芳香を感じ取り、万物の地平線に昇る神の導きの光り輝く朝日を認めるであろう。あらゆるものは、たとえそれがいかに小さなものであっても、道を求めるもの にとっては、それぞれ探求の目的である敬愛する御方の方へみちびく教示となるであろう。この探求者の洞察力は非常に鋭くなるため、あたかも太陽と影とを区 別するが如くにはっきりと真理と虚偽を見分けるであろう。東方はるか彼方の隅に神の甘美な芳香がただようならば、たとえ西方のはるか果てに住んでいようと も、必ずやその芳香を感知し嗅ぐことであろう。同様に、探求者は神のあらゆるしるし、即ち、神の不可思議なる言葉、偉大なる業、力強い偉業と、人間の行動 や言葉や手段とを明白に見分けるであろう。それは丁度、宝石と石ころの違いを知っている宝石商のように、あるいはまた、春と秋、寒冷と温熱とを見分ける人 のように。人間の魂の水路が、流れをさまたげるあらゆる世俗的執着から清められたとき、果てしない遠方からでも必ずや敬愛する御方の息吹を感知することが でき、また、その芳香にみちびかれ、確信の都に到達し、その中に入るであろう。確信の都に入った探求者は神の古来の英知の不可思議を発見し、都に繁茂する 木の葉のささやきから、隠された教えのすべてを理解するであろう。求道者は、都の土塊つちくれから立ちのぼる栄光と讃美の聖歌に気づき、その聖歌が主の中の主の方へと鳴り響いていくのを内なる耳と外なる耳とをもって聞くであろう。

また、求道者は、その心眼により「再来と復活」の神秘を発見するであろう。御名と属性の王なる神が、確信の都のために定めた光、証、啓示、光輝は、何とも 言い表しようのないほど素晴しいものである。この都に到達すると、水がなくとも喉の渇きは消えさり、火がなくとも神の愛が燃えあがる。草の葉一枚一枚の中 には計り知れない知恵の神秘が秘められ、あらゆるバラの茂みに数知れぬ小夜鳥が、無上の歓喜に心ひかれて美しい調べを奏でている。そこに咲き乱れる色うつ くしいチューリップの花は、燃えさかる藪やぶの神秘を現わし、その神聖さの甘美なる香りは救世主の精霊の芳香をただよわせている。確信の都は黄金なくして富を与え、死のない不朽性を授ける。その一枚一枚の葉の中に、言い表せないほどの歓喜がたくわえられており、その一つ一つの部屋には数知れぬ神秘が秘蔵されている。

神の御心の探求に精進するものが、一度、神以外のものをすべてすてさったとき、この都に強く心をひかれ、愛着を感じ、一瞬の別離すら考えられなくなるであ ろう。彼らは、都の集合に咲くヒヤシンスの花が語る誤りのない証拠に耳をかたむけ、都のバラの美や、そこでさえずる小夜鳥の調べから、最も確かな証言を得 るであろう。およそ一千年に一度、この都は更新され、改装されるのである。その都はあらゆる時代に、また、あらゆる宗教制において啓示された神の言葉に他 ならない。それは、モーゼの時代にあってはモーゼの五書であり、イエスの時代にあっては福音書であり、神の使者モハメッドの時代にあってはコーランであ り、今日ではバヤンであり、また、神が現わすであろう者の宗教制においては、その彼の聖典がそれに当たる。そしてその聖典は、それまでの宗教制のすべての 聖典中で特に卓越し最高のものであり、これ以前にあった諸々の聖典はすべて、この書に照らし合わされなければならない。

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CXXVI. われがどこに追放され、どれほどの苦悩を強いられても、神の人々は確固たる決意と確信をもって栄光の黎明の場に目を据え、世の改善と人類の教育に資する活 動に専念しつづけなければならない。これまでにわれに降りかかった多くの困難は、どれもわが啓示を前進させ、その名を高めた。今後われを襲うであろう困難 も同じ結果をもたらすのである。心の底から神の大業にすがれ。これは命令者におわし、すべてに賢き神によって遣わされた大業である。われは最高の親切と慈 悲をもって世界のすべての民族と国を彼らの真の利益となるもののもとに招喚し、みちびくのである。

輝きの頂点にある真実の昼の星はわが証人なり。神の人々は、この世界に新たな生命を与え、地上での生活を高貴なものとし、人類をよみがえらせること以外に 目的をもたない。いかなる人間との関係においても、神の人々は常に正直と善意をもって接するのである。彼らの行動は彼らの内面を反映し、彼らの内面は彼ら の行動を映す鏡である。彼らの信仰の基礎となる真理を覆い隠しくもらせるようなヴェールは存在しない。これらの真理は万人に披露され、誰もがそれを間違い なく認識できるのである。彼らの行いこそは、この言葉の真実の証拠である。

この日、洞察力を有するあらゆる目は神の啓示の夜明けの光を見ることができる。また、聞く耳を有するものは、燃える藪やぶよりとどろい た声を聞くことができるのである。神の慈悲の清水は洪水のごとく放出されている。そのため、神の御しるしの黎明の場であり、神の栄光の諸々の証拠の啓示者 である者は、今やいかなるヴェールにも遮断されることなく地上の人々と自由に交流し語らっているのである。何と多くのものが敵意を胸に抱いてわが面前に進 み、忠実で親愛なる友となって帰って行ったことか。恩寵の扉は万人に向けて開け放たれている。人と接するとき、われは正しきものも、罪人も外見上は分けへ だてなく一様に遇した。それは、罪人が神の恩赦の無限の大海に到達することを願ってのことであった。「覆い隠す者」というわが名より放射される光のため に、よこしまなものも自らを敬虔なるものと思い込むほどである。われを求めるものを、われは決して失望させない。また、われに顔を向けるものに対しては、 わが面前に進むことをわれは決して拒まない…。

おお、友らよ。良き行いと、神の受け入れ給う行為と人格をもって唯一真実なる神に加勢せよ。神の栄光は崇高なり。この日、神に加勢しようと欲するものは、 自らが所有するすべてのものに目を閉じ、神に属するものに目を開けよ。自分を利するものに没頭することをやめ、すべてに君臨し給う全能者の名を高揚するこ とに専念せよ。神に加勢しようと欲するものは、あらゆるよこしまな情欲や腐敗した欲望を心からはらい清めなければならない。神への畏敬の念こそが勝利をも たらす武器であり、目標達成のための最大の道具である。神への畏敬の念は、神の大業を保護する楯であり、神の人々を勝利にみちびく矛ほこである。神への畏敬の念は、何人も卑しめることのできない旗印であり、いかなる威力も匹敵し得ない力である。神に接近した人々は、神への畏敬に助けられ、また、万軍の主なる者の許しにより、人の心の要塞を鎮め、征服することができたのである。

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CXXVII. おお、人々よ。神を知り、神の威力の偉大さを発見したいと欲するならば、われ以外のものの目ではなく、わが目を通してわれを見よ。さもなければ、御国が持 続する限りわが大業について熟考し、神の永遠なる時を通じて森羅万象について瞑想しつづけたとしても決してわれを認めることはできない。神は万物に君臨し 給う主におわし、御力に満ち給い、永遠に変わることなく、すべてに賢き御方におわす。人々が無思慮の状態を脱し、理解あるものとなることを期待し、われは わが啓示の真理をこのようにして明かすのである。

見よ、この人々の下劣さを。神に対する彼らの信仰を守るためにわれはわれ自身とわが親族を神の道に捧げたのである。彼らはこのことを充分承知しているにもかかわらず、自分の安全と安らぎのみを求めたのである。人々の心が恐怖に戦おののき震えた日々、敵に包囲されたわが状況を重々知っているにもかかわらず、彼らは神に愛されし人々と神の敵の双方より身を隠したのである。

われは神の大業の樹立にやがて成功し、大業を崇高な地位にまで引き上げた。その地位のすばらしさゆえに、この若者[38]に 敵意を抱き、自らを全能者の協同者と見なすもの以外の誰もが神の主権と、威力みなぎる神の支配を認めた。この啓示の影響力は万物に浸透し、この光明は誰も かつて見たことのないほどの明るさをもって輝いているのである。しかし見よ。この啓示の偉大さにもかかわらず、バヤンの民はわれを否定し、われに論争を挑 んだのである。あるものは神の道に背を向け、かつて信奉した御方[39]の 権威を否認した。また、他のものは神を冒瀆した。まことに、神は御力に満ち、最上の保護者におわし、最も崇高にして、最も偉大なる存在におわす。さらに、 あるものはためらい、神の道を前進することをやめた。彼らは、わが意志によって創造されたものの承認がなければ、創造主の大業はその真髄において無効であ ると考えたのである。こうして彼らの業績は無と化したが、なおも彼らは気づかなかったのである。彼らの仲間には、自分の尺度をもって神を計ろうとした人物 がいた。この人物は、神の諸々の名に当惑するあまり、われに刃向かい、われを死刑に値するものと非難した。そしてこの人物は、自らが犯した罪をわれに負わ そうとしたのである。

それゆえに、われはわれを創造し、われにその教えを託し給う神にわが苦しみと悲しみを訴える。また、わが孤独と、神より遠くさまよう人々がわれに強いる苦 悩と、神がわれに定め与え給うすべてのことに感謝と讃美を捧げる。われを襲うあらゆる試練にわれは耐え、これからも耐えつづける。われは全幅の信頼と確信 を神に置く。そして、われはつぎのように神に嘆願する。おお、わが主よ。しもべらをあなたの恩恵と恩寵の宮廷にみちびき給え。しもべらがあなたの恩寵と無 限の祝福を逸することのないようなし給え。宇宙を覆いつつむあなたの慈悲によりあなたが彼らに定め給うことを彼らは知らないのです。主よ、外見上、彼らは 弱く、自分ではどうすることもできません。そして、内面的には彼らはまさに孤児みなしごであります。あなたは恩恵にあふれ、寛大に おわし、最も崇高にして、最も偉大なる御方にまします。おお、わが神よ。あなたの怒りの嵐を彼らに向けることなく、あなたの慈悲の不思議が出現するまで彼 らをとどめ置き給え。そうすれば、彼らもあなたのもとに戻り、あなたに対して犯した罪の許しを乞うでしょう。まことに、あなたは許し給う御方におわし、慈 悲に満ち給う御方にまします。

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CXXVIII. 言挙げよ。慈悲に満ち給う主の信奉者を自称するものが、心の中では悪魔のような行為を犯してよいものだろうか。否、それは決してふさわしい状態ではない。このことについては、栄光に満ち給う御方の美こそわが証人なり。おお、汝ら、このことが理解できたならば。

心を清め、世俗の事物への愛着を断て。口を清め、彼を記憶する以外の言葉を断て。全身全霊を清め、彼の顔を仰ぐ障害となるものを排除し、汝を腐敗とよこしまな衝動に誘うものを断て。おお、人々よ。神を畏れ、正しい道を歩むものであれ。

言挙げよ。おお、人々よ。汝らに言動の不一致があってはならない。さもなければ、主なる神への信仰を告白しながらも、神聖なる雲に覆われて訪れた主を拒絶 し、主の真実を否定したものらと、汝らは自らをどう区別することができようか。世俗への愛着と虚栄から自らを解放し、それらに近づかぬよう注意せよ。なぜ ならば、それらは汝らを情欲と欲望の道に誘い、栄光あふれるまっすぐな道に入ることを阻むからである。

「世俗」とは、創造主を忘れ、彼以外のものに没頭する状態を指す。また、「来世」とは、栄光に満ち、比類なき神のもとに汝らを安全にみちびくものを意味す る。この日、神の愛から汝らを遠ざけるものは世俗以外の何ものでもない。祝福される人々の内に数えられるよう、世俗を逃れよ。地上の宝石で身を飾り、その 衣をまとい、地球が提供するあらゆる恩恵を享受することには何の害もない。ただし、自分と神との間に割って入るいかなるものをも許さないことが条件であ る。神は、天と地に創造されたすべての良き物を、まことに神を信じるしもべらのために定め与えたのである。おお、人々よ。神の許可された良き物を味わい、 神のすばらしい恵みより身を遠ざけるな。神に感謝と讃美を捧げ、まことに感謝するものであれ。

おお、故郷を逃れ、神の御前に入ることを望んだものよ。汝の主の教えを人々に宣言せよ。人々が腐敗した邪悪な欲望の誘惑に負けることなく、最も崇高にし て、最も偉大なる神を記憶することができるよう、主の教えを伝えよ。言挙げよ。おお、人々よ。神を畏れ、誰の血も流してはならない。隣人と争うことなく、 善行に生きるものであれ。地上に秩序が確立された後も、無秩序なる行為を犯すことのないよう注意せよ。そして、あやまてる人々の足跡を辿るな。

主の大業の布教に立ち上がるものは、その言葉が聴き手の心を捕らえることができるよう、まず何よりも先に自分に教えなければならない。自分に教えなけれ ば、口より発せられる言葉は探究者の心に影響を及ぼすことはない。おお、人々よ。他人に良き忠告を与えながら、自分自身はその忠告を実行することを怠るも のとならぬよう注意せよ。このような人々の語る言葉は、それ自体、彼らの偽りを告発するものである。これらの言葉を超えて、万物に内在する真理と、さらに これらの真理を超えて、神の近くに控える天使たちも彼らの偽りを告発するのである。

人に影響を及ぼすことができた場合、その成功を自分の功績と考えてはならない。つまり、その成功は、全能にして聡明なる御方の定め給う神の言葉の影響によるものであるからである。自らを絶えず消耗しながら光を放射しつづける人間を神はランプと見なし給う。

言挙げよ。おお、人々よ。自らを辱め、神の大業の不名誉となるような行為を犯してはならない。不和を起こすものらに加わるな。理性のとがめるものに近づく な。あらゆる種類の悪を避けよ。これらはすべて聖典の禁ずるところである。この聖典は、神がそのすべての罪の痕跡を完全に洗い流し、純粋なる人々の内に数 えられるもの以外は触れることのできない聖典である。

自分に対しても、他人に対しても公平であれ。そうすれば、汝らの行為によって正義の証がわが忠実なるしもべらに示されよう。隣人の財貨を侵害することのな いよう注意せよ。隣人の信頼と信用に値する人間であることを立証せよ。恩寵に満ち給う神が汝らに与える賜物を困窮者に提供することを惜しんではならない。 まことに、慈善を行うものに神は報い、施したものを倍にして返し給う。神以外に神は存在せず、全宇宙とその支配は神に属す。神は選び給うものに賜物を与 え、意図し給うものには賜物を控えるのである。神は偉大なる提供者であり、最も寛大におわし、恩恵に満ち給う。

言挙げよ。おお、バハの人々よ。神の大業を教え広めよ。何となれば、彼のメッセージを宣言することを神は万人の義務と定め、最も価値ある行為と見なしたか らである。しかし、この行為が受け入れられるには、まず大業を教えようとする本人が、最高の保護者におわし、恩寵に満ち、全能者にまします神の確固たる信 者でなければならない。また、彼はつぎのように定めた。この大業は武力ではなく、人の言葉の威力によって伝えられなければならない。彼の命令はこのように して、最も崇高におわし聡明なる御方の御国より下されたのである。何人とも論争せぬよう注意せよ。むしろ、親切と、説得力のある言葉をもって相手を真実に 目覚めさせよ。聴き手が反応を示すならば、それは聴き手本人を利することである。反応しないのであれば、聴き手のもとを去り、光輝みなぎる神聖さの座であ る神の聖なる宮廷に顔を向けよ。

この世と、この世に係わる事柄について人と論争してはならない。何となれば、神はこの世を、この世に愛着する人々に委ね、放棄したからである。この世に存 在するすべてのものの中で、神が御自分のために選び給うたのは、啓示と言葉の威力によって征服される人間の心のみである。最高の命令者におわし、全知者に おわす御方の命令により、バハの指は神の不変の命令の書簡にこのように定め記したのである。

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CXXIX. おお、神の道を旅するものよ。神の恩寵の大海より汝の分け前にあずかり、その深海に秘められたものを逸するな。その財宝を享受する人々の一員となれ。この 大海の雫の一滴は、それが天と地にある万人に注がれるなら、それだけで彼らを神のめぐみに富ますに充分なのである。神は全能者におわし、すべてを知り、す べてに賢き御方におわす。無欲なる手もて、この大海より生命を与える水を汲み上げ、全創造物に散水せよ。そうすることにより万物は、人間が造り上げたあら ゆる限界より清められ、この栄光に輝く神聖なる場所に近づくことができよう。この場所こそは神の強大なる座である。

汝、たったひとりでこの事業に従事していても、それを決して嘆いてはならない。神をして、汝を完全に満ち足らすものとなせ。神の精霊と親密に語らい、感謝 するものであれ。天と地にあるすべてのものに、汝の主の大業を宣言せよ。汝の呼びかけに応えるものがあれば、神の精霊が汝に与えた主なる神の英知の真珠を 披露せよ。そして、まことに信ずるものであれ。逆に、汝の提供するものを拒むものがあれば、退却し、汝の信頼と確信を主なる汝の神、諸々の世の主に置け。

神の正義にかけて誓う。この日、口を開き、主の名を述べるものの上には、全知者にして全賢者なるわが御名の天上より聖なる霊感の軍勢が降りてくるであろ う。天上の集合もまた、各々純粋な光の聖杯を高々とかかげて彼のもとを訪れるであろう。このことは栄光に満ち、最も力強い御方の命令により、神の啓示の領 土において前もって定められたことである。

神への奉仕のために準備された選ばれし人々の一団が、聖なるヴェールの内に隠されている。彼らはいずれ人類の前にその姿を現わし、神の大業を助けるであろ う。彼らは何者をも恐れず、全人類が奮起して彼らに闘いを挑んだとしても決してひるむことはない。彼らは、天と地にあるすべての住人のみつめる前で立ち上 がり、声たからかに全能なる御方の御名を歓呼し、栄光に満ち、すべてに讃美され給う神の道に人の子をまねくであろう。汝も彼らの進む道を歩め。そして、何 者にも狼狽ろうばいさせられてはならない。創造主の道において、世の中の動乱が汝をどれほど動揺させても決して悲嘆に暮れることなく、非難者の非難によっても決してその目的を挫くじかれることのないものであれ。

神の書簡と諸々の証拠をたずさえて、われを信ずる人々との再会に向かえ。そして、最も聖なるわが楽園よりの音信を彼らに伝えよ。さらに、自らを神の協同者 と称するものらに警告せよ。言挙げよ。おお、人々よ。われは神よりの知らせをたずさえて、栄光の王座より汝らのもとへときた。神は最も強大にして、最も高 遠なる御方、最も偉大なる御方におわす。汝らの主であり、汝らのいにしえの祖先の主なる神の証言を、われはこの手にたずさえてきた。汝らの有する正しき秤 を用いてこの証言を評価せよ。その秤とは、過去の預言者や神の使者たちの証言にほかならない。そして、この証言が真理に基づくものであることを発見し、神 からのものであると信ずるならば、そのあら探しをすることのないよう注意せよ。さもなければ汝らの労力は無と化し、汝らは不信仰者たちのうちに数えられよ う。まことに、この証言は真理の威力を通じて下された神のしるしである。まことに、この証言により、神の大業の真実性は神の創造物に示され、純粋無垢じゅんすいむくの旗印は天と地の間に掲げられたのである。

言挙げよ。これこそは、神の取り消し難い定めを納めた神秘なる封印の巻物である。神聖なる指が書きとめた言葉を記したこの巻物は、不可知なる神秘のヴェー ルの内につつまれてきた。しかし、今やそれは全能者なる日の老いたる者の恩寵の証として下されたのである。われはこの巻物に、天と地にあるすべての住人の 運命を定め記し、万事に係わる知識を始めから終わりまで書き記した。過去に創造されたものであれ、未来に創造されるものであれ、何者も神を逃れ、神の目的 をくじくことはできない。おお、汝ら、このことを理解し得たならば。

言挙げよ。神より遣わされた啓示はまさしく繰り返されたのである。そして、差しのべられたわが威力の手は、天と地にあるすべてのものを覆いつつんでいる。 われは真理の、まさしく真理の力により、わが不可知なる神秘の光明をわずかに顕わし、その深紅の光はわが啓示のシナイ山をつつんだ。すると、見よ、シナイ の壮麗なる光輝を認め知る人々はこの深紅の光を一瞥いちべつするや否や、息絶えた。慈悲に満ち給う神の美におわす者は、このようにして彼の証言の雲により降下したのである。そして、栄光に満ち、すべてに賢き神の意志により、定めは成就された。

言挙げよ。おお、至上の楽園に住まう天界の乙女よ。汝の聖なる室よりでよ。不滅の生命の優雅なる衣を望むままにまとい、栄光に満ち給う御方の御名において、刺繍ししゅうを施した光の美衣びいを身に着けよ。そして、最も高遠にして、近づき難い汝の主の王座より聞こえてくる声の甘く不思議な調べに耳をかたむけよ。汝の顔をさえぎるヴェールを取り、黒い瞳の乙女の美を顕わし、汝の輝く顔の光を神のしもべらから取り上げるな。たとえ地上の人々の嘆息や、天上の住人の悲嘆の声を耳にしても、それを嘆いてはならない。彼らを消滅の塵 の中に滅びるままに放置せよ。憎悪の炎が彼らの胸の内に燃えさかっているゆえ、彼らを無に帰せよ。天と地にある人々の面前で、最も美しい調べにのせて讃美 の聖歌を唱え、神の諸々の御名と属性の王におわす御方を想起せよ。われは汝の運命をこのように定めた。われはまさしくわが目的を成就し得る者なり。

おお、純粋無垢の真髄なる者よ。燦然さんぜんと輝く汝の栄光の衣を脱ぎすてることのないよう注意せよ。否、むしろ、創造の王国においても、汝の神の不朽の衣もて自らをますます豊かに飾れ。このことにより、全能者の美しき姿は汝を通じてあらゆる創造物に反映され、汝の主の恩寵はその完全な威力をもって森羅万象に浸透するであろう。

汝の主の愛の芳香をただよわすものがあれば、自らをそのものに捧げよ。何となれば、われは汝をこの目的のために創ったのである。そしてわれは、わが寵愛す る人々の集う前で、まさしくこの目的のために汝との間にいにしえよりつづく聖約を交わしたのである。心の盲目なる人々が愚かなる妄想の槍やりを汝めがけて放ったとしても、汝は決して忍耐を欠いてはならない。邪悪なる者の衝動にしたがう彼らを放置せよ。

天と地にあるすべての住人がみつめる前で、つぎのように声を張り上げよ。われは天界の乙女であり、バハの精神から生まれた子である。わが住処は、栄光に満 ち給う御方の御名の邸宅にある。天上の集合を前にして、われは、彼の御名の装飾をもって飾られた。われは侵し難い保護のヴェールにつつまれ、人間の目より 隠されてきた。そのとき、慈悲なる神の右手より、神聖にして比類なき甘美なる声が聞えてくるように思えた。すると、見よ。その声の調べを聞き、それを語る 者の美を眺めることを熱望するあまり、われの見る前で楽園全体が感動に揺れ動き、興奮のるつぼと化した。このようにしてわれは最も甘美なる言葉を用いて、 久遠の舌がガユモル・アスマ[40]の中で語った聖句を、この輝かしい書簡に記したのである。

言挙げよ。彼は、主権により望むままに命じ、その命令により欲するままになすのである。望むままに命じたことにおいて、彼は何者にも問われることはない。まことに、彼は何者にも束縛されず、すべてに力強く、すべてに賢き者である。

神を信ずることを拒み、神の主権に反抗するものは、自らの堕落した心と欲望の救い難い犠牲者にほかならない。彼らは、地獄の炎の中にある自らの住処に戻るであろう。拒否者の住処は哀れなり。

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CXXX. 繁栄の中にあっては寛大であれ。逆境に際しては感謝するものであれ。隣人が汝に信頼を置くにふさわしいものであれ。明るく、親しみのある顔をもって隣人を 見よ。貧しきものには宝庫であれ。富めるものには警告者であれ。困窮者の叫びに応えるものであれ。汝の誓約の神聖を守るものであれ。判断に公正であれ。発 言に慎重であれ。何者にも不公平であってはならない。如何なるものにもまったく謙虚であれ。暗闇の中を歩むものには明かりであれ。悲しみに打ちひしがれた ものには喜びであれ。渇きにあえぐものには大洋であれ。苦悩におぼれるものには避難所であれ。圧制の犠牲者には、その支持者となり、その擁護者であれ。汝 のすべての行動を、誠実さと高潔さとをもって際立たせよ。異邦人には住処であれ。苦しみにあるものの慰めであれ。亡命者には力みなぎる砦であれ。盲目なる ものには目となり、あやまてるものにはその歩みをみちびく光であれ。真理の面おもてを飾る装飾であれ。忠誠の額に置かれた冠であれ。正義の殿堂の支柱であれ。人類の身体には生命の息吹であれ。正義の軍勢の旗印であれ。美徳の地平線上に輝く光体であれ。人の心の土壌を潤す露であれ。知識の大洋に浮かぶ箱船であれ。恩恵の天上に光る太陽であれ。英知の王冠の宝石であれ。汝の世代の天界にきらめく光であれ。そして、謙遜の樹に実る果実であれ。

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CXXXI. い にしえの王のペンは、神に愛されし人々を絶えまなく想起しつづける。あるときは、慈悲の大河が彼のペンより流れいで、また、あるときは、神の明快な書がそ のペンの動きにより著わされたのである。彼こそは比類なき者であり、必滅の運命にある人間は決して彼の言葉に対抗する言葉を持ち得ない。彼こそは、いにし えより主権と威力の王座に据えられた者である。彼の口をもれる忠告は、全人類の必要を満たし、その戒めは、全人類を利するものである。

唯一真実の神とその創造物はわが証人なり。われは自らの姿を一瞬たりとも人々の目から隠 したこともなければ、人々のおよぼす危害から身を守ろうとしたこともない。われは万人の面前に立ち、わが望みにしたがうよう命じたのである。そして、世の 改善と人類の安寧こそがわが目的である。人類の和合が確立されない限り、人類の幸福、平和、安全は決して実現しない。また、至上なる御方のペンが著わした 忠告が無視されつづける間は、この和合は決して達成されない。

彼の語る言葉の威力は全人類を和合の光で照らし、彼の名を述べることによって万人の心に 点火し、彼の栄光との間に立ちはだかるヴェールを焼き尽くすに充分である。正しい行いには強大なる威力が付与されている。そして、たった一つの正しい行い は、塵のような存在を高め、天中の天を越えるところまで引き上げることができる…。正しい行いの威力はあらゆる束縛を寸断し、消耗し尽くされもはや消滅してしまった活力をも復活させることができる。

おお、神の 人々よ。純粋であれ、清純であれ。正しくあれ、公正であれ。言挙げよ。おお、神の人々よ。永遠の真理なる御方と、彼の軍勢と、地上における彼の援助者たち の勝利を保障するものは、聖なる書と書簡に明記されており、太陽のように明瞭かつ明白である。この軍勢とは、正しき行いであり、彼の思し召す行動と人格で ある。この日、わが大業の加勢に立ち上がり、称讃される人格と高潔な行動を自らの援助者とするものの行為は、全世界を覆う影響力を持つであろう。このこと を確信せよ。

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CXXXII. 神の栄光は高遠なり。唯一真実の神が御自身を人間に顕わす目的はここにある。つまり、人間の最も奥に存在する真の自己の鉱山に潜む宝石をあらわにするため である。地上の多様な宗教共同体や信仰の様々な体系は、決して人々の間に敵意をもたらすものであってはならない。これこそは、この時代における神の信仰と 宗教の精髄である。これらの原則や法律、また、これらの確固として確立された強力な体系は、同一の根源から生じたものであり、同一の光源の光線である。宗 教間に見られる差異は、それらが確立された時代の様々な要求によるものであると見なされなければならない。

おお、バハの人々よ。地上の人々を混乱に陥れた宗教的不和と争いの動乱が鎮まり、その痕跡さえも完全に抹消されるよう努力せよ。神の愛と、神に奉仕する 人々のために立ち上がり、この最も崇高にして重大なる啓示に加勢せよ。宗教的狂信と憎悪は世界を焦土と化す炎であり、何者にもその猛威を治めることはでき ない。神の威力の御手のみが人類をこの荒廃の苦悩から救出し得るのである。

神の言葉は灯火であり、つぎの聖句こそがこの灯火から放射される光である。汝らはみな一つの樹の果実であり、一つの枝の葉である。互いに最高の愛と調和、 親愛と友情をもってふるまえ。真理の昼の星なる者こそわが証人なり。和合の光は非常に強力であり、それは地球上をすべて照らし得るほどである。唯一真実の 神、すべてを知り給う神御自身が、この言葉の真理を証言し給う。

この超越した最も崇高なる域に到達し得るよう努力せよ。この地位こそは、全人類の保護と安全を保障するものである。この目標は他のいかなる目標にもまさ り、この望みはあらゆる望みの中の君主である。しかしながら、正義の昼の星をくもらす圧制の暗雲が消散されない限り、この地位の栄光が人間の目に明らかに されることは困難である。

おお、バハの人々よ。親愛と友情の精神をもって万人と交われ。もし汝がある真理を把握し、他人の知らない宝石を有するならば、最高の親切と善意の言葉を もってそれを彼らと分かち合え。もしそれが受け入れられ、その目的を果たしたならば、汝の目的も果たされたことになる。また、もしそれを拒むものがあれ ば、そのものを放置し、神が彼をみちびくよう嘆願せよ。彼を不親切にあしらうことのないよう注意せよ。親切なる舌は人々の心を引きつける磁石である。それ は魂の糧であり、言葉に意味という衣を授けるものである。それは、英知と理解力の光の泉である。

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CXXXIII. 神の律法は、神の最も荘厳なる啓示の天より下された。万人はこれらの法を厳守しなければならない。人間の最高の殊勲、その真の進歩、その究極の勝利は常にこれらの法にかかっている。また、将来もそうありつづけるであろう。神の法を守るものは永遠の喜びを得よう。

神の一体性の曙を認め、神の唯一性の顕示者の真理を認めたものにかかる義務は二つある。最初の義務は、顕示者に対する愛に確固不動たることである。その不 抜さは、敵の引き起こす動乱にも、愚かな詐称者の主張にも怖じず、永遠の真理におわす彼にすがる手を決して放すことのないほどのものでなければならない。 それはまた、彼らのことをまったく意にとどめないほどの不抜さでなければならない。第二の義務は、神の定めた法を厳格に守ることである。神は人間に対し常 に法を定め、未来を通じても定めつづけるであろう。これらの法を介し、偽りは真理より区別され、分離されるのである。

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CXXXIV. 永遠の真理におわす御方を認め知ることのつぎに、人間に課せられた最初かつ最大の義務はこれである。つまり、彼の大業において確固不動たることである。 汝、これにすがり、神に心をしっかりと据え、神に基礎を置くものであれ。いかに賞賛される行いも、これに比較できるものではない。また、未来永劫を通じて これにまさる行為はない。これはあらゆる行為の中の王である。この真理を、最上の御方におわし、御力に満ち給う汝の主が証言し給う。

神に係わる美徳や属性はすべて明白明瞭であり、それらはあらゆる天来の書に記され、説明されている。つぎのものもそこに含まれる。つまり、信頼に値するこ と、正直であること、純粋な心をもって神と語らうこと、寛容であること、全能者の定めたことすべてに忍従すること、神の御心によって与えられたものに満足 すること、忍耐強くあること、否、むしろ、苦難の中にあって感謝の心を持つこと、そして、いかなる境遇にあっても神に全幅の信頼を置くことである。神の評 価し給うところによれば、これらはあらゆる行為の中で最も高貴にして、最も賞賛されるものに数えられる。他のすべての行いは、これらの行為に対し副次的な ものであり、従属するものである。このことは時を超えて不変である。

神を認め知ることこそが人の心に生気を与える息吹である。人の心を飾る真の装飾は、「神は御心のままになし給い、欲するままに命じ給う」という真理を認識 することにある。人の心を装う衣服は神に対する畏敬の念であり、その完成の極みは神の信教の中にあって確固不動たることである。神を求めるものに対し、神 はこのように指導し給う。まことに神は、神に向かうものを愛す。寛恕者におわし、恩寵に満ち給う神のほかに神はおわさず、諸々の世の主なる神に讃美あれ。

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CXXXV. おお、生ける者の文字[41]よ。神の耳は汝の叫びを聞き、神の目は汝の嘆願の書を見た。彼は栄光の座より汝に呼びかけ、危急の場の救助者におわし、御自力にて存在し給う御方より下された言葉を汝に現わすのである。

自我と空しい妄想という偶像を完全に捨て去った汝に祝福あれ。最高の保護者におわし、全能にして最愛なる御方におわす汝の主の威力により愚かなる空想の ヴェールを切り裂いた汝は幸いなり。まことに、汝はすべての文字に優る文字の一つに数えられよう。そのために、神は汝の主なるバブの口を介して汝を抜擢ばってきしたのである。まさにバブの御顔は全創造物を覆い、これからも覆いつづけるであろう。汝は、彼の援助により、天上と地上の住人の心を震撼させた大業を認めることができたのである。そして汝は、創造と啓示の王国の住人が歓声を上げ、人々の心の秘密が明かされ試された大業を受け入れることができたのである。このことを全能者に感謝し、その御名を讃美せよ。

汝の主である至高なる御方[42]は、 その栄光の領土より、つぎのような言葉をもって汝に呼びかけている。 おお、生ける者の文字よ。大いなる祝福が汝を待ち受けている。何となれば、汝はまことにわれを信じ、天上の集合の前でわれを辱めるようなことを汝は行わ ず、汝の誓約を実行し、空しい妄想のヴェールを捨て去り、主なる汝の神に目をしっかりと据えたからである。神こそは目に見えるものと見えぬものの主におわ し、人々が絶えまなく集う神殿の主におわす。われは汝に満足している。何となれば、人々の顔が憂鬱ゆううつのあまり黒く変色したこの日、われは光り輝く汝の顔を発見したのである。

言挙げよ。おお、バヤンの人々よ。わがすべての書簡と、わがすべての隠された聖典を通じてわれは汝らにつぎのように警告したではないか。自らの邪悪な欲望 に溺れてはならない。自らの堕落した意向にしたがってはならない。そして、最も偉大なる天秤が据えられ、神の精神の甘美なるメロディーが汝らの主の玉座の 右手より流れてくる日、汝らはただひたすら最上なる栄光の場を見据えなければならない。彼こそは全能なる保護者におわし、力に満ち、神聖なるものの中の最 も神聖なるものにおわす。また、われはこうも命令したではないか。わが美の顕示者がつぎに出現するとき、汝らをその顕示者から隔てるあらゆるものを断たな ければならない。それが神の御名のすべての栄光を具現するものであっても、また、神の属性とその主権を現わすものであっても、それが汝らを顕示者から隔て るものであれば、決してそれに執着してはならないとわれは警告した。しかし、見よ。 われが姿を現わすや否や、汝らはわが真理を拒絶し、われにそむいた。そして、汝らは、神のしるしをたわむれと気晴らしの対象とした。

わが美にかけて誓う。この偉大なる日、汝らの捧げるものは何一つとして受け入れられない。神の御前にひれ伏し、神の永遠なる主権が持続する限り礼拝しつづ けても受け入れられない。なぜなら、すべては彼の御心に委ねられ、あらゆる行為の真価は彼の承認と満足にかかっているからである。宇宙は彼の手のひらに置 かれた粘土にすぎない。この偉大なる日、神を認め、神を愛さない限り、いくら叫んでもその声は神に届かないのである。これこそが彼の教えの真髄である。汝 ら、このことを理解し得たならば。

汝らは荒野に現われる蜃気楼しんきろうに満足し、神の御心を通じて人々の魂を活気づける清水の大海を放棄するのか。このような空虚で卑しむべき行為をもって神の恩恵に報いるものに災いあれ。まことに、汝らは、以前の啓示に際してわれを拒絶した人々に属するのである。汝らの心がこのことを理解し得たならば。

立ち上がれ。そして神の見守る中で、彼に対する義務を怠った罪をつぐなえ。これが汝らに送るわが戒めの言葉である。汝ら、わが戒めに耳をかたむけるなら ば。われ自身に誓って言う。コーランの民も、旧約聖書や福音書を信ずる人々も、またそれ以外のいかなる聖典の信奉者も、汝らがその手によって犯した罪を犯 してはいない。われ自身、この教えの真実の立証に全生涯を捧げた。われ自身、わがすべての書簡を通じて彼の啓示の出現を宣言した。しかし、つぎの啓示にお いて彼がバハの栄光をまとい、荘厳なる衣に身を飾って現われるや否や、汝らは最高の保護者におわし、御自力にて存在し給う者に刃向かったのである。おお、 人々よ。警戒せよ。汝らの手が犯したことによって神の道においてわが身に降りかかったことを恥じよ。神の超越した栄光の天上より下されたことを拒絶するも のとならないよう注意せよ。

おお、生ける者の文字よ。これこそは汝の主が高遠なる領土より汝に語りかけた言葉である。しもべらが眠りから覚めて神に許しを乞うよう、汝の主の言葉をし もべらに宣言せよ。神こそは彼らを創造し、彼らに形を与え給う。神こそは、光にあふれ、最も神聖なるこの明白なる彼の美の啓示を人々に下し与え給うたので ある。

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CXXXVI. 言挙げよ。おお、人々よ。魂を自我の束縛より解放し、われ以外のすべてのものへの執着から清めよ。わ れを思い起こすことによりすべてのものの汚れを洗い清めることができる。汝ら、このことを発見し得たならば。言挙げよ。全創造物が世俗の虚栄と欲望の ヴェールを完全に脱ぎ捨てるならば、神の御手は「創造の世において神は欲するままになし給う」の衣を万物に例外なく着せるであろう。このことにより、その 日、神の強大なる主権の証拠があらゆる創造物の内に現わされよう。したがって、彼に讃美あれ。彼こそはすべてのものに君臨する主におわし、至上の保護者に おわす全能者にましまし、栄光と御力に満ち給う。

おお、わがしもべよ。汝に授けられた神の聖句を、神のおそば近く仕える人々が唱えるように唱えよ。されば、汝の祈りの調べのうるわしさは、汝自身の魂に火 をともし、また、すべての人々の心をも引き寄せるであろう。何人であれ、自室において神の啓示し給う聖句を唱えるならば、その口をもれる言葉の芳香は、全 能なる神の御使いたちにより、広く世に広められ、すべての心正しい人々の胸を感動に打ちふるわせるであろう。たとえ最初はその作用に気づかずとも、祈るも のに賜わる恩寵の効力は早晩必ずその魂に影響を及ぼすであろう。このように神の啓示の神秘は威力と英知の源である神の御心により定められたのである。

おお、カリルよ。神こそわが証人なり。わがペンは今もわが書面に動きつづけているが、心では涙を流し、苦悩に溺れているのである。王座の前にともるランプ も同様に涙を流し、うめき声を上げているのである。その悲しみの原因は、古来の美の味わった苦しみであり、その苦しみをもたらしたのは彼の御心によって創 造された人々である。神はわが言葉の真実を証言し給う。不信心者の騒音を締めだし、森羅万象の声に耳をかたむけるものは、宇宙に響きわたる悲嘆の声を聞く ことができよう。それは、われを否定し、われに背くわがしもべらがわれに浴びせた苦悩のために万物から起こる嘆きの声である。こうして、われはわれを襲う 苦難の断片を汝に示したのである。それは汝がわれの苦しみについて知り、自らの苦しみに対しては忍耐強く耐えることを望むからである。

いついかなる状況にあっても汝の主の援助に立ち上り、主の援軍の一員であれ。神の精神なる御方が、光みなぎるこの書簡に述べたつぎの言葉に耳をかたむける よう人々に忠告せよ。言挙げよ。おお、人々よ。不和の種を人々の間に蒔いてはならない。隣人と争ってはならない。いかなる状況にあっても忍耐し、神に全幅 の信頼を置き、確信をもて。英知と言葉の剣もて汝の主に加勢せよ。これこそが人間の地位にふさわしい生き方である。この正道をそれることは神の評価に値し ない。神こそは主権者におわし、栄光に満ち給う。しかし、人々は過ちの方向に先導され、まことに無思慮な状態にある。

おお、人々よ。人々の心を閉ざしている錠を取りはずせ。神の面影であり、汝らの英知の源泉である御方を思い起こすことがその錠をはずす鍵である。彼は世界 にあるすべてのものの中からしもべらの心を選び、一人一人の心を彼の栄光の啓示の王座として定めた。したがって、人間の心の創造の本来の目的である事柄が そこに刻まれるよう、自らの心をあらゆる汚れから清めよ。これこそは恩寵に満ちた神の恵みの証である。

おお、人々よ。正直をもって自らの口を美しくせよ。真実をもって魂を飾る装飾とせよ。おお、人々よ。互いに不誠実であってはならない。神の創造物に対し、 神の信託者であれ。神の人々に対し、神の寛大さの旗印であれ。肉欲や自らのよこしまな性質にしたがうものは過ちの中にあり、その努力は水の泡となる。まこ とに、彼らは迷える存在である。おお、人々よ。常に目を神の慈悲に向けるよう努力せよ。常に心を神のすばらしき記憶に調和させるよう努力せよ。常に魂が神 の恩寵と恩恵を確信できるよう努力せよ。常に神の喜びの道を歩むよう努力せよ。これが汝らに遺すわが忠言である。汝ら、この忠言にしたがうものならば。

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CXXXVII. あるものは隣人の財産を侵すことを合法と見なし、神の書に記された神の命令を軽んじる。彼らを待ち受けるのは災難と神の懲罰である。神こそは全能にして威 力に満ち給う。神聖さの黎明の地平線上に輝く御方にかけて誓う。地上のすべてのものが金銀に変えられたとしよう。その財宝を拾いわがものとするのは言うま でもないが、それらに目をくれただけの人も信仰と確信の天上に真に昇り詰めたものとは言えない。われは以前、アラビア語で記した書物の中で、極めて美しい 言葉をもってこのことについて述べた。神こそわが証人なり。その言葉の甘美を一度味わったものは、神が定める境界を決して侵さないであろう。また、決して 最愛なる御方以外に目を向けることもしないであろう。このような人は、地上に属するものははかなくまったく虚しいものであることを心眼の威力により容易に 認め、より高い次元のものに関心を向けるであろう。

言挙げよ。恥を知れ、おお、古来の美を愛すると自称する人々よ。古来の美を苦しめた試練と、神のために彼が負った苦悩の重荷を汝らの戒めとせよ。汝ら、目 を見開いて見よ。古来の美は無数の苦しみに耐えてきた。しかし、その結果が汝らの価値のない信仰告白と下劣な行動なのであれば、古来の美がこれほど苦労す る理由はどこにあろうか。わが啓示に先立つ時代、あらゆる盗人と不正者は汝らと同じ言葉を吐き、汝らと同じ行動に走ったではないか。

まことにわれは言う。わが甘美なる声に耳をかたむけよ。邪悪な欲望と腐敗した願望の汚れを払い、自らを清めよ。神の幕屋に住まい、不滅の栄光の座にある 人々を見よ。空腹のために絶命寸前であっても、彼らは手を伸ばし隣人の財産を不法に奪うことは決してしない。その隣人がいかに卑しく、価値のない存在で あったとしてもこのことに変わりはない。

唯一真実なる神が自らを現わす目的は何か。それは全人類を正直と誠実さ、敬虔と信頼、神の御心に対する従順と服従、寛容と親切、公正と英知のもとに呼び寄 せることにある。聖人のような性質をもって万人を覆うマントとし、清らかで正しい行動を万人の装飾とすることこそが神の目的である。

言挙げよ。自らと同胞を哀れむがよい。汝らの虚しい空想と、見苦しく腐敗した想像をもって神の大業を汚すことのないようにせよ。まことに、神の大業は、神聖さの真髄をはるかに越えて崇高なるものである。

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CXXXVIII. 御力により森羅万象に君臨し給う慈悲なる神よ。あなたの虜とりことなったこのし もべらを見そなわせ給え。御恩寵と御恩恵の宝庫に秘められた良きものを切望し、あなたの御心にしたがい、あなたの定めた断食を日々守り、夜明けの時刻に御 名を唱えあなたに讃美を捧げるために床を離れたこのしもべらを見そなわせ給え。全宇宙の手綱を御手に握り、あなたの御名と属性の王国のすべてを手のひらに 治め給う神よ。この日、御慈悲の雲より注がれる雨をしもべらから取り上げ給わぬよう、また、あなたの御喜びの大海の分け前をしもべらに拒み給わぬよう嘆願 いたします。

おお、わが主よ。地球上のすべての原子はあなたの御威力と御主権の偉大さを証言しております。また、宇宙に秘められたあらゆるしるしはあなたの御統治と御 力を証明するものであります。おお、万物に君臨し給う主権者よ。おお、永遠なる時の王なる主よ。おお、すべての国々を治め給う統治者よ。あなたの掟の御綱 にすがり、御心の天上より下されたあなたの法の出現を前に頭を垂れるこのしもべらに慈悲を示し給え。

おお、わが主よ。あなたの御慈愛の黎明の場に目を向けるしもべらを見そなわせ給え。御恩恵の大洋に心ひかれたしもべらを見そなわせ給え。栄光に満ち給う御 名により最も高遠なる地位より呼びかけるあなたの最も甘美なる御声の前に声をひそめるしもべらを見そなわせ給え。おお、わが主よ。あなたの有するものを得 ようと自ら所有するすべてのものを放棄したあなたに愛されし人々を助け給え。彼らはこの世に背を向け、あなたの栄光の領土に心を向けたために今や試練と苦 悩に包囲されています。おお、わが主よ。彼らを擁護し給うよう嘆願いたします。彼らを邪悪な欲望の猛襲より守り、この世ときたるべき世を通じて彼らを利す るものを得ることができますよう彼らを助け給え。

おお、わが主よ。あなたの秘められた貴重な御名は創造の世にとどろき、全人類を、最高なる栄光の座である、超えることのできない聖木のもとに召喚しており ます。その御名により祈願いたします。御慈悲にあふれる雨を私どもと、あなたのしもべらの上に注ぎ給え。その清水により、あなた以外のすべてのものの記憶 を洗い流し、私どもを御恩寵の大洋の岸辺に引き寄せ給え。主よ、あなたの最も崇高なるペンの定めにより私どもの魂を栄光の領土に不滅となし、私どもの名を あなたの御国に永遠にとどめ、私どもの命をあなたの保護の宝庫に庇い、私どもの身体を決して侵されないあなたの頑丈な砦の中に守り給え。過去と未来を問わ ず、あなたはあらゆるものを超えて強力におわします。あなた以外に神はなく、あなたは全能なる保護者におわし、御自力にて存在し給う御方にまします。

おお、主よ。あなたの御恵沢と御恩恵の天上に差し伸べられた私どもの嘆願の手を見そなわせ給え。私どもの手をあなたの御寛大さと大いなる恩恵の賜物で満た し給え。私どもを許し給え。私どもの父や母を許し給え。御恩寵と神聖なる御寛大さの大洋により私どもの願いを叶え給え。おお、心より愛する御方よ。あなた の道に捧げる私どもの奉仕を受け入れ給え。まことに、あなたは御力に満ち、最も崇高におわし、比類なき唯一なる者におわし、許し給い、御恩寵に満ち給う御 方にまします。

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CXXXIX. おお、ナビル・アザムよ。 栄光に満ちた御名の王国から汝に呼びかける日の老いたる者の声に耳をかたむけよ。今や日の老いたる者は天上の領土より全創造物の内なる真髄に向けてつぎの ように宣言している。「われはまことに神であり、われ以外に神はない。われこそはいにしえよりつづくすべての主権と威力の源であり、未来永劫を通じて王位 をもって森羅万象をその保護のもとに置く者である。全宇宙を覆いつつむわが威力とわが主権の偉大さがわが証拠である」…。

おお、わが名よ。汝の上に祝福あれ。汝はわが箱舟に入り、わが主権の力と、最も高遠なるわが威力により崇高なる大海を驀進ばくしんしている。汝は、われが寵愛を寄せ、神の指がその名を記した人々の内に数えられる。そして、汝はこの若者[43]の差しのべる命の聖杯を飲み干したのである。まことに、栄光に満ち給う御方の顕示者たちはこの若者の周囲を舞い、慈悲の黎明である者らはこの若者の存在の光輝を朝な夕なに称えるのである。

神の栄光が汝の上に宿らんことを願う。汝は神より神へと旅し、衰えることのない光輝の宮廷の境内に足を踏み入れたのである。人は決してこの聖域を言葉に尽 くすことはできない。その聖域にあって、主の愛情に満たされた神聖さの微風が汝の精神を奮い立たせ、理解力の清水が、汝の心に残っていた疎遠と罪の痕跡を 洗い流したのである。人類の中に立つ神の面影の具現者を認めたことにより、汝は神の面影の楽園への入場を許されたのである。

神は汝を強化し、彼の大業を支援できるようにし、汝の心の庭に知識と理解力の花を咲かせたのである。このことを神に感謝せよ。このようにして彼の恩寵は汝 を覆いつつみ、全創造物をも覆いつつんだのである。いかなることがあっても、嘆き悲しむことのないよう注意せよ。人々の空虚な主張より完全に身を引き、暗 幕によって神から隔てられている人々の無益で取るに足らない論争に背を向けよ。そして、主の大業への奉仕に立ち上がるとき、最も偉大なる精霊が汝に与える 霊感にしたがって発言し、宣言せよ。汝のその言葉は万人の心に響き、それにより人々はこの最も祝福された栄光の宮廷に心を向けるであろう…。

剣の支配によってわが大業を押し進めることをわれは無効としたことを知れ。そしてわれは、人の言葉より生まれる威力を剣の代わりとした。これこそはわが恩 寵を通じて示された不変の命令である。言挙げよ。おお、人々よ。世間に不和の種を蒔いてはならない。隣人と争うことのないよう自制せよ。汝らの主は、地上 の王たちに主権を与えることを選び、その主権によりこの世とその都市を王たちに委ね、彼らをして主の威力の象徴とした。そして主は、この世の支配の一切を 拒み、その支配のかけらすら自らに残すことを拒否したのである。この事実は、永遠なる御方が証言するところである。主が自分のために残した唯一のものは人 の心の都である。その目的は、心の都を地上のあらゆる汚れから清め、不信仰なるものの手が決して汚すことのできない聖所に人々が近づくことができるように することである。おお、人々よ。汝らの言葉の鍵によって人の心の都の扉を開放せよ。これこそは、あらかじめ決められた定めによってわれが汝らに課す義務で ある。

神の正義にかけて誓う。この世とそこに存在するあらゆる虚栄、栄光、もしくはこの世が提供し得るあらゆる享楽は、神の目からすれば灰や塵と同じ価値、いや それ以上に卑しむべき価値のものにすぎない。人々の心がこの事実を理解できたならば。おお、バハの人々よ。この世の汚れと、この世に属するあらゆるものか ら自らを完全に清めよ。神こそわが証人なり。この世のものは、汝らにとって決してふさわしいものではない。地上の事物は、それを求める人々に投げ与え、汝 ら自身はこの最も神聖で最も輝きある顔に目をしっかりと据えよ。

汝らにふさわしいものは、神に対する愛と、神の真髄の顕示者に対する愛であり、彼が汝らに定めるすべての事柄を遵守することである。汝らこのことが理解できたならば。

言挙げよ。正直と礼節をもって自らを飾る装飾とせよ。寛容と正義の衣を失うことのないよう注意せよ。そうすれば、神聖さの甘美なる芳香が汝らの心から全創 造物に向けて発散されよう。言挙げよ。おお、バハの人々よ。言動の一致しない人々の道を歩むことのないよう注意せよ。神の御しるしを地上の人々に示し、彼 の教えを鏡のように映すことができるよう努力せよ。汝らの行動をもって人類を教導せよ。何となれば、その地位の上下にかかわらずほとんどの人間は、口で言 うことと実際に行うことが違うからである。汝らを他と区別するものは、汝らの行動である。汝らの光の光明は、汝らの行いを通じて世を照らすことができるの である。わが忠言を聞き入れ、すべてを知り、すべてに賢き御方が定め給う教えを守るものは幸いなり。

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CXL. おお、モハメッド・アリよ。大いなる祝福が汝を待ち受けている。それは、汝が、栄光に満ち、すべてに讃美される主の愛を心の装飾としたからである。この日、この地位に到達したものはすべての良きものを得よう。

神の愛されし人々がこの時代に味わった屈辱に心を乱してはならない。この屈辱は、世俗の世が提供し得る栄誉と高尚の中にあって、最高の誇りと栄光に値する ものである。日の老いたる者の舌が、最大の牢獄にあって、愛されし人々を思い起こす以上の栄誉が想像できようか。光をさえぎる雲が完全に消える日が近づき つつある。その日、つぎの言葉の光明が全能者の御心の地平線に輝きいで、太陽のようにはっきりと出現するであろう。「すべての栄誉は、神と神を愛する人々 に属す」。

身分の上下を問わず、人はみなこの偉大なる栄誉を追い求めている。しかし、真理の太陽がこの世を照らすや否や、人はみなその恩恵を逸し、ヴェールによって その栄光より遮断されたのである。その唯一の例外は、唯一真実の神の確かな摂理の綱にすがり、彼以外のすべてのものを完全に断ち、彼の聖なる宮廷に顔を向 けた人々である。

すべての世の希望の的である者が、汝にこれほど崇高な栄誉を授けたことを感謝せよ。早晩、この世とそこに存在するものすべては忘れ去られるであろう。そして、すべての栄誉は汝の主に愛されし人々に与えられるであろう。彼こそは栄光と恩恵に満ち給う主なり。

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CXLI. まことに、これは洞察力を有する 人々に下された聖典である。人の子らが眠りより覚めるならば、この聖典に含まれた指導に気づくであろう。つまり、正義にしたがうこと、正しい行いをもって 生きること、邪悪な衝動にしたがってはならないこと、そして、肉欲に屈してはならないことである。

言挙げよ。おお、人々よ。わが書に記された教えにしたがって生きよ。煽動者たちの編みだした空想にまどわされては ならない。彼らは悪を働き、その悪行を最も神聖にして、栄光に満ち、最も崇高なる神に帰するものらである。言挙げよ。汝らがあらゆる世俗の汚れから清めら れることを望み、われは苦難と苦しみを受け入れて耐えた。ならば、わが目的について心に熟考することを汝らはなぜ拒むのか。神の正義にかけて言う。われが 耐えた苦悩について熟考するものの魂は、悲しみのあまり、消滅してしまうであろう。わが言葉の真実を汝らの主が証言し給う。汝らが地上のあらゆる腐敗から 聖別されるよう、われは諸々の災難の重荷に耐えたのである。しかし、汝らはまったく無関心ではないか。

言挙げよ。わが衣の裾にすがるものは、天上の集合が忌み嫌ういかなるものにも毒されていてはならない。栄光に満ち た汝らの主は、この明瞭な書簡を通じてこのように命じるのである。言挙げよ。汝らはわが愛をなおざりにし、わが心を悲しみに満たす行為を犯すのか。汝ら は、全知にしてすべてに賢き者が汝らに示したことをなぜ理解できないのか。一体何が汝らの理解を阻んでいるのであろうか。

まことに、われは汝らの行動を見守っている。純粋にして清らかな行為の甘美なる芳香を察知すれば、われは必ず汝らを祝福する。それを受けて、楽園の住人は汝らを讃美する言葉を語り、神の近くにある人々に向けて汝らの名を称えるであろう。

神の衣の裾にしっかりとすがれ。そして、誰にも断ち切ることのできない神の綱をにぎりしめよ。この最も偉大なる宣 言を否定するものらの騒動が、汝らを目的の達成から引きとめることのないよう注意せよ。この書簡を通じて汝らに定め与えられたことを宣言せよ。万人が汝ら に反対し、刃向かったとしても宣言しつづけよ。まことに、汝らの主は抵抗し難い御方におわし、確かなる庇護者におわす。

わが栄光は汝らの上に宿り、汝らと共同するわが愛されし人々と共にある。かくなるものこそは幸いなり。
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CXLII. 最愛なる御方の美にかけて誓う。これこそは全宇宙をつつむ慈悲である。今日こそは、神の恩寵がすべてに浸透し、すべてを覆う日である。おお、アリよ。わが 慈悲の命の水は滝となって流れ、わが心は愛と優しさに熱せられ溶けて行く。いついかなるときも、われはわが愛する人々を襲う苦しみや、彼らの心の喜びをく もらせる苦悩を甘んじて受け入れることはできなかった。

「慈悲者」というわが名のもとに、愛されし人々の中の誰かが、わが期待に反することを口にしたと伝えられるたびに、わが名は悲しみと憂いに沈み、その住ま いに戻ったのである。「覆い隠す者」というわが名のもとに、わが信奉者の中の誰かがその隣人を卑しめ屈辱を与えたと知らされるそのたびに、同様にわが名は 無念と悲痛に襲われ、その栄光の隠れ家に帰還して悲しみの涙を流したのである。「永遠に許す者」というわが名が、わが友らの中の誰かが罪を犯すのを見るご とに、わが名は悲痛の叫びをあげ、苦しみにもがき地に倒れたのである。そして、目に見えぬ天使たちの一団がそこに出現し、わが名をその天上の住処に運び 去ったのである。

おお、アリよ。真実者なるわれ自身に誓って言う。バハの心に燃える炎は汝の心に点火した火よりも猛烈に燃え、バハの悲嘆の叫びは汝の叫びにも増して高く鳴り響く。友らが犯した罪がわが存在の宮廷で語られるとき、古来の美は、その顔の栄光を人の目から隠そうと願うほどの羞恥しゅうちの念にかられるのである。何となれば、古来の美は友らの誠実さに常に注目し、その必須の条件が守られているかを見ているのである。

汝が記した言葉がわが面前で読まれるや否や、わが忠誠の大海はわが体内に波立ったのである。それによりわが許しの微風は汝の魂に吹きわたり、わが慈愛の樹 木は汝を覆い、わが恩恵の雲はその賜物を汝の上に雨と降らせたのである。永遠の地平線上に輝く昼の星にかけて言う。悲嘆に暮れる汝の姿をわれは悲しみ、汝 の苦悩をわれは嘆く…。汝がわがためになした奉仕をわれは証言し、汝がわがために受けた苦しみをわれは証言する。地上のすべての原子は、汝に対するわが愛を宣言している。

おお、アリよ。汝の行った呼びかけをわれは高く評価する。汝の筆と汝の舌をもってわが大業を宣布せよ。すべての人々が汝を通じて点火されるよう、大いなる 熱意をもって人々を声たからかに召喚し、すべての世の主権者たる主のもとに呼び寄せよ。

言挙げよ。おお、わが主よ、わが最愛なる御方よ、わが行いの原動力よ、わが魂を引き寄せる星よ、わが存在の奥底に叫ぶ声よ、わが心の崇拝の的よ。あなたに 讃美を捧げます。あなたは、私をあなたに向かわせ、あなたを記憶することにより私の魂を燃えたたせ、あなたの御名を宣布し、あなたの讃美を歌わせたのであ ります。

おお、神よ、わが神よ。あなたの道をはずれるものがなければ、あなたの慈悲の旗印はどうして翻り、あなたの恩恵に満ちた御恵みの旗はどうして立てられるで しょうか。不正が行われなければ、あなたを「人の罪を覆い隠す御方」、「永遠に許し給う御方」、「すべてを知り、すべてに聡明なる御方」と呼ばせるものが どこに存在するでしょうか。あなたに対して罪を犯したものの罪に対し私の魂を生贄いけにえとして捧げます。何 となれば、「哀れみ深い御方」、「慈悲に満ち給う御方」というあなたの御名の慈愛の甘美なる芳香はこのような罪に向けて放出されるからです。あなたに対し て罪を犯したものの罪に対し私の命を捧げます。何となれば、あなたの恩寵の息吹と、慈愛の芳香はこのような罪の存在を通して人々に知らされ、普及するから です。あなたに対して罪を犯したものの罪に対し私の最も奥なる存在を捧げます。何となれば、このような罪の結果として、限りない御恵みの昼の星が御恩恵の 地平線上にその姿を現わし、あなたの無限の摂理より全創造物の真髄に向けて賜物が雨と注がれるからです。

おお、主よ。私は自分の犯した多くの罪をあなたに告白し、誰も認めたことのないことを認めるものであります。私はあなたの許しの大海に急ぎ、御恩寵に満ち た御恵みの下陰に避難所を求めました。おお、永遠なる王におわし、すべての人類を守り給う主権者よ。私の行動により、人々の心と魂が御愛情の無限の天空に 舞い、あなたの精霊と語らうことができますよう私を助け給え。すべての創造物をあなたの出現の黎明の場に向かわせることができますよう御主権の威力を通じ て私を強化し給え。おお、わが主よ。私がこの地上での命を大切にする唯一の理由は、あなたの啓示の幕屋と御栄光の玉座を巡回したいからであります。した がって、あなたの御心に完全に身を委ね、あなたへの奉仕に立ち上がることができますよう私を助け給え。おお、わが神よ。ご覧のように、私はあなた以外のす べてのものを離れ、あなたの御心につつましく仕えるものであります。あなたにふさわしいままに、また、あなたの高遠さと大いなる栄光にふさわしいままに私 をあしらい給え。

おお、アリよ。諸々の世の主なる御方の恩恵は汝に下され、今も注がれている。彼の威力と力に身を固め、彼の聖なる御名を称え、彼の大業の加勢に立ち上が れ。無学であることや、読み書きができないことを嘆いてはならない。大いなる恩寵の扉は、唯一真実なる神の威力の手中にあるのである。彼は、彼に仕えるも のに対しその扉を開放し、今後も開放しつづけるであろう。汝の心の牧場から全世界に向けて神聖なる甘美の微風が常にただよい、その影響がすべての国土に現 われることをわれは切望する。彼こそはすべてのものに君臨する。まことに、彼は最も力強く、栄光に満ちた全能者である。

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CXLIII. おお、わがしもべよ。真理を認め、真理を受け入れた汝に祝福あれ。慈悲に満ち給う御方を否定し、母なる書に「邪悪者」と非難されたものより身を遠ざけた汝 に祝福あれ。神の愛の道を確固と歩み、彼の信教の道を直進し、汝の言葉の威力を通じて彼に加勢せよ。迫害者により投獄の苦しみを強いられている慈悲者は汝 にこう指示するのである。

わがために苦悩を味わうときは、わが苦しみと困難を思い起こし、わが追放と投獄を想起せよ。栄光に満ち、すべてに聡明なる御方よりわれに下されたことをわれはこのようにして汝に伝える。

われ自身にかけて言う。この世とそこに存在するすべてのものが巻き上げられ、その代わりに新しい秩序が繰り広げられる日が近づきつつある。まことに、彼の威力はすべてのものを支配する。

われを思い起こすことができるよう、汝の心を清らかにせよ。わが言葉を聴きとることができるよう、汝の耳を浄化せよ。慈悲の神におわす汝の主の王座が据え られた地点に顔を向けてつぎのように述べよ。 おお、わが主に讃美あれ。御助けにより私はあなた御自身の顕示者を認めることができ、御援助により私は魂の崇敬の的であるあなたの存在の宮廷に心を向ける ことができました。天界を引き裂き、地上を砕く御名により嘆願いたします。あなた以外のすべてのものを離れ、あなたに心をしっかりと据えた人々に定め与え 給うものを私にも定め与え給え。栄光の幕屋における真実の座につき、私があなたのお側近くとどまることを許し給え。あなたは御心のままになし給う御力の御 方におわします。あなた以外に神はなく、あなたは栄光に満ち、すべてに聡明なる御方にまします。

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CXLIV. 最も高遠なる者のペンは、この大業を教えひろめる義務を定め、その義務を万人に課したのである…。神以外のすべてを超脱したものに対し、神は霊感を与え、その心に英知と言葉の清水を湧きおこし、豊かにながれださせ給うであろう。このことは疑いもない。まことに、汝の主なる慈悲深き御方は、自らの意のままになし、望むままに命じる力を有するのである。

この世について考えてみよ。世俗に属するもののはかなさに気づくならば、汝は汝の主の大業への奉仕の道以外を歩むことを拒否するであろう。万人が汝に反対して立ち上がっても、神の讃美を称揚する汝をさまたげる力は誰も持ち得ないであろう。

一直線に進み、彼の奉仕の道に忍耐せよ。言挙げよ。おお、人々 よ。あらゆる聖典が汝らに約束してきた日は今や到来した。神を畏れよ。そして、汝の創造の目的である御方を認める機会を逸するな。彼のもとに急げ。汝らに とって、これはこの世とそこに存在するすべてのものに増して有益である。おお、汝ら、この真実を見抜くことができたならば。

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CXLV. 零落れいらくしたものや、虐げられたものに出会うとき、彼らを軽蔑し、背を向けてはならない。何となれば、栄光の王は常に彼らを見守り、無類のやさし さで彼らを取りまいているのである。そのやさしさは、恩寵にあふれ、聡明なる汝らの主の意志に自らの望みと願いを融合させたもの以外は、誰も計り知ること のできないほどのやさしさである。おお、地上の富めるものらよ。地に倒れた貧しきものの顔をのがれてはならない。それどころか、貧しきものに親身となり、 神の計り難い定めにより負わされたその苦悩を語らせよ。神の正義にかけて誓う。汝が彼と交わる間、天上の集合は汝を見つめ、汝のためにとりなし、汝の名を 賞揚し、汝の行為を讃美するであろう。自らの学識を驕おごらない博学者に祝福あれ。罪人をあざ笑うことなく、その罪を覆い隠す正義者は幸いなり。このことにより、彼ら自身の短所も人々の目より隠されたままとなろう。

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CXLVI. 汝らの一人一人が全人類に対しあらゆる善きものの源泉となり、高潔さの見本となることがわが願いであり、わが望みである。隣人を差し置いて自らを優先させ ることのないよう注意せよ。人類の中に立つ神の神殿におわす者に目を据えよ。彼はまさにこの世の救済の代償として、自らの命を捧げたのである。まことに彼 は恩寵深く、最も高遠におわし、恩恵に満ち給う。もし汝らの間に何らかの不和が生じたならば、汝らの眼前に立つわれを見よ。そして、わが名のために、ま た、燦然さんぜんと輝くわが明白なる大業への汝らの愛の証として、互いの欠点に目をつぶれ。わが御心の 楽園に汝らが常に融和と一致をもって交わるのを見、汝らの行動より親愛と和合、慈愛と友情の芳香を感知することをわれは愛す。すべてを知り、忠実なる者は 汝らにこのように忠告する。われは常に汝らと共にある。汝らの友好の芳香を嗅ぐことによりわが心は必ず喜びに満たされよう。また、それ以外にわれを満足さ せ得るものは何もない。真の理解力を有するものはすべてこのことを証言する。

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CXLVII. 最大名こそわが証人なり。この偉大なる日において、この世のはかない事物に心を囚われるものがあれば、これほど悲しむべきことはない。立ち上がり、神の大 業にしっかりとすがれ。最高のいたわりをもって互いに接するがよい。最愛なる者のために、不滅の火の炎で自我のヴェールを焼きすてよ。そして、光り輝き、 喜びあふれる顔をもって隣人と交われ。汝らと共にある真理の言葉なる者の言動を、汝らはあらゆる面で充分に観察している。神の愛し給う人々の中の誰かが、 この若者のために心に悲しみをおぼえたとき、その状態をたとえ一夜でも放置したままにすることがこの若者にとってどれほど苦痛であるかを、汝らはよく知っ ている。

神の言葉は世界の核心に点火したのである。もし汝らがその炎にともされなければ、これほど残念なことはない。願わくは、汝らがこの祝福された夜を一致和合 の夜と見なし、汝らの魂を互いにむすび合わせ、賞賛に値する立派な人格をもって自らを飾る装飾となすよう決意することを。堕落した人々を、迫りくる消滅の ぬかるみから救出し、神のいにしえの信教を受け入れるよう彼らを助けることを汝らの最大の関心事とせよ。隣人に対する汝らの態度は、唯一真実の神の御しる しを明白に表わすものでなければならない。何となれば、汝らはこの世にあって、彼の精霊により新たな生命を得た最初の人々であり、最初に彼の前にひれ伏 し、彼を崇め、最初に彼の栄光の王座の周囲をめぐった人々であるからである。御心にかなうままにわれに啓示させ給う神かけて誓う。汝らが自らについて知っ ている以上に、天上の王国の住人たちは汝らについて知っている。この言葉を根のない空言として聞きながしては決してならない。すべてに慈悲深き汝らの主が 見給うものを汝らも感知する能力を持っていたならば、汝らの地位の卓越性を証明し、汝らの価値の偉大さを証言し、汝らの位の崇高さを宣言するものを、汝ら も目撃したであろう。汝らに定め与えられたものに向かう中で、汝らが未だ制するに至っていない情欲や欲望によってさまたげられることのないよう、われは神 に嘆願する。

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CXLVIII. おお、サルマンよ。人間の知力は有限であり、厳格な限界のもとに置かれている。世の賢者や神秘主義者たちの言葉や書物はこの限界を過去に越えたこともなけ れば、これからも越えることは決して望めない。最も優れた人間の知性がいかにすばらしい高所に昇りつめたとしても、また、世俗を断ち、理解力を備えた心が いかに深遠な真実に到達したとしても、このような知性や心は、その本人の思考の領域や、本人の構想の産物を越えることはない。最も深い洞察力を有する哲学 者の瞑想も、最も清らかな聖者の礼拝も、人間の口やペンから流れでる最も高尚な讃美の表現も、主なる神の啓示を介して彼らの内に創造されたものを反映する ものに過ぎない。この真理について心して熟考するものは、人間が決して越えることのできない限界の存在を容易に認めることができよう。始まりのない始まり より、神を知り、神の姿を心に描こうとしたあらゆる試みは結局、神の創造の条件の範囲内に閉じ込められてきたのである。そして、その創造は神の意思の働き と、神のみが定める目的のために行われたのである。人間の心は神の本質を理解しようと奮闘し、人間の舌は神の神秘を語ろうと努力する。しかし、神はこれら いかなる試みをもはるかに超越して崇高である。創造物を神に直接つなぐ交わりは存在しない。創造されたものの最も難解で深遠な引喩も神の存在を充分に言い 表わすことはできない。森羅万象は、全宇宙にみなぎる神の意思によって創造されたのである。神は常に神の崇高にして不可分の本質の永遠なるいにしえの中に 隠れ、接近し難い神の尊厳と栄光の内にとどまり給う。天上にあるすべてのものと、地上にあるすべてのものは神の命令によって創造され、神の意志にしたがっ て完全なる無の状態から存在の世に踏み入ったのである。ならば、神の言葉によって形を得た創造物がどうして日の老いたる者の性質を理解できようか。

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CXLIX. こ の偉大なる日、天と地にあるすべてを完全に離脱し、神の聖なる啓示の黎明の場に心を向けるものは、すべてを知り、すべてに聡明なる主の御名の中のたった一 つの名の威力により全創造物を征服する力を与えられよう。この偉大なる日において真理の昼の星は、過去のいかなる時代も見たことのないほどの光輝をこの世 に注いだのである。このことを確信せよ。おお、人々よ。彼の栄光の光を浴び、無思慮なものであってはならない。

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CL. 勝利が到来するとき、あらゆる人々は信者であると告白し、神の信教の庇護のもとに急ぐであろう。世界を取り巻く試練の日々において大業に確固として耐え、その真理より踏みはずすことを拒否したものは幸いなり。

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CLI. お お、神のうぐいすたちよ。悲惨と不幸のとげといばらより自らを解放し、不朽の栄光の花園に向かって飛び立て。おお、塵の上に住まうわが友らよ。汝らの天上 の住居に急げ。そして、つぎの吉報を自分自身に告げよ。「最愛なる御方が現われたのである。彼は神の啓示の栄光を冠とし、古来の楽園の扉を人類に向けて開 け放ったのである」。すべての目は喜び、すべての耳は歓喜せよ。今や彼の美を凝視するときがきたのである。今や彼の声に耳かたむけるにふさわしいときが到 来したのである。愛と切望を胸に抱くすべての人々に宣言せよ。「見よ、汝らの最愛なる御方は人類の前に出現したのである」。そして、愛の君主の使者たちに 知らせよ。「見よ、あこがれの御方は完全なる栄光に飾られて出現したのである」。おお、彼の美を愛する人々よ。彼との別離の苦悶を永遠の再会の喜びに変え よ。彼の宮廷より遠く隔たっていることの苦痛を彼の面前に入ることの甘美により消滅させよ」。

見よ、聖なる栄光の雲より注がれる神の豊かな恩寵はこの日、全世界を取り巻いている。過ぎ去りし日、愛を心に秘めた人々は最愛なる者を必死に探し求めたの である。逆に、今日のこの日、最愛なる者が彼らに呼びかけ、愛を心に秘めた人々を御自分の面前に招集しているのである。この貴重な恩恵を放棄することのな いよう注意せよ。彼の驚くべき恩寵の証を軽視することのないよう心せよ。不朽の利益を捨てるな。滅びる事物に満足するな。汝の目をくもらせているヴェール を取り除き、汝の視界をつつむ暗闇を追い払え。このことを成し遂げたならば、最愛なる者の御顔のありのままの美を見つめ、いかなる目もみたことのないもの を見、いかなる耳も聞いたことのないことを聞くことができよう。

おお、死すべき運命にある小鳥たちよ。われに耳をかたむけよ。不変の光輝の花園に一輪の花が咲き始めている。それに比べれば他のすべての花はとげに過ぎ ず、その栄光の輝きの前では美の精髄も色あせてしぼんでしまう。それゆえに、心に秘めた情熱を奮い立たせ、魂に宿る熱意を呼び覚まして立ち上がれ。彼の面 前の楽園に達することができるよう確固たる決意に身を固め、汝らの全存在を集中させて努力せよ。不朽の花の芳香を吸いこみ、神聖さの甘美な芳香を嗅ぎ、こ の天来の栄光の香りの分け前を獲得できるよう努力せよ。この勧告にしたがうものは自らをしばる鎖を引き裂き、愛の歓喜に身をゆだねる喜びを味わい、心の望 みに達し、自らの魂を最愛なる者の手にゆだねるであろう。そして、精神の鳥のように、自らを拘束する鳥篭を破って神聖にして永遠なる巣に向けて飛び立つで あろう。

夜を日に継ぎ、日を夜に継ぎ、こうして汝らの生涯は過ぎ去って行く。しかも、滅び行くものを一瞬たりとも離れることに同意するものは誰ひとりとしていな い。汝らに残されている短い時間が浪費され失われないよう奮起せよ。汝らの日々は電光のように素早く過ぎ去り、汝らの身体は塵の天蓋の下に安置されてしま う。そうなったとき、汝らに何が達成できるというのか。また、過去の怠慢をどのようにして償うことができようか。

永遠のロウソクは、その栄光をさえぎるものなく輝いている。見よ、その炎は滅びる運命にあるすべてのヴェールを焼き尽くしている。おお汝ら、彼を愛し、彼 の光に蛾のように引きつけられる人々よ。あらゆる危険をものともせず、すべてを焼き尽くす炎に汝らの魂を捧げよ。おお、彼を渇望する人々よ。世俗のあらゆ る未練を捨て、最愛なる者を抱擁するために急げ。誰も比肩し得ない情熱をもって彼のもとに急げ。これまで人間の目より隠されていた花は汝らの目前に現わさ れたのである。彼はその栄光の光を公然と輝かせながら汝らの前に立っているのである。彼の声は神聖で聖別されたすべてのものに呼びかけ、人々を彼との融合 の場に招集している。そこに向かうものは幸いなり。彼のもとに到達し、彼のすばらしい御顔より放たれる光を見つめるものは幸いなり。

-~-

CLII. 汝らの眼はわが信託である。空虚な欲望の塵によってその輝きをくもらせてはならない。汝らの耳はわが恩恵のしるしである。不浄な動機より立ちのぼる騒音の ために、全創造物をつつむわが言葉に耳をそむけてはならない。汝らの心はわが宝庫である。われがそこに秘蔵した真珠を、自我の反逆の手が強奪することをゆ るしてはならない。汝らの手はわが慈愛の象徴である。われにより守り隠された書簡を握り締めようとする汝のその手をとめてはならない。求められないまま に、われは汝らの上にわが恩寵を注いだ。乞われないままに、われは汝らの望みをかなえた。汝らはそれにまったく値しないにもかかわらず、われは汝らを選別 し、計り知ることのできない最も豊かな恩恵を汝らに授けた…。おお、わがしもべらよ。大地のように忍従 し、従順であれ。されば、わが知識の香り高い聖なるヒヤシンスが、汝らの存在の土壌より色とりどりに咲き誇るであろう。炎のように燃えさかれ。そして、そ の火炎により無思慮のヴェールを焼き尽くせ。また、神の愛の生命力あふれるエネルギーにより、冷えびえとしたかたくなな心に点火せよ。風のように軽く、自 由であれ。されば、侵し難いわが聖所と、わが宮居の境内に入ることができよう。

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CLIII. おお、流浪の身であるわが忠実なる友よ。わが恩寵の聖水もて無思慮の渇きをいやし、わが神聖なる臨場の黎明の光により別離の暗黒を追放せ よ。汝に対するわが不滅の愛が宿る住処を、強欲の暴虐に破壊させてはならない。自我と欲望の塵によってこの天来の若者の美を覆い隠してはならない。正義の 真髄を自らの衣とせよ。汝の心は、神以外の何ものも恐れてはならない。汝 の魂より湧きでる清水を、空虚にして過度な執着の茨でとめてはならない。また、汝の心の源泉より湧きでる命の泉の流れをさまたげてはならない。神にすべて の望みをかけよ。神の確かな慈悲に全力をもってすがれ。貧困にあえぐものを富ませ、堕落の淵にしずむものを救済し得るものが神以外にいようか。

おお、わがしもべらよ。朽ちることのないわが隠されたる無限の富の大海を発見することができれば、汝らはこの世のものを、否、この全宇宙をもまったく価値のないものと見なすに違いない。 最も崇高にして至上なる目標に到達できるよう、心にともる探究の炎を赤々と燃焼させよ。その目標とは、最愛なる御方に近づき、融合できる地位に到達することである…。

おお、わがしもべらよ。栄光に満ち給う神に対する信仰の基礎を、空虚な望みや幻想によって弱めてはならない。何となれば、このような空想は 人間にとってまったく無益であり、人間の歩みを正しき街道にみちびくことはできないからである。おお、わがしもべらよ。すべてを包含し、すべてを覆いつつ むわが超越した主権の御手が鎖につながれていると思うなかれ。いにしえより絶え間なくすべてに差し伸べられてきたわが慈悲が止められたと思うなかれ。崇高 にして、すべてにまさるわが恩恵の雲が人類に賜物を雨と降らせることをやめたと思うなかれ。神聖にして、抵抗し難いわが威力を宣言するすばらしき偉業の 数々が退けられたと思うなかれ。人類の運命を方向づけるわが意志と目的の威力が阻まれたと思うなかれ。もしそう思うならば、なにゆえ、汝らは神聖にして恩 寵に輝くわが顔の不滅の美を遮断し、人類の目にふれることをさまたげようと努力するのか。なにゆえ、汝らは栄光に満ち、全能なる神の顕示者がその啓示の光 で地上を照らすことをさまたげようと奮闘するのか。もし汝らに公正な判断をなす能力があったならば、万物がこの新鮮にしてすばらしき啓示の喜びに酔い、こ の地上のすべての原子がこの啓示の栄光の光に照らされていることを容易に発見したであろう。汝らの心をめぐった想像、そして今も汝らの心に宿る想像はまこ とに空虚で卑しいものである。

おお、わがしもべらよ。汝らの歩んできた道をもどり、汝らの創造の源である者に心を向けよ。堕落した邪悪なる愛着から自らを救済せよ。神秘に満ち、超越し たこの啓示のシナイ山に輝く不滅の炎の光明を求めて急げ。すべてを覆いつつむ原点なる神の神聖なる言葉を曲解してはならない。神の言葉の神聖さと崇高なる 特質を汚してはならない。おお、無思慮な人々よ。すばらしきわが慈悲は、目に見えるものと見えぬもののすべての創造物を覆いつつみ、わが恩寵と恩恵の放出 は、宇宙のすべての原子に浸透したのである。しかし、悪なる人々を罰するわが鞭むちはなおも恐ろしく、彼らに向けられるわが怒りの激しさはなおもすさまじいものである。虚栄と世俗の欲望から清められた耳をもって、慈愛を込めて汝らに示すわが忠告を聞き入れよ。内なる目と外なる目の両眼をもって、すばらしきわが啓示の証拠を検討せよ…。

おお、わがしもべらよ。神聖なる栄光のランプにともる光は燦然さんぜんと輝き、決して消えることのない光である。自らをこの光から遠ざけてはならない。神の愛の炎を汝らの輝く心に赤々とともせ。神聖なる導きをこの炎の 燃料とし、この炎を汝の不動の精神の内に保護せよ。神に対する信頼と、神以外のすべてのものからの超脱をもってこの炎を守るほやとし、よこしまな人々の悪 なるささやきがその光を消すことのないようにせよ。おお、わがしもべらよ。神の命令によるこの聖なるわが啓示は大海にたとえられよう。その深海には、無比 の輝きを持つ高価な真珠が無数かくされている。探究者たるものの義務は、奮起してこの大海の岸を目指すことである。探求者は、神の隠されたる不変の書簡に 前もって定められた利益を、その探究の熱意と努力に応じて得ることができよう。この大海の岸に誰も歩みを向けず、 誰も立ち上がらず、誰も彼を発見するものがなければどうなるであろうか。このような事態におよんだとしても、この大海がその威力を奪われ、その宝庫の価値 が少しでも減少すると言えようか。汝らの心が編みだし、今も編みだしつづけている空想は、いかに空虚で下劣なものであろうか。おお、わがしもべらよ。唯一 真実なる神こそわが証人なり。波立つこの最も偉大な底知れぬ大海は、汝らに非常に近いところにある。それは驚くほど近いところにある。見よ、それは汝らの 身体をめぐる動脈よりもなお近い。欲するならば、汝らはまばたく間にこの大海に到達し、その不朽のめぐみを手にすることができる。これこそは神の授け給う恩寵であり、不朽の賜物であり、最大の威力と、言葉に尽くせぬほどの栄光に満ちた恩恵である。

おお、わがしもべらよ。われは、わが恩恵と寛大さにより、汝らの魂に驚くべきものを託したのである。それがいかにすばらしいものであるかを 理解できたならば、汝らはすべての創造物に対する執着を絶ち、自己をまことに知るに至るであろう。まことに自己を知ることは、われの存在を理解することに 等しい。この状態に至り、汝らは、われ以外のすべてのものより独立した自己を発見する。そして、わが慈愛と恩恵の大海が、汝らの内に波うつ様子を見る。汝 らは、それを内なる目と外なる目の両眼をもって、わが光輝なる名の出現を見るが如くはっきりと認めるであろう。汝らのむなしい妄想と、邪悪な欲望と、不実 で盲目な心とによってこの高遠なる地位の輝きが奪われ、その神聖さが汚されることを決してゆるしてはならない。まことに、汝らは強力な翼を存分に羽ばたか せ、歓喜に満ちた完全な自信をもって無限の天空を舞う鳥の如くである。やがて空腹を覚える鳥は、下界の水と粘土を求めて地上に飛来する。しかし、そこで欲 望の網に足を捕られた鳥は、以前いた領土に舞いもどる力を失ってしまう。羽を覆う泥は重くのしかかり、鳥は泥を払う力をもたない。かつては天界の住人で あった鳥も、今や塵の中に住居を求めることを強いられるのである。したがって、おお、わがしもべらよ、むなしい欲望と強情の粘土で汝らの翼を汚してはなら ない。妬みや憎しみの塵の汚れを汝らの羽につけてはならない。これにしたがえば、神聖なるわが知識の天空に舞うことをさまたげられることは決してない。

おお、わがしもべらよ。神の威力と強大さを通じ、われは神の永遠なる大海の深海に隠されていた真珠を、神の知識と英知の宝庫より取りだし、 汝らに示したのである。ヴェールに覆い隠されていた天の侍女たちをわれは召喚し、至上の威力と英知に満ちたわが言葉をもってその姿を着飾ったのである。さ らに、われは神聖なる威力の御手により、わが啓示の選り抜きの美酒の栓を抜き、その隠された神聖なる芳香を全創造物の上にただよわせたのである。これこそ は、すべてを超越し、すべてを覆う神の恩寵の大いなる放出である。これほどの恩寵を受け入れないものは、自分以外に誰を責めることができようか。これほど にまぶしい神の慈悲の光り輝く出現を受け入れないものは、自分以外に誰を咎めることができようか…。

おお、わがしもべらよ。わが心に輝くのは、神聖なる教導の朝日の不滅の光以外の何ものでもない。わが口より発せられる言葉は、主なる汝らの 神が顕わし給う真理の精髄以外の何ものでもない。したがって、汝らは世俗の欲望を追ってはならない。神の聖約を侵してはならない。神に対する自らの約束を 破ってはならない。確固たる決意と、自らの心に宿るすべての熱意と、自らの発言の最高の威力をもって彼に向かえ。愚かなるものの道を歩んではならない。こ の世はまったく空虚で、なかみのない見せかけの存在である。この世は現実であるように見えるが、その真相はまったくの無である。この世のものに愛着しては ならない。汝らを創造主にむすびつける絆を絶ってはならない。過ちを犯し、神の道を遠くはずれるものとなってはならない。まことにわれは言う。この世は砂 漠に出現する蜃気楼しんきろうにたとえられる。渇きにあえぐものはそこに水があると想像し、全力で蜃気楼を追う。しかし、そこに到達すると、それが幻影でしかなかったことを知る。 さらに、この世は恋人の姿をうつした肖像にもたとえられる。命の宿らないこの肖像を求めて長く探究をつづけたものは、最後にこの事実を発見し、大いに失望 する。つまり、それは彼の「欲求を増すことも、満たすこともできない」ものであるからである。

おお、わがしもべらよ。この地上での日々において、神が汝らの 望みと異なることを定め現わしたとしても、それを決して嘆いてはならない。何となれば、汝らを待ち受けるのは幸福と喜びにあふれ、天来の歓喜に満ちた日々 である。このことは確かである。神聖にして精神的な光に満ちた数多くの世界が汝らに明かされよう。今の世にいるときも、また、つぎの世に進んでからも、汝 らはこれらの世界が提供する恩恵を享受し、その喜びを共有し、すべてを支えるその恩寵の分け前にあずかることができよう。これこそは神が汝らに定めた運命 である。汝らはこれらの世界のすべてに到達できよう。このことには疑う余地もない。

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CLIV. おお、サルマンよ。他人の言葉や書物をあまり批判的な目で見ぬよう、唯一真実の神に愛されし人々に忠告せよ。むしろ、偏見のない広い心と、愛に満ちた同情 の精神をもってこれらの言葉や書物に接するようにせよ。しかし、この日、煽動的な言葉をもって神の大業の教義を攻撃するものに対してはこれと異なる対応が 求められる。神の信教を攻撃するものを論破することは万人に課せられた義務であり、各人は自分の能力の範囲でそうしなければならない。威力に満ち給う全能 者はこのように命じたのである。唯一真実なる神の大業を推進しようと欲するものは、剣や暴力に訴えるのではなく、自らのペンと舌にたよれ。われは以前にも この命令を発したが、ここに再びこの命令を確認する。汝、このことを理解することができたならば。この日、全創造物の最も内なる心から「神よ、あなたの他 に神は存在しません」と叫ぶものの正義にかけてわれは言う。自らの書き記した文書をもって神の大業をその攻撃者から守ろうと立ち上がるものは、その貢献が いかに微細なものだとしても、天上の軍勢もうらやむほどの栄誉をきたる世において授けられよう。いかなるペンもその崇高な地位を描写することはできず、い かなる舌もその光輝を語ることはできない。この神聖にして、栄光に満ち、崇高なる啓示に確固不動たるものには、天と地のすべての勢力に立ち向かって耐える ほどの力が付与されよ。このことについては、神がわが証人なり。

おお、神に愛されし人々よ。創造者なる汝の主を認め、彼の身に降りかかったことを聞いたなら、長椅子に横たわるのではなく、直ちに奮起して彼の加勢に急 げ。自らの舌を解き放ち、彼の大業を休むことなく宣言しつづけよ。こうすることは、汝らにとって過去と未来のすべての財宝にも増して価値のあることであ る。おお、汝ら、この真実を理解できたならば。

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CLV. 神がしもべらに定めた最初の義務は、神の啓示の曙であり、神の法の源泉であり、神の大業の王国と創造の世の双方において神の地位を代表する者を認めること である。この義務を果たしたものは、何人であれ、すべての善に達したものである。また、この義務を怠ったものは、いかなる良き行いの実行者であっても、道 を踏みはずしたものである。この最も崇高なる地位、この超越した栄光の頂きに達したものに求められることは、世界の望みの的である者の法のすべてにしたが うことである。対ついをなすこれら二つの義務は不可分である。どちらも単独では受け入れられないのである。聖なる霊感の源である御方はこのように定めたのである。

神より洞察力を授けられたものは、つぎのことを容易に認めるであろう。神の定めた教えは、世の秩序の維持と人々の安全のための最高の手段である。神の教え に顔をそむけるものは、卑しく愚かなるものの内に数えられる。まことに、われは汝らに命ずる。自らの邪悪な情欲と腐敗した欲望の指図を拒否し、最も崇高な る者のペンが定めた限界を超えるな。何となれば、これらは全創造物への生命の息吹であるからである。神聖なる英知と言葉の大海は、慈悲深き御方の息の微風 により湧き立っている。おお、理解ある人々よ。急ぎ行き、心行くまで飲むがよい。神の法を破ることによって神の聖約に違反し、背を向けたものは、嘆かわし い過ちを犯したものとして神の目に映るのである。神こそはすべてを所有し、最も高遠なり。

おお、世界の人々よ。このことを確信せよ。わが法は、わがしもべらに与えられたわが愛情あふれる摂理のランプであり、わが創造物に対するわが慈悲の鍵であ る。法はこのために啓示の主におわす汝らの主の御心の天上より下されたのである。御心によって慈悲者の御口より発せられた言葉の甘美を味わったものは、彼 の恩恵に満ちた保護と慈愛の地平線上に輝く法の真実を一つでも立証するためであれば、たとえ地上の富をすべて所有していようとも、それをすべて放棄するで あろう。

言挙げよ。わが法からは、わが衣の甘い香りがただよい、これら法の援助により勝利の旗は最も高い頂きに立てられよう。わが威力の舌は、わが全能なる栄光の 天上より、つぎの言葉をわが創造物に対し語りかけたのである。「わが美を愛するがために、わが法にしたがえ」。この言葉には、いかなる舌も描写することの できない恵みの香りが満ちている。最愛なる御方の神聖なる芳香をこの言葉より嗅ぐことのできた愛するものは幸いなり。わが命にかけて言う。わが恵み深き恩 恵の手より公平さの選り抜きの美酒を飲んだものは、わが創造の地平線上に輝くわが法のまわりを巡行するであろう。

われが単なる法典を現わしたと思うな。否、まさにわれは威力と強大の指により選り抜きの美酒の封を切ったのである。啓示のペンが書き記したことが、このことの真を証言する。これについて瞑想せよ、おお、洞察力ある人々よ…。

わが法が、わが発言の天上より太陽のごとく現われるとき、万人はそれに忠実にしたがわなければならない。たとえわが法があらゆる宗教の天界を粉砕するもの であったとしてもしたがわなければならない。彼は望むままになし、また、彼は選び、誰も彼の選択に異論を唱えることは許されない。まことに、最愛なる御方 の定めることは、そのまま愛されるものである。これについては、全創造物の主こそわが証人なり。慈悲に満ち給う御方の甘美なる芳香を嗅ぎ、この言葉の源泉 を認識したものは、神の法の真を人々の間に確立するためであれば、敵の矢をも自らの目をもって受けとめるであろう。神の法に向かい、彼の決定的な命令の意 味を理解するものは幸いなり。

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CLVI. 永遠の真理なる者は、栄光の曙よりその目をバハの人々に向け、つぎのように呼びかけている。「汝らは、人の子の福利と平安の増進に取り組まなければならな い。汝らは、自らの心と意志とを地上の民の教育にかたむけ、人類の分裂をもたらす不和が、最大名の威力を通じて、この地球上より排除されるよう努力しなけ ればならない。されば、全人類は一つの秩序の支持者となり、一つの都市の住民となろう。汝らの心を照らし清めよ。憎しみの茨や、悪意のとげによって心を汚 してはならない。汝らはみな一つの世界に生き、一つの意志の働きによって創造されたのである。至上の親切と愛の精神をもって万人と交わるものに祝福あ れ」。

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CLVII. わが大業を教えひろめるために故郷をあとにしたものは、忠実なる 精霊の威力により力づけられよう。わが選ばれし天使の一団が全能者、全賢者なる神の命令にしたがい彼らに付き添って行くであろう。全能者に奉仕する栄誉に 達したものを待つ祝福は何と偉大であろうか。わが命にかけて誓う。いかに偉大なる行為もこの奉仕には匹敵しない。全能者におわし、威力に満ち給う神によっ て命ぜられた行為以外、まさにこの奉仕に比較し得るものは何もない。実に、この奉仕はあらゆる善行の王子であり、あらゆる立派な行為をかざる装飾である。 至上なる啓示の発布者におわす日の老いたる者は、このように定め給う。

わが大業を教えひろめるために立ち上るものは、世俗の事物をすべ て超脱し、常にわが信教の勝利を至上の目標とみなさなければならない。まことに、これは庇護された書簡に定められたことである。そして、自らの主の大業の ために故郷を離れることを決心するとき、旅の最上のそなえとして神に全信頼を置き、美徳の衣で身をかざらなければならない。全能者にして、すべてに讃美さ れる神はこのように定め給う。

神の愛に燃え、あらゆる創造物を放棄するなら、そのものの口をもれる言葉は聞き手に点火するであろう。まことに、汝の主は全知者にして、すべてに精通し給う。わが声を聞き、わが呼び声に応える者は幸いなり。まことに、それはわれに接近することを得るものである。

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CLVIII. 神はあらゆるものに対し、神の大業を教えひろめる義務を定めた。この義務の遂行のために立ち上がるものは、神の教えを宣布する前につぎのことをしなければ ならない。つまり、感受性をそなえた人の心をひくためには、まず、賞賛に値する高潔な特性をもって自らを飾る装飾としなければならない。これなくしては、 聞き手に影響をおよぼすことは決して望めない。

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CLIX. 人々の心の狭量について考えてみよ。彼らは自らを害するものを求め、利益となるものを捨てる。実に、これらは遠くさまよう人々である。あるものは自由を欲し、自由に振る舞うことを誇りとしている。これこそは無知の深みにある人々である。

自由は最終的には騒乱に至り、誰もその炎を消すことはできない。審判者にして全知者におわす御方はこのように警告する。自由の具現と象徴は獣である。人間 にふさわしいことは、自分の無知から自分を保護できるような節度にしたがうことであり、悪事を働くものから自分を守ることである。自由により人は礼節を逸 脱し、人間の地位の尊厳を侵害するに至る。自由は人間を極度の堕落と邪悪の状態に陥れる。

人類を、羊飼いの保護を必要とする羊の群れと見なせ。まことに、これは真実であり、疑う余地のない真理である。われは一定の状況のもとでの自由は是認するが、その他の状況においては許すことはない。まことに、われは全知者なり。

言挙げよ。真の自由は、わが命令にしたがうことにある。しかし、汝らはこのことに気づいていない。啓示の天上よりわれが下し与えたことを遵守するならば、 人は完全な自由を必ず獲得することができよう。全創造物にみなぎる彼の意志の天上より現わされたあらゆるものの中に神の目的を発見することのできるものは 幸いなり。言挙げよ。汝らを利する自由は、永遠の真理なる神に完全にしたがう以外にはどこにも見いだすことはできない。そして、一度その甘美を知ったもの は、天と地のすべての主権をもってしても、それを交換することを拒むであろう。

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CLX. この時代において、神の一体性をまことに信ずるものは誰か。それは、神が、人々の用いるあらゆる比喩や比較をはるかに超越する崇高なる存在であることを認 めるものである。これらの比喩や比較を神御自身と取り違えるものは嘆かわしい過ちの中にある。名工とその製作物、もしくは画家とその作品の関係について考 えてみよ。作者が自分の手で作り上げたものが作者と同等であると言えようか。天と地の王座の主にかけて言う。作品は、作者の優れた能力と技術の完成のほど を示す証拠でしかない。

おお、シェ-クよ。汝は自らの意志を捨て、神の御心を受け入れた。自我の滅却や神との永遠の融合の意味はつぎの通りである。つまり、自分の意志を神の御心 に完全に融合させ、神の目的の前に自分の望みを完全に無と見なすことである。創造主によって命じられたことを創造物は熱心に遵守し、立ち上がって最高の喜 びと熱意をもって実行しなければならない。自分の抱く空想によって判断力をくもらせてはならない。また、自分の想像を、永遠なる御方の声と取り違えてはな らない。われは断食のための祈りにこのように著した。「御心によりつぎのような言葉があなたの御口をもれるとしたらどうなるでしょうか。『おお人々よ。わ が美のために無期限の断食を実行せよ』。あなたの御栄光の崇高さに誓って言います。彼らはひとり残らず、命ある限り、この命令を忠実に守り、あなたの法に 違反することを避けつづけるでしょう」。これこそが自分の意志を完全に捨て、神の御心にしたがうことの意味である。全人類の主の言葉を通じて流れでる永遠 の命の清水を飲むことができるよう、また、唯一真実の神はその創造物を計り知れぬほど超越した存在であることを証言できるようこの言葉について熟考せよ。 まことに、神は比類なき御方、永遠なる御方、すべてを知り、すべてに賢き御方におわす。完全なる自我滅却の地位は、他のいかなる地位にも増して崇高であ り、永遠にそうありつづけるのである。

神の御心に自らを捧げよ。これこそが汝にとってふさわしい行為である。この書簡に記されたことは神の意志を反映するものである。汝の献身は、あらゆる世俗の欲望の痕跡を汝の心より洗い流すほどのものでなければならない。これが真の融合の意味である。

この道をきわめることができるよう神に祈願せよ。世界の人々をこの明白にして至上なる主権者のもとにみちびくことができるよう神に嘆願せよ。彼こそは独特 の衣を着て出現し、神聖にして固有の教えを語る者なり。これこそが信仰と確信の本質である。自らの想像力が作り上げた偶像を内なる真実と崇めるものは、ま ことに無神論者の内に数えられる。慈悲に満ち給う御方は多くの書簡を通じてこの真実を証言した。まことに、彼こそはすべてを知り、すべてに賢き御方であ る。

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CLXI. 汝の隣人を、慈悲に満ち給う神の法のもとにみちびくよう努力せよ。すべてを所有し、最も高遠におわす神の目には、このことこそが他のいかなる行為にもまさ るものとして映るのである。世俗のいかなるものも、汝を自らの義務より引きとめることのないよう、汝は神の大業に確固不動でなければならない。地上の勢力 が群をなして汝に刃向かっても、万人が汝に反対しても、汝の心は揺らいではならない。

神の教導の夜明けをもたらした者の教えを伝えるとき、縛られることを知らない風の如くあれ。しばし風について考えてみよ。風は神の命令にまったく忠実にこ の地上の諸々の地に、つまり人の住む所にも、荒涼とした地にも吹きわたるのである。荒涼たる風景も、繁栄の姿も、風を苦しめたり喜ばせたりできない。風は その創造主に命じられるままにあらゆる方向に吹く。唯一真実の神を愛すると告白するものもこうでなければならない。自らの目を神の信教の基礎にしっかりと 据え、その普及に勤勉に努力しなければならない。神のためにのみ彼の教えを宣布せよ。そして同様の精神をもって、自らの言葉が聞き手に呼び起こした反応を 受け入れよ。神の教えを受け入れ信ずるものには、その報酬が与えられよう。また、それにそむくものは、自らの罰を受けるに過ぎない。

イラクを出発する前夜、われは忠実なる信徒たちに対し、暗黒の鳥たちの出現に注意するよう警告した。かの烏からすの声は近年すでに聞こえてきているが、疑いもなくその鳴き声は今後各地で聞かれよう。何事が起ころうとも、神が汝らを偽りものの策略より守り給うよう、唯一真実の神のもとに庇護を求めよ。

まことにわれは告ぐ。過去のすべての宗教制はこの最も強大なる啓示において、その最高かつ最終の極点に達したのである。すべてを知り、すべてに賢き汝らの主はこのように忠告する。諸々の世の主におわす神に讃美あれ。

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CLXII. 慈悲に満ち給う御方は人間に視力を与え、聴覚を授けたのである。あるものは人間を「小世界」と称した。しかし、まさに人間を「大なる世界」とみなさなけれ ばならない。人間の地位にそなわった潜在力は、神の約束されたこの日において顕わされるであろう。また、この地上における人間の運命の全貌も、そして、人 間の実体に宿る天性の卓越性も、すべてこの約束の日において顕わされるであろう。

最も高遠なる者のペンは、いかなる状態にあっても常に、彼の愛する人々を喜びといたわりとをもって思い起こし、彼の道にしたがうよう彼らに勧告してきた。 この世の変化と偶然によっても、神の一体性の曙を認めることをさまたげられないものは幸いなり。揺ぎない決意を抱き、御自力にて存在し給う御方の御名にお いて、彼の啓示の選り抜きの美酒を飲み干したものは幸いなり。そのようなものは、諸々の世の主におわす神の書に、楽園の住人と共に数えられよう。

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CLXIII. この世を飾り、装飾を施した神に讃美あれ。地上のいかなる権力もこの装飾を奪い去ることはできない。いかに強力な軍勢を有するものであっても、その富がい かに膨大であっても、その影響力がいかに強大であってもこの装飾を奪うことはできない。言挙げよ。権力の真髄は、創造の最高かつ究極の目的である神に属す る。あらゆる主権の源は、天と地にあるすべてのものの崇敬の的である神に属する。本来、この塵の世に由来するいかなる勢力も何ら評価に値しない。

言挙げよ。この鳥たちの命を養う泉はこの世に属するものではない。この泉の源泉は人間の理解力の届くところをはるかに超えたところにある。神の純白の手が 灯した光を誰が消すことができようか。すべての力を有し、すべてを服従させる全能者におわす主の威力により燃え盛る炎を、誰が消すことができようか。否、 聖なる威力の手は不和の火炎を鎮火させたのである。彼は欲するままになし給う御力の御方におわし、彼が「在あれ」と発すれば、その通りのことが実現する。言挙げよ。この世の強風や竜巻をもってしても、また、世俗の人々をもってしても、決してわが選ばれし人々の岩のような安定を支える基礎を揺るがすことはできない。おお、神よ。この人々は何が原因で永遠なる真実におわす御方に愛されし人々を捕らえ、牢に押し込めたのであろうか…。忠実なる人々が、栄光の黎明の場より燦然と輝きでる正義の昼の星を目の当たりにするときが迫りきている。すべての存在の主なる者は、この悲惨な牢獄にあって汝らをこのように指導するのである。

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CLXIV. おお、人類を構成する人々よ。何者にも切断されない綱にしっかりとすがれ。実に、これは生涯を通じて汝らに利益をもたらすものである。なぜなら、その力は 諸々の世の主におわす神に由来するからである。正義と公正にすがり、愚者のささやきより顔をそむけよ。愚者とは、神のもとを遠く離れ、学問の装飾で頭上を 飾りながら、英知の源である者に死刑の宣告を下すものらである。彼らは、わが名により、高き地位に引き上げられたのである。にもかかわらず、われが彼らの 眼前にわが姿を現わすや否や、彼らは明白なる不正をもってわれに死刑の宣告を下した。このようにしてわがペンは真実を明かす。しかしながら、人々はなおも 無思慮の内にある。

正義にすがるものは、いかなる場合にも中庸の範囲を超えてはならない。正義にすがるものは、すべてを見給う御方の教導により、万物の中に真理を発見するで あろう。技術や科学を推進する学識者がしばし自慢の種とする文明も、中庸の域を逸脱することがゆるされれば、文明とて人類に大いなる悪をもたらすであろ う。全知者は汝らにこのように警告する。中庸が守られるとき、文明は最も豊かな善の源泉となる。しかし、極端に走れば、文明は同様に大量の悪の源泉となろ う。おお、人々よ。このことについて熟考し、過ちの荒野を混乱に覆われてさまようものとなるな。文明の火炎が都市を飲み込む時が近づきつつある。その日、 荘厳なる舌はこう宣言するであろう。「御国は神に属し、神こそはすべてに讃美される全能者なり」。

中庸の原則は他のすべての事柄にも適用される。このすばらしき書簡に汝らを記憶する汝らの主に感謝せよ。栄光の王座の主におわす神に讃美あれ。最も高遠な る者のペンが顕わしたことを心の中で熟考し、その甘美なる味を覚えたものは、自分自身が空となり、自らの欲望から解放され、全能者の意志に完全に従順と なった自己を必ず発見するであろう。これほど高遠な地位に達し、これほどのめぐみに満ちた恩寵を逸することのないものは幸いなり。

この日、恐怖に襲われ、自らの信仰をかくそうとするものの行為を、われは容認することはできない。同様に、大業への忠誠を騒がしく主張するものの行動をも、われは是認しない。両者とも英知にしたがい、信教の最善の利益を促進するために不断に努力しなければならない。

汝らみな、この虐げられし者の行動を観察して熟考せよ。この啓示の誕生より現在に至るまで、われは敵から身を隠すことも、友との交遊から身を引くことも、 常に拒んできた。数限りない苦悩と苦しみに取りかこまれながらも、われは最強の確信をもって地上の人々を栄光の曙のもとへと召喚した。最も高遠なる者のペ ンはこれと関連して、自らに降りかかった苦悩を述べることを良しとしない。それらを明かすことは、敬愛の的である信徒たちを悲しみに陥れ、神の一体性をま ことに支持し、神の大業に完全に献身する人々が悲嘆に打ちひしがれることになる。まことに、彼こそは真実を語り、すべてを聴き、すべてを知り給う御方であ る。

この聖地はあらゆる聖典にその名が記され、賞賛されている。神の預言者たちや、神の選ばれし人々はこの地に出現したのであった。神のすべての使者はこの荒 野をさまよい、彼らの叫ぶ「おお、わが神よ。われここにあり、われここにあり」の声はこの地より上がった。これこそは、神の啓示におわす者が出現する運命 にあった約束の地である。これこそは、神の知られざる定めの谷であり、純白の地点であり、薄れることのない光輝の地である。この日の出来事はすべて、昔よ りの聖典に予告されている。同時に、これらの聖典は一致してこの地に住む人々を非難している。この地の人々は、ときには「毒蛇の世代」の汚名を被った。そ して見よ、この虐げられし者を。彼はこの「毒蛇の世代」に包囲されながら、なおも声たからかに万人を召喚し、この世の究極の希望の的であり、栄光の頂点で あり、その曙である者のもとへと人々を呼びよせているのである。言葉の王国の主なる者の声に耳をかたむけるものは幸いなり。そして、彼の真理より遠く迷い でた無思慮なものは不幸なり。

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CLXV. このことを知得せよ。聴力あるすべての耳は、それが純粋で汚れのないものであれば、四方にとどろくつぎの聖句を語る声を常に聞くであろう。「まことに、わ れわれは神に属し、神のもとへと帰らん」。肉体の死と、人間の帰還に係わる神秘は明かされておらず、それは未だ解読されないままである。神の正義にかけて 誓う。もしこれらの神秘が解き明かされるならば、あるものは恐怖と悲しみのあまり息絶えてしまうであろう。他方、あるものは非常な喜びに満たされ、そのた め、死を渇望し、切なる思いをこめて、自らの死期を早めるよう唯一真実の神に絶え間なく嘆願するであろう。神の栄光は高遠なり。

確信を得た信者に対し、死は生命そのものの聖杯を提供する。死は喜びを与え、歓喜を運ぶ。そして、死は永遠の生命の賜物を付与する。

唯一真実の神を認識することこそが地上での生活の果実である。神の栄光は高遠なり。この果実を味わったものの死後の生については、それはわれが叙述し得ないほどのものである。その知識は、諸々の世の主におわす神のみにある。

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CLXVI. 一 千年が完全に経過する前に、神より直接の啓示をたずさえてきたと主張するものはまさしく虚偽を語るいつわりものである。そのような主張を撤回し放棄するよ う神が恩寵深く援助し給うことをわれは神に祈る。もしそのものが悔い改めるならば、無論、神は彼を許すであろう。しかし、もし過ちに固執するならば、神は 必ずそのものを容赦なく扱うものを遣わすであろう。罰することにおいて、まことに神は恐るべき御方である。この言葉をその明白な意味以外に解釈するもの は、万物を取り巻く神の慈悲と精霊から見放されたものである。神を畏れ、自らの愚かしい妄想にしたがうことなく、全能にして聡明なる汝らの主の命に服従せ よ。

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バハオラ

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